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    <title>Emerging Revolution in the South</title>
    <link>http://agrotous.seesaa.net/</link>
    <description>主にZNetに掲載されている、ベネズエラに関する英文記事翻訳</description>
    <language>ja</language>
    <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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    <itunes:summary>主にZNetに掲載されている、ベネズエラに関する英文記事翻訳</itunes:summary>
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    <itunes:author>Agrotous</itunes:author>	
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            <itunes:category text="Politics"/>
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      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/88518120.html</link>
      <title>エクアドルの犯行現場証拠、コロンビアの嘘を暴く</title>
      <pubDate>Thu, 06 Mar 2008 20:48:32 +0900</pubDate>
            <description>エクアドルの犯行現場証拠、コロンビアの嘘を暴く〔Ecuador Crime Scene Evidence Nails Colombian Lies：Original Article in English/ZNet原文〕デシオ・マチャド〔Decio Machado〕；２００８年３月４日エクアドル当局による調査は、コロンビア軍が２０人から２２人のゲリラ兵をエクアドル領内で殺害した３月１日の明け方に起きた事実を明らかにした。ＦＡＲＣ（コロンビアのゲリラ組織、コロンビア革命軍のスペイ...</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">エクアドルの犯行現場証拠、コロンビアの嘘を暴く</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Ecuador Crime Scene Evidence Nails Colombian Lies：<a href="http://www.zcommunications.org/znet/viewArticle/16754">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>デシオ・マチャド<span style="font-size: 12px;">〔Decio Machado〕</span>；２００８年３月４日</p>
<p>エクアドル当局による調査は、コロンビア軍が２０人から２２人のゲリラ兵をエクアドル領内で殺害した３月１日の明け方に起きた事実を明らかにした。ＦＡＲＣ（コロンビアのゲリラ組織、コロンビア革命軍のスペイン語の頭文字）司令部のナンバー２、ラウル・レジェスは伏兵攻撃によって殺害された。</p>
<p>画像、近隣住民や生存して発見された３人のゲリラ兵の証言、弾道学の報告、そしてエクアドル軍の諜報は、アルバロ・ウリベ・コロンビア大統領の嘘の数々を証明した。コロンビアの見解によれば、エクアドル国境に近いがなおコロンビア領土に位置するグラナダと呼ばれる小さな村落にレジェスが現れるであろうという情報を基に、ＦＡＲＣ第４８戦線は追跡されていたという。</p><a name="more"></a><p>フアン・マヌエル・サントス・コロンビア国防相は、作戦中にコロンビア国軍がエクアドル領内の国境から１８００メートル離れた所に位置したＦＡＲＣ野営地から攻撃を受けた、と述べた。その後コロンビア空軍はゲリラ野営地の所在地を突き止め、エクアドル領空を侵害してはならないという指令を考慮に入れ、攻撃を加えた。コロンビア国軍は後にその土地に対する統制を確保すべくその場に進入し、エクアドル軍が到着するまでのあいだコロンビア警察に統轄を委ねた。</p>
<p>エクアドル当局側の調査は、攻撃を受けるまでの間ＦＡＲＣが戦闘を行っていなかったことを示した。見張りをしていた３人を除いて、殺害された１８人は下着を着て眠っていた。ゲリラ兵の誰一人として応戦する、あるいは降伏する機会がなかった。野営地の武器は積まれたままであった。ライフル銃や手投げ弾に手を伸ばす機会すら彼らにはなかった。つまり彼らは就寝中に虐殺されたのである。</p>
<p>その地域の住民の証言や、野営地に残った大きな穴が示すことは、エクアドル領内に侵入したコロンビアの航空機から４発の爆弾が発射されたということである。軍諜報部の調査によれば、それらは野営地の南側から発射されたのであり、それはつまり攻撃が始まった時、航空機はエクアドル領内に１０キロ以上侵入していた、ということである。</p>
<p>これらの航空機からの爆撃後、コロンビア空軍の複数の「スーパートスカン<span style="font-size: 12px;">〔Supertuscan〕</span>」ヘリコプターが侵入し、エクアドル領内に位置するＦＡＲＣ野営地への攻撃が継続された。これらのヘリコプターは特別奇襲部隊を着陸させ、その部隊が負傷したゲリラ兵に止めを刺した。多数のゲリラ兵の遺体に残った銃傷が示すように、彼らの多くは野営地の一区画に並べられ背後から殺害された。コロンビア政府によって撮影されたラウル・レジェスの遺体の写真でさえ、彼が顔の左側に銃弾を受けたことを示している。</p>
<p>エクアドル軍諜報部の情報は次の事を示している。３月１日の早朝に国の領空が侵害されたのみならず、３月２日の明け方にもエクアドル領内に依然として留まっていた国軍やコロンビア警察のメンバーを撤収させるべく、暗視装置を備えたヘリコプターによる別の侵入が行われた。爆撃によってなぎ倒された樹木の位置、それらに残された複数の弾痕、また複数の遺体の位置が明示することは、コロンビア国境の方角を向いた北側でＦＡＲＣが野営地を守っていた一方で、その領空侵犯は南から行われた、ということである。エクアドル領空に関する全ての国際基準に違反してコロンビア空軍が許可や通知なしで侵入したことを示している。</p>
<p>その地域の住民の証言は、攻撃が３月１日のおおよそ夜の１２時過ぎから朝の６時まで継続したことを示している。攻撃の精密さが更に示すことは重要な軍事技術の利用である。このことが少なくともゲリラ部隊を探知する上でアメリカ合衆国が虐殺に関与した可能性が出てきた。</p>
<p>住民の証言はコロンビアのヘリコプターが運んだのは、攻撃側の当局が示したようにラウル・レジェスとフリアン・コンラド<span style="font-size: 12px;">〔Julian Conrado：本名ギジェルモ・エンリケ・トレス（Guillermo Enrique Torres ）〕</span>２名のみの遺体ではなく、４名の遺体だった可能性を伝えている。エクアドル軍自体は、殺害が行われた木が生い茂った熱帯地域で更に遺体が発見された可能性を除外していない。</p>
<p>今年の終わりに満期になり、またラファエル・コレア大統領が更新しない意向を示しているエクアドルとアメリカ合衆国の間の１０年間有効のマンタ空軍基地使用協定もまたこの外交危機の一要素でもある。マンタ空軍基地はコロンビア計画<span style="font-size: 12px;">〔又はプラン・コロンビア〕</span>の構造及び戦略の重要な位置を占めており、アメリカ合衆国がその基地を手放すという確固とした宣言を行ってきていないとはいえ、エクアドルにおける「市民革命」に関する<span style="font-size: 12px;">〔アメリカ合衆国の〕</span>気掛かりな政策の一部を成していることは明白である。</p>
<p>この報告はまず『<a href="http://jbcs.blogspot.com/">Vamos a Cambiar El Mundo</a>』で発表され、その後『Rebel&#237;on』に再掲載された。</p>
<p>要約された<span style="font-size: 12px;">〔英文〕</span>翻訳はSupriyo Chatterjeeによるもの。中南米に関する更なる報告は<a href="http://nuestrosricos.blogspot.com/">Meeting Point</a>へ。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>中南米全般</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/88273360.html</link>
      <title>コロンビア、ＦＡＲＣのラウル・レジェスを暗殺</title>
      <pubDate>Tue, 04 Mar 2008 20:01:51 +0900</pubDate>
            <description>コロンビア、ＦＡＲＣのラウル・レジェスを暗殺〔Colombia Assassinates Raul Reyes of FARC：Original Article in English/ZNet原文〕ジャスティン・ポドゥール〔Justin Podur〕；２００８年３月２日ＦＡＲＣ（コロンビアのゲリラ組織〔コロンビア革命軍〕）のナンバー２であり、その組織の中でおそらく最も顕著な代弁者、ルイス・エドガル・デビア・シルバ〔Luis &amp;#201;dgar Devia Silva〕、又は...</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">コロンビア、ＦＡＲＣのラウル・レジェスを暗殺</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Colombia Assassinates Raul Reyes of FARC：<a href="http://www.zmag.org/sustainers/content/2008-03/02podur.cfm">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>ジャスティン・ポドゥール<span style="font-size: 12px;">〔Justin Podur〕</span>；２００８年３月２日</p>
<p>ＦＡＲＣ（コロンビアのゲリラ組織<span style="font-size: 12px;">〔コロンビア革命軍〕</span>）のナンバー２であり、その組織の中でおそらく最も顕著な代弁者、ルイス・エドガル・デビア・シルバ<span style="font-size: 12px;">〔Luis &#201;dgar Devia Silva〕</span>、又は「ラウル・レジェス」（通称）が昨日コロンビア軍による爆撃で殺害された。コロンビア軍自体による報告によれば、軍はラウル・レジェスを含む１５名ほどのゲリラを殺害したという。その報告がほのめかしていることは、それが基本的に暗殺であったということである。それはイスラエルがごく最近の例ではヒズボラ幹部のイマド・ムグニヤに対して行ったと非難されている、ここ数十年間に犯してきた類に入るものである（実際にウゴ・チャベス・ベネズエラ大統領はその類似性に言及し、コロンビアがアメリカ大陸のイスラエルに変貌するのであろうかと訊ねた）。コロンビア全国紙エル・ティエンポによれば、「レジェスが殺害されたのは、そのゲリラ司令官からの衛星電話を傍受した陸軍及び空軍が関わる諜報活動においてであり、そのことが彼が潜伏していた場所を正確に突き止めることを可能にした。」</p><a name="more"></a><p>ラウル・レジェスはエクアドル領内で暗殺された。エクアドル軍が複数の遺体を収容した一方で、コロンビア軍がラウル・レジェスと他のＦＡＲＣ兵士らの遺体を収容した。</p>
<p>エクアドルはコロンビアから大使を召還させている。</p>
<p>ベネズエラもまた大使館を閉鎖した。</p>
<p>エクアドル及びベネズエラは両国ともコロンビアとの国境へ軍隊を派遣した。</p>
<p>ラファエル・コレア・エクアドル大統領はウリベ<span style="font-size: 12px;">〔・コロンビア大統領〕</span>を「麻薬政府」を率いる「準軍組織、犯罪者、マフィアの一員」と糾弾した。</p>
<p>「我々は戦争を望んでいない。とはいえ帝国<span style="font-size: 12px;">〔米国〕</span>やその子犬であるウリベ大統領が我々を弱体化することを許さない。」これは３月２日に放送されたベネズエラのラジオ番組「こんにちは大統領」でのチャベスの発言である。チャベスはラウル・レジェスを「素晴らしい革命家」と呼び、この殺害は「卑劣な暗殺」であると述べた。更に彼は「ある国が不法にも隣国の領内を爆撃し、遺体回収のため侵略する権利を有しているとして、多数の国際法を侵害するような事態は由々しいことである。コロンビアのためのみならず、近隣諸国のためにも、その帰結を考えるべきである」と述べた。</p>
<p>ベネズエラ政府の公式文書は次のように記した。この暗殺は「人道的な講和及び交渉の可能性に対する大打撃である。また軍事力の行使を辞さないことで、武力衝突をエスカレートさせ、政治的及び交渉による解決をますます困難にさせ、その帰結を考慮しない者たちの無責任さを露呈した。」</p>
<p>この暗殺は文字通りＦＡＲＣによる２度目となる相互的でない人質解放に対する返答であった。解放されたのは元国会議員４人であり、その交渉はベネズエラの協力を伴い進められた。従ってそこにはイスラエルとの類似が多数ある。第一に、先端技術を用いた長距離からの高官の暗殺という戦術。第二に、「付随被害<span style="font-size: 12px;">〔Collateral Damage 〕</span>」として、周囲にいる数十名を殺害すること。第三に、対話や交渉による解決を頓挫させるべくその様な暗殺を行使することである。</p>
<p>今回の事例では、その地域のその他多くがそうであるように、標的はベネズエラであり、目標は地域紛争の段階的な拡大――あるいはより正確にはコロンビア国内で起きている軍事紛争の激化及び国際化である。その様な紛争は当事者すべてにとって非常に破壊的な結果に至るであろう。コロンビアとコロンビア人にとって、ウリベと彼の政権にとって、そして当然ながらベネズエラの革命にとって。しかしながら米国は利益を得るであろう。類似した政治状況下で同一の戦術を米国の同盟国が米国の敵国に対して用いる時、米国の関与を疑うのは最もである。</p>
<p>２００３年のイラク侵略から２００６年のレバノン侵略、そしてガザにおける進行中の虐殺まで、中東における米・イスラエルの手段は、優越した軍事力を用いて残虐行為や暴力行為を行い、その結果生じる政治・軍事的な機会を利用するというものであり続けてきた（これはナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」と名付けたものと軍事的に対を成すものである）。これが仮に政治的に裏目に出たり、軍事資源を浪費させたりした場合でも、こうした暴力的な手段はその立案者たちよりも遥かに犠牲者たちに損害を与えてきた。彼ら<span style="font-size: 12px;">〔立案者ら〕</span>は更なる暴力がうまく行くと信じる理由があると引き続き考えている。</p>
<p>暗殺を実行した後にイスラエルが当てにする政治的機会のひとつは、パレスチナの武装グループによる手当たり次第の暴力行為であり、それが起きた後にそれを利用してパレスチナ人らをテロリストとして非難するのである。ＦＡＲＣに告げられたことは、彼らが一方的に人質を解放した場合、その返答は彼らの司令官の暗殺である、ということである。この紛争に対する唯一の解決策は政治的なものであると信じる者たちは、彼ら<span style="font-size: 12px;">〔ＦＡＲＣ〕</span>に何と言えばいいのであろうか？</p>
<p>もし暗殺が容認される政策の手段として見なされなくなれば、それは世界情勢における重要な改善になるであろう。特に中東において、またおそらく益々アメリカ大陸においても。こうした状況下、この地域にとっての短期的な望みで最善のものは、ウリベ政権（そしてその政権を牛耳る者たち）が行ってきたことに対する公式・一般の反感がアメリカ大陸全域で噴出することである。</p>
<p>ジャスティン・ポドゥールはトロントを本拠地とする著述家。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>中南米全般</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/82554816.html</link>
      <title>中南米のニュース報道：中途半端な報道はされない方がまし</title>
      <pubDate>Tue, 05 Feb 2008 20:04:19 +0900</pubDate>
            <description>中南米のニュース報道：中途半端な報道はされない方がまし〔Latin America News Coverage: Half the Story is Worse Than None：Original Article in English/ZNet原文〕マーク・ワイズブロット〔Mark Weisbrot〕；AlterNet；２００８年２月２日〔文中リンク原文ママ〕サウスカロライナ州予備選後「選挙に勝利するためなら何でも述べ、何でも行う」人々に言及して、バラック・オバマはビル及び...</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">中南米のニュース報道：中途半端な報道はされない方がまし</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Latin America News Coverage: <br />
Half the Story is Worse Than None：<a href="http://www.zcommunications.org/znet/viewArticle/16394">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>マーク・ワイズブロット<span style="font-size: 12px;">〔Mark Weisbrot〕</span>；<a href="http://www.alternet.org/mediaculture/75697/">AlterNet</a>；２００８年２月２日</p>
<p><span style="font-size: 12px;">〔文中リンク原文ママ〕</span></p>
<p>サウスカロライナ州予備選後「選挙に勝利するためなら何でも述べ、何でも行う」人々に言及して、バラック・オバマはビル及びヒラリー・クリントンに痛烈な言葉を浴びせた。 </p>
<p>この候補者が何に返答していたのかに言及せず彼の発言を米国メディアが報道するのを想像するといい。（彼が応じていたのは、ビル・クリントン元大統領がサウスカロライナ州におけるオバマの勝利を１９８０年代のジェシー・ジャクソンのものに比較したこと――これは人種差別的な政治手段であると広く見なされている――及びヒラリー・クリントンの攻撃的な選挙広告に対してである）。 </p>
<p>こうした重要な事実を省略することは米国において容認されるジャーナリズムであるとは見なされないであろう。 しかしながら中南米に関する米国の報道において、同一の基準が適用されることはない。 </p><a name="more"></a><p>たとえば、ベネズエラ・コロンビア間の外交問題に関してマスコミは最近複数の報道を行った。これが重要な事柄である理由は、両国が共有する一千三百マイルに亘る国境が、準軍組織やゲリラによる暴力によって数十年もの間苦しまされてきたからである。 コロンビアのウリベ大統領に関するベネズエラのウゴ・チャベス大統領による外交的とは言い難い発言をマスコミは即座に報道した。チャベスは彼を「嘘つき」と呼び、大統領というよりは「マフィアのボスに相応しい」と述べた。 </p>
<p>米国や英語の報道で欠けていたのは、チャベスが応じていた主要な出来事であり、それは実際に現在の論争の主な原因であった。 昨年<span style="font-size: 12px;">〔２００７年〕</span>の大晦日の数日前にベネズエラ政府は、ゲリラ組織ＦＡＲＣ （コロンビア革命軍）によってコロンビアのジャングルに捕らわれた知名度の高い人質の解放の準備を整えていた。 高レベルの国際監視チームが待機していた。その中にはアルゼンチンのネストル・キルチネル元大統領をはじめ、ブラジル大統領外交政策顧問のトップ、そしてフランス、スイス、ボリビア、エクアドル、キューバや赤十字からの代表達が含まれていた。 </p>
<p>この作戦は失敗に終わり、非難の応酬がそれに続いた。ウリベ大統領はFARCが終始一貫して嘘をついていたのであり、彼らが人質を解放する意図を決して持っていなかった、と述べた。なぜなら彼らが解放すると約束していた３人のうち１人（ 監禁期間に生まれた３歳の男児）が彼らのもとにいなかったからである、と。チャベス大統領はウリベが作戦を「ダイナマイトで爆破した」と怒りをあらわに非難した。 実際にはFARCは２人の人質を解放する準備ができていたのだが、コロンビアの軍事作戦から撤退を余儀なくされた、と彼は述べた。ウリベ大統領は、彼の軍隊が彼の命令の下、解放を許すべく停戦を維持していたと主張した。誰が真実を語っていたのか？ </p>
<p>二人の人質、コンスエロ・ゴンザレスとクララ・ロハスが１月１０日に最終的に解放された時、コロンビア元下院議員のゴンザレスは<a href="http://www.pagina12.com.ar/diario/elpais/1-97379-2008-01-12.html">次の事をマスコミに語った</a>：</p>
<p>「１２月２１日、私たちは彼らが私達を解放する場所に向かい歩き始め、２０日近く歩き続けました。その間何度か私たちは走るのを余儀なくされました。兵士が非常に接近していたのです」と彼女は述べた。アルバロ・ウリベが解放の最終期限に定めた当日、彼女達が位置していた地域にコロンビア軍がこれまでで最悪の攻撃を仕掛けた、とゴンサレスは嘆いた。 「３１日に、非常に大規模な動員が行われることに私達は気付き、そして私達が今にも解放されるというその時に非常に大きな爆撃があり、別の場所へと即座に移らなければなりませんでした。」</p>
<p>ゴンザレスの証言を問題にした英語圏の記者は一人としていなかった。それは単に報道されなかった。唯一の例外はAP通信の記事であり、その記事中においても<a href="http://www.chicagotribune.com/news/nationworld/chi-ap-012008-chavez,1,4846377.story">わずかに触れられた</a>のみであり、ほとんどの新聞から編集時に除外された。この極めて重要な情報を省くことによってメディアは、コロンビア政府がチャベスを窮地に陥れ、作戦を頓挫させる試みに思われる行動として、その取り引きの約束を破り、人質の命を危険にさらした事実を読者から覆い隠した。</p>
<p>こうした類の中南米に関する報道はあまりにもありふれている。たとえば、エボ・モラレス政権下のボリビアの民主的な政府は、その国の先住民族で構成された大多数に対して行われてきた数世紀に亘るアパルトヘイト的支配を覆すことを目指している。けれども米国メディアにおいてこの尽力は、大統領による「権力掌握」として、また「チャベスの事業」であると頻繁に描かれている。エボ・モラレスがウゴ・チャベスに出会う以前から、憲法改正がボリビアの強靭な社会運動の長年の要求であり続けたという事実にもかかわらずである。極めて重要な情報を省略することは誤った印象を創出するうえで重要な役割を担う。 従って、 「野党議員らの立会い無しに憲法改正案が通過した故にボリビア東部の知事達は憲法改正案に反対している」と<a href="http://www.cnn.com/2008/WORLD/americas/01/09/bolivia.unity/">CNNは報道し</a>、その野党議員たちが議会をボイコットしていたことに言及しなかった。（この報道は更に、この新憲法が「モラレス大統領が無期限に大統領に立候補する」ことを可能にする、と誤って記述した。） </p>
<p>論説委員らはこの「中途半端な報道」を用いて、中南米の新しい民主主義の数々を「権威主義的」あるいはそれよりも酷いものとして非難する<a href="http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/12/13/AR2007121301630.html">更に誇張された社説</a>を書いている。その結果として、中南米のニュース報道を追う者たちは、それを無視する者たちよりも劣る理解を手にすることになる。</p>
<br />
<p><a href="http://www.cepr.net/index.php?option=com_content&task=view&id=81&Itemid=81">マーク・ワイズブロット</a>はワシントンDCの経済政策研究センター<span style="font-size: 12px;">〔CEPR〕</span>の共同ディレクター（www.cepr.net）。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>中南米全般</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/79100900.html</link>
      <title>地球の中心の善と悪</title>
      <pubDate>Thu, 17 Jan 2008 19:38:36 +0900</pubDate>
            <description>地球の中心の善と悪：ケチュア族のクリスマス・キャロル〔Good and Evil at the Center of the Earth:A Quechua Christmas Carol：Original Article in English/ZNet原文〕グレッグ・パラスト〔Greg Palast〕；GregPalast.com；２００７年１２月２６日キト――何がそうさせたのかは分からないが、エクアドル大統領〔ラファエル・コレア〕との一時間に亘るインタビューで私は彼の父親に...</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">地球の中心の善と悪：</span><br />
ケチュア族のクリスマス・キャロル<br />
<span style="font-size: 12px;">〔Good and Evil at the Center of the Earth:<br />
A Quechua Christmas Carol：<a href="http://www.zcommunications.org/znet/viewArticle/16025">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>グレッグ・パラスト<span style="font-size: 12px;">〔Greg Palast〕</span>；<a href="http://www.gregpalast.com/a-quechua-christmas-carol/">GregPalast.com</a>；２００７年１２月２６日</p>
<p>キト――何がそうさせたのかは分からないが、エクアドル大統領<span style="font-size: 12px;">〔ラファエル・コレア〕</span>との一時間に亘るインタビューで私は彼の父親について訊ねた。</p>
<p>私が訊く質問はバーバラ・ウォルターズ<span style="font-size: 12px;">〔有名な米女性キャスター〕</span>がするようなものではない。</p>
<p>彼はためらった後に、こう述べた。「私の父親は失業者でした。」</p>
<p>一息ついた後、彼はこう付け加えた。「彼は少量の麻薬を米国に持っていきました……これをスペイン語ではmula［麻薬密輸入者］と呼びます。彼は米国で４年間過ごしました――刑務所で。」</p>
<p>彼は続けた。「私の父親について語ったことはこれまで一度もありません。」</p>
<p>どうやらその通りであった。彼のスタッフは硬直し、唖然としていた。</p><a name="more"></a><p>そのぞっとするようなチャンスにコレアの父親が飛びついたのは、エクアドルのほぼ全ての家族と同様に彼の家族が極貧状態にあった１９６０年代のことであった。エクアドルは最初の「バナナ共和国」であった――そして当時バナナの価格は底値をついていた。成人人口全体の約十分の一に相当する百万人の切羽詰ったエクアドル人たちは、あらゆる手段を用いてアメリカ合衆国へと逃げ出した。</p>
<p>「彼は米国で働いている、と母は私たちに言って聞かせました。」</p>
<p>刑務所から釈放された彼の父親はエクアドルへと強制送還された。屈辱を受け、貧しく、打ちひしがれた彼の父親は、後に私は知ったのだが、自殺を遂げた。</p>
<p>正式なインタビューの終わりに、この困難に満ちた国をかつて支配していた青白い顔の金権政治家たちの絵が飾られた出入り口を通り、彼は大統領執務室へと私を案内した。壁に掛かった風変わりな額に入れられた手紙について私は訊ねた。それはクリスマス時期に彼の娘と彼女の小学校から送られたものである、と彼は言った。彼は私のために翻訳してくれた。</p>
<p>「エクアドルには沢山のとても貧しい子供達が街路にいることを忘れないで欲しいから私達は書いています。そして、どうかお願いだから、ほぼ毎晩寒い思いをしている子供達を助けてください。」</p>
<p>それはいくぶん芝居がかっていた。そして快くもあった。政治家にとっては抜け目のない飾り。</p>
<p>あるいは、そこには他の何かがあるのかもしれない。</p>
<p>ケチュア族と混血民族で構成されたこの国家で選挙に勝利した浅黒い肌をした最初の人々にコレアは数えられる。確実に庶民の出のひとりに数えられる。最大のバナナプランテーションを所有する、エクアドルで最も裕福な人物<span style="font-size: 12px;">〔アルバロ・ノボア〕</span>に対して彼は逆転勝利した。</p>
<p>コレア博士、と呼ぶべきである。彼はヨーロッパで取った経済学の博士号を持っている。コレア教授と彼は公式に呼ばれている――ごく最近まで彼はイリノイ大学で教壇に立っていた。</p>
<p>そしてコレア教授博士は非常に強靭な人物である。彼はジョージ・ブッシュに、米軍基地を赤道の太陽が輝かない所へと移すよう告げた。エクアドル金融の喉もとを掴み、思い通りに支配してきた国際通貨基金<span style="font-size: 12px;">〔ＩＭＦ〕</span>と世界銀行にくたばれ、と彼は言い放った。財政上の銃を突きつけられて彼の前任者達が取り決めた「協定の数々」を彼は引き裂いた。高利の利子をエクアドルに請求していたマイアミの債券ハゲタカたちに、彼は債券を肩代わりするよう伝えた。「私達の国民の貧困によって、この負債を返すことはありません」と彼は述べた。食糧が第一であり、利子返済はその後、ずっと後ということである。そして彼は本気だった。</p>
<p>それは驚くべきパフォーマンスであった。二年前に私は彼の前任者アルフレド・パラシオ大統領に会ったことがある。彼は心ある人であり、私が彼に見せたＩＭＦの秘密協定に目をやりながらこう私に語った。「これ程の負債を払うことはできません。もし払ったとしたら、私達は死んだも同然です。私達が死んだら、どうやって返済するというのでしょう？」パラシオはこのことをジョージ・ブッシュやコンドリーザ・ライス、そしてポール・ウォルフォウィッツが当時率いていた世界銀行に説明する、と私に語った。彼らが理解を示すことを彼は確信していた。彼らが理解を示すことはなかった。彼らはエクアドルを奈落へ突き落とした。</p>
<p>しかしエクアドルは、どん底へ落ちることはなかった。当時の経済相であったコレアがウーゴ・チャベス・ベネズエラ大統領を内密に訪問し、緊急融資を調達した。こうしてエクアドルは持ちこたえたのである。</p>
<p>そして栄えた。だがコレアはそれで良しとしなかった。</p>
<p>大統領に就任して最初の仕業のひとつは、アメリカ合衆国にいるエクアドル人難民のための基金を設置することであった――わずかな現金と多くの尊厳と共にエクアドルへ帰国するべく、彼らに貸付金を与えるために。とはいえまだそこには克服すべき問題の数々が立ちはだかっていた。彼とパラシオは米国の巨大石油企業オクシデンタル・ペトロリウムを国外へと追い出した。</p>
<p>コレアはこれでも良しとしなかった。</p>
<p>私は熱帯雨林へのとてもじめじめとした訪問から帰ってきたばかりであった。アマゾンにあるコファン族の集落へと私はカヌーで訪れた。そこでは小児癌が蔓延していた。先住民族の人々はその癌を、現在はシェブロンの一部であるテキサコ石油とその共同経営者らが残していった石油スラッジ<span style="font-size: 12px;">〔堆積物〕</span>が溜まった数百もの露天採掘場に結び付けていた。私はコファン族の首長に会った。彼の三歳の息子はおそらく汚染されていたと思われる水で泳いだ後、血を吐きながら上がってきて死亡した。</p>
<p>以前コレアも熱帯雨林に訪れていた。とはいえおそらくカヌーよりも頑丈な何かで。そしてコレア大統領は、それらの汚い採掘坑を残していった企業は、その後始末のために支払いをすることになる、と公表した。</p>
<p>とはいえ彼が挑戦しているのは、そんじょそこらの企業ではない。シェブロン最大の石油タンカーの名称は、その重役会議の古参メンバーにちなんで「コンドリーザ」と名づけられた。我らが国務長官である。</p>
<p>コファン族はコンディ<span style="font-size: 12px;">〔コンドリーザ・ライス国務長官の愛称〕</span>の企業を告訴し、その石油企業が密林地帯へ残していったゴミを処理するよう要求した。その費用はおおよそ１２０億ドルに上る。コレアは民事的なものであるその訴訟自体について意見を述べない。とはいえ、エクアドル市民らに有利な評決が下された場合、シェブロンが全額支払うことを確実にする、とコレアは私に語った。</p>
<p>彼は冗談を言っているのだろうか？　これまで如何なる石油企業にも汚染物質に対する支払いをさせた者は誰一人としていない。アメリカ合衆国においてですら、エクソン・バルディーズ号原油流出事故に関する裁判は延々と続き、１８年目に入っている<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trnt1" name="_trntref1">訳注１</a>〕</span>。しかしコレアはひるまない。</p>
<p>もし必要であれば、集金するための国際法廷を創設する、と彼は私に述べた。報復として、米国の法廷でエクアドルを訴える米国企業に対する支払いを彼が停止することもできる。</p>
<p>これは非常に過激である。ブッシュや巨大石油企業に対してこのような脅迫をし、生きながらえて成功したものは一人としていない。誰一人として。</p>
<p>所変わって、キトを見下ろすオフィスタワーで、シェブロンの弁護士達は面白く思っていなかった。私は彼らに落ち合った。</p>
<p>「それで、それは世界で唯一の癌の事例なのですか？　米国でどれだけの小児癌の事例があるのでしょう？」エクアドルにおけるテキサコの首席弁護士を務めるロドリゴ・ペレスは、インディアンたちが直面するであろう法律上の問題点、シェブロン・テキサコが彼らの子供達の死を招いたということを証明する困難さに関して、ひとり笑いしていた。「そこに癌患者がいたとして、［コファン族の親達］は、［死因が］原油あるいは石油産業によるものであることを立証しなければならない。そして第二に、彼らはそれが<span style="font-weight:bold;">私達の</span>原油であることを立証しなければならない――それは全く不可能である。」彼はまた笑った。これは映像を見ないと信じられないであろう。</p>
<p>この石油企業の弁護士はこう付け加えた。「癌と原油の間の関連性を科学的に証明した者はこれまで一人としていない。」本当に？　その代物の中で泳いでも、何の問題もないと？</p>
<p>コファン族はこれまでにもそう聞かされてきた。シェブロンのテキサコ班が彼らの土地を訪れた時、その石油関係者達は原油を腕に塗りつけると病気が治ると語った。さて、コンディの配下たちは原油が癌を生じさせることはないと私に述べた。たしかに彼らが正しいのかもしれない。私は専門家ではない。というわけで、私はある専門化に電話を掛けた。ロバート・Ｆ・ケネディ・ジュニア<span style="font-size: 12px;">〔ロバート・ケネディの息子〕</span>、ペース大学環境法学教授は、原油製品の成分――ベンゼン、トルエンやキシレン――「は周知の発癌性物質です」と述べた。アマゾンにあるシェブロン・テキサコ社の醜い露天採掘場を見たことがあるとケネディは私に語り、そしてこの有毒な投棄はアメリカ合衆国では刑務所行きにつながる、と述べた。</p>
<p>とはいえ、衝撃的だったのはシェブロン・テキサコの弁護士達が述べた事と言うよりは、彼らがそれを述べたその仕方であった。忍び笑いで応じられる小児癌。カントリークラブの社交場で見かける混血のメキシコ系米国人のような、ブロンドのふっくらした髪型をしたこのシェブロンの弁護士、裕福な男、ハイメ・バレラは、コファン族が直面するであろう克服することのできない法律上の障害について歓喜で我を忘れていた。特に次のことを。つまり、シェブロンはその資産全てをエクアドルから引き上げているのである。インディアンたちが勝訴することは有り得るのだが、彼らは一銭たりとも手にすることはない。「このオフィスの椅子なんかはどうなのですか？」と私は訊ねた。コファン族が少なくともそれらを入手することは有り得ないのだろうか？　「いーや、」彼らは笑った。それらの椅子はその法律事務所名義で所有されている。</p>
<p>ところで、今彼らは笑っていないかもしれない。インディアンたちが勝訴した場合、彼らを保護するべく大統領権限を行使するというコレアの脅迫は衝撃的である。誰もそんなことを予期していなかった。そして愚かではないコレアは、シェブロンに敵対することがブッシュ政権の権威そのものに敵対する結果になることを承知している。しかしながら、この大統領にとって全ては公正や公平さの問題なのである。「あなた方［アメリカ人］は自国民にこのような事はしないでしょう」と彼は私に語った。いいえ、しますとも、とアラスカの先住民のことを思い浮かべながら私は考えていた。</p>
<p>コレアが類まれなわけではない。彼は中南米における新しい類の政治家の新顔である。ブラジルのルラ大統領、ボリビアの大統領に就任した史上初のインディアンであるエボ・モラレス、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領。報道によれば、彼ら皆「左翼」である。とはいえ彼ら全員には別の共通点がある。つまり、ふっくらした金髪のエリートによって永遠に支配されてきた浅黒い肌をした民衆で構成された国家の指導者になっていた、浅黒い肌をした労働者階級に属する、あるいは貧しい子供たちなのである。</p>
<p>私がベネズエラにいた時、旧体制の指導者達はチャベスを「猿」と好んで呼んでいた。チャベスは誇らしげに「私は黒人でインディオ系<span style="font-size: 12px;">〔negro e indio〕</span>です」と私に語った。殆どのベネズエラ人と同様に。金髪に支配された国軍の下士官の位から出世していった若者であったチャベスは、疑いなく「猿」という嘲りの多くを耐えてきたであろう。今や、中南米全域で「猿たち」が指揮権を握っている。</p>
<p>そして彼らは経済的な檻の錠を外している。</p>
<p>事によると、この傾向は北へと漂って行くかもしれない。赤道の遥か上に位置するある国家は、金髪の石油企業重役によって牛耳られている。彼は石油でそれほど稼いだことはなかった――だが彼が自らの資金、あるいは投資家の資金を失くす度に、彼の父親、もうひとりのオイルマンが彼に別の油井を与えたのであった。そしてフィリップス・アカデミー・アンドーバー高校出の裕福な若者であった時、このわがままな青年がコカインに手を出した時もまた、父親が処理した。ひょっとすると、若かりし頃のジョージはその粉末をエクアドルから来たある男から入手したのかもしれない。</p>
<p>これがあまりにも単純な物語に聞こえることを私は承知している。死んだ子供達を持つ善玉のインディアンたち。そして子供の癌をあざ笑い、石油資源をめぐり椅子取りゲームに興じる悪玉の石油富豪たち。</p>
<p>だが、ひょっとすると、物事はこれほど単純なのかもしれない。ひょっとすると、この世界には善と悪が本当に存在しているのかもしれない。</p>
<p>ひょっとするとサンタクロースが私達のためにそれらを区別して、誰が良い子でいたか、誰が悪い子でいたかを教えてくれるかもしれない。ひょっとすると、あの混血の弁護士はクリスマスイブに目覚めると、未来のクリスマスの亡霊<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt2" href="#_trnt2" name="_trntref2">訳注２</a>〕</span>を目の当たりにし、コファン族の飲み水から石油スラッジを取り除くことを約束するかもしれない。</p>
<p>あるいはことによると、私たち自身で解決しなければいけないのかもしれない。エメルヒルド酋長に会った時、何年も前のある夕刻を思い起こさせた。それはアラスカ州プリンス・ウィリアム湾の人里離れた、チュガッチ先住民<span style="font-size: 12px;">〔Chugach〕</span>のチェネガという集落でのことである。エクソンの石油による損害を私は調査していた。チェネガの浜辺の至るところに石油スラッジがあった。それは１９９１年３月であり、そして私はその島の海岸にある、村落の長老ポール・コンプコフ<span style="font-size: 12px;">〔Paul Kompkoff 〕</span>の家でＣＮＮ<span style="font-size: 12px;">〔米ニュース専門放送局〕</span>を見ていた。<span style="font-size: 12px;">〔イラクの〕</span>バグダッドやバスラで「スマート」爆弾が爆発するのを沈黙の内に凝視していた。</p>
<p>その直後、ポールはあのゆっくりとして物静かな仕方で私にこう言った。「さて、今や私達皆が原住民になったようだね。」</p>
<p>確かにそうなのかもしれない。だがそうである必要はないのではないか？</p>
<p>ことによると、地球の中心に位置するこのちっぽけな国から手引きを得ることができるのかもしれない。私はコレア大統領との会話を思い起こした。そして私が彼の娘に請け負えることは、彼女の父親がキトの街路にいる「寒い思いをしている子供達」のことを忘れるのではないかと心配する必要はなかった、ということである。</p>
<p>なぜなら、その教授博士は未だにその内のひとりなのだから。</p>
<hr align="left" width="100%" size="1" />
<p>訳注：</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trntref1" name="_trnt1">１．</a>エクソンバルディーズ号原油流出事故：１９８９年３月に起きた、海上で発生した人為的環境破壊のうち最大級のものとみなされている事故。（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BA%E5%8F%B7%E5%8E%9F%E6%B2%B9%E6%B5%81%E5%87%BA%E4%BA%8B%E6%95%85">参照元</a>）</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt2" href="#_trntref2" name="_trnt2">２．</a>未来のクリスマスの亡霊：チャールズ・ディケンズによる小説『クリスマス・キャロル』に登場する霊。血も涙もなく、強欲で、金儲け一筋の主人公エベネーザ・スクルージに悪夢の様な未来を見せるのだが、それは未だ変えることができることを教える。（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AD%E3%83%AB_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)#.E4.B8.89.E4.BA.BA.E3.81.AE.E7.B2.BE.E9.9C.8A">参照元</a>）</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>エクアドル</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/75661137.html</link>
      <title>定期更新休止のお知らせ</title>
      <pubDate>Tue, 01 Jan 2008 00:00:00 +0900</pubDate>
            <description>個人的な理由から、定期的な更新をしばらく休止いたします。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
個人的な理由から、定期的な更新をしばらく休止いたします。<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>はじめに</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/74127773.html</link>
      <title>民主主義日記</title>
      <pubDate>Sat, 22 Dec 2007 21:39:20 +0900</pubDate>
            <description>舞台裏の空気は緊迫していた。投票日のわずか前日まで、政治的争いで人が殺害された事例を含む、かなりの暴力がおきていた。用意周到なＣＮＥの主催者達は、国際監視団をホテルへ連れ戻す計画を立ててあったのだが、そうすることは危険すぎるという判断が下された。演壇に向かって人々が突進する度に、何らかの攻撃が行われているのではないかと考えそうになった。けれども、それは実際はただ、今すぐにも発表がされると思って休憩室から中央ホールへと急いで向かう人々であった。午前１時が過ぎた直後、ティビサイ・ルセナＣＮＥ代表が穏やかに演壇へと歩み寄り、多数のカメラやマイクを前に、静かに結果を発表した。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">民主主義日記</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Democracy diary：<a href="http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=45&amp;ItemID=14495">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>ヒラリー・ウェインライト<span style="font-size: 12px;">〔Hillary Wainright〕</span>；<a href="http://www.redpepper.org.uk/article753.html">Red Pepper</a>；２００７年１２月１４日</p>
<p><strong>ヒラリー・ウェインライトがカラカスからベネズエラの国民投票を、そしてまた改革に向けた次の段階を報告する</strong></p>
<p>国民投票当日のカラカスは非公式に午前３時から始まった。有権者達が爆竹を鳴らし、クラクションを鳴らすことで、チャベス大統領による憲法改正案の運命を決める日の夜明けを祝っていた。これらの改憲案に含まれていたものは、住宅供給、社会保障、教育に対する社会的権利や、短縮された週労働日数といった野心的な案、それに加えて、地域住民委員会の強化、ベネズエラを正式に社会主義国家にすること、大統領に広範囲な非常事態権限を与えることや、彼の任期が満期になる２０１２年にチャベスが大統領に再び立候補することを可能にするための数々の案であった。</p>
<p><strong>投票の視察</strong></p>
<p>私にとって国民投票当日は、それよりもゆったりとした時間、午前７時に始まった。灰色のジャケットを着て、「observaci&#243;n internacional<span style="font-size: 12px;">〔国際監視団〕</span>」の野球帽を被り。私達は大学関係、メディアや市民社会団体に所属する８０人程の人々で構成された国際団体のひとつで、国民投票の投票過程を監視した。１０台のミニバンがあてがわれ、私達はカラカスとその周辺へと派遣された。私はグループ１０に配置され、空港近郊の中流下層階級／労働者階級の地域カティア・ラ・マル<span style="font-size: 12px;">〔Catia La Mar〕</span>近辺の６つの投票所を訪れた。そして投票終了後に、電子投票の手集計を監視するべく、カラカス中心部の大きな中等学校に戻った。</p><a name="more"></a><p>最初の持ち場に到着すると、投票所の最大で８つあるテーブルのどれに自分が割り当てられたのかを知るため、人々<span style="font-size: 12px;">〔有権者〕</span>が列をなして投票所の壁に貼られた名簿を調べていた。彼らは署名され、指紋が押され、名前が書かれたＩＤを手に、それぞれの部屋へ向かった。この身元の３重の確認は、私の故郷英国のいい加減な投票カード・システムとは大分異なっていた。</p>
<p>そして彼らは即席の段ボールで作られた仕切りの後ろ、人に見られないところで票を投じた、と言うよりはむしろ彼らは電子投票機の自分が選択したボタンを押した。その後その同一の投票機がその投票を印刷し、それを投票者が確認した後、電子投票の検査の基準のために投票箱へと入れた。この様にして無作為に５４％の投票機が検査され、後にカラカス中心部の投票所で、これらの投票箱のひとつから３６０票程の票が慎重に数えられ、電子投票と照合されたのを私達は確認した。皆が安心したことに、それらは一致した。</p>
<p>最終的に全ての有権者は投票所を去るとき、指先に紫色の消えないインクが塗られた。ひとつの投票所である投票者は、その消えないインクに挑戦し、彼と観察者らは徹底的な実験を行い、漂白剤やアンモニアで紫のインクを試し、見事に旨くいった。</p>
<p>全工程は全国選挙評議会（ＣＮＥ）の若いスタッフによって実直に管理された。その機関は１９９９年の<span style="font-size: 12px;">〔ベネスエラ・〕</span>ボリバル憲法の一端として創設され、選挙実施のための手続きを発展させ実行する熱心な責務を負っている。それは政府から独立しており、その評議会は大学関係者、市民社会団体やオンブズマンで構成された全国会議によって任命される。投票所は機関銃を肩に吊り下げた国軍の同様に若い兵達――男性と共に多くの女性達――によって護られていた。どうやら警察は信頼されていないようであった。</p>
<p>各「テーブル」には、地元区域から無作為に任命され、その過程で活躍するべく訓練された総長と秘書がいた。そしてまたそこには「賛成」側と「反対」側の２人の立会人がおり、私が訪れた全ての投票所で彼らは、規則の公正さ、誠実さや手続きの公明性に同意していた。殆どの場合、これらの地元参加者達は一定の相互尊重を完全に示しており、それは国内報道によって伝えられ、カラカス都市部の街頭で起きた分極化した様相とは異なっていた。ある投票所で、「反対」の立会人が改正案に反対して怒鳴り散らし、別の投票所では、投票すると共に「反対」側の立会人を追いやる「賛成」側の有権者の高飛車な態度を耳にした。しかし、他の点では皆満面に笑みをたたえていた。</p>
<p><strong>衝撃</strong></p>
<p>その日の終わりまでに、「賛成」支持者達の笑顔は消え去り、単に衝撃のみがあった。結果が接戦になるであろうことは広く知られていたのだが、出口調査は改正案賛成が６から８パーセント優勢であることを示していた。その晩の内には結果が全て判明するであろうと私達は聞かされていた。（電子投票が考案されたのは部分的に、迅速な結果を確実にし、遅れのための緊張を回避するためであった）。</p>
<p>私達はカラカス中心部にあるＣＮＥビルの増築部分に集まり、待ち続けた。皆が予想したよりも接戦になっていた。そこまでは明らかだった。</p>
<p>夜中になっても結果は出ていなかった。遅れを何かのごまかしが起きている徴候であると解釈した反対派の闘士らがＣＮＥビルに突撃している、という噂が広がり、そしてテレビ画面がそれを確認した。実状は投票所が遅く閉まり（投票のため並んでいる人がいる限り、４時の終了時間を過ぎても投票所を開けておく、というのが決まりであった）、また検査手順が予想よりも長くかかったのである。</p>
<p>舞台裏の空気は緊迫していた。投票日のわずか前日まで、政治的争いで人が殺害された事例を含む、かなりの暴力がおきていた。用意周到なＣＮＥの主催者達は、国際監視団をホテルへ連れ戻す計画を立ててあったのだが、そうすることは危険すぎるという判断が下された。演壇に向かって人々が突進する度に、何らかの攻撃が行われているのではないかと考えそうになった。けれども、それは実際はただ、今すぐにも発表がされると思って休憩室から中央ホールへと急いで向かう人々であった。午前１時が過ぎた直後、ティビサイ・ルセナ<span style="font-size: 12px;">〔Tibisay Lucena〕</span>ＣＮＥ代表が穏やかに演壇へと歩み寄り、多数のカメラやマイクを前に、静かに結果を発表した。</p>
<p>２人の女性が演壇の前で抱き合った以外には、概して呆然とした沈黙に覆われていた。国際監視団は保護される形で屋外のバスへと誘導された。私達は両側一人ずつ武装警備員に防御されて駐車場へと向かった。実のところ、全てが平穏に思われた（翌朝、反対派に不利な結果が出ていたとしたら、カラカス全域で多数の暴動が起きていたであろう、と複数の人が述べた）。</p>
<p><strong>左派のチャベス批判家達</strong></p>
<p>私達はバスの中で、謙虚でありながら自信に満ちたチャベスに聞き入った。「人々は意見を伝えた」と彼は述べ、選挙結果がベネズエラの民主的な社会制度の正当性を強固にしたことを指摘した。憲法改正案は頓挫した、と彼は認めた。「今のところは<span style="font-size: 12px;">〔Por ahora〕</span>」と彼は付け加えた。それは彼が以前の敗北の瞬間に、また勝利の前兆であった時に用いた文句と同一のものである。それは、腐敗したベネズエラ国家の反動的な寡頭勢力に対して彼が率いた１９９２年の軍事クーデター未遂直後の放送においてのものである。</p>
<p>その過去の体制の遺産は未だに消えていない。官僚政治や汚職は全てのレベルにおいて蔓延しており、オイルマネーを必要としている者たちにそれを受け渡すチャベスの手腕を妨害している。チャベスにとって憲法改正案が目指していたことは、その寡頭勢力国家を変容させ、その遺産を永遠に葬り去ることであった。しかしながら、彼の大統領職への支持が引き続き高いままである――世論調査は６０パーセント以上を示している――&nbsp;一方で、民主化、人民権力そして新しい類の社会主義の構築を目指したボリバル革命を熱烈に支持する多くの者たちの間で、改憲案は非常に議論を呼んでいる。</p>
<p>実際に、チャベスにとって、ベネズエラ民主主義の強みに関する、より楽天的でない徴候が、彼の支持者達自身の間の議論や批判で盛んに行われてきている。例を挙げれば、左派に属する最も説得力のあるチャベス批判者に数えられるエドガルド・ランデル<span style="font-size: 12px;">〔Edgardo Lander〕</span>がいる。彼は広く尊敬された社会主義者の学者で、ＡＬＣＡ（米州自由貿易地域<span style="font-size: 12px;">〔英頭文字ではＦＴＡＡ〕</span>）のベネズエラ協議代表のひとりであった。ランデルはボリバル革命に対する彼の支援を強調する一方で、改憲案が権力を大統領の手に集中させ、また人民権力を国家を優先した自立的な権力の源泉としてではなく、国家の一部として扱ったことを批判している。右派の反政府派との関係がないとはいえ、彼もまた、改憲案が憲法のこれ程徹底的な変更が伴っていたために、国民が参加する本当の憲法改正手順を踏むべきであったと力説する。（彼の論説の<span style="font-size: 12px;">〔英文〕</span>翻訳は<a href="http://www.tni.org/detail_page.phtml?act_id=17611&username=guest@tni.org&password=9999&publish=Y">www.tni.org</a>へ。）</p>
<p><strong>バリオからの視点</strong></p>
<p>こういった社会主義者の批判家たちの論点はどれほど重要なのであろうか？　チャベス大統領への支持が高い状況での改憲案の否認を説明するような如何なることが彼の支持者達の間で起きているのか？</p>
<p>これらの問いに答える最善の場所は、バリオと呼ばれるカラカスの貧しい地域であると思われた。チャベスの支持基盤において決定的な変化が起きたのはそこであった。おおよそ７３０万人が２００６年１２月の大統領選挙でチャベスに投票した。わずか４３８万人が憲法改正案に賛成票を投じた。その一方、「反対」に対する４、５０４、０００票は、２００６年に野党候補<span style="font-size: 12px;">〔マヌエル・ロサレス〕</span>が得た票<span style="font-size: 12px;">〔４、２９２、４６６票〕</span>をわずかに上回るものでしかなかった。従って、重要な影響をもたらしたのは、３００万人ほどのチャベス支持者による棄権であった。この大量棄権の裏には何があるのか？</p>
<p>１９５８年１月２３日にその中心を形成するアパート群への集団移住の後、「23 de Enero<span style="font-size: 12px;">〔１月２３日の意〕</span>」として知られるようになったバリオのふもとに、パブロ・ナベレッテ（Red Pepperの中南米およびベネズエラ・ブログ編集者）と私が到着したとき、棄権の裏にある一要因の象徴が目と鼻を直撃した。おびただしいゴミの山である。</p>
<p>「官僚政治に対する欲求不満、私達が持つ問題に対する国家からの応答の欠如が、これ程多くのチャビスタ<span style="font-size: 12px;">〔Chavistas：チャベス支持者ら〕</span>が投票しなかった理由のひとつに違いない」と批評眼のある「賛成」投票者のマリルス・ギジェンは論じた。彼はそれらの問題を解決するべく、あるいは地方自治体がそれらを解決するよう圧力を掛けるべく、地域住民委員会<span style="font-size: 12px;">〔または地区住民評議会：consejos comunales〕</span>の能力を築き上げるためにほぼ常勤で働いている。保健とスポーツの訓練ではキューバ人の協力が伴う「ミシオン」として知られる政府による社会政策は、教育、保健や食の配分に関して言えば、国家の建設的な社会的能力の欠如に対する非常に成功してきた解決策ではある。けれどもその結果は、不安定な二重の体制であり、それらは、理論上国家機関の責務である住宅、ゴミや都市計画といった問題において活動範囲が限られている。</p>
<p><strong>改憲案の擁護者達</strong></p>
<p>改憲案の擁護者達は、この国家に対する広範囲に及ぶ大衆の欲求不満こそが改憲案の本当の理由であったと述べるであろう。上位から変化を余儀なくさせるべくチャベスの権限を拡大することによって、そしてまた下位から民衆による民主主義<span style="font-size: 12px;">〔popular democracy〕</span>の力を強化させることによって、国家を変容させるというものであった、と。「彼は良き聞き手です」とグスタボ・ボルヘスは言う。ヒップホップのプロモーターで、デザイナーでもある彼は「23 de Enero 」の頂上に住んでいる。他の多くの活動家と共にボルヘスは素晴らしいウェブサイト「www.el23.net」を運営しており、チャビスタ闘士である彼の父親が「Sucre En Comunidad <span style="font-size: 12px;">〔<a href="http://sucreencomunidad.blogspot.com/">http://sucreencomunidad.blogspot.com</a>〕</span>」という地域新聞を洒落た形でデザインするのを手伝っている。</p>
<p>最初のボリバル憲法<span style="font-size: 12px;">〔１９９９年制定〕</span>をまとめ上げた過程とは異なり、大衆参加が殆どなかった（改憲案は国民投票のわずか一ヶ月前に公表された）と主張する者にボルヘスは反論して、「改憲案はチャベスが人々に聞き入った結果でした」と強く主張した。彼の考えでは高い棄権率は、改憲案を説明し、メディアにおける反体制派による「脅し攻勢」に論駁する上で、チャベスの政党――統一社会主義党（ＰＳＵＶ）――の指導部が失策を犯したことに大部分帰するという。（このメディア攻勢には、国家による小規模企業の収用や、子供達が家族から取り上げられ、国家による児童保護へと渡されるという結果を改憲案はもたらす、と伝える広告が含まれていた。）</p>
<p>そうとはいえ、彼は指導部を非難することには慎重な態度を示す。「地域共同体も同様に責任を取らなければなりません。地域住民委員会は単なる事業の管理以上のものにならなければなりません――政治的なものにもなる必要があります。委員会は憲法改正案に関する、より大きな責任を負うべきでした。」</p>
<p><strong>「誘拐された」チャベス</strong></p>
<p>エドガル・ペレスはこの地域共同体の責任という考えを更に推し進める。彼はラ・ベガと呼ばれる地域の頂上に位置するラス・カシタスの穏やかな指導者である。私達が彼に会ったのは、貧しい人々に食糧を配給する中心施設「カサ・デ・アリメンタシオン<span style="font-size: 12px;">〔Casa de Alimentacion〕</span>」であった。そこにはフリーダ・カーロ<span style="font-size: 12px;">〔メキシコの画家〕</span>によるユリを持った女性の有名な絵が飾られていた。</p>
<p>ラス・カシタスはその境界を示す壁に自治を宣言する地域共同体である。この闘争的な自治という下地を考慮すると、おそらく予測どおりなのだが、エドガルは改憲案の欠陥や、彼らが説得に失敗した理由は、それらが説明された仕方よりも、それらが形成された仕方にある、と論じる。「私達は全ての地域共同体からの考えを取り入れる可能性である、憲法改正の手順を踏むべきでした。」</p>
<p>確かに、もしペレスの地域共同体が基準になるのであれば、そこには取り上げるべき多数の建設的な意見があったであろう。彼は、人々の需要に公共資源を注ぐことを目指した彼らの闘争、殆どが成功した闘争の数々を説明した。話の中で彼はチャベスを国家とその役人達と区別し、欲求不満の別の原因を指し示した。「大統領は以前そうであった様には近づきにくくなりました。彼ら［役人達］が彼を誘拐したのです。」</p>
<p>ペレスの意見は、選挙結果が出た朝ウェブ・マガジン「Aporrea 」でハビエル・ビアルデアウ<span style="font-size: 12px;">〔Javier Biardeau〕</span>によって書かれた事柄に結び付く。彼はこの過程（ボリバル主義の過程、チャベス革命、ベネズエラの変化を皆が「過程<span style="font-size: 12px;">〔el proceso〕</span>」として言及する）に密接な関係を持つ著名な解説者兼学者である。</p>
<p>「敗北に対する責任の大部分は、革命がもっぱら彼という人物にかかっているとチャベスを説得したものたちにある」とビアルデアウは記す。「これは誤りである。おそらくチャベス抜きでは革命はないであろうが、チャベスのみによるものも存在することはない。重要な討議や決定における人々の指導的な役割を軽視する傾向を是正する必要がある。『チャビスタ政治機関』［統一社会主義党（ＰＳＵＶ）の指導部］は打ち破られた。この革命は下から上へと築き上げられる、さもなければそれは上から崩壊していく。」</p>
<p><strong>前衛主義の一掃</strong></p>
<p>私がビアルデアウの論文を耳にしたのは、自称「草の根チャビスタ」で、チャベスのスピーチライターを時折務めている若い活動家知識人たちのグループの論議で持ち上がったときであった。彼らは彼らお気に入りの中国料理店で選挙結果を長い間論じていた。通信・情報相<span style="font-size: 12px;">〔ウィリアン・ララ 〕</span>が、彼らの一人に国民投票敗北に関する草の根の反応を集めるよう頼んでいた。議論の中で彼らはビアルデアウの声明に度々戻り、それが彼らが大統領へ返答したいと望むことを集約していると考えていた。つまり、</p>
<p>「社会的平等が達成されなければならないのみならず、政治的平等もまた達成されなければならない。指導部や単一のグループによって上から指導される革命というジャコバン派<span style="font-size: 12px;">〔フランス革命時の政治政党〕</span>の理想は、無用の物として一掃される必要がある。いまは深い熟考の時である。国内の右派の実利主義や国内の極左のスターリン主義の両方を終わらせる時である。汚職と官僚主義を終わらせる時である。専制政治のポピュリズムに向けた傾向を止める時である。そして批評眼のある社会主義的思想を一新させる時である。また今は、犯された悪弊の多くに関する容赦を請い、ある程度の謙虚さを示す時でもある。」これは説得力のある論文である。（Red Pepperのベネズエラ・ブログで英文翻訳<span style="font-size: 12px;">〔<a href="http://redpepper.blogs.com/venezuela/2007/12/why-did-abstent.html">http://redpepper.blogs.com/venezuela/2007/12/why-did-abstent.html</a>〕</span>を参照せよ。）</p>
<p>ビアルデアウの分析が明確に表したことは、私達が「23 de Enero」で出会った草の根のチャビスタの間で広く行き渡った考えであった。それは彼らが「賛成」に投票したのであろうと、棄権したのであろうと、あるいは少数の例では「反対」に票を投じていようと共有されているものであった。すなわち、「過程」を民衆による民主主義へと引き戻す必要性である。バリオや職場や田舎の地域――都市開発委員会、保健委員会、土地を持たない者たちの団体、協同組合のネットワークや労働者によって管理された工場――における活動の水準及び、ますます連結した組織編制から判断すると、政治的願望と共に組織編制の土台は、発展・支援されるべくそこに存在している。</p>
<p>それはチャベスから自立しており、それと同時に彼に対する支持の源泉になっている。バリオにはチャベスに対する愛がある。しかしそれは奴隷的な崇拝ではない。それは西側諸国における有名人や見世物という消極的な政治と比較することはできない。それが基礎にしていることは、彼らの生活における物質的な改善であり、また彼ら自身の将来を築き、彼ら自身の力を発展させるべく彼が彼らのために門戸を開いた、より拡大した機会や場である。チャベスの周りにいる者たちがどうやらあまり好ましく思っていない程に、彼らはそうした場に身を置いているのである。</p>
<p><strong>民主的な緊張</strong></p>
<p>ベネズエラの過程は、民主主義と民主的な指導という二つの理解の間にある緊張を例示している。一方で、そこにはひとたび民主的な為政権が獲得されれば、民衆の意志が勝者――例えば大統領、あるいは市長――によって代表され、指導とはこの意志を全ての敵対的な勢力に対して断固として課すことである、という見解がある。他方の見解は、民衆の為政権という権限は、大多数と指導部全てにおける民衆自らの組織編制を通して、活発に深め発展させる必要がある――そしてそれは正当性と権威の立場を用いて、その自己の組織編成と協議を民主的力のより深くより長続きし創造的な源泉にすることを助長することである、というものである。</p>
<p>チャベスのごく最近の発言は、この後者の見解の価値を認め、ボリバル主義の過程の参加型の性質を強固なものにする徴候を示している。彼の改正案の敗北後に行われたインタビューで彼は、主要な目標は相変わらず国家の変容でなければならないと強く主張したのだが、彼は次のような認識を示した。「いまは真の熟考と自己批判を開始する時である。ベネズエラ国民は憲法改正案の要請を提出する権力と権利を有している。この大統領職が終了する前に。未だ５年の猶予がある。」</p>
<p>彼が言及しているものは、１５パーセントの登録有権者によって支持された請願は、彼らに憲法改正のため改正案を提出する権利を与える、という憲法の条項である。ラス・カシタスのエドガル・ペレスや彼のネットワークは既にこれに取り掛かっており、組織編制に着手している。チャベスの改正案に対する批判を通して、草の根組織の同盟が集まった。これが新たな草の根の先導の中心になる可能性もある。</p>
<p>敗北に対する反応で、チャベスは投票がベネズエラ民主主義の力を立証した、と主張した。彼は選挙過程とＣＮＥの制度に言及しており、私はそれを、またその過程に対する政府の反応の仕方を国民投票当日に観察した。</p>
<p>とはいえ、優れたウェブサイトwww.venezuelanalysis.comでジョシュ・ラーナーが述べたように、「彼は彼が気付いているよりも正しい可能性がある。政府が民主的な過程を尊重することを国民投票は示したのみならず、それは更に新しい仕方で民衆を揺り起こした。過去チャベスが人々を無知に起因する自己満足や消極性から揺り起こしたのに対して、今回彼は彼らを無条件の支持や凝り固まった前提から揺り起こした可能性がある。これまでになく、無数のチャベス支持者達が、彼らの指導者の望みに率直に疑問を呈し、異議を唱えた。」<span style="font-size: 12px;">〔<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2971">http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2971</a>〕</span></p>
<p>というわけで私は、民主的な選挙過程の国際監視員として訪問を開始し、多くの点でそれが私達のものよりも民主的であることを知った一方で、最後はチャビスタ運動自体の内的な民主主義を観察することになった。そしてその土台に、多元主義、批評眼のある討論や民衆の自立に対する人を鼓舞する専心を見出した。そこから学ぶべきことは沢山ある。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/72865125.html</link>
      <title>敗北はチャベスの基本計画だったのか？</title>
      <pubDate>Fri, 14 Dec 2007 23:19:32 +0900</pubDate>
            <description>１９９８年のウゴ・チャベス大統領当選以来、ベネズエラの政治は世界で最も能動的で人を引き付けるものになってきており、それと共にその国の急進的で新しい目標には激しい異議が唱えられている。１２月２日にチャベス支持者の多くが、広範囲に及ぶ一連の憲法改正案に対する投票を棄権したことが、その否決に至り、またとても実質的で真っ当な疑問を投げかけた。つまり、負けるのは初めから彼の意図であったのか？</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">敗北はチャベスの基本計画だったのか？</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Was Failure Chavez's Masterplan?：<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2970">Original Article in English/Venezuelanalysis.com原文</a>〕</span></p>
<p>カルロス・ルイス<span style="font-size: 12px;">〔Carlos Ruiz〕</span>；<a href="http://rebelresource.wordpress.com/2007/12/05/35/">Rebel Resource</a> ；２００７年１２月６日</p>
<p>１９９８年のウゴ・チャベス大統領当選以来、ベネズエラの政治は世界で最も能動的で人を引き付けるものになってきており、それと共にその国の急進的で新しい目標には激しい異議が唱えられている。日曜<span style="font-size: 12px;">〔１２月２日〕</span>にチャベス支持者の多くが、広範囲に及ぶ一連の憲法改正案に対する投票を棄権したことが、その否決に至り、またとても実質的で真っ当な疑問を投げかけた。つまり、負けるのは初めから彼の意図であったのか？</p>
<p>わずか一年前にチャベスは、記録的な６３％の得票及び有権者の４分の１の棄権のみで決定的に再選を果たした。それ以来一握りの論争が起きており、その中のどれもが彼の支持層の中の少数派を潜在的に遠ざけ得るものであった。それにもかかわらず日曜の投票が敗北に終わったのは、チャベスを未だ支持しているのではあるが、本格的な「２１世紀の社会主義」を成し遂げる急進的で景観を一変させるような変化の数々には準備ができていなかった、極めて重要な階層の棄権によってであった。</p>
<p>ある評論家はこの大規模な棄権を、極度の雄弁や不十分な行動に起因した「倦怠」のためであると批判した。棄権した者たちがチャベス派のより保守・穏健派を代表しているに違いない故に、これは実態ではありえない。それよりも現実的な論点は、反対派による威嚇戦術や偽情報によってその層が特定の個々の案に慎重になった、というものである。もしこれまで知られてきた反対派の得票能力を超えたかなりの数の「反対」票があったのであれば、これはおそらく真実味をおびるのだが、そうではなかった。どうあろうとも、「反対側」からのプロパガンダはまず本気にされない。大規模な棄権が示唆することは、この問題全体の奇妙な状況下、穏健な「チャベス派」が単に理性的に行動した、ということである。</p><a name="more"></a><p>改正案は、チャベスが即座に認めたように、時期尚早であり、野心的でありすぎた。殆どの評論家は更に、あまりにも多くの考慮すべき事柄をあまりにも短い期間に彼らが要求した、と述べるであろう。チャベスの最後となる６年任期が始まってわずか数ヶ月の間に、当初の３３項目で構成された一括改正案は<span style="font-size: 12px;">〔国民議会が追加したことで〕</span>瞬く間に６９項目に膨れ上がった。それらは、チャベスや彼のより急進的な支持層が望みえたこと全てを含む<span style="font-size: 12px;">〔宝に満ち溢れた〕</span>アラジンの洞窟そのものであった。だが穏健派は、重要な改正案の内、あったとしても少数が急を要するものであると見なしていた。その多くが単に憲法上の規定を要するものではなく、また一括案全体がひどく行き過ぎであり、従って際どいものである、と。</p>
<p>チャベスは経験豊かな人物であり、これ程極端な誤算あるいは強欲のために、彼がこの選挙戦を危うくさせた（そして彼自身の統治の仕方と矛盾した）とはむしろ信じがたい。わずか一ヶ月強という期間にこの多数の重大な変更を国民投票に掛けるることは、忍耐それ自体の権化となってきており、長期的な成功の鍵は首尾一貫して民衆の賛同を高めることにあるということを知っている指導者の手口に一致していないように思われる。当然ながらチャベスの政治的影響力は高かったとはいえ、民衆の支持の明白な下落が伴っては革命が本格的に進展でき得ないことを彼は十分承知している。</p>
<p>最大限の票を正確に獲得する方法に関してチャベスに助言することは容易かったはずである。つまり、改正案を社会的利益、行政及び人民権力<span style="font-size: 12px;">〔popular power〕</span>の混合ですっきりとまとめ上げて簡素化させる。絶対必須ではないものや、別の手段で達成できるもの、あるいは反対派に有権者を威嚇する機会を与えるようなものを避けるよう努める。クリスマス期間が終わってしばらくたってから始まる選挙運動が開始する前の数ヶ月の間その考えを流布させる。選挙運動中に外務がないよう確かにし、公共討論に参加することを確実にする<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trnt1" name="_trntref1">訳注１</a>〕</span>。</p>
<p>同様に重要なことは、昨年彼を再選させたものと同一の、議論を呼ばない方法で選挙運動をするようチャベスは適切に勧告されていたはずである。不思議なことに彼が固執したのは、いかなる「反対」票も彼個人に反対するのみならず、ジョージ・Ｗ・ブッシュに賛成することにさえなると断言することによる奇妙な形の恐喝を用いることであった。その結果、もし「賛成」に票を投ずることを望まなかったならば、棄権するしかなかった――さもなければ、あなたは帝国主義者／寡頭勢力の従僕である。驚くなかれ、棄権率は昨年１２月の総選挙での２５％から約４５％へと跳ね上がった。そしてその増加は殆どもっぱらチャベス派の有権者で構成されていた。振り返ってみると、この「恐喝」は、はたして「賛成」票を確実にすることを目指していたのか、あるいは「反対」票を最小限にするためだったのか？　棄権しないよう度々繰り返された呼びかけにもかかわらず、それはその拡大を助長したのみであったはずである。</p>
<p>意図的な選挙敗北の陰謀論をある刑事が調査していたとして（投票終了後の苦しいほどの待ち時間<span style="font-size: 12px;">〔選挙結果の公表は定時を大幅に越えた〕</span>にもかかわらず、反対派に有利なように選挙結果が操作された可能性については憶測せずにおこう！<span style="font-size: 12px;">〔<a href="#_trnt2" name="_trntref2" id="_trntref2" style="mso-footnote-id: trnt2">訳注２</a>〕</span>）、動機、手段と機会の全てがぴったり合致する――特に動機が。顕著なことに、これ程の驚くような敗北の唯一の代わりとなる説明は、はなはだしく又らしからぬ誤った判断であり、また選挙戦の初歩的な失策は言うまでもない。チャベスは十分な経験を得ており、これよりも分別がある、と多くが考えるであろう。</p>
<p>トラック一杯の改正案の数々を、仮に５５％の得票によって一括で通す試みは――それが多くが予想しており、理論上達成できるとされたものだったのだが――国における増大した怒りや市民の不和を生じさせるだけであったであろう。革命のこの重要な段階において、チャベスの「敗北」は実際にはその正反対を達成したのであり、爆発寸前にあった反対派の学生運動を効果的に沈静化することによって、ベネズエラに平穏と安定を瞬時に確保した。彼ら<span style="font-size: 12px;">〔学生ら〕</span>が最もよく口にしたメッセージは、彼らが「ただ平和を望んでいるだけだ」というものであり、今や彼らはそれを手にしたのである。逆に言って、チャベスは何も失っておらず、全てを手に入れた。<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt3" href="#_trnt3" name="_trntref3">訳注３</a>〕</span></p>
<p>これは特に彼の国際的な印象にとって非常に良い前兆である。独裁者／ペテンという全ての非難を当分の間和らげたことに加えて、威厳のある民主主義者で融和的な政治家としての彼の名声は、その地域のほぼ全ての指導者からの賛美を伴って、１０倍拡大した。一方で、彼の現任期の基本的な宣言は完全に表明され、それによってこれから数年でなければ数ヶ月の間継続されるであろう非公式の議論の過程を開始させた。改正案が草の根の選択では殆どなかったとはいえ、その全過程の方法論や様式は民衆に重要な教訓を示した。今彼らにおそらく期待されていることは、彼らの構成的権力<span style="font-size: 12px;">〔constitutional power〕</span>を用いて、彼ら自身の改正案に着手することである（十分な発案を与えられた今）<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt4" href="#_trnt4" name="_trntref4">訳注４</a>〕</span>。</p>
<p>当然ながらチャベスは革命を深めることを望んでおり、また強調されるべきことは、全有権者のほぼ半数が「２１世紀の社会主義」を諸手で受け入れる準備ができていたことである。とはいえ、前進の道のりを決定的に正当化するために必要なことは、極めて重要な「穏健派」を招き入れること、あるいはチャベス自身が選挙翌日に国営テレビへの電話で述べたように「同乗」させることである。この穏健派を見分けて彼らに注意を注ぐために、穏健派が承認しない選挙上の試験を行うこと以上に優れた方策が他にあるであろうか？　徹底的な社会主義事業に関して説得を要する者がどれ程いるのかを、更に推定上は彼らが誰なのか、そして何処に住んでいるのかさえも今やチャベスは正確に知っている。</p>
<p>チャベスは彼の見解や政策に関する総意を築き上げる強力な能力を持った傑出した政治家であり、彼が達成を目指し提案していることは秘密でも何でもない。何千時間ものメディア出演で、社会的公正、真の人民権力や多角化された経済という彼の理想は、これまで十分に説明されてきた。明らかに全ての者が十分に納得してはいない反面、説得のための系統だった過程を可能にする最も重要な段階は、この選挙で負けることによって今や達成された。極めて重要な徴候はチャベスに対する反対の基盤が増大していないということであり、またチャベスに共感する者たちが更なる説得を受け入れる状態にある、ということである。</p>
<p>チャベスの支持者らが思考能力の欠けた羊からは程遠い、ということが今や明確になった。「賛成」票を投じた者たちは情報を完全に得ており、改正案を進める準備ができていた。彼らが資本主義を捨て去り、異なる試みを試すことをいとわないことを仮定できるであろう。同時に、棄権した者たちは、彼の正反対の努力にもかかわらず、改正案をチャベスから分離して考えることができる十分に確固とした気質を備えており、それゆえにベネズエラ社会の現状との関連で彼らが認知した利益及び可能性の落とし穴を基に、中立的な決定を下した。</p>
<p>ベネズエラにおいて社会主義の機運は熟しているのだが、真に実証的な国際的模範になるには、わずかな過半数による支持では十分ではない。「２１世紀の社会主義」が人民権力を基にしているかもしれないとはいえ、それすらも民主的な総意なしに達成することはできない。実のところ、政治、経済や社会を真の草の根レベルでの意思決定という革命的な展望へと転換させるためには、行政権の増大が不可欠なのである。可処分所得で満ち溢れ、また急速に発展した社会計画や世界最大の石油埋蔵によって要求が益々満たされている現在の社会において、穏健派はおそらくこう訊ねるであろう。実際にはどれ程より良くなり得るのか？　他の多くを変える必要があるのか？　それは危険を冒すことにはならないのか？</p>
<p>チャベスの支持基盤の内、資本主義モデルに伴う本来的な諸問題を、あるいはまた社会主義の本来的な有益を未だ認めていない者たちは、憲法改正案選挙で棄権した人達とぴったり一致する可能性がある。事によると彼らは、行政権の拡大や大統領任期制限撤廃の民主的又は他の利益に関して説得される必要があるのかもしれない。彼らの懸念が如何なるものであろうと、これまでチャベスの過度の雄弁が彼らを安心させるには十分ではなかったことは明らかである――現在の解決策であると思われることは、「疑念を抱いている穏健派」を直接対象にした多様な教育手段であり、またそれと同様に重要なことに、実例による実証である。</p>
<p>明らかに、改憲案の決定的な失敗はどの個々の案にあったのでもなく、特定の状況下での一括案の全体的な強烈さ、範囲や圧力であった。未だチャベスは少なくとも今後６ヶ月の間、<span style="font-size: 12px;">〔授権法によって彼に与えられた権限によって〕</span>法令を行使することができ、それを用いて最も急を要する案を達成させることは疑いない。反対派は依然として構成的権力を有しており、選挙的な勢力が彼らを支持すれば如何なる法案も無効にすることができる。とはいえ今回の選挙結果はその勢力が限られた小数派であることを示している。事実上、全ての「反対」票は、執拗に反チャベスで、親資本主義の意見を持った限られた勢力が投じたのであり、それはベネズエラ全人口のわずか３分の１を代表しているであろう。</p>
<p>反体制派が活気付けられているとはいえ、それは幻想的な体験であったと判明するであろうし、５年に及ぶチャベスの残された暫定的な最終任期を伴った社会主義運動の立場はこれまでになく確固としている。国内および国際的な反対勢力の攻撃が弱まり、また「独裁者」という非難が最終的に粉砕されたことはおそらく計り知れないほど貴重であり、そうした状況下、憲法に規定されようとされまいと、意図された改革の殆どは必然的に達成されるであろう（大統領任期制限撤廃を民衆が自発的に成功させるのを想像するといい）。そしてその明白な結果はほぼ確実にどんちゃん騒ぎを保証するであろう。つまり、２０１２年のチャベスの再選である。「今のところは」とチャベスは述べる。ベネズエラ人は「成熟し、私達の社会主義の構築を継続させて」いかなければならない、と。</p>
<p style="color:#888888;">カルロス・ルイスの 「<a href="http://rebelresource.wordpress.com/">Rebel Resource</a> 」サイトはコメントを受け入れており、多数の分類されたオンライン・ビデオを提供している。</p>
<hr align="left" width="100%" size="1" />
<p>訳注：</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trntref1" name="_trnt1">１．</a>実際には選挙期間中、そのおおよそ半分に当たる期間チャベス大統領は外遊していたという。（<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2981">英文参照元</a>）</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt2" href="#_trntref2" name="_trnt2">２．</a>これまでの選挙とは異なり、米州機構（ＯＡＳ）や欧州連合（ＥＵ）の監視団は、投票の準備期間が短すぎたため今回の国民投票に参加しなかったという。両機関は通常５・６ヶ月の準備期間を要する。とはいえ、監視が成されなかったわけではなく、３９カ国からの監視団が監視を行ったという（<a href="http://www.venezuelanalysis.com/newsbrief/2927">英文参照元</a>）。また、反対派に属するブロガーも述べるように、選挙不正は容易ではない、という。その<a href="http://caracaschronicles.blogspot.com/2007/12/what-on-earth-is-cne-up-to.html">ブログ（英語）</a>によれば、その手順は以下：</p>
<div  style="margin: 0% 5% 0% 5%;"><p>１．電子投票機で投票</p>
<p>２．電子投票機が投票確認の紙を印刷し、有権者が確認した後に投票箱へ入れる</p>
<p>３．投票終了後、電子投票機が当日の投票記録を印刷する</p>
<p>４．その後に初めて、カラカスの全国選挙評議会（ＣＮＥ）に記録を配信するべく、機械がネットワークに接続される</p>
<p>５．その後、その場での検査のために抽選で投票結果の５４％が選び出される</p>
<p>６．検査員らが選ばれた投票箱を開け、公共の場で、両方の側の立会人の前で、手作業で集計する</p>
<p>その結果、３組の結果が得られる。つまり、検査の記録、ＣＮＥの記録、及び投票機の記録である。</p>
</div>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt3" href="#_trntref3" name="_trnt3">３．</a>実際チャベス大統領は敗北を認めた演説の中でこう述べている（<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2978">英文参照元</a>）：</p>
<blockquote cite="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2978" style="margin: 0% 5% 0% 5%;">
  この<span style="font-size: 12px;">〔憲法改正案を巡る〕</span>過程の最大の成果は、８年経って反対派がこの<span style="font-size: 12px;">〔１９９９年〕</span>憲法を承認したことにある。今や彼らはそれを承認しており、それを擁護するべく声を上げている！　何と素晴らしいことか！　<span style="font-size: 12px;">〔中略〕</span><br />
  <br />
それが単に一時的な方策や選挙上の操作ではないと信じたい。そうではなく、それが誠実さであると信じたい。<br /><br />
よろしい！　ここ<span style="font-size: 12px;">〔現行憲法〕</span>に制定されているベネズエラを共に築いていこうではないか。<br />
</blockquote>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt4" href="#_trntref4" name="_trnt4">４．</a>既に先住民族団体がチャベス大統領の改正案を再び送り出すために戦略会議を開いた。その団体の代表によれば、憲法改正国民投票の結果から、９８パーセント以上の先住民が改正案に賛成票を投じたという。また、ベネズエラ憲法下、大統領が１任期中に同一の改正案を２度提出することは禁止されているのだが、有権者の１５％によって署名された請求を提示し、国民議会が承認した場合、国民が国民投票を召集することができる。（<a href="http://www.plenglish.com/article.asp?ID=%7BDD9900FD-45A7-4446-A042-741BB48D5D99%7D&amp;language=EN">英文参照元</a>）</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/71691887.html</link>
      <title>ベネズエラ憲法改正否決（差し当たりは）</title>
      <pubDate>Sat, 08 Dec 2007 20:41:38 +0900</pubDate>
            <description>ベネズエラの憲法改正案国民投票は否決され、ベネズエラ野党とは異なり、チャベスは潔くその敗北を認めた。最善の結果は「賛成」の側の辛勝であったのだが、この敗北は地域的及び世界的に消極的な帰結をもたらすであろう。エクアドル、ボリビアやブラジルといった諸国の進歩的勢力や政治家達が政治的方針や支持を仰ぎベネズエラに目を向けてきた。国民投票の結果は米国がこうした勢力を孤立させることをより容易にする。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">ベネズエラ憲法改正否決（差し当たりは）</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Venezuela's Constitutional Reform Fails (For Now)：<a href="http://www.zmag.org/sustainers/content/2007-12/04podur.cfm">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>ジャスティン・ポドゥール<span style="font-size: 12px;">〔Justin Podur〕</span>；２００７年１２月４日</p>
<p>ベネズエラの憲法改正案国民投票は否決され、ベネズエラ野党とは異なり、チャベスは潔くその敗北を認めた。最善の結果は「賛成」の側の辛勝であったのだが、この敗北は地域的及び世界的に消極的な帰結をもたらすであろう。米国の後ろ盾を得たコロンビアのウリベ大統領は、チャベスがコロンビア政府とＦＡＲＣ<span style="font-size: 12px;">〔コロンビア革命軍 〕</span>ゲリラの仲介にあたってきた人道的な協和を数日前に打ち切っていた。米国はペルーとの自由貿易協定を協議中である。しばしばみられるように米国の対外政策に仕えているカナダは裏口を使い、自国にも協定を取り決めることによって、米国がコロンビアとの自由貿易協定で合意に達するよう試みている。以上の全てにおいて、エクアドル、ボリビアやブラジルといった諸国の進歩的勢力や政治家達が政治的方針や支持を仰ぎベネズエラに目を向けてきた。国民投票の結果は米国がこうした勢力を孤立させることをより容易にする。</p>
<p>だが、チャベス自身が述べたように、戦いは終わっておらず、これ<span style="font-size: 12px;">〔投票結果〕</span>から派生し得る良い事柄がいくつかある。</p><a name="more"></a><p>国民投票の結果は以下である。「反対」の獲得票数は５０．７％（４、５０４、３５１票）、「賛成」は４９．２％（４、１５９、３９２票）。棄権率はとても高く、４４．１１％であった。この数値はコロンビアの「エル・ティエンポ紙」からであり、９７％の票が数えられた時点のものである。</p>
<p>結果がどれ程僅差であったかに留意せよ。２００４年の<span style="font-size: 12px;">〔大統領罷免〕</span>国民投票を含めた過去数年間の通常の割合は、おおよそ５００万人がチャベスに投票し、約３５０万人が反対票を投じていた。今回の国民投票では、約５０万人の有権者が態度を変えてチャベスに反対票を投じた。６３％の投票でチャベスが勝利した昨年の大統領選挙では棄権率はわずか３０％であった。以前チャベスに投票した多くの者が棄権し、中には反対票を投じたものもいた。</p>
<p>いつも通りの恐怖を煽る戦術や汚い戦術が反体制派勢力や米国によって用いられた。チャベスがミニスカートを禁止するという漠然とした考えから、チャベスがあなたの長男・長女を取り上げるといったことを含めた偽情報が蔓延していた。いくつかの小規模の資本ストライキ<span style="font-size: 12px;">〔capital strikes：新たな投資の保留〕</span>、新たなクーデターの脅威や他の手口が行われた。とはいえこれまでボリバル主義者達は、それらの戦術を打ち破ってきたのであり、その中の多くはこれまで以上に強固になったボリバル主義のメディア戦略によって既に暴露されてきている。</p>
<p>どういった良いことがこれから派生するのか？　ベネズエラで起こり得る最良のことのひとつは、現状では起こりそうもないが、それが社会主義、大衆参加や民主主義が通常の事柄、ある社会が選ぶ通常の選択のように思えるようになることである――エリートや米国のためでなければ、ベネズエラ人や中南米の人々にとって。その代わりに、選挙が行われるたびに両極化が起こる。この革命的プロジェクト全体が不安定な状態にある、未来の全てが予断を許さない、そして帝国の暴力がすぐそこに迫っている、またチャベスに反対票を投じることは反動的な帝国主義の勢力の側に付くことである、という印象が。そうではなく、もしこの投票がチャベスが提示したように見られたならば、つまり進行中の過程の前後関係における特定の案の（彼の有名な台詞である）「差し当たりの<span style="font-size: 12px;">〔por ahora〕</span>」挫折であると見なされたならば、それはとても良いことであろう。</p>
<p>ベネズエラの革命にはふたつの関連した欠陥がある。一つめは、全国的なテレビ上のイメージや独自の意見を持ち合わせた顕著な指導者たちの欠如である。チャベスの側に付いており、革命の過程の一部を担っているのだが、わずかに異なる案や戦略的着想を持っているような者たちである。これは数々の革命が生み出すのに常に苦心してきたことである――それは常に単一の人物に集中するように思われる。</p>
<p>二つめの問題は、革命過程内で異議を唱える余地を与える上での、主として米国と帝国主義に起因している障害である。ボリバル主義者たちが反体制派に対して信じられないほど寛大であり、米国やカナダでは許容されないであろうような政府に対する言論や行為を可能にしていることは事実である。とはいえ、より困難で、如何にして達成するのかが不確かなことは、ひとつのグループあるいはその他が反体制派に転向することなく特定の案に関して運動内で議論を可能にすることである。反体制派が３５０万票に加えて途方もないメディアの力、外国からの財源、そして最終的には軍の後援を有している状況で、それを行うのはとても困難なことである。しかしながら、今回の国民投票の結果が役に立ち得る。反体制派の有権者を実際に分断することが可能である。チャベスは独裁者ではなく、民主的な結果を進んで受け入れるということを示すことによって。それはこれまで野党が渋ってきたことである。</p>
<p>この敗北に関して絶望することはない別の理由は、国民投票自体の脆さである。最も重要な欠点はそれが「総括的な」国民投票であったことである。有権者は一括案全体を承認、あるいは否認しなければならなかった。この一括案のある部分は刺激的なものであり、その他はそれ程でもなかった。<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trnt1" name="_trntref1">訳注１</a>〕</span></p>
<p>この国民投票には筆者を心配させた三つの問題があり、それらのみで提示されたならば筆者は反対していたであろう。それらは任期制限の撤廃（これは世界の多くの統治権にその制限がないことを考慮すると、比較的に重要ではない問題である）、役人を任命・解任させる大統領権限の拡大、そして７年任期である（その両方とも同等に筆者が反対票を投じる理由は、それらが将来ボリバル主義者に対して用いられる可能性があるからである――誰が権力を得た反動的な体制に７年間も耐えたいと思うであろうか？）。拡大された社会福祉から人民権力の創設まで、この憲法改正案にはとても良く又興奮させる内容が含まれていたのだが、態度を変えた約５０万人の有権者がこれら三つの問題点のために態度を変えなかった、と知りえるであろうか？　ボリバル革命に対する支持はこの国民投票に対するよりもはるかに強固なものであり、潜在的な支持は（高い棄権率と先の大統領選挙の結果を考慮すると）さらに大きい。ベネズエラの二つの側でボリバル主義者たちの方がより民主的であったことを私達は常に知っていた。この敗北を受容し革命の過程を継続していくことが、そのことを多くの者に証明することになるであろう。</p>
<p>ジャスティン・ポドゥールは２００４年の<span style="font-size: 12px;">〔チャベス大統領〕</span>リコール国民投票をベネズエラからZNetのために取材し、コロンビア・ベネズエラ問題について論述する。彼はトロントを本拠地とし、justin@killingtrain.com から連絡可能。</p>
<hr align="left" width="100%" size="1" />
<p>訳注：</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trntref1" name="_trnt1">１．</a>実際にはチャベス大統領が提出した一連の改正案（Ａブロック）と同時に国民議会が提出した別の一連の改正案（Ｂブロック）をめぐって国民投票は行われた。ベネズエラ中央選管によって公表されたそれぞれの結果は以下（<a href="http://550.dreamhosters.com/yvke/noticia.php?1574">参照元</a>）。</p>
<div style="margin: 0% 5% 0% 5%;"><p>Ａブロック：<br />
  反対５０．７０％、４、５０４、３５４票<br />
  賛成４９．２９％、４、３７９、３９２票<br />
  開票数８、８８３、７４６<br />
  無効票１１８、６９３<br />
  総投票数９、００２、４３９<br />
  棄権４４、３９％</p>
<p>Ｂブロック：<br />
  反対５１．０５％、４、５２２、３３２票<br />
  賛成４８．９４％、４、３３５、１３６票</p>
</div>
<p>また<a href="http://axisoflogic.com/artman/publish/article_25616.shtml">AxisofLogic</a>で報道された最新の結果（開票率９４％）は以下。</p>
<div style="margin: 0% 5% 0% 5%;">
<p>Ａブロック：<br />
  反対５０．６５％、４、５２１、４９４票<br />
  賛成４９．３４％、４、４０４、６２６票</p>
<p>Ｂブロック：<br />
  反対５１．０１％、４、５３９、７０７票<br />
  賛成４８．９９％、４、３６０、０１４票</p>
<p>投票率５６．１５％</p>
</div>
<p>この中には主にアマソナ州やデルタ・アマクロ州に位置する電子投票システムが利用されなかった地域の票が未だ含まれていない。これら２州の電子投票システムが利用された地域では賛成票が圧倒的に多かったという。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/70398607.html</link>
      <title>潜水艦とゆるんだネジ</title>
      <pubDate>Sat, 01 Dec 2007 22:47:37 +0900</pubDate>
            <description>「潜水艦が深く潜水すると圧力が高まり」と彼は皆に語った、「ゆるんだネジが飛び出すこともある。」この隠喩はこの革命の歴史全体に満ち溢れている。つまり、ボリーバル革命の潜水艦が新たな深みを測深する度に、その様なネジの数々が</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">潜水艦とゆるんだネジ：</span><br />
チャベスの側近、仕切りを飛び越える<br />
<span style="font-size: 12px;">〔Of Submarines and Loose Screws: A Ch&#225;vez Ally Jumps the Divider：<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2850">Original Article in English/Venezuelanalysis原文</a>〕</span></p>
<p>ジョージ・シカリエッリョ＝メイハー<span style="font-size: 12px;">〔George Ciccariello-Maher〕</span>；<a href="http://www.counterpunch.org/maher11172007.html">CounterPunch</a>；２００７年１１月１７日</p>
<p>１１月５日、ラウル・バドゥエル退役将軍は、ベネズエラと海外の多くの者に衝撃を与えた。憲法改正案を非難し、１２月２日に「反対」票を投ずるよう勧める声明文を読み上げたのである。多くの者が感じたその衝撃、またある者にとっては憤慨は、これ程有力な側近の離反の結果であったことは疑いがない。この７月までバドゥエルはベネズエラ国防大臣を務めていた。しかしその職務それ自体では、ラウル・バドゥエルが近年チャベス支持者達から得てきた神話的な地位を説明しきれない。バドゥエルの離反に対する一般の衝撃、及びその必然性の両方を理解するためには、おおよそ３０年に及ぶ歴史により綿密に目を向ける必要がある。</p>
<p><span style="font-weight:bold;">国家尊厳回復作戦</span></p>
<p>チャベスと共にバドゥエルは、１９８０年代初期にベネズエラ国軍内で形成された秘密組織、革命的ボリバル運動２００（MBR‐２００）の結成メンバーであった。この陰謀を企む理想主義者の一団は、マラカイ<span style="font-size: 12px;">〔アラグア州〕</span>の落下傘連隊に起源を持っていた。マラカイは<span style="font-size: 12px;">〔首都〕</span>カラカスから西に２時間程離れた息苦しいほど暑い人口１００万人の都市で、そこで彼らは旧第四共和国<span style="font-size: 12px;">〔チャベス政権以前の体制〕</span>の汚職や抑圧からの脱却を計画し始めた。シモン・ボリーバル<span style="font-size: 12px;">〔南米の解放者〕</span>が休んだとされる歴史的に有名な大木サマン・デ・グエレ<span style="font-size: 12px;">〔Sam&#225;n de G&#252;ere〕</span>の下で共に彼らはボリーバル主義の誓約を誓った。</p>
<p>しかし機が熟したとき、バドゥエル自身が目立って不在であった。あるインタビューで彼はマルタ・ハーネッカーに、１９９２年のクーデターの試みに加わらないことを選んだのは、それを時期尚早であると彼が考えたからだと語った。この決断ゆえにバドゥエルはしばしば非難されてきた反面、彼が完全に誤っていたわけではない。つまり、そのクーデター自体は、その後に起きたことにとって必須であったとはいえ、確かに時期尚早で不十分に計画されたものであった。とはいえ１９９２年のクーデター以前のバドゥエルの懸念のいくつかは目に付く。「軍の構造はどうなるのか？」と自問したのをバドゥエルは想起する。「私達よりも高い地位にいる者たちをどうするのか？　彼らを私達に従わせることはできない……なぜなら軍の生活の根本的な要素は階層主義<span style="font-size: 12px;">〔verticalism〕</span>なのだから。」この２００２年のインタビューでバドゥエルは、<span style="font-size: 12px;">〔ニカラグア〕</span>サンディニスタの「ゼロ司令官<span style="font-size: 12px;">〔コマンダンテ・セロ〕</span>」からコントラに転身したエデン・パストラのように感じる、と予言的にも冗談を言った。彼<span style="font-size: 12px;">〔パストラ〕</span>が「両方の側から慕われていなかったのは、彼が彼らを裏切ったからである、とある者は言い、彼らに潜入したからであるとその他は言った。」</p><a name="more"></a><p>１９９２年のクーデターに加わらなかったことがMBR‐２００とのバドゥエルの関係を終わらせることはなかった。彼は投獄された指導者たちとの連絡を維持し、その後に続く１９９８年選挙で政治権力獲得を目指すチャベスの出馬を支持し、そして１９９９年にバドゥエルはチャベス自身が過去所属していた第４２落下傘歩兵連隊の指揮官に任命された。１９９２年のクーデターに参加しなかったことが彼の革命家の資格に長い影を投じてきた一方で、彼の神話的な地位は１０年後、チャベスに対する２００２年４月のクーデターへの軍の対応をほぼ独力で率いた時に強固なものになる。</p>
<p>１９９２年に軍上層部<span style="font-size: 12px;">〔military hierarchy〕</span>に対する尊重が行動の妨げになったバドゥエルが何故１０年後それがチャベスに反旗を翻した時、正にその上層部から袂を別ったのか？　なぜならその時までに別の極めて重要な要素が現れていたからである。つまり１９９９年の新憲法である。１９９２年に陰謀者ら全員が確信していたことは、バドゥエル自身の言葉では、「支配階級が現行憲法を行使していた一方で、彼ら自身の利害に応じてそれを適用させていた」ということである。他方２００２年には、クーデター首謀者らや軍上層部（とはいえ重要なことに下士官達は含まれない）は、新しい「ボリーバル」憲法に反して行動した。彼が持つ２つの主要な価値観、軍の組織に対する忠誠と憲法に対する忠誠の間の対立を突きつけられてようやく、バドゥエルは実行に移る決心をした。彼は第４２連隊がペドロ・カルモナ・エスタンガの不法の暫定政府に対して反旗を翻したことを宣言し、「国家尊厳回復作戦」を開始することによって、大多数の忠実な将校達がクーデターに歯向かうことを可能にした火花をもたらした。憲法に対するこの忠誠は報いられた。それから２年以内にバドゥエルは陸軍総司令官に任命されるのであり、２００６年には国防大臣になるのである。</p>
<p><span style="font-weight:bold;">軍の２つの理想像</span></p>
<p>クーデター未遂とチャベス復権の余波の中、バドゥエルは大衆の心像において忠誠と中庸の典型を象徴するようになる。２００７年７月に彼が退役するまで、この「４月１３日」の英雄と革命運動の指針の間の潜在的な不一致は、全く公共の目に触れることはなかった。バドゥエルは退役演説の機会を捉え、「２１世紀の社会主義」というチャベスが提案した事業に関しては慎重になるよう勧めた。彼は社会主義を概念としては賞賛したのだが、その国家資本主義的な現れには警告を発した。「私達の社会主義は大いに民主的でなければならない」と彼は忠告した。富の再分配と不平等の是正に焦点を合わせたものに、と。さらに、彼は「権力の分立<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trnt1" name="_trntref1">訳注１</a>〕</span>とは単に中産階級支配の手段である」という考えから距離を置き、一般的にリベラルな立憲主義<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt2" href="#_trnt2" name="_trntref2">訳注２</a>〕</span>に結び付いているその様な分立は依然として必須の事柄である、と論じた。</p>
<p>とはいえ、バドゥエルは昨７月に退任した唯一の将軍ではなかった。アルベルト・ミュラー・ロハス<span style="font-size: 12px;">〔Alberto M&#252;ller Rojas〕</span>が退場の舞台を共にした。だが、バドゥエルが論争を引き起こすのを退役まで待った一方で、 ミュラーは論争を静めるために退役させられた。その年の初期に、ベネズエラ統一社会主義党（ＰＳＵＶ）の結党委員会の一員のミュラーは、軍現役中にＰＳＵＶに参加することで、現行法を鼻であしらった。軍の中立性とは根拠のない社会通念であり、それは反動的な軍組織の二本柱として軍人意識と共に存在しているものである、とミュラーは論じた。軍上層部を埋め合わせることを目的とした、広い層に基盤を持つ人民軍組織の発展と共に、軍の本質的に政治的な役割の承認を唱道して、ミュラーは現在の憲法改正の過程をこの新しい理想像への道を切り開くために用いるよう熱心に説いた。</p>
<p>軍の政治化という野党の主張に屈したとして、ミュラーは即座に穏健派のチャベス支持者らから激しく非難された。その次に起きたことは、ベネズエラ権力の謎に包まれた回廊の一端を垣間見せる。ベネズエラ軍の非政治的で職業的性質を力説し、チャベスがミュラーに対する非難に加わったのである。そしてチャベスや大多数のベネズエラ高官たちが、過去提案してきた軍の構造の類をずうずうしくも提唱したことで、この横柄な将軍は大統領の実力者グループから適切に追放されたのである。疑いなく、メッセージが軍上層部に送られた。そしてそのメッセージは、軍の政治化という問題からしばらくの間注意をそらせることになる。それが明らかになったのはチャベスの憲法改正案が公表された時であり、それはミュラーの主張にほぼ全ての点で一致していた。１２月の国民投票で是認された場合、改正された第３２８条がもたらす結果は、軍がもはや明確に「非政治的な」機関ではなくなり、その代わりに「愛国的、人民の、そして反帝国主義」であると特徴付けられるようになる、ということである。それに加え、第３２９条は現在の予備軍を、「ボリーバル人民軍<span style="font-size: 12px;">〔Milicia Popular Bolivariana：Bolivarian Popular Militias〕</span>」として言及される制度的により強力な勢力へと再編成することになる。</p>
<p>とはいえこの計略はミュラーの皮肉な追放という話で終わらなかった。改正案が公表されて間もなく、軍最高司令部との協議の後、チャベスは新しい人民軍は「人民<span style="font-size: 12px;">〔Popular〕</span>」ではなく、「ボリーバル国民軍<span style="font-size: 12px;">〔Milicia Nacional Bolivariana〕</span>」として知られるようになる、と発表した。一見したところ重要でないこの語義上の変化よりも興味深いことは、その様な変化をもたらすべく介入したに違いない（どうやら強大らしい）政治的圧力である。</p>
<p><span style="font-weight:bold;">仕切りの飛び越え</span></p>
<p>ミュラー・ロハスがすかさず論争を引き起こしたのに反して、バドゥエルの世間の注目を浴びる日は、予定されている憲法改正国民投票から一ヶ月足らずの１１月５日まで訪れなかった。１１月４日にチャベスは、ある人物が間もなくチャベス派から反対勢力へと「saltando la talanquera」する、あるいは「仕切りを飛び越える」であろう、と警告した。このような声明はＰＳＵＶ結党に関する最近の論争を注視してきたものにとって驚きではないであろう。その過程でチャベス連合の比較的大きい方に数えられた社会民主主義党（ＰＯＤＥＭＯＳ）が、チャベス派と反対勢力との間の無人地帯に基本的に追い出された。だがチャベスが明快な警告をした事実は、何か由々しいことが進行中であったことを示していたと考える者たちもいた。</p>
<p>翌日、国営テレビVTVが目立って除外されていた記者会見にバドゥエルは登場した。彼が述べたことは多くの者を呆然とさせた。彼らにとって彼は忠義の権化を象徴するようになっていた。彼自身の言葉では、バドゥエル（自称道教信者）は国の進路に関して「熟考し瞑想してしばらく過ごした。」彼の結論は、１９９９年憲法で事足りる、というものであった。革命に対する足かせになるどころか、この憲法はいまだ完全に効力を発揮していない、とバドゥエルは論じる。その憲法は「どのような形でも社会主義政府の職権行使を妨げることはないのであり、高度の包括的及び広範な社会的内容を有している」と彼は論じる。とはいえどの様な社会主義をバドゥエルは支持するのか？　彼はそれを語らない。けれども、その言葉<span style="font-size: 12px;">〔社会主義〕</span>がカンボジアのクメール・ルージュから北欧の社会民主主義（それを彼は啓発的にも「社会主義」であると考えている）に至るまであらゆるものに適用することができる、と彼がほのめかす時、彼の忠義が何処にあるのかは明白である。</p>
<p>彼の退任演説を繰り返して、バドゥエルはリベラルな立憲主義に対する彼の献身を再び述べた。「憲法というものは権力を制限し統制すべきである……そして権力の制限を緩和し撤廃するような憲法は疑いの目でもって見られるべきである。」要約すれば、憲法には本来的に禁止的な役割がある。つまり権限を与えるのではなく権力を制限するのである。このリベラルな立憲主義はバドゥエルのリベラルな社会主義にうまく符号する。つまり、権力の分立と緩やかな富の再分配を達成し終わったいま、更なる行動は必要ではない、と。権力の分立を弱体化させることで革命を急進化させる如何なる試みもバドゥエルにとっては「権力の強奪<span style="font-size: 12px;">〔usurpation〕</span>」に成り変るのであり、彼の主張では、もし是認された場合、現在の憲法改正案は「憲法条文に不名誉にも違反して、実質的にクーデターを達成することになる」のである。</p>
<p>特筆すべきは、バドゥエルが国軍に「改正案を深く分析」するよう訴え、国民全体に「私達に残された唯一合法で民主的な武器」、つまり１２月２日の「反対」票を用いるよう嘆願したことである。とはいえ当記事の趣旨にとって最も興味深いことは、台本からバドゥエルが脱線した部分である。国軍に訴える時点が来たとき、バドゥエルは軍の性質に関する長い余談を始め、その中で彼は非政治的で職業的な機関としての軍の現在の定義を最初から最後まで読み上げた。彼の演説の他の部分にはこの軍の問題が比較的触れられなかった一方で、この即興の部分はバドゥエルの動機及び、ミュラー論争に対する彼の関連の両方に殆ど疑いを残さない。改正案はリベラルな立憲主義を弱体化させるのみならず、それは軍人意識をも脅かすのである。彼自慢の「階層主義」のために、ミュラーを失脚させ、チャベスにボリーバル市民軍の提案された名称を変更するよう圧力を掛けるべく介入したのは、バドゥエル自身だったのであろうかと疑うことは正当化されるであろう。</p>
<p><span style="font-weight:bold;">潜水病</span></p>
<p>バドゥエルの名高い地位を考慮すると、おそらく驚くべきことではないのだが、彼の宣言に対するチャベス支持者らの反応は耳をつんざく様な激怒のほとばしりであった。チャベスはバドゥエルが「彼自身を裏切っており」またサマン・デ・グエレの下での１９８２年のボリーバルの誓いを裏切っている、と主張した。想起すべきは、その時までに大統領が有力な側近の離反に縁がなかったのではないことである。「潜水艦が深く潜水すると圧力が高まり」と彼は皆に語った、「ゆるんだネジが飛び出すこともある。」この隠喩はこの革命の歴史全体に満ち溢れている。つまり、ボリーバル革命の潜水艦が新たな深みを測深する度に、その様なネジの数々がうねり出てきた。最も特筆すべきは、１９９２年のクーデターに関わった古参のフランシスコ・アリアス・カルデナスや、長年のチャベスの政治顧問であったルイス・ミキレナといった長年の同盟者らが、それぞれ２０００年と２００２年に反体制派に乗り換えた（奇妙なことにアリアス・カルデナスは<span style="font-size: 12px;">〔２０００年〕</span>大統領選挙でチャベスに対抗して出馬した後にチャベス支持の立場に戻った）。とはいえ大多数の意見では、これは革命にとって有利に働いてきた。惰性的体質の数々を克服し、チャベス派の独自性を強固にし、革命が急進的な新たな方針を築くことを可能にしてきた、と。</p>
<p>多くの者が裏切りであるという主張を繰り返してきており、「La Hojilla<span style="font-size: 12px;">〔テレビ番組〕</span>」のマリオ・シルバに代表される者たちは、バドゥエルがわずか２週間前まで憲法改正案の最も論争を呼ぶ事柄さえも公に是認していたことを指摘してきた。皆のための祖国<span style="font-size: 12px;">〔ＰＰＴ〕</span>党のようなチャベス連合のより反正統的な一員の一部でさえ、この失墜した英雄を激しく非難してきた。ある者たちは、バドゥエルが強制された退役に、あるいは国営石油会社ＰＤＶＳＡの総裁に任命されなかったことに憤慨している、と主張する。ある者は、バドゥエルが彼の出身州アラグアの知事に当選することを追求しているという風評に言及する。</p>
<p>この退役軍人の裏切りに非難を浴びせる一方で、ホルヘ・ロドリゲス副大統領は、彼が有権者に改正案国民投票に参加するよう勧めることで民主的な仕方で彼の不満を伝えたことを認めた。しかしながらミュラーはそのようには見ていない。バドゥエルの主張を線密に検討すると、より悪意のある意図が明らかになる、と彼は論じる。ミュラーによれば、権力の強奪というバドゥエルの非難は、政府に対する謀反の明確な呼びかけそのものである。換言すれば、クーデターで政府を非難することによって、彼は実際上同一のことを正当化している。その場合には、バドゥエルの立場は二重に皮肉になる。ミュラーが正しければ、勧めはしたが、クーデターの試みにバドゥエル自身が関与しないのはこれで二度目になる可能性がある。彼はベネズエラの歴史でクーデター首謀者らしからぬクーデター首謀者になるであろう。</p>
<p>しかしこの長い武勇伝の最も興味深く啓発的な部分が演じられるのは、ミュラー・ロハスがＶＴＶの夜の番組「Contragolpe」（偶然にもそれはCounterpunch<span style="font-size: 12px;">〔反撃〕</span>と訳すことができる<span style="font-size: 12px;">〔原文の初稿はウェブサイト「Counterpunch」に出た。〕</span>）に招かれるまで待たなければならなかった。バドゥエル問題に関する彼の意見を語るべくミュラーは招かれた。そして彼は、バドゥエルを献身的な革命家であると見なしたことはかつて一度もないということを説明し始めた。確かに以前、ミュラーは、国防大臣を務めていた時のバドゥエルの方針を非難したことがあり、ミュラーによればそれらの方針は政府の軍民統合政策を妨げてきた。その後、番組にチャベス自身から電話が掛ってきた。７月の刺々しい仲たがい以来、彼はミュラーと公共の場で話をしていなかった。鋭く明敏な忠告を常に提供してきたことで彼はこの退役軍人に公に謝意を表し、これからも連絡を取っていくことを強く主張した。これは公の陳謝だったのであり、バドゥエルのより保守的な反対が軍の急進化というミュラーの提案と大統領の間に入り妨げとなったことの容認であった。</p>
<p><span style="font-weight:bold;">過失か反逆か？</span></p>
<p>しかしながら、反逆でバドゥエルを非難するのを断ってきた者たちもいる。政権の急進的な分派寄りの傾向がある、タチラ州のルイス・タスコン<span style="font-size: 12px;">〔Luis Tasc&#243;n〕</span>国民議会議員はバドゥエルは反逆者ではないと最近主張した。タスコンによれば、バドゥエルは道徳的根拠からではなく、政治的な根拠のみによって非難されなければならない。「私はバドゥエルを支持しない」とタスコンは後に<span style="font-size: 12px;">〔彼の立場を〕</span>明確にした、「私が述べたことはバドゥエルが私の友人であり、私が彼を尊敬しており、彼が行ったことを評価しているのだが、私の考えでは彼は誤っている、完全に誤っている。」タスコンは言葉を慎重に選んだのだが、明らかに十分に慎重ではなかった。というのも、この宣言のために彼は即座に結党間近のＰＳＵＶの懲罰委員会によって除名された。<a name="_ftnref1" href="#_ftn1" title="_ftnref1">［1］</a></p>
<p>ラウル・バドゥエルには２つの側面がある。つまり彼は忠実な軍人であるのと同時に、凝り固まった立憲主義者なのである。とはいえ軍上層部と憲法に対する忠誠は必ずしも人を革命家にするわけではない（あるいは殆ど全くしない）。１９９９年憲法に対する彼の支持、２００２年に彼を行動に駆り立てたのと同一の支持は、憲法改正の新しい過程において彼を窮地に陥れた。だがこの葛藤は本来的にバドゥエル自身のリベラルな立憲主義、軍の伝統主義や社会民主主義的な気質に根ざしたものである。つまり、革命はもう十分進みすぎたと彼は言っているのであり、この点で、「権力の強奪」から彼が保護していると主張している憲法制定権力<span style="font-size: 12px;">〔constituent power〕</span>そのものと彼は衝突するのである。行政と立法権が国民の制憲権を分岐させると彼が主張するとき、その権力が厳密には何処に属するのであろうか、と不思議に思わずにはおれない。バドゥエルにとっての唯一の答えは分立である。彼は憲法制定権をルソー的な不可分の「一般意思<span style="font-size: 12px;">〔General Will：総意〕</span>」としてではなく、リベラルな抑制と均衡の制度としてしか考えることができないのである。しかしそれは未だかつてボリーバル革命の目標であったことがない。Aporrea.org というウェブジンのある評論家が述べたように、「ひとつだけ質問がある、我が友バドゥエルよ。過去８年間に起きてきたことを理解していなかったのか？」</p>
<p>以上のことで、現在の憲法改正案には懸念材料が全くない、あるいは権力の分立を進んで不用にすべきであると述べているのではない。改正案の多数の建設的な要素にもかかわらず、そこにはいくつかの意見の相違がある。とはいえ革命の構成員からのラウル・バドゥエルの退場は、彼の忠誠を尊敬するようになっていた多くの者たちにとっては辛いことなのだが、事実上不可避であったこの瞬間をもたらした、より大きな不一致に端を発している。「社会主義」や軍および憲法に関する彼の見解は、政府と同一のものではなく、またそれらが国民の願いを反映しているか否かを彼は気に掛けていないようである。来る１２月に、情勢からいってそう成りそうな様にベネズエラの人々が改正案を承認したとしても、バドゥエルの見地からすればそれは依然として憲法に対する「クーデター」になるのである。</p>
<p>ジョージ・シカリエッリョ＝メイハーはカリフォルニア大学バークレー校の政治理論博士号候補。 gjcm(at)berkeley.edu から連絡可。</p>
<p><a name="_ftn1" href="#_ftnref1" title="_ftn1">［1］</a> Venezuelanalysis.com 編注：この除名が実際に起きたかどうかは論争中である。自分は除名されたとタスコンが述べる一方で、懲罰委員会はその問題に関して会議を開いてきていないと述べている。</p>
<hr align="left" width="100%" size="1" />
<p>訳注：</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trntref1" name="_trnt1">１．</a>division of poewers：現行憲法下のベネズエラでは三権分立ではなく五権分立（立法、司法、行政、市民及び選挙）。新しい憲法改正案では第六の権力、人民権力（Poder Popular：Popular Power）の樹立が提唱されている。チャベス大統領によればそれが憲法改正案の最も重要な側面であるという。（<a href="http://www.venezuelanalysis.com/news/2521">英文参照元</a>）</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt2" href="#_trntref2" name="_trnt2">２．</a>立憲主義とは「権力の行使を拘束・制限しようとする」立場や実践を指す。「即ち、権力の行使を憲法により、政治権力の構成と限界を定めて、適正化を図る」ものである（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%86%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9">引用元</a>）。<br />
リベラルな立憲主義（liberal constitutionalism）は「異なる世界観をもった人々が平和的に共存するために人の生活領域を公と私の2つの領域に区分し、私的領域では各自の善の構想に基づいた自由な行動を保障する一方で、公的領域ではそれぞれの善の構想から独立した社会全体の利益について議論・決定するプロセスを確保しようとする」ものである（<a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ce%a9%b7%fb%bc%e7%b5%c1?kid=95539">引用元</a>）。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/68885273.html</link>
      <title>南の銀行：IMF・世銀支配に対する代替案</title>
      <pubDate>Sat, 24 Nov 2007 21:00:04 +0900</pubDate>
            <description>ウゴ・チャベスの理想は、融資の常套手段によって無数の人々に貧困を余儀なくさせるＩＭＦ、世銀や米州開発銀行の支配からその地域の諸国を解放することである。棚ぼたの石油収益に助けられ、彼の政権は既にそれを行っている。財政上の援助や市場価格以下の石油をその地域や他の諸国に提供するという前例のない専心と共に。今年これまでのところ、援助はおよそ９０億ドルに上り、そして米国政府に監督された類とは異なり、それは低価格や善意、共同の精神、そしてあったとしても僅かばかりの付帯条件の下行われている。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">南の銀行：IMF・世銀支配に対する代替案</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔The Bank of the South:An Alternative to IMF and World Bank Dominance：<a href="http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=20&amp;ItemID=14164">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>スティーブン・レンドマン<span style="font-size: 12px;">〔Stephen Lendman 〕</span>；２００７年１０月３０日</p>
<p>２００４年７月、ＩＭＦ<span style="font-size: 12px;">〔国際通貨基金〕</span>と世界銀行は創設６０周年を祝った。ドイツと日本の予想されていた敗北後の戦後世界のための金融援助の枠組みを提供するため諸機関は<span style="font-size: 12px;">〔米国〕</span>ニューハンプシャー州のブレトンウッズで創設された。息を呑むような偽善を伴い、２００４年１０月の開発委員会コミュニケはこう言明した。「ブレトンウッズ機関６０周年を迎え……持続可能な成長、安定したマクロ経済政策、債務の持続可能性、自由貿易、雇用の創出、貧困削減及び良い統治に向けた開発途上国による取り組みを支援していくことを改めてここに誓う。 」何ともはや。</p>
<p>実のところ、地獄の様な６３年間に両機関は上記の意見で述べられた全てにおいて正反対の結果を達成した。創設以来、それらの任務は世界的な先進国<span style="font-size: 12px;">〔global North〕</span>が支配する世界経済に開発途上国を統合すること、そして富を貧しい諸国から裕福な諸国の強大な銀行家らに移転させる手段として債務返済を用いるというものであった。</p><a name="more"></a><p>この施策が債務奴隷<span style="font-size: 12px;">〔debt slavery〕</span>と呼ばれる理由は、これまでの債務の利息を支払うためには新しい貸付が必要であり、負債額が増大し、また過酷で一方的な「構造調整」条項を債務条件が要求するからである。それらの条項には以下が含まれる。</p>
<p>――国営事業の民営化</p>
<p>――行政の規制撤廃</p>
<p>――社会的支出の極度の引き下げ</p>
<p>――賃金の凍結、または削減</p>
<p>――外国企業に自由市場を無制限に開放すること</p>
<p>――企業にやさしい減税</p>
<p>――労働組合員の取り締まり</p>
<p>――社会民主主義と相容れない体制下において、従わない者に対する残忍な弾圧</p>
<p>あらゆる場所でこの施策は同一である。つまり、エリートの民間所有への公有財産の大規模な移譲、超金持ちと絶望的な貧乏人との間の拡大し続ける不釣合い、そして攻撃的な監視、大量投獄や社会統制のための拷問といった安全保障に対する莫大な支出を正当化する攻撃的な愛国主義である。</p>
<p>債務奴隷に対する代替案――南の銀行</p>
<p>昨年１２月、ウゴ・チャベスは南の銀行<span style="font-size: 12px;">〔Banco del Sur〕</span>の創設を提唱した。彼が「米国政府の手先」と呼ぶ国際資本家の諸機関に対する撲滅運動の一環としてである。この銀行はその本部が置かれるカラカス<span style="font-size: 12px;">〔ベネズエラ首都〕</span>における１１月３日の首脳会談で正式に発足する<span style="font-size: 12px;">〔それはその後２００７年１２月５日に延期された〕</span>。原加盟国であるベネズエラ、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、そしてエクアドルの７カ国が出席する。</p>
<p>１０月１２日、コロンビアのアルバロ・ウリベ大統領は彼の国が８番目の加盟国になることに合意すると発表した一方、「この決定は世界銀行や米州開発銀行<span style="font-size: 12px;">〔ＩＤＢ〕</span>の拒絶ではなく、南米共同体に向けた連帯と友愛の表れである」と述べた。現時点で南米のわずか４カ国のみが加盟していない――チリ、ペルー、ガイアナ及びスリナムである。とはいえチリはコロンビアの手本にならって加盟しそうであり、その他もまた加盟を決定する可能性がある。</p>
<p>原加盟国の経済相らは銀行の設立文書の仕上げのため、１０月８日にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで会談した。多くの主要な経営上の問題の解決が未だ待たれているとはいえ、非公式の情報では各国が外貨準備の１０％を充てることになり、この新機関に関する同格の監督権を有する、という。締めくくりの記者会見で、ブラジルのギド・マンテガ財務相は次のように明言した。加盟諸国は「南の銀行の成立に関する合意を妨げるあらゆる障害を克服することができた。今、（銀行）の現実化は目前である、と述べることができる」たとえ、ブラジル（中南米最大の経済国家）が未だに参加を正式のものにしていないとはいえ。</p>
<p>ベネズエラのロドリゴ・カベサス財務大臣は、より多くのクレジットを南米人に提供することによって、この銀行がこの地域の開発に手を貸すことになると説明した。それは「銀行の改善された関係を、また加盟国の人々にクレジットを提供するその能力を前提とする新たな構造を構築するために設立」された。さらにそれが目指していることは、加盟国における流動性を拡大させること、社会経済的な発展や経済基盤への投資を復興させること、そして急激に影響力を失っており、その地域から段階的に離れていっているＩＭＦと世界銀行の拘束的な統制から諸国を遠ざけておくことである。</p>
<p>２００５年にＩＭＦの８１０億ドルの貸付残高の内８０％が中南米に貸し付けられていた。現在それは１％になっており、１７０億ドルの未決済の貸付ほぼ全てがトルコとパキスタンで占められている。世界銀行もまた拒絶されている。ベネズエラは既に前倒しでＩＭＦと世界銀行に債務を完済し終わっている。その時、４月３０日にウゴ・チャベスは象徴的にこう宣言した。「私達はもはや米国政府にも、ＩＭＦにも、世界銀行にも、あるいは誰にも出向く必要はない。」エクアドルのラファエル・コレアはその後に続いている。彼はＩＭＦに対する彼の国の負債を清算し、世界銀行の貸付を保留し、２００５年に彼が経済財務大臣であった時に彼から金を奪い取ろうとしたことで世銀を非難し、そして今年４月にエクアドル駐在世銀代表を望ましからぬ人物であると宣言し<span style="font-size: 12px;">〔国外追放することで〕</span>、驚くべき外交上の平手打ちをくらわせた。</p>
<p>２００８年に運営開始する時、７０億ドルの当初資本金を伴い南の銀行は上記の抑圧的な機関に取って代わる。それは地域投資のための「新たな金融構造」になる。現在の状況では、運営に関する同等の権限を持って、各加盟国の財務大臣が銀行の経営協議会に就くようである。ベネズエラのロドリゴ・カベサス総務大臣は次のように述べて銀行の中南米起源を強調した。「この構想は、私達が率いる私達のための開発機関に頼るというものである。」公共及び民間の発展や地域統合の事業に出資するために。彼はこう付け加えた。「経済政策に縛られたクレジットは行われない。私達の民族に惨事をもたらすクレジットは成されない、そしてその結果それは支配の手段にはならない。」数々の国際金融機関の様には。</p>
<p>ウゴ・チャベスの理想は、融資の常套手段によって無数の人々に貧困を余儀なくさせるＩＭＦ、世界銀行や米州開発銀行（ＩＢＤ）の支配からその地域の諸国を解放することである。棚ぼたの石油収益に助けられ、彼の政権は既にそれを行っている。財政上の援助や市場価格以下の石油をその地域や他の諸国に提供するという前例のない専心と共に。今年これまでのところ、それ<span style="font-size: 12px;">〔援助〕</span>はおよそ９０億ドルに上り、そして米国政府に監督された類とは異なり、それは低価格や善意、共同の精神、そしてあったとしても僅かばかりの付帯条件の下行われている。</p>
<p>１０月１０日にカラカスを訪れた時、ノーベル賞を受賞した経済学者のジョセフ・スティグリッツはチャベスの尽力を是認し、南の銀行への支持を表明した。彼は「南の銀行を持つ利点の一つは、それが南半球の発展途上諸国の視点を反映するということであり、（その一方でそれとは対照的にＩＭＦや世界銀行の諸条件）は（地域的）発展の有効性を妨げる」と述べた。</p>
<p>この訪問時にスティグリッツはウゴ・チャベスと面会し、彼の再分配の社会政策を賞賛した。彼は更にその地域の人々を搾取するワシントン・コンセンサスの新自由主義的政策を非難した。それは「アンデスの協調を弱めるのであり、それは分割して統治する米国の戦略の一環である。米国企業のために出来うる限りの利益を獲得することを試みる戦略の。」それはその地域とその人々を犠牲にして行われる。</p>
<p>国連代表部臨時大使のアウラ・マウアンピ・ロドリゲス・デ・オルティスは、１０月のマクロ経済政策に関する一般討論参加時に、中南米の債務に関してその世界的機関に告知した。彼女はこう強調した。「発展途上諸国の対外債務の永続性は、その発展の過程に悪影響を及ぼす。貧しい諸国の発展のために資源を向けることには価値がない。」国内的な経済発展に用いられる代わりに、「もしその資源が結局は対外債務返済に注がれるのだとしたら。」さらに彼女は新しい南の銀行についても語り、如何にしてそれが地域統合を強めるのか、また貧困や社会的排除を低減するべく投資や融資計画を公正に割り当てるのかを語った。</p>
<p>それよりも宣伝されていないＡＬＢＡ（米州ボリバル代替統合構想）銀行もまた、その四カ国同盟――ベネズエラ、キューバ、ボリビア及びニカラグア――に「財政上の資源を注ぐ新しい形態をもたらす行動指針に基づいた、新しい地域的金融構造」の下、年末までに操業を開始する。</p>
<p>チャベスは２００１年にＡＬＢＡを米州自由貿易地域（ＦＴＡＡ）に対する代替案として初めて提唱し、２００４年１２月にベネズエラ、キューバ及びボリビアが原加盟国となった。その後２００７年１月に、ニカラグアが同盟に加わった。当選したばかりのダニエル・オルテガ大統領が公職に就いて始めての仕事として調印した。ＡＬＢＡの目標は意欲的である。それは地域の包括的な統合であり、また加盟国の人々全てのための「社会国家」の発展である。それが明確に基礎を置いている事柄は、競争ではなく、加盟国の相補性であり、支配ではなく連帯であり、搾取ではなく協調であり、そして他国や巨大企業の掌握に囚われない各加盟国の主権的権利の尊重である。</p>
<p>同盟を強固なものにする方策を検討するべく、４月に第５回ＡＬＢＡサミットがカラカスで開催された。重要企画に含まれたものは、ＡＬＢＡ加盟国によって共同経営される１２の公共企業創立の計画や、常設（調整）事務局である。その目標はエネルギー、農業、電気通信、基幹施設、産業供給やセメント生産などの分野における主要経済部門の強化である。その後、ＡＬＢＡ加盟国外相らは、安価なクレジットでそれらの事業に出資するべく、ＡＬＢＡ開発銀行を６月に創設することに合意した。それは南の銀行を補完し、同様にカラカスに本部を置くことになる。</p>
<p>不確かな将来の展望</p>
<p>上記で論じられたような社会的に責任のある地域銀行は、それが約束を果たした場合、支配的な金融資本機関に挑戦することになるであろう。とはいえ、そこに問題がある。これらの新しい機関はあらゆる問題の解決策ではなく、資本大企業が彼ら自身の利益のためにそれらを食い物にすることを結局は許すことも有り得る。さらに、より大規模な変化なくして、財政上の自律のみでは米国政府の支配からその地域を開放することはない。求められていることは、数々の基本産業の全面的な国営化、一方的なＷＴＯ<span style="font-size: 12px;">〔世界貿易機関〕</span>式の貿易協定の終結、国資の社会的再分配、地方経済の開発、そして２５年に亘る新自由主義の悪夢を終わらせる決意である。１９６０年から１９８０年にその地域の一人当たりの収入の伸びは８２％であった。その反面１９８０年から２０００年にそれは９％であり、２０００年から２００５年にはわずか４％であった。その地域にとって、それは圧倒的な貧困、不平等、そして超金持ちと貧しい者の間の、世界で最も極端な格差という結果をもたらした。</p>
<p>変革が望まれており、ウゴ・チャベス政権下のベネズエラがその地域で最も多くを達成してきた。ロドリゴ・カベサス財務大臣は２００８年の政府予算を国民議会に提出したばかりである。その４６％が社会支出に計上された。それは医療と教育に特別注意を払っているのだが、国民の需要に取り組むべくチャベスが国の資源を用い続けているように、助成・無料の食糧、土地改革、住宅供給、マイクロ・クレジット、職業訓練、協同組合やその他にも専念している。彼が公職に就いて以来、一人当たり社会支出は３倍以上増加し、２００６年にはＧＤＰ<span style="font-size: 12px;">〔国内総生産〕</span>の２０．９％であった。</p>
<p>いまやチャベスはエクアドルに同盟者がいる。初期の尽力が有望なラファエル・コレアである。事がうまく運べば、次の６ヶ月で草案され、来年国民投票に掛けられる新しい憲法の下彼らは<span style="font-size: 12px;">〔改革を〕</span>継続していくであろう。しかしながら、ブラジル、アルゼンチンやボリビアといった南の銀行創設国は、中道左派であると主張するのだが、実際には１９９０年代の新自由主義を受け入れており、財政上の自律がそれを変えることはない。南の銀行は、企業のそれではなく地方の需要や発展を優先する為政権を成就して初めて機能する。それはとても困難な仕事であり、最有力な加盟国であるルラ政権下のブラジルが米国政府と緊密であり、その統制下にある状況でそれを達成することは容易ではない。</p>
<p>それにもかかわらず、変化の微細な徴候が現れている。南の銀行がそのひとつであるということは有り得る。そして新しい世代の左派の指導者らが最終的にはその地域に対する米国政府の減退する（とはいえ未だ強靭な）支配を終わらせることも有り得る。それが望みであり、あらゆる前進は民衆への更なる力を、そしてもうひとつの可能な世界を意味する。</p>
<br />
<p>スティーブン・レンドマンはシカゴに在住しており、lendmanstephen@sbcglobal.netから連絡可。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>中南米全般</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/68890632.html</link>
      <title>投票と弾丸の狭間で</title>
      <pubDate>Sat, 17 Nov 2007 21:25:09 +0900</pubDate>
            <description>ベネズエラ：投票と弾丸の狭間で〔Venezuela: Between ballots and bullets：Original Article in English/Venezuelanalysis原文〕ジェームズ・ペトラス〔James Petras〕；AxisofLogic；２００７年１１月１５日序文ベネズエラの民主的に選挙で選ばれたチャベス大統領は、２００２年４月１１日のクーデター以来最も深刻な脅威に直面している。特権階級に属する中流・上流階級の大学生らによる暴力的な街頭...</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">ベネズエラ：投票と弾丸の狭間で</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Venezuela: Between ballots and bullets：Original Article in English/<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2839">Venezuelanalysis原文</a>〕</span></p>
<p>ジェームズ・ペトラス<span style="font-size: 12px;">〔James Petras〕</span>；<a href="http://axisoflogic.com/artman/publish/article_25494.shtml">AxisofLogic</a>；２００７年１１月１５日</p>
<p><strong>序文</strong></p>
<p>ベネズエラの民主的に選挙で選ばれたチャベス大統領は、２００２年４月１１日のクーデター以来最も深刻な脅威に直面している。</p>
<p>特権階級に属する中流・上流階級の大学生らによる暴力的な街頭デモは、カラカスの中心及びその周辺で、複数の通りにおける重大な交戦にまで至っている。更に深刻なことに、７月に退任した元国防相のラウル・イサイアス・バドゥエル将軍は、１１月５日の記者会見で軍事クーデターをあからさまに呼びかけた。彼は右派及び極右のマスメディア及び政治政党のみのために会見を開いた一方で、「一個人としての」反体者の態度を取った。</p>
<p>全ての国際・国内民間マスメディアは、バドゥエルの演説と記者会見を宣伝した。それと共に、反体制派学生を、２００７年１２月２日に予定されている政府の国民投票に反対し、民主的な権利を望む平和的な抗議者として描くことで、彼らの荒れ狂った行動を捏造して報道した。</p>
<p>ニューヨーク・タイムズ紙、ウォールストリート・ジャーナル紙、ＢＢＣニュースやワシントン・ポスト紙は全て数年間、チャベス大統領の「権威主義」という情報を読者に与えてきた。広範囲に及ぶ政治・社会的民主化への展望を強固にする憲法改正を前に、米国、欧州や中南米のメディアはクーデターを支持する元軍人らを「民主的な反体制派」として描き出した。憲法改正国民投票が行われる２００７年１２月２日投票日の前段階とその後における「独裁的」権力に訴える彼の手段に幻滅した元チャベス支持者らとして。主要な新聞紙のどれひとつとして、改正案の民主的な核心に言及してきていない――地元住民や地域住民委員会<span style="font-size: 12px;">〔consejos comunales〕</span>への公共支出と意思決定権の移譲である。再び、１９７３年のチリと同様に、米国マスメディアは中南米の民主主義を破壊する企てにおいて共謀している。</p>
<p>中南米における中道左派の報道機関や政党でさえも右派のプロパガンダをそのまま報道している。１１月に自称「左翼」のメキシコ日刊紙ラ・ホルナダの見出しは「<em>ベネズエラ中央大学（ＵＣＶ）経営陣や学生ら、暴力を助長したとしてチャベスを非難</em>」であった。続けてその記事は、右派が偽造した選挙に関する世論調査を繰り返した。それは憲法改正が頓挫することを示しているとされるものである。</p>
<p>共和党のホワイトハウスと民主党が過半数を占める議会の両方としての米国政府は、大衆主義・国粋主義のチャベス大統領を排除し、高度に進歩的な憲法改正案を駄目にする新たな企てを再び公然と後援している。</p><a name="more"></a><p><strong>国民投票：社会変革の明確化及び深化</strong></p>
<p>対立の核心は、チャベス大統領によって提案され、過去６ヶ月の間ベネズエラ議会によって討議され、修正され、民主的に決議された憲法改正に関する来るべき国民投票である。特定の憲法改正案に関する広範囲に及ぶ議論や批判がなされた。圧倒的に心底から反チャベスで親ホワイトハウスの民間マスメディアは、如何なるそして全ての憲法改正案を満場一致で非難した。親チャベス連合の一端を担うある政党の指導者ら（ＰＤＥＭＯＳ<span style="font-size: 12px;">〔社会民主主義党〕</span>）の一部は、カトリック教会の上層部、指導的な実業家や大牧場主の団体、銀行家らや大学の諸部門、そしてエリート学生らに合流し、憲法改正案の非難に回った。ベネズエラの民主的な自由の全て（言論、集会及び報道）を徹底的に利用し、反政府派は国民投票を「権威主義」としてけなし、それと同時に反体制派連合の大部分は軍の介入の誘発を試みた。</p>
<p>富裕層と特権階級で構成された反体制派連合が憲法改正を恐れている理由は、彼らが彼らの利益の取り分の大半を労働者階級に譲渡することや、市場取り引きに対する彼らの独占を公共所有の企業に奪われること、そして政治権力が地域住民委員会や行政府に進展するのを目の当たりにすることを余儀なくされるからである。ベネズエラ、欧州や米国の右派及びリベラルなメディアが「権威主義的」改正というどぎつい非難をでっち上げたのに反して、実際にはこれらの憲法修正案は社会民主主義を深め拡張させることを計画している。</p>
<p>主要な憲法改正案が公に討議され、自由選挙で選ばれたベネズエラ議員らの大多数によって承認されたことを手短に検討するだけで、それを批判する者たちによる「権威主義」という非難が偽りであることを証明する。改正案は政治的、経済的及び社会的な変化に分類することができる。</p>
<p>最も重要な政治的変化は、地方を土台にした新しい民主的な政治的代表制の創設である。この制度において国家歳入は、腐敗し利権政治が蔓延った地方自治体や州政府ではなく、選挙で選ばれた地域共同体と共同社会の機関に割り当てられることになる。この分権化へ向けた変化は、現行の中央集権化された代議制に埋め込まれた少数寡頭政治の体質とは対照的に、直接民主制<span style="font-size: 12px;">〔direct democracy〕</span>へのより拡大された実践を助長するであろう。</p>
<p>次に、バドゥエル元将軍の作り事に反して、改正案は憲法条文の２０％（３５０条のうち６９条）のみを大なり小なり修正するゆえに、改正案は「現行憲法を破壊する」ことはない。</p>
<p><span style="font-size: 12px;">〔大統領の〕</span>任期制限撤廃を既定する改正案は多くの議会制の慣例に一致している。それはオーストラリアのハワード首相の<span style="font-size: 12px;">〔２００７年選挙で当選した場合の〕</span>公職５期目、日本の自由民主党の半世紀にわたる支配、フランクリン・ルーズベルト米国大統領の４期、英国のマーガレット・サッチャーやトニー・ブレアの複数当選やその他によって証明される。複数任期公職に就いていることで彼らの民主的適性を問題にするものは誰一人としておらず、同一のことをしたことでチャベスを「権威主義的」であると彼だけを狙ってレッテルを張っている現在の批評家もそうするべきではない。</p>
<p>大統領任期を６年から７年に延長する政治的変化は、反体制派が主張するようには大統領権限を拡大させることもなければ減少させることもない。それは立法、司法及び行政の<span style="font-size: 12px;">〔三権〕</span>分立が存続し、自由選挙が大統領を周期的な国民による再考の対象にするからである。</p>
<p>無期限再選に関する重要な点はそれらが<em>自由な選挙</em>であり、有権者の選好<span style="font-size: 12px;">〔voter preference〕</span>の対象になっていることである。ベネズエラの事例では、大多数のマスメディア、カトリック上層部、米国から資金を受けるＮＧＯ<span style="font-size: 12px;">〔非政府組織〕</span>、巨大企業団体などがこれから先もなお莫大な財政上の資力を振るって反体制派活動に出資する状況にある――「権威主義的」状況からは程遠い。</p>
<p>行政部が非常事態を宣言することや、憲法を覆そうと試みる暴力的な活動を前にメディアに介入することを許す改正案は、民主的機関を保護するためには必須事項である。権力掌握を目指す現在の反体制派による最近の権威主義的で暴力的な試みの数々を考慮すると、この改正案は反対意見を認める一方で、民主主義が自由の敵から自らを守ることも許す。米国が後援した２００２年４月１１日の軍事クーデターや、経済を荒廃させた重役らによる石油産業閉鎖（２００２／２００３年のＧＮＰ<span style="font-size: 12px;">〔国民総生産〕</span>の３０％の下落）に至る期間に、もし政府が非常事態権限を有しており利用していたならば、議会や司法部、ベネズエラ民衆の選挙過程や生活水準はよりいっそう保護されたであろう。最も顕著なことに、民主的な過程の暴力的な転覆に手を貸し扇動したマスメディアに、他の民主的政府と同様に、政府は介入することができたであろう。「非常事態権限」を認めるこの改正案には特定の前後関係があり、具体的な経験を反映していることは明らかなはずである。つまり、現在の野党諸政党、企業連合体や教会上層部には暴力的で反民主的な経歴があるのである。現時の国民投票に対する不安定化の動きや、バドゥエル退役将軍によって最も顕著に又あからさまに明言された軍事介入の呼びかけ（彼の悪名高い顧問兼弁明者で、学問上の野心家ハインツ・ディートリッヒ<span style="font-size: 12px;">〔Heinz Dietrich〕</span>によって擁護された）は、非常事態権限が絶対必要であることを明らかに示している。反動的な暴力には法の完全なる力によって出迎えられるという明確なメッセージを送るために。</p>
<p>投票年齢を１８歳から１６歳へと引き下げることは有権者層を広げ、選挙過程への参加者数を拡大させ、国政における制度上の手段を通した更なる発言権を若者達に与えることになる。労働者の多くが労働市場に若くして加わり、時にそれよりも早く家族を持つ故に、この改正案は若い労働者らが職やそれに付随する労働契約に関する彼らに特有の要求を懇願することを認めることになる。</p>
<p>労働時間を１日６時間に短縮する改正案は、商工会議所連合会FEDECAMARASによって先導され反対運動によって猛反対されている一方で、全部門の労働組合や労働者らの圧倒的な支持を得ている。それは、より多くの家族と過ごす時間、スポーツ、教育、技術訓練、政治教育や社会参加、そして又新たに創設された地域住民委員会への参加を許すことになる。関連した労働法制や、財産権における変更（共同所有の拡大された役割が含まれる）は、資本との労働者の交渉力を強化させ、職場に民主主義を拡張させることになる。</p>
<p>最後に、いわゆる「中央銀行の独立性」を廃止する改正案がもたらす結果は、有権者に応える選挙で選ばれた役人らが（民間銀行家や外国投資家や国際金融関係者にひんぱんに応じる）中央銀行家らに取って代わり、公共支出や財政上の方針を決定するようになる。ひとつの重要な帰結は、下落するドル建ての国債での超過準備金の減少や、社会・生産的な活動への出資の拡大、外貨保有高の多様化、そして理性を失った対外借入や負債の減少である。実際のところは、中央銀行は「独立」していなかったのであり、金融市場が要求する事柄に依存しており、国民の要求に応じる選挙で選ばれた役人らの優先事項から独立していたのである。</p>
<p><strong>チャベス政権が民主社会主義に進路を変える中：中道派は寝返り、軍事的解決策を求める</strong></p>
<p>ベネズエラが政治的なものから社会的な変革に向かい、資本主義の福祉国家から民主社会主義<span style="font-size: 12px;">〔Democratic Socialism〕</span>へと向かうのと同時に、予測のつく離反や参加が起きている。ほぼ全ての社会変革の歴史的経験と同様に、政治過程がより幅広い平等主義や、民衆への資産及び権力の移譲へと向かう時、制度上の政治的変化に専念していた当初の政権連合の一部は離脱する。「中道」主義者らは、寡頭勢力と国民との間の現状の「総意」の終わりを悔やみ（新しい社会的な連合を「権威主義的」であるとレッテルを貼り）、それと同時に「中道派」は大いに反民主的な右派を受け入れ、軍事介入を呼びかけさえする。</p>
<p>明確な階級的な選択が伴う国民投票が表面化する中、これに類似したエリートの離脱と高まる大衆の支持の進展がベネズエラで起きている。投票を通して憲法改正案を阻止する彼らの手腕に対する自信を欠き、民主的な大多数に恐れをなし、民主的に選ばれたチャベス大統領が持つ計り知れない大衆への魅力を忌み嫌い、「中道派」は有権者の意思を打倒するべく、議会の枠を越えた勢力を統合させる土壇場の努力として右派に合流した。</p>
<p>新右翼と「中道派」の離反を象徴するのは、ラウル・バドゥエル元防衛大臣である。大統領、議会、選挙手続きや国民投票に向けられた彼の敵意に満ちた攻撃は、米国に支援された右翼の権力掌握を率いる志望者の特徴を示している。</p>
<p>リベラル及び右翼のマスメディアや無節操な「中道」の宣伝工作員らは、ラウル・バドゥエルを、２００２年４月の軍事クーデター勃発後のチャベスの「救済者」として偽って描写してきた。実際には、数十万人の貧しいベネズエラ人が「集落」から殺到し、大統領宮殿を取り囲み、それが国軍内の分裂に至って初めてバドゥエルは介入したのである。バドゥエルは大虐殺に賛成する右派の陸軍将校らで構成された少数派を退け、国民に対する強硬措置や確立した秩序の破壊に反対した他の陸軍将校らに同調した。後者のグループには、チャベスの国粋主義・大衆主義政策を支持した将校ら、及びバドゥエルのように、社会を急進化・分極化させる――そして結末が不確かな階級を基にした内戦へと至る――という理由からクーデター派に反対した者たちが含まれていた。現存する社会・経済的な現状を維持することとなる「懲らしめられた」チャベスの復帰にバドゥエルは賛成したのである。</p>
<p>チャベス政権内でバドゥエルが代表していたのは、反共産主義傾向であり、それが大統領に「穏健な民主的」右派や巨大企業と「和解」するよう迫った。国内的には、バドゥエルは公共所有の拡大に反対し、国際関係上には極右のコロンビア国防省との密接な協力を支持していた。</p>
<p>国防大臣としてのバドゥエルの任期は、彼の保守的な傾向や、安全保障事項、特に国内保安に関する彼の力量の欠如を反映した。彼はコロンビア国軍による軍事侵入からベネズエラ国境を防護しそこなった。より悪いことに彼は、政治亡命者に関するコロンビアの悪名高い国際規範の侵害を問題にしそこなった。バドゥエルが国防大臣であった期間に、ベネズエラの土地所有者らの武装した準軍組織の諸集団は、土地改革に関わっていた１５０人以上の農民を、国家警備軍が黙認する中、暗殺した。バドゥエルの監視下で１２０人以上のコロンビア準軍組織の部隊が国内に潜入した。コロンビア軍はコロンビア難民を攻撃するべく、度々ベネズエラ国境を越えた。バドゥエルの下、ベネズエラ軍高官らは白昼堂々カラカスの中心部でロドリゴ・グランダ（ＦＡＲＣ<span style="font-size: 12px;">〔コロンビア革命軍〕</span>の外務相）の誘拐に協力した。チャベス大統領が報告を受けて介入するまで、バドゥエルはこのベネズエラの主権の著しい侵害を調査、あるいは抗議する努力すらしなかった。バドゥエルの国防大臣任期を通して、彼は（米国防情報局<span style="font-size: 12px;">〔ＤＩＡ〕</span>やＣＩＡ<span style="font-size: 12px;">〔中央情報局〕</span>によって綿密に監視された）コロンビアの軍事諜報部との強固な関係を発展させ、またＥＬＮ<span style="font-size: 12px;">〔民族解放軍〕</span>及びＦＡＲＣの両方から複数のゲリラをコロンビアの拷問者らの手に引渡した。<a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trnt1" name="_trntref1">*</a></p>
<p>２００７年７月国防大臣を退任した時、バドゥエルは演説を行い、その中で彼は労働組合（ＵＮＴ<span style="font-size: 12px;">〔全国労働者組合連合〕</span>）における左翼及びマルクス主義者の潮流、そしてチャベスの新たに公表されたＰＳＵＶ（ベネズエラ統一社会主義党）を明らかに標的にした。「キリスト教の社会主義」の名の下に成された彼の演説は実際には、毒舌を振るい、短気で反共産主義の酷評であったのであり、それは教皇ベネディクト<span style="font-size: 12px;">〔１６世〕</span>（ラッツィンガー）を喜ばせた。</p>
<p>他方においてバドゥエルの１１月５日の演説は、強硬な反体制派、そのレトリック、そして民主社会主義に向けたチャベスの事業が権威主義に反転したという捏造と空想に対する公然の支持を明らかにした。何よりもまず、米国政府とベネズエラの「極右」の手本に倣い、バドゥエルは憲法改正案に関する議会論議の全工程を公然と非難し、国民投票へと至る開かれた選挙運動を「事実上のクーデター」であると非難した。あらゆる専門家や傍観者の意見は同じではない――国民投票に反対する者たちですらも。しかしながらバドゥエルの意図は、彼の軍事介入の要請を正当化するために政治過程全体の正当性を問題視することにあった。議会の議論や決議を「詐欺」や「不正な手続き」とみなす彼のレトリックが示していることは、軍事クーデターを正当化するために現行の代議制を傷つけるバドゥエルの試みである。そのクーデターはその制度を解体することになる。</p>
<p>バドゥエルによる政治的意図の否認はお笑いである――なぜなら彼はその「記者会見」に反体制派メディアや政治家らのみを招待したのであり、また複数の軍人が同席していたのだから。まさに彼が犯そうとしている犯罪の犠牲者を非難する独裁者にバドゥエルは似ている。憲法改正案に関する国民投票を「クーデター」と呼ぶことで、彼はクーデターに打って出るよう軍を刺激している。軍事行動の公然の呼びかけで彼は軍に「憲法改正の前後関係を熟考するよう」指導した。彼は選出された政権が「性急な仕方で、また不正な手続きを通して」提案した変化を「慎重に評価する」よう軍高官らに繰り返し呼びかけた。民主的に選ばれた機構を中傷する一方で、バドゥエルは軍が謀反を起こすよう、粗野な甘言やごまかしの謙遜さを用いた。国軍の代弁者を彼が務めることはできない、と厚かましく否定する一方、彼は出席していた右派の記者らや潜在的な共犯者らに「軍の分析と推論の能力を過小評価することはできない」と忠告した。</p>
<p>うわべだけの言葉、偽善や冷淡な態度がバドゥエルの記者会見には満ちていた。自らが「特定の政党に結び付いていない」批評家であるという彼の主張が偽りであることを示すのは、右翼反体制派によって準備された集会で憲法改正を攻撃する全国的な講演旅行を行うという彼の意図である。完全に疑いがないことは、彼が民間人の観衆に演説することのみならず、現役軍高官らと落ち合う如何なる努力もするということである。彼らに「熟考し」……政府転覆を企て国民投票の結果を覆すよう彼が説得に成功することも有り得る。チャベス大統領がバドゥエルを反逆者であると非難するのは当然なのだが、平等主義の社会改革に対する彼の長期の敵意を考慮すると、バドゥエルがいまになって彼の本当の姿を現している、と述べるほうが的確なのかもしれない。</p>
<p>ベネズエラの民主主義にとっての脅威は一個人としてのバドゥエルにあるのではない――彼は政府から外れており、現行の軍令から退いている。真の脅威は軍隊の指揮権を有した現役軍高官らを喚起させる彼の試みにある。彼の行動の呼びかけに応える、あるいは彼が巧みに述べたように「軍が憲法改正の前後関係を熟考する」ことにある。バドゥエルの分析と活動計画は軍を<em>政治の中核事項</em>に置いている。１千６百万人の有権者に優先して最高位である、と。</p>
<p>軍事行動の呼びかけと共に、彼が「私有財産」を熱心に擁護することは、残忍なチリの暴君、アウグスト・ピノチェトの悪名高い前例に従い、将軍ら、銀行家らや中流階級を結び付ける巧みな戦法である。</p>
<p>国民投票の前段階における階級分化は、最も深刻な発現にまで至った。つまり、少数派の中産階級と大多数の労働者階級を含む多階級の連合が崩壊しているのである。以前は無関心、あるいは政治嫌いであった多数の若い労働者ら、失業した貧しい者たちや低所得層の女性たち（家事労働者、洗濯女、片親など）が、大通りや広場を満たす憲法改正賛成の大規模大衆デモに加わっている。それと同時に、チャベス連合内の中道リベラルの少数派の間の政治的離反が増加している。国民議会<span style="font-size: 12px;">〔ＮＡ：１６５議席〕</span>の１０％以下に当たる、主に PODEMOS <span style="font-size: 12px;">〔社会民主主義党〕</span>所属の１４人の代議士が反体制派に合流した。ベネズエラの確かな情報源（Axis of Logic/Les Blough２００７年１１月１１日）は、とりわけ無能な犯罪の対抗者のイサイアス・ロドリゲス<span style="font-size: 12px;">〔Isa&#237;as Rodr&#237;guez〕</span>司法長官、そしてクロドスバルド・ルシアン<span style="font-size: 12px;">〔Clodosbaldo Russian〕</span>会計検査官が、噂では辞任し反体制派に加わると報道した。更に深刻なことに、これらの同一の報道は、<span style="font-size: 12px;">〔アラグア州〕</span>マラカイの第四機甲師団が「クーデター首謀者」のラウル・バドゥエルに忠実であると主張していることである。いくつかの報告では、バドゥエルがグスタボ・ランヘル・ブリセーニョ<span style="font-size: 12px;">〔Gustavo Rangel Brice&#241;o〕</span>現国防大臣との長期の個人的関係を利用して、彼に離反しクーデター前段階の準備に加わるよう説得している、という主張が成されている。州・地方の高官らを現金で買収し、チャベスが排除された時の石油戦利品の取り分を約束するために、莫大な額の米国の資金が流れ込んでいる。最新の米国による政治的買収にはカラボボ州のルイス・フェリペ・アコスタ・カルレス<span style="font-size: 12px;">〔Luis Felipe Acosta Carlez〕</span>知事が含まれる。マスメディアは毎時の「ニュース報道」で、これらの新しい離反者らを再三再四大々的に取り上げ、チャベスの「クーデター」からの彼らの断絶を強調している。</p>
<p>国民投票はいつになく憎悪に満ちた「階級対階級」の闘争という事態になってきており、そこには中南米左翼の前途全てが懸かっており、米国政府の最大の石油供給国に対するその支配も又然りである。</p>
<p><strong>結論</strong></p>
<p>ベネズエラ民主主義、ウゴ・チャベスの大統領職、そして数々の大衆階級の大多数は運命を決する脅威に直面している。米国は度重なる選挙敗北に直面しており、また中東における国家軍隊の過剰拡張ゆえに大規模な対外介入をする能力がない。よって、それはチャベスの暴力を伴う打倒にまた再び専心している。憲法改正を通してベネズエラは、社会・経済政策に対する大衆の民主的統制を拡大させ深めることになる。新しい経済部門の数々が国営化される。より大規模な公共投資や社会計画が開始される。ベネズエラは自国の石油市場、外貨準備、政治的同盟国を多角化させる方向へと断固として向かっている。ホワイトハウスには一刻の猶予もないのであり、米国政府の政治的な影響力の手段は弱まっている。バドゥエルは軍の掌握を焚き付けて、寡頭勢力を権力に復帰させ、大規模大衆運動の数々を葬り去る唯一最善の望みであると見なされている。</p>
<p>チャベス大統領は正しくも「最高司令部を評価」しており、また彼が「ベネズエラ国軍及びその諸部門に完全な信頼を置いている」と述べる。それにもかかわらず、最善の保証は、精密にバドゥエルの追随者と共犯者に対して激しく迅速に一撃を加えることである。数十あるいは百人ほどの軍陰謀者らを検挙することは、如何なる形での残虐な権力の掌握においても虐殺されるであろう何千という労働者や活動家らの命を救うためには安い代償である。</p>
<p>チャベスが行ったように、社会民主主義、平等主義や大衆権力を政治政策の最優先事項にする時、そしてまた民衆の大多数が熱狂的にそれに応じる時、右翼、反動的な軍、「中道」の政治離反者らや理想家、ホワイトハウス、ヒステリックな中流階級や教会の枢機卿らは、彼らの資産や特権、権力を護るために、如何なる手段をも用い、必要な如何なる犠牲をも払い、如何なるそして全ての民主的自由を犠牲にする、と歴史は度々教えてきた。寡頭勢力及び軍内の敵とベネズエラ大衆階級の間の現在の全方面に行き渡った衝突において、唯一道徳的に、政治的に、そして組織的に民衆を武装することのみが、社会変革の民主的過程の継続を保証することができるのである。</p>
<p>変化は訪れる。問題はそれが投票を通してなのか、あるいは弾丸を通してなのかである。</p>
<p></p>
<p><strong>&#169; Copyright 2007 by AxisofLogic.com</strong></p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trntref1" name="_trnt1">*</a><u>Venezuelanalysis.com編集者注</u>：バドゥエルは２００６年６月から２００７年７月まで国防大臣を務めた。著者が言及する多くの出来事はバドゥエルが国防大臣ではなく、ベネズエラ陸軍を指導していた時に起きた。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/65730526.html</link>
      <title>キューバに対するベネズエラの債務</title>
      <pubDate>Sat, 10 Nov 2007 20:15:06 +0900</pubDate>
            <description>キューバ政府に燃料援助を提供していることに対して、ベネズエラの寡頭勢力はチャベス大統領を激しく非難する。キューバが日量９万８千バレルの石油を特恵価格で受け取っていることは事実である。それにもかかわらず、このカリブ海の国家は好意的な協定から利益を得ている唯一の国家ではない。ハイチ、ジャマイカやニカラグアを含むその地域の大多数の諸国も又、この政治的連帯を享受している。ロンドンや複数の米国の都市もまた、その様な論争を巻き起こすことなくベネズエラの寛大さの受領者になっている。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">キューバに対するベネズエラの債務</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Venezuela’s debt to Cuba：<a href="http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=45&amp;ItemID=14150">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>サリム・ラムラニ<span style="font-size: 12px;">〔Salim Lamrani〕</span>；２００７年１０月２７日</p>
<p>ハバナ<span style="font-size: 12px;">〔のキューバ〕</span>政府に燃料援助を提供していることに対して、ベネズエラの寡頭勢力はチャベス大統領を激しく非難する。キューバが日量９万８千バレルの石油を特恵価格で受け取っていることは事実である。それにもかかわらず、このカリブ海の国家は好意的な協定から利益を得ている唯一の国家ではない。ハイチ、ジャマイカやニカラグアを含むその地域の大多数の諸国も又、この政治的連帯を享受している。ロンドンや複数の米国の都市もまた、その様な論争を巻き起こすことなくベネズエラの寛大さの受領者になっている。（1）</p>
<p>２００７年９月３０日、彼のテレビ番組「こんにちわ、大統領」放送中に、チャベスはこれらの非難に個人的に返答した。彼によれば、ベネズエラがキューバに負っている債務は、その島国に提供された燃料援助よりも遥かに大きい。「私が捨て値で燃料をキューバに与えていると非難する［……］者たち［は］愚かである。もし帳簿を１ボリーバル<span style="font-size: 12px;">〔ベネズエラ通貨〕</span>１ボリーバル、１セント１セント計算すれば……」と<span style="font-size: 12px;">〔述べ〕</span>大統領は３万人のキューバ人医師らが５年以上の間、基本的に無料で自発的に国内で働いてきていることを思い起こさせた。彼はキューバの専門家たちがその５年間に、ベネズエラの医療の全歴史を通してベネズエラ人医師らが救ってきたよりも多くの生命を救ってきたことを確証した。「それには値段は付けられない」と彼は強調した。「事実に基づく価値においてどちらがより値打ちがあるか、私達がキューバに売却する石油か、これか？」と彼は訊ねた（2）。</p><a name="more"></a><p>現在約９００万人の人々がキューバ人医師らによって提供される治療によって利益を得てきた。<span style="font-size: 12px;">〔医師ら〕</span>は国全域で６千万件以上の診察を行ってきた。医療計画の「バリオ・アデントロ」（地域の中へ ）は、全てのベネズエラ人が無料の国民皆医療を受けることを確実にした。予防医療の確立は、ベネズエラ保健省によれば、２００７年に１，１５３人の子供を救った。（3）</p>
<p>キューバ人医師らの存在とチャベスの政治的意思のおかげで、バリナス州、メリダ州、グアリコ州、ミランダ州、アプレ州、及び首都に６施設の新しい病院が建設されている。バリオ・アデントロは第四段階に入った。政府は公共医療制度に総計８億ユーロ（２５億ボリーバル<span style="font-size: 12px;">〔約１３００億円〕</span>）を出資する計画を立てている。（4）</p>
<p>チャベスは更に公共のために働くベネズエラ人医師らの給料を２００７年１１月１日から６０％増大させると公表した。「医師の給料が遅れを取っていることを私は承知している。［……］これはベネズエラ人の保健のために働く者たちのための正義である」と彼は明言した。（5）彼はまたこの経済的努力は高騰する石油価格によって可能になったことを強調した。（6）当然ながら、Colegio de M&#233;dicos de Venezuela （ベネズエラ医科大学）は満足の意を表明した。（7）公共制度で活動開始する新任の医師の最低賃金は今、月８２２ユーロ<span style="font-size: 12px;">〔約１３万円〕</span>になる。それは第三世界の国にとって非常に高給である。（8）教授らも除外されていない。教育省もまた俸給を２００７年１１月１日から４０％上げることを決定した。</p>
<p>対照的に、緊縮財政の名目の下、ブッシュ大統領は議会で通過した法律を拒否権を行使して退けた。それは貧しい子供達に治療の機会を提供するはずのものであった。その一方、不法で残忍なイラク占領に何十億ドルもが費やされている。チャベスとブッシュの社会構造的な見解は正反対である。つまり一方は最貧困層の福利であり、もう一方は多国籍企業の利潤である。（10）</p>
<p>アルコールとタバコの消費と戦い、そうすることによって関連した公衆衛生問題を縮小させるために、ベネズエラ政府はアルコール飲料の税を５０％、そしてタバコ税を７０％に引き上げる決定を下した。「我が国は最も高い内に入るウィスキー消費率を有している」と彼は嘆いた。今後、街頭でのビールの販売は禁止される。これらの対策の数々は、ベネズエラ人の健康を改善させるために政府によって促進された予防政策の一端を担っている。（11）</p>
<p>２００７年１０月１５日、キューバとベネズエラは新たに１４の協調的な経済協定を結ぶことによって、地域統合をまた再び強固にした。（12）ベネズエラの反政府派の怒りを誘った演説で、ウゴ・チャベスはキューバに対する賞賛を繰り返した。「フィデル<span style="font-size: 12px;">〔・カストロ〕</span>は私達民衆の父である。キューバは私達の革命の模範である。ベネズエラはキューバを愛する。私達民衆はキューバの人々を愛し、とても感謝している。」（13）その後、彼を中傷する者たちに向けて、彼はこう訊ねた。「１日２４時間、領土全域に展開する３万人の医師、看護士、眼科医や歯科医の提供のために、その他の国にどれ程の額を支払わなければいけないだろうか［……］？　誰かそれを教えてほしい！」（14）</p>
<p>キューバとベネズエラの間の統合は、残りの大陸<span style="font-size: 12px;">〔の諸国〕</span>が追随すべき模範である。それは米国政府の脅迫に対する唯一の防衛手段なのであり、真の独立を達成し、人々の生活水準を改善する唯一の方策である。</p>
<p>サリム・ラムラニは米国・キューバ関係を専門とするフランス人の教授、作家兼ジャーナリスト。彼の著作は、『Washington contre Cuba』 (Pantin: Le Temps des Cerises, 2005), 『Cuba face &#224; l’Empire』 (Gen&#232;ve: Timeli, 2006) や『Fidel Castro, Cuba et les &#201;tats-Unis』 (Pantin: Le Temps des Cerises, 2006)がある。<br />
  ドーン・ゲーブルによって<span style="font-size: 12px;">〔英文〕</span>翻訳された。ドーン・ゲーブルは作家で、「Venezuela Solidarity Network 」及び「Santa Cruz Cuba Study Group」の一員。彼女はまた「Bridges Not Walls: Uniting America one word at a time」の共同設立者。</p>
<p>Notes </p>  <p>(1) Mauricio Vicent, &#171;El presidente de Venezuela alude en Cuba a una confederaci&#243;n entre los dos pa&#237;ses&#187;, El Pa&#237;s, October 16, 2007.</p>  <p>(2) Associated Press, &#171;Ch&#225;vez asegura que Venezuela tiene deuda con Cuba&#187;, October 1, 2007.</p>  <p>(3) Ibid.</p>  <p>(4) Agencia Bolivariana de Noticias, &#171;Arranc&#243; Barrio Adentro IV con la construcci&#243;n de 6 hospitales especializados&#187;, September 30, 2007.</p>  <p>(5) Associated Press, &#171;Ch&#225;vez anuncia incremento salarial a m&#233;dicos en Venezuela&#187;, October 8, 2007.</p>  <p>(6) Agencia Bolivariana de Noticias, &#171;Ch&#225;vez anunci&#243; incremento salarial de 60% para m&#233;dicos&#187;, October 8, 2007.</p>  <p>(7) Agencia Bolivariana de Noticias, &#171;Colegio M&#233;dico del Distrito Metropolitano conforme con aumento de 60%&#187;, October 9, 2007.</p>  <p>(8) Agencia Bolivariana de Noticias, &#171;M&#233;dicos satisfechos con aumento de sueldo del 60%&#187;, October 9, 2007.</p>  <p>(9) Associated Press, &#171;Ch&#225;vez anuncia incremento salarial a maestros en Venezuela&#187;, October 5, 2007.</p>  <p>(10) David Stout, &#171;Bush Defends Veto of Health Care Bill&#187;, The New York Times, October 15, 2007.</p>  <p>(11) Christopher Toothaker, &#171;Ch&#225;vez la emprende contra la bebida y el consumismo&#187;, Associated Press, October 9, 2007.</p>  <p>(12) Agencia Bolivariana de Noticias, &#171;Venezuela y Cuba suscriben 14 nuevos acuerdos de integraci&#243;n&#187;, October 15, 2007.</p>  <p>(13) Granma, &#171;Estamos en las mejores condiciones Cuba y Venezuela para avanzar en un proceso unitario. Discurso de Hugo Ch&#225;vez Fr&#237;as, Presidente de la Rep&#250;blica Bolivariana de Venezuela, en el acto de firma de acuerdos entre Venezuela y Cuba, efectuado en el Palacio de las Convenciones, el 15 de octubre de 2007, “A&#241;o 49 de la Revoluci&#243;n”&#187;, October 16, 2007.</p>  <p>(14) Associated Press, &#171;Ch&#225;vez asegura que Venezuela tiene deuda con Cuba&#187;, op. cit.<br /></p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/64349768.html</link>
      <title>エクアドルの前途有望な社会変革</title>
      <pubDate>Sat, 03 Nov 2007 20:50:41 +0900</pubDate>
            <description>ラファエル・コレアは昨年１１月にエクアドルの大統領に当選し、社会変革を約束し、１月１５日に就任した。彼はこの国の過去１０年間で８番目の大統領である。その中には失政や公務怠慢に反対する大規模な街頭抗議によって失脚を余儀なくされた３人の前任者も含まれる。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">エクアドルの前途有望な社会変革</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Promised Social Change in Ecuador：<a href="http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=62&amp;ItemID=14054">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>スティーブン・レンドマン<span style="font-size: 12px;">〔Stephen Lendman〕</span>；２００７年１０月１６日</p>
<p>ラファエル・コレアは昨年１１月にエクアドルの大統領に当選し、社会変革を約束し、１月１５日に就任した。彼はこの国の過去１０年間で８番目の大統領である。その中には失政や公務怠慢に反対する大規模な街頭抗議によって失脚を余儀なくされた３人の前任者も含まれる。コレアは今約束を果たさねばならず、エクアドルの歴史で１７７回目となる今回こそは正しく行うことが望まれている国の憲法改正のための制憲議会選挙での国民同盟<span style="font-size: 12px;">〔Movimiento Alianza Pais：政府与党〕</span>の大勝によって後押しを得たばかりである。選挙の最終結果を待つ中、コレアの支持者らは約７０％の票を獲得し、全議席１３０のうち８０議席を勝ち取った模様である。それは変革を推し進めるには十分な過半数ではあるのだが、それを行うことは容易ではなく、コレアの立場が試されるのはこれからであろう。</p>
<p>長年の中南米専門家であるジェームス・ペトラスはこう記す。「現在のエクアドルは基本的な社会変容のための好機を得ているのと同時に、帝国のネットワークからの重大な脅威にも直面している」その地域の諸国家が常に直面してきたように。近年、都市や地方の結集した大衆階級が新自由主義体制を追い払ったのにもかかわらず、それらがいわゆる中道左派の指導者（彼らは左派でも中道でもない）として再び現れるのを見てきた事の次第を彼は書き留める。その中にはブラジルのルーラ、アルゼンチンのキルチネル、ボリビアのモラレス、ウルグアイのバスケス等が含まれる。ウゴ・チャベス<span style="font-size: 12px;">〔ベネズエラ〕</span>でさえ、「実利主義的な左派」の立場から統治している。彼は草の根の参加型民主主義及び再分配方式の社会政策を財界に対する支持に組み合わせている。とはいえ、先立つベネズエラの指導者達よりも公平な基準で行っている。</p>
<p>ぺトラスはフォーブス・マガジン編集者の批評を引用する。それはルイス・エチェベリア元メキシコ大統領（１９７０－１９７６年）に関するものであり、とても啓発的であり、コレアの挑戦を説明している――「彼は左派に語りかけ、右派のために働く。」それは現在中南米においてかなり一般的であり、典型的な例Ａとして、かつての労働党創設者で国の現大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ（２００２年から現在）のブラジルが目立っている。</p><a name="more"></a><p>ルーラは社会変革を約束したのだが、裏切りを呈した。当選する以前に彼は既に、変化はなく通常通りの取引を約束する覚書をIMF<span style="font-size: 12px;">〔国際通貨基金〕</span>と交わしていた。彼は最大限の債務返済や返済条件に、そして経済の安定や新自由主義政策を後援することに同意した。彼は彼らを落胆させなかった。</p>
<p>明白な過半数を伴い就任するやいなや彼は公務員の恩給を３０％削減し、彼の農業政策は農業関連産業に補助金を支給し、土地を再分配するという土地無し農民運動（MST）との彼の約束は破られ、医療と教育に対する支出は削減され、労働者を解雇し退職金を削減する雇用者の権利は支援され、複数の国営企業の広範な民営化は後援され、残忍な<span style="font-size: 12px;">〔ブラジルの〕</span>軍隊がハイチを占領し、右派の銀行家や大企業の幹部らや自由市場商人たちが経済大臣や中央銀行重役に任命された。彼の業績を要約してペトラスはこう述べる。「ルーラは右派の新自由主義に属する政治家の特徴に合致する」のであり「中道左派」ではない。</p>
<p>ネストル・カルロス・キルチネル現アルゼンチン大統領は典型例Bである（２００３年から現職、１０月２８日に大統領選挙が予定されており、世論調査では大統領の妻<span style="font-size: 12px;">〔クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル〕</span>が勝利する情勢である<span style="font-size: 12px;">〔予想通り当選した〕</span>）。ルーラと比較すると、どれ程彼が進歩的に思われるか、とペトラスは観察する。彼は失業率を２０％から１５％に減少させ、年金や賃金を増大させ、国の対外債務の一部を再交渉し、成果が殆ど現れていないとはいえ軍による拷問に対する免責を廃止した。</p>
<p>対照的に、アルゼンチンの主要産業分野における「詐欺的な民営化」は覆されず、不平等は是正されず、またはある部門においては増大し、貧困の水準は未だに３０％に近く、１０％のインフレがわずかばかりの収入増加の効果を薄めさせ、社会経済権力の構造に代わり映えはなく、アルゼンチンの残虐な軍隊はハイチを占領しており、中央銀行家らや経済大臣らは極右であり、債務返済が医療・教育支出よりも優先されており、２００１年の経済崩壊およびそれに続いて起きた暴動の後、統制されない資本主義は支持された。ペトラスはキルチネルを、アルゼンチン財界の助けになる「時に、米国に進んで異議を唱える実利主義的な保守」であると評価する。社会民主主義者であることに関してはどうなのか？　忘れた方がいい。</p>
<p>ボリビアの大統領で史上初の先住民族出身の国家元首（２００６年―現職）のフアン・エボ・モラレス・アイマは典型例Cであり、ルラと共に、最大の失望である。ペトラスは彼の政権を、その支持者を裏切り、政権に就いた途端に新自由主義を受け入れる「『中道左派』体制の最も際立った例」として引き合いに出す。外国投資家による天然資源所有を擁護した先の２人の大統領<span style="font-size: 12px;">〔ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ及びカルロス・メサ・ヒスベルト〕</span>を大衆暴動が辞任に追いやったのであり、ボリビア人は彼らが成さなかったことをさせるためにモラレスを選挙で選んだのである。その代わりに彼は石油とガスの収用を拒絶し、巨大石油企業を支持し、これまで通りの政策を受け入れた。モラレス式の国有化の下、現在の契約上の合意の数々は影響を受けておらず、国の天然資源は史上最大の数の外国投資家らに売られてきている。</p>
<p>それに加えて、モラレスは痛ましいほどに低い最低賃金を三倍にさせるという彼の公約を破り、代わりに１０％底上げし、そして以前からの新自由主義的な緊縮財政及び経済安定政策を継続させた。さらに彼が行ってきたことは、米麻薬取締局<span style="font-size: 12px;">〔DEA〕</span>による介入的な駐留や<span style="font-size: 12px;">〔コチャバンバ県〕</span>チャパレにある米国防省の軍事基地を黙認し、極右の経済・国防等の諸大臣を任命し、農地改革に反対し、大規模土地所有者らを支持し、彼らに巨額の補助金や租税優遇措置を与えた。又彼は彼を当選させた民衆の利益ではなく、外国投資、社会支出の削減、輸出の優先化や他の親企業の政策を助長することによってボリビア私企業家連合<span style="font-size: 12px;">〔CEPB〕</span>を後援した。ペトラスはこう述べる。モラレスは「政治的扇動」を彼の支持層に結び付ける一方で、新自由主義的IMFの緊縮財政と企業向きの諸政策を後援することよって「公共の場を巧みにこなしている。」</p>
<p>以下は９月２４日の国連総会におけるモラレスの演説からの前者<span style="font-size: 12px;">〔「政治的扇動」を彼の支持層に結び付けること〕</span>の一例である。「……私達は日々人類の将来を破壊しています。敵が誰なのか、（又）人類の終止符を打ちかねない（彼らが成す）損害を精確に突き止め（なければならない）……私は資本主義が人類の最悪の敵であると考えており、もし私達がこの<span style="font-size: 12px;">〔経済〕</span>モデルを変えなければ、この体系を改めなければ、（私達の努力）は完全に無駄に終わります……資本主義には双子がいます、市場と戦争です……これが理由で経済モデルを変更（しなければならない）……特に西側世界において。」実際には彼が非難するモデルを喜んで受け入れる人物による何とも見事な雄弁である。</p>
<p>彼が象徴するものはその地域<span style="font-size: 12px;">〔中南米〕</span>に吹く「左派の新しい風」という幻想である。とはいえ、あまりにも多くの者たちがブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ペルー、チリ、コロンビア、メキシコ、そしてコスタリカを含む中米全域において同一のことをしている。そこ<span style="font-size: 12px;">〔コスタリカ〕</span>における１０月７日の国民投票で、米国の脅しは中米５ヵ国・ドミニカ共和国との自由貿易協定<span style="font-size: 12px;">〔DR-CAFTA〕</span>を小差で通過させた。国民投票前の世論調査が予測していた逆の結果を立証し得る再集計が未だ待たれている。</p>
<p>それはさておき、中南米全域には左派に対する強力な支持があり、それが行く行くは湧き上がり変化に至る可能性もある。コレアの立場を確実に知るには早すぎるのだが、彼の決意は近いうちに十分に試されるであろう。以下は彼が直面している事柄である。</p>
<p>この地域の米国の支配は未だ強固であり、そうではないと考えることは見当違いである。それ<span style="font-size: 12px;">〔米国の支配〕</span>は１９９０年代の「略奪の黄金時代」の様ではないとはいえ、それは未だに、好景気のベネズエラを含み、商売を繁栄させることができている。それにもかかわらず、志を持った左派の新たな世代がコレアと共に現れており、彼がその内の一人であることを未だ彼は証明しておらず、最終的には期待に背くことも有り得る。</p>
<p>そうではないことを示す機会は訪れている。大統領選挙決選投票で彼は５６％の得票で文句なしの勝利を収めた。その後、新たな社会的に進歩的な憲法を創案するための制憲議会を召集するべきか否かを決定する国民投票で圧倒的な８２％を得た。コレアはそれが「数々のモデルではなく、各国が自らの特異な現実に従い決定すべきである原則」に基づくであろうと述べる。議会は１０月末に召集され、それを完成させる長き苦闘を開始する。それは６ヶ月で終了することが望まれてはいるのだが、必要とあれば更なる猶予が許可される。</p>
<p>外国投資（特に銀行業）に「競争を余儀なくさせる」ことをこの憲法が容易にすることをコレアは望んでいる。彼が反対しているものは独占、因習的な寡頭勢力、そして偏った巨大メディアによる彼の政権への反対である。彼は更に国の負債を再交渉しており、その正当性を評価中であり、その返済に憲法上の制限を望んでいる。また最終的には廃止を目指す計画を持ちながらドルを公式通貨として保つことを意図している。これに加え、彼は中央銀行の独立性を終わらせることに賛成しており、南の銀行<span style="font-size: 12px;">〔Banco del Sur〕</span>（１１月３日に公式に創設され、<span style="font-size: 12px;">〔ベネズエラ首都〕</span>カラカスに本部を置く）に加盟しており、４月に世界銀行の代表を国外追放しており、IMFとの関係を終わらせる過程にあり、現行の新自由主義体制を「政府の計画能力を回復させ、連帯の体制という構想の始まり」にするよう促進するものへと変えることを目指している。</p>
<p>コレアの親密な経済顧問で９月３０日の<span style="font-size: 12px;">〔制憲議会選挙での〕</span>主要な投票獲得者であるアルベルト・アコスタ<span style="font-size: 12px;">〔Alberto Acosta〕</span>は、国の「経済は人間を基礎に置くべき」であり、資本や投資、利益動機や国家の運営は人間の必要性に従うべきである、と述べた。もしコレアがこの見解を支持し完全に後援したならば、彼の幸先は良いと言えるであろう。どうなるかを知るにはまだ早いのだが、初期の徴候からいうと前途有望である。</p>
<p>彼は望ましいことを語るのだが、それが口先だけではないことを証明し始めている。彼は社会民主的な変化と「市民の革命」を約束しており、国の石油収入を国民のために利用すると述べ、既に建設的な手段が講じられている。１０月４日、外国石油企業の<span style="font-size: 12px;">〔石油高による〕</span>予定外利益の内のエクアドルの取り分を５０％から９９％に拡大する一方で、現行の契約を尊重する法令に彼は署名した。この措置の公表時、コレアはこう述べた。「もはや略奪は終わった、もはや降伏は終わった、もはや浪費は終わった。今（エクアドルの石油は）エクアドル人のものである。」その収入は社会福祉や基幹施設のために取り置かれる。</p>
<p>コレアは更に、新しい憲法が草案され、国民投票によって承認された後、大統領職、副大統領職及び議会のための新たな選挙を呼びかけることを伝えた。現行の議会にはコレアが所属する政党の議員がいないため、彼は圧倒的な大衆支持がその状況を変えることを望んでいる。現議会は、コレアによれば「通りに放り出す必要がある」のだが、それは国民が決定する事柄である。とはいえ、民主主義とは単に選挙を意味するものではない。重要なことはその後に起きることであり、それはコレア、制憲議会及び新たに選出される議会に懸かっている。</p>
<p>９月３０日の勝利は、９ヶ月で三度目のコレアの偉業であり、彼はこう述べることによってそれを是認した。「エクアドル国民は闘いの中の闘いに勝利した。（それは）確かな勝利であった。」それよりも以前に彼はウゴ・チャベスの「２１世紀の新しい社会主義」の呼びかけを繰り返した。「（そして）私達の民主主義、私達の経済、私達の社会を破壊してきたよこしまな（新自由主義）体制（をエクアドルは終わらせなければならない）。」その雄弁を行動で示す時は迫っているのだが、そうすることは容易ではない。</p>
<p>米国政府の長い影はこの地域に付きまとっており、その影響力は左派からの変化に圧力をかけ、打倒を狙っている。それと同時に、エクアドルの様な諸国は相反する利害関係に直面している――右派が求める現状維持、そして大衆が求める真の変化である。<span style="font-size: 12px;">〔後者は〕</span>再分配の社会政策や石油・ガス・銀行・土地等の戦略的部門の国有化によって<span style="font-size: 12px;">〔行われる〕</span>。</p>
<p>ペトラスは望みを持っている。「伝統的な政党の全ての腐敗や激しい分裂は（進歩的な）新しい政治勢力に道を開いている。」彼は「歴史的な幕開け」や変革のための好機を、新たに結成されたPolo Democr&#225;tico（PD）の「運動指導者や環境保護論者、先住民族の闘争者ら、労働組合の連合」に見て取っている。その政治課題は「制憲議会を国民運動の立法上の力に変える完全な決壊（及び）変換」を呼びかけている。その目標は大胆で革命的である――石油やガスといった基本的な資源を地方の寡頭勢力や搾取的な外国資本の手から取り戻し、「民衆の自主管理」に委ねる「民衆の主権」を確立する、というものである。それは帝国主義と野蛮な資本主義を打ち破り、権力を民衆へと返還させる民族解放の闘争である。いまこそ、コレアと彼の連合がその挑戦に値しているか否かを証明する時である。これまでのところ、少なくとも彼らは取り組む気があるようである。<br />
</p>
<p>スティーブン・レンドマンはシカゴに在住しており、lendmanstephen@sbcglobal.netから連絡可。</p>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>エクアドル</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/62775508.html</link>
      <title>チャベス：「ガルブレイスの信奉者」</title>
      <pubDate>Sat, 27 Oct 2007 20:02:42 +0900</pubDate>
            <description>チャベス：「ガルブレイスの信奉者」〔Ch&amp;#225;vez: 'Galbraithiano'：Original Article in English/Venezuelanalysis原文〕グレッグ・グランディン〔Greg Grandin〕；The Nation；２００７年１０月２日昨年、ニューヨーク・タイムズ紙は、ウゴ・チャベスが国際連合での演説――彼がジョージ・W・ブッシュを悪魔と呼び、米国人にノーム・チョムスキーを読むよう熱心に勧めた演説〔正確にはその後の記者会見〕――で...</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">チャベス：「ガルブレイスの信奉者」</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔Ch&#225;vez: 'Galbraithiano'：<a href="http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2673">Original Article in English/Venezuelanalysis原文</a>〕</span></p>
<p>グレッグ・グランディン<span style="font-size: 12px;">〔Greg Grandin〕</span>；<a href="http://www.thenation.com/docprem.mhtml?i=20071015&amp;s=grandin">The Nation</a>；２００７年１０月２日</p>
<p>昨年、ニューヨーク・タイムズ紙は、ウゴ・チャベスが国際連合での演説――彼がジョージ・W・ブッシュを悪魔と呼び、米国人にノーム・チョムスキーを読むよう熱心に勧めた演説<span style="font-size: 12px;">〔正確にはその後の記者会見〕</span>――で、その言語学者が死去する前に彼と面談できなかったことを遺憾に思うと述べた、と報道した。チョムスキー氏の家に電話すると彼はピンピンしていた、とタイムズ紙の記者は皮肉った。けれども、スペイン語の原文の再検討が成され、チャベスがチョムスキーではなく、その数ヶ月前に実際に亡くなっていたジョン・ケネス・ガルブレイスに言及していたことが判明したため、タイムズ紙は訂正記事を出さなければならなかった。</p>
<p>ウゴ・チャベスを嘲笑しようと急ぐあまり、報道界がジョン・ケネス・ガルブレイスを訳し落としたこの出来事には、ささいな皮肉以上の何かがある。なぜならば、それ自体公の議論から長いこと取り除かれてきた、このハーバード大経済学者のニューディール政策による社会民主主義こそがまさに、チャベス革命<span style="font-size: 12px;">〔Chavismo〕</span>のみならず、それが極めて重要な一部となっているより広範な中南米左派を、より公正に考察することを可能にするからである。</p><a name="more"></a><p>チャベスは自らを「ガルブレイスの信奉者<span style="font-size: 12px;">〔Galbraithiano〕</span>」であると述べたことがあり、１９５０年代以来中南米においてスペイン語で入手可能であったこの経済学者の著作を十代のときに読み始めたと彼は述べている。チョムスキーや他の現在、より一般的な政治思想家に言及し始める遥か前から、彼は経済政策を説明するためにガルブレイスを引用していた。例えば、１９９９年に、彼の大統領任期の初めに、彼の穏健な改革計画を支持するためのベネズエラ実業家らの集会を強く主張したとき、彼はガルブレイスを引用し、そうしなかった場合、「極端な経済的自由主義」によって生み出された「毒素」が「制度に歯向かい、それを破壊する」こともあり得る、と警告したことがある。</p>
<p>ガルブレイスはチャベスのみではなく、彼自身経済学者であるエクアドルの新大統領ラファエル・コレアを含む広範囲にわたる改革者らによっても賞賛されている。この評判は、ガルブレイスが進めた国家による経済規制に向けられた高まる熱意を反映している。２０年間に亘る失敗に終わった正統派の自由市場主義――それは陰鬱な成長率や広範囲に及ぶ社会不安と窮乏を引き起こした――によって被った損害を除去しようと中南米が苦闘するなか、政治家たちは１０年前には考えられなかった主要なマクロ経済学の原則を再建している。例えばアルゼンチンは金利を引き下げることや、他と遣り合える通貨為替レートを維持すること、インフレを抑えるための価格統制を制定すること、そして国際債権者らとの交渉で有利に事を運ぶことによって、その地域で最も驚嘆すべき成長を遂げた。このようにして国の対外債務の３分の２を一掃し、国家歳入を社会支出や投資に利用できるようにした。</p>
<p>ガルブレイスが中南米で崇拝者を引き付けてきたのは、彼のマクロ経済学のためのみならず、企業の独占に対する彼の批評のためでもある。経済の大部分が外国企業によって支配されているこの地域で、また企業テレビ（ガルブレイスの考えでは、それは表現の自由とは殆ど関係なく、消費者需要を作り上げることが全てである）がエリートの特権の防波堤に成り果てたこの地域で、法人とは民主主義を堕落させる動機と能力を持った政治的媒介者である、という彼の信念は現在共鳴を呼んでいる。ガルブレイスの解決策は彼が「拮抗力<span style="font-size: 12px;">〔countervailing power〕</span>」と呼んだものを構築するために国家を用いるというものであった。積極的な組合保護、失業保護手段、助成金、生活保護や最低賃金を成立させることで、独占を阻止し、国家の富のより公正な割り当てを余儀なくさせることを保証する、というものである。</p>
<p>中南米において、１９４０年代に類似した民主的開発主義が勢力を振るった。あらゆる種類の政治理念をもった改革者たちが、現代化への障害はその地域の寡頭勢力であると信じ、その破壊的な支配を弱める最善の策はそれに捕らわれた者たちに権限を与えることであると考えた。だが冷戦がこの民主的な試みを中断させた。その大陸を通した安定を保証するべく、米国政府が反動的な同盟者たちに背後で支援を投入したのである。</p>
<p>開発主義は１９７０年代まで継続したのだが、独裁政治あるいは軍事政権の庇護の下であった。権力と富のより公正な分配を求めた要求にそれらの政権は高まる弾圧で応じ、１９７０年代から８０年代にチリからグアテマラまでを含むこの地域で吹き荒れたテロの波で頂点に達した。多くの諸国で大部分の左派を一掃したこの暴力は、２０世紀最後の２０年間に中南米全域で勢力を振るった極端な自由市場経済を可能にした。</p>
<p>中南米左派の再台頭は民主的開発主義の復興の兆しとなるのだが、そこには重要な相違がある。１９４０年代には、政党や指導者らに縦の繋がりを持った組合や農民の団体を通して改革者達が政治権力を拡大することを目指した一方で、現在諸国の富と政治権力の極端な集中に対抗するために彼らは、「新たな社会運動の数々」で構成された多様で横繋がりの連なりを頼りにしている――例えばブラジルの土地なし農民運動や、ボリビアの党というよりは数々の社会運動の連合である社会主義運動<span style="font-size: 12px;">〔MAS〕</span>、あるいはエクアドルの強力な先住民族諸集団などである。</p>
<p>しかしながら、経済を規制する権利を再要求している国家と、反新自由主義の社会運動の多様な連なりの間の最も進んだ協力があるのがベネズエラである。チャベス革命と中南米に置ける過去の大衆主義運動とを区別するものは、その異質性<span style="font-size: 12px;">〔heterogeneity〕</span>である。都市下層<span style="font-size: 12px;">〔バリオ〕</span>で、協同組合員や共同体メディア及び他の文化活動家らと共に、あるいは地方で農民の団体と共に時を過ごし、彼らの興味の多様性、市民としての打ち込み、そしてより人間味のある社会を築くための献身度に感銘を受けずにいるのは不可能である。</p>
<p>左派市民社会組織――その多くはチャベス時代以前に存在し、いくつかはその後に始められた――の拮抗力はベネズエラを活気に満ちた民主主義に変えた。そしてそれは一連の強硬な反民主的猛襲を前に政権が存続してきたことのみならず、その発展途上の計画を理解する手がかりになる。なぜなら政府の計画の多くは上位下達方式ではなく、草の根を基にしているからである。昨年１２月、ある信頼が置けるチリの世論調査会社の調査結果で、中南米でウルグアイ人のみがベネズエラ人よりも自らの民主主義に関してより良い印象を持っていることが判明した。</p>
<p>ベネズエラが直面している問題は個人の権利を保護し、汚職を制限するのと同時に、強固な行政と、権限を与えられた市民の間の関係を如何にして制度化するのか、というものである。正にそれを行う試みである一連の憲法改正に関する議論が展開中である。それは１２月に国民投票に掛けられる。国際メディアが大統領任期の制限撤廃に集中してきたのに反して、他の改革案は地域住民委員会<span style="font-size: 12px;">〔consejos comunales〕</span>を大いに強化させる。それはベネズエラの「参加型民主主義」の土台として２年前に創設され、教育や医療から公衆衛生や道路補修までを含む幅広い地元の問題を管理している。委員会をチャベスが彼の権力を強固にするためのもうひとつの仕組みであると批評家らが見なしている一方で、ワシントン・ポスト紙は「地域の近隣で沸き立つ熱狂以外のものを見つけるのは困難である」と記した。</p>
<p>チャベス革命は旧式の独裁政治に落ちぶれることはあるだろうか？　もちろんである。とはいえこれまでの経歴がその逆を指し示している。過度の修辞法の数々にもかかわらず、チャベスは前例のない平和的な社会革命を率いてきており、その過程で支持層を倍加させてきた。チリの<span style="font-size: 12px;">〔サルバドール・アジェンデ（１９７０年―１９７３年）の〕</span>人民連合党――それはチャベスのボリバル革命が選挙で得てきたのと同程度の承認を決して得なかった――を除いては、政治・経済関係の徹底的な改革が選挙でこれだけの回数承認された実例を見つけるのは困難である。これは顕著な業績である。なぜなら革命には、当初の支持の多くを失わせる危機の数々を引き起こし、暴力と弾圧の循環を生じさせる傾向が本質的にあるからである。</p>
<p>この業績が米国メディアで報道されることは殆どない。チャベスはその核心を強調するために、彼が慕う経済学者のひとりによる所見をひんぱんに繰り返す。ベネズエラ大統領はガルブレイスをこう引用する。「現実と一般通念の間の距離が現在ほど隔たったことはこれまでにない。」</p>

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            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
                </item>
        <item>
      <link>http://agrotous.seesaa.net/article/61618767.html</link>
      <title>ベネズエラの躍動的な政治文化</title>
      <pubDate>Sat, 20 Oct 2007 22:01:05 +0900</pubDate>
            <description>アンデス山脈を上下降するでこぼこした山道の脇にある小さな売店に、濃く甘いエスプレッソを飲むため私達は立ち寄った。そこで出会った、同じくコーヒーを飲んで休憩していた二人のベネズエラ人が話しかけてきた。</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-weight: bold; font-size: larger;">ベネズエラの躍動的な政治文化</span><br />
<span style="font-size: 12px;">〔An Engaged Political Culture in Venezuela：<a href="http://www.zmag.org/sustainers/content/2007-09/14peters.cfm">Original Article in English/ZNet原文</a>〕</span></p>
<p>シンシア・ピーターズ<span style="font-size: 12px;">〔Cynthia Peters〕</span>；２００７年９月１４日</p>
<p>アンデス山脈を上下降するでこぼこした山道の脇にある小さな売店に、濃く甘いエスプレッソを飲むため私達は立ち寄った。それは小さな二口サイズのカップで出てきて、ちょうど良い量のカフェインだった。危険なのと同時に感覚を失わせる程繰り返し現れる見通しの悪い曲がり角で注意を怠らないようにするために。そこで出会った、同じくコーヒーを飲んで休憩していた二人のベネズエラ人が話しかけてきた。近くの村に飲み水を運ぶ彼らの仕事について、チャベス政権に関する彼らの意見、そしてどの地域共同体で政府がどんな計画を実行するのかを取り決める草の根の顧問委員会（「consejos comunales<span style="font-size: 12px;">〔地域住民委員会〕</span>」）について、私達は数分間和気あいあいと会話をした。</p>
<p>「社会主義に向けたチャベスの努力はどうなんです？」と私は彼らに訊ねた。</p>
<p>「社会主義は分かち合うことです」と一人が答えた。「私が三枚シャツを持っていて、あなたが一枚も持っていなかったら、私は少なくとも一枚をあなたにあげるべきです。」</p>
<p>ベネズエラの標準でいうと、それはとりわけ注目に値する会話ではなかった。私達はこの様な会話を多くしてきた――その中のいくつかはこの国の革命に向けた変革にとても好意的で、その他はそれ程でもなかった。とはいえ、社会で意義のある役割を担うことができない状況を、あまりにも多くの市民がどうする事もできないと感じている米国の政治文化に慣れきった者にとって、その会話は確かに注目に値した。</p><a name="more"></a><p>米国の人達が彼らの地域共同体を気にかけておらず、所有しているものを分かち合う方法を思い浮かべないということではない。義理の息子が<span style="font-size: 12px;">〔イラクの〕</span>ファルージャにいて、ジョージ・ブッシュの写真を冷蔵庫に飾っている、保守的で熱心な信者のカロライナに住む私の叔父は、彼の家の近くの主要道路一帯を個人的に自らの義務として受け入れている。数日に一度、彼は一定の距離を歩きながらゴミを拾っている。「ほとんどはタバコの吸殻だよ」と彼は言い、その絶えることのない投げ捨てを彼は信じられないでいる。けれども彼は気にかけていない。彼は彼の役目を果たしたいと思っている。彼は喜んで役目を果たしている。「何か他に考えがあるのかい？」と彼は私に訊いた。「社会を変えるために他に何かできる事があると思ってるんだろう――特に企業らが政治家たちを意のままにしている時には？」タバコの吸殻を拾い集めることは正確にはやりがいのある仕事ではないのだが、別の政党の別の候補の先の放送用の端的な言葉に全くそっくりな、別の候補の更にまた別の言葉の分析を試みることよりは昏睡状態を誘発させるものではないであろう！</p>
<p>要するにこれが米国の政治文化である。主要道路一帯からほんのわずかなゴミを取り除くほうが、政治に参加するよりもやりがいを感じるのである。ベネズエラではそうではない。「チャベスについてひとつ言えることは、皆が政治について考えるように仕向けたことです」とラモンという名の中産階級のベネズエラ人は言った。</p>
<p>「だけど私は彼を好きではありません」と彼は付け加えた。「旧体制を追いやりたかったから最初は彼に投票しましたが、今彼はやり過ぎです。彼は中産階級を怖がらせ追い払っています。彼は私達の財産を取り上げようとしています。私達は所有しているもののために精一杯働いてきたのです。」</p>
<p>ハエと蚊の防虫剤を配給する事業を運営しているこの男性に私達が出会ったのは、海辺の町エル・プラヨン<span style="font-size: 12px;">〔ポルトゥゲサ州〕</span>のレストランでだった。そこは休暇の最後の週を楽しむベネズエラ人観光客で溢れていた。一時間に亘る会話で彼は、彼が原理上は社会主義に賛成することを教えてくれた。チャベスが<span style="font-size: 12px;">〔ジョージ・〕</span>ブッシュの政策に反対する強固な国際的表明者になっていることに彼は感謝している。とはいえ彼が独裁者になっていると彼は感じている。彼の大臣らはロレックスの腕時計を着け、高級車を乗り回している。それに加えて、貧しいもの達が今よりも精を出して働けば、中産階級と同一の特権全てを彼らも享受できる。</p>
<p>客観的にいうと、貧しい人が三枚あるシャツの内一枚を手放すことは、裕福な人がそれよりも遥かに多い経済的備えの一部を手放すよりも容易ではないはずである。とはいえ不平等にも手にしている快適さを正当化できるほど裕福な人は精を出して働いてきたのである。運に伴う不安定さを認めるよりもむしろ、所有しているものは彼が受けるに足ると感じさせる複雑な価値体系を彼は組み立てるであろう。</p>
<p>おそらくこれが、八月の最後の週に、彼女達の父親と私と共にベネズエラを旅した私の二人の娘にとって最も重要な教訓だったであろう。つまり、本当に乏しい快適さすらも持ち合わせない多くの人々が世界にいる一方で、彼女達を快適にさせているのは純然たる馬鹿げた運である、ということ。彼女達は所得格差の統計に馴染んだ。彼女達はこの惑星の圧倒的多数が一日一ドルや二ドルで生活していることを以前から聞いていた。とはいえ、泥やレンガ、そして主要道路の横からかき集めた広告版の断片で建てられた、延々と続く貧民街を彼女達は見たことがなかった。物事全てがあるべき通りであると言う何らかの理念に屈服せずに、こういった無慈悲な事実を記憶に留めておくことは大変なことである</p>
<p>「中産階級がこれほど疎外されていることは残念なことです」と、メリダ州で私が出会ったアドリアナという名の露天商の物売りは言った。「この<span style="font-size: 12px;">〔変革の〕</span>過程から彼らが得ることは沢山あります。というのも、彼らには教養があり、自らの考えを述べ、聞き届けられることに慣れているからです。彼らは彼らの考えを『consejos comunales<span style="font-size: 12px;">〔地域住民委員会〕</span>』に持ち込むことができます。」</p>
<p>「Consejos comunales」は「共同社会のアドバイス<span style="font-size: 12px;">〔<a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trnt1" name="_trntref1">訳注１</a>〕</span>」と訳すことができる。アドリアナは私にこの様に説明した。「以前は、政府が自らの政策を持って私達の地域共同体にやって来ました。例えば、彼らはやって来て道を直したりしました。その地域共同体のより大きな問題は、飲み水を入手することだったとしても、そのことを政府に伝える術がありませんでした。地域住民委員会によって、私達は団結し、地域レベルの優先事項を決定し、そしてその優先事項を政府に知らせる方法を手にしたのです。」</p>
<p>私達がその国に滞在した両日曜日に、午後を通して放送されるチャベスのラジオ番組をつけた。彼はそれを彼の政策に弾みをつけることに利用しているようである。また番組中に彼は自らがある程度、意欲を起こさせる話し手であり、いくぶん伝道師、そして半ば大衆の教育者であることを明らかにしている。彼の見解をどの様に考えようとも、彼が明晰で精力的であり、学ぶ意欲に溢れていて、人々と誠実に交流するのに十分な自信を持っている、という印象を彼は人に与える。その番組を整える裏方の人達が沢山いるのは確実であろうが、洗練されていない場面が多々あり、そこには「操り師」の明白な不在があった。米国の殆どの政治家とは異なり、チャベスは原稿抜きで公衆の面前に立つ。</p>
<p>番組のある場面で、チャベスは社会主義の仕組みを説明するために、漁師たちと水産加工工場の労働者らとの長いインタビューを用いた。彼の手法は、彼らの仕事のどの側面が社会主義的であるのかを漁師に語らせるものであった。彼は時に忍耐強い教師のような印象を与え、時には伝道師のような調子に乗りながら、彼らの発言を社会主義の趣旨に関する彼自身の綿密な考えに巧みにまとめ上げた。</p>
<p>別の区切りでは、彼はトウモロコシについて語ることに時間を割いた。彼はトウモロコシの栄養分や、西暦紀元前数百年以来、中南米において蒔かれてきた事実に関する詩的な話をし、この主要作物の種蒔きや収穫の上での人類の役割に言及した。彼は農民、消費者やトウモロコシ加工工場の労働者にインタビューした。彼が知ろうとしたことは、何処から彼らが種子を入手したのか、どれだけの数の品種を彼らが蒔いたのか、そして数十年に亘る経験で彼らが何を学んできたのか、である。彼らの知識を彼の知識に組み入れることに彼は本当に関心があるように思われた。それは人間らしい会話に見られる共通の所産である――二人の人あるいは集団が見解を取り交わし、それ以前よりも更に知識を得て、より意識的になる、ということは。しかし、一人の大統領と一人のトウモロコシ農民の間では、この様なやり取りは今まで聞いたことがない（少なくとも私の経験では）。</p>
<p>なぜある工場が８０％の稼動率でしか操業していないのかについて、彼は経営者と十分に語った。しかも彼は安易な答えを受け入れなかった。その内、彼が鉛筆と紙を取り出しているのが分かった。彼はその工場の生産量をトンで算定し、パーセンテージを計算しており、生産能力を増大させた時の影響に関する質問をしていた――多くの人々が飢えている国においては取るに足らない質問ではない。</p>
<p>ラジオとしては、それは素晴らしいものではなかった。（紙が整頓されるのが聞こえ、計算が行われているのを想像できた。）とはいえ、政治文化を理解しようとする私のような北米人にとって、それはとても素晴らしかった。ひとりの大統領が一見したところ即興の状況におり、工場経営者に実際に即座に判断するよう促していた――国の最も特権を持たない人々にとって重要な事柄に関して。</p>
<p>彼は更に、選手権に出場する少年野球チームを番組に登場させた。彼はそれぞれの子供にその子が就くポジションについて話をし、最善を尽くすよう励ました。別のシーンで、トウモロコシを植える方法を彼の祖母から学んだ時の思い出を彼は語った。「ほら、私の手は今もそのやり方を覚えています」と彼は、彼の祖母の技術を実演しながら目前の観衆に語った。今回も、米国の標準では良いラジオではないのだが、彼は放送時間を埋めることには頓着がないようであった。多角的なレベルで人々と意思の疎通をすることを彼が気にかけている程には。</p>
<p>この様な形の意思疎通には、捉えがたいが重要な特質がある。つまり、それには聞くことが伴うということである。チャベスは彼の国に望むことに関する明確な考えを持っている。その一方で彼の理想には大衆の参加が含まれており、このラジオ番組における彼の姿勢は、「指導者達」と「国民」の間の力学のひな形を作っている。大衆がその過程の障害ではなく、その過程の一部であるとそれは想定している。</p>
<p>確かに、父親的な聞き方というものがある。聞き手が好ましい態度を取り、しきりにうなずき、その後にあらかじめ予定していた通りに話を続ける、というものである。またチャベスは正確には対抗者や論客を彼の番組に招き入れなかった。そういったやり取りを彼がどのように対処したかを聞くことは興味深かったであろうが、毎日のように主流メディアが反チャベスの見出しやパロディ、そして攻撃を大々的に扱っていることを考慮すると、必ずしもこの国に反対意見が欠如しているということではない。</p>
<p>いかなる指導者をも理想化することには危険が伴う。指導者は汚職に陥る傾向がある。その一方である程度の観点を保つこともまた重要である。社会主義を唱導する一方で高価な腕時計や高級車を誇示することは（ラモンが言ったことが本当であると想定して）偽善的である。とはいえ、それは米国で見受けられるものとは完全に異なる規模の汚職である。ここ<span style="font-size: 12px;">〔米国〕</span>には、イラクにおける民主主義のために戦っていると主張する大統領がいる。実際には彼はその国を違法に占領しており、それと同時に（その土地を破壊している）軍需産業や（それを再建することで支払いを受ける）建設産業を富ませている。これは理解するのがあまりにも困難な規模の偽善である（それはロレックスとは異なる。皮肉にもロレックスは理解できるという理由で、より大きな憤怒を引き起こす）。</p>
<p>一方で、米国に私達が帰国してから聞いたブッシュの発言はこうである。「我々はイラクでガツンとやっている<span style="font-size: 12px;">〔We're kicking ass in Iraq〕</span>」とオーストラリアの副首相に彼が語った言葉としてボストン・グローブ紙に引用された。それは見え透いた嘘なだけではなく、この戦争で人生を破壊されたイラクの人々や多くのアメリカ人の徹底的な悲劇の前には聞き捨てならないマッチョな態度である。</p>
<p>旅行の果てにマイアミ<span style="font-size: 12px;">〔フロリダ州〕</span>に戻り、ベネズエラで学んだ政治参加の生き生きとした文化をどれだけ懐かしがるであろうかと私達は語り合った。放送用の端的な言葉を避け、重要な事柄に関して深く話をし、耳を貸していた大統領のことを私達は懐かしく思うであろう。道端のコーヒーの売店での労働者たちとの思慮深い政治に関する議論を私達は懐かしがるであろう。</p>
<p>その時まるで合図があったかのように、私の十一歳の娘が米国内で共同体を作り、意見を共有する重要な方法に気付いた。彼女はスターバックスのカップを指差した。そこには、人生で最も重要なことは「私は願う」と言うのを止め、「私はそうする」と言い始めることである、というデビッド・カッパーフィールドの引用が印刷されていた。</p>
<p>米国に戻り、そこには酔っ払った寮の学生のように振舞う大統領がおり、持ち帰り用のコーヒー・カップの横から他人の力を借りないでやれと指図する指令があり、そしてへんぴなノース・カロライナの主要道路の路肩で自らの存在を示そうとしている叔父がいるそんな中、ベネズエラには別の模範があることを私達は忘れることはない。</p>
<hr align="left" width="100%" size="1" />
<p>訳注：</p>
<p><a style="mso-footnote-id: trnt1" href="#_trntref1" name="_trnt1">１．</a>スペイン語の「consejo」という語には「アドバイス」と「委員会」の両方の意味がある。</p>

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            <category>ベネズエラ</category>
      <author>Agrotous</author>
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