2005年11月04日

以下は「ベネズエラに対する米国の介入の仕組み第一部」の続きです。

第1部:ベネズエラに対する米国の介入の仕組み

第2部:以下

第3部:ベネズエラにおける共和・民主両党基金とのUSAIDの4つの契約書の分析

第1部〜第3部の単一HTMLファイル

Rebelion.org(スペイン語原文)


政府の計画を偽装する、米国民間企業体系の利用
ベネズエラにおける米国第2部
〔Use of a Private U.S. Corporate Structure to Disguise a Government Program US in Venezuela Part 2:Original Article in English/ZNet原文

フィリップ・エイジー〔Philip Agee〕venezuelanalysis;2005年9月10日


3部構成の第2部

C.ベネズエラ:ボリバル主義革命に対する現在の米国介入の事例

ベネズエラにおいてジョージ・W・ブッシュ政権は、1980年代のニカラグアで米国が実行したものに酷似した活動の組み合わせにより、政治過程に介入しているが、コントラの規模でのテロ戦争はなく、そして――少なくとも2005年中盤までには――経済制裁もなされていない。これらの活動は、2005年の予算が100万ドルに近づくなか、「市民教育」、「選挙過程にたいする支援」、「民主主義体制の強化」として偽装されている。現実には、ほぼ密かに実行されているこれら全ての計画は、チャベス大統領と彼の連合に対する反対派を支援している。

この「ベネズエラの民主主義に対する公的支援」を実行する機関は、国務省、米国国際開発庁(〔US〕AID)、米国民主主義基金(NED)とその4つの提携基金である。ワシントンDCの隣に位置するメリーランド州ベセスダに本社を置く、コンサルタント会社であり、民間請負業者であるDevelopment Alternatives Inc.(DAI)を通して、AIDの移行イニシアティブ室(OTI)により過去最高額である約700万ドルが2005年度に流された。それに加え、いつも通りCIAが秘密資金の供給と内密の支援提供の役割を果たした。

DAIのウェブページは、1970年に創立された自らの会社のことを、本社では250人の従業員を有し、国際計画事業においては約1500人が働いていると説明している。それは「公平で効果的な政府を築き、天然資源と農業生産を管理するため地方の能力を強化し、小規模融資〔いわゆるマイクロファイナンス〕から企業開発へと成長する力を与える経済の原動力を煽り、発展段階の市場における民間投資の影響を強化するため」その大半が第三世界である、150の諸国において開発計画を実行してきた。「顧客は米国国際開発庁、世界銀行、二国間開発機関、国際企業、対象国の政府等が含まれる。」その計画は農業と天然資源の管理、銀行業務と金融業、危機緩和と経済復興、民主主義と統治〔いわゆるガバナンス〕、グローバルな商取引に対する解決とエイズの影響の緩和を取り扱う。後に見ていくように、DAIは外国において、CIA高官や工作員を、商業という隠れ蓑で覆い隠す理想的な企業なのである。

ワシントンにおいて、ベネズエラ機関間作業グループという様な名を持つ諸作戦を指導する、最高位委員会があることは間違いないだろう。通常、国務省の代表が委員会の議長になり、他のメンバーはAID及びOTI〔以下AID/OTI〕、国防省、CIA、NEDと他の関連機関を代表する。様々な責務の中で、この委員会は予算を決め、その資金を流すため、いかなる仕組みが使われるのかを決定する。同時に委員会は作戦の効果を見積もり、議会の適切な委員会に常に通知しなければならない。

AID/OTIが事務所を構える在カラカス米大使館を通して、国務省はベネズエラにおける介入計画を綿密に監督する。当然のことながら、CIAも外交の偽装の下、大使館に事務所を持っている。ワシントンでの様に、大使か首席公使が議長を務める組織委員会が大使館にあるであろうし、そのメンバーは政治部長官、OTI代表ら、CIA支局長、大公使館つき陸軍武官や、ことによると他の者が含まれるであろう。

またカラカスには、大使館とは離れ、民間外国法人という法的立場を有する、NEDと提携した2つの基金の事務所がある。国際共和研究所は、アルタミラ地区の8番通りと9番通りの間にある、2番街のキンタ・レタナ・ビルの一階に事務所を置いている。そして米国民主党国際研究所(NDI)は、カンポ・アレグレ、フランシスコミランダ通りのエディフィシオ・トレ・ラ・プリメラの14階、事務所14Bに位置する。それに加えて、コンサルタント会社のDevelopment Alternatives, Inc.(DAI)は事務所をエル・ロサル、グアイカイプロ通り、エネル・トウェル2階、事務所2Bに置く。これら3つの作戦の中心点それぞれで、ワシントンで選出された米国市民職員と、雇用にはワシントンの事前承認を必要とするベネズエラ人従業員が働いている。

カラカスのこれらの活動機関――IRI、NDI、DAI――の事業は、作業、経費、開始と終了の日付、そしてOTIとDAI間の契約のように幾つかは事業拡大の選択肢を含む、単独の委託契約の形態を取る。承認と契約の下の資金を得るため、IRIとNDIの計画説明書類は、彼らのワシントン事務所により、国務省、AID/OTI、あるいはNEDに提出される。その後、資金はカラカスの事務所に分配され、そこから、それぞれが資金元機関の本部による承認を要する、下請契約者であるベネズエラの受益団体に金は回される。

カラカスに事務所を置くこれら3つの活動機関もまた、ワシントン本部に推薦された受益団体の指導者の履歴書を提出しなければならない。明らかにCIAが、承認過程の一環として、局自身と他の安全保障局を通し、彼らの素性の安全性を調べるためであろう。加えて、全ての委託契約は、計画遂行機関が重要な問題についての特別報告書に加えて、経過報告書を3ヶ月あるいは6ヶ月毎に提出することを義務付けている。概して、この計画、承認、委託契約、下請契約の方式は米国政府に完全に管理された具体的で、洗練された手法なのである。その証拠は、情報自由法により2003年以来入手されてきた、契約書を含む、数百とある公式文書に書かれている。相当量の文書がhttp://www.venezuelafoia.infoにおいて公表されている。これらの文書は、NEDが少なくとも17のベネズエラの非政府組織に、直接資金供給をしてきたことを明らかにしている。これにはその4つの提携基金を通して行われた資金供給は含まれていない。

米国により指導され、出資された活動は過去も現在も多様なのだが、それら全てが、政治諸政党とベネズエラ労働者総連盟〔Venezuelan Workers Confederation〕(CTV)の様な諸NGO、双方の政治的反対派の発展と強化をその目的としている。これらの活動に含まれるものは、研修会、研究会と会議、政治政党を発展させるための訓練講習、政党連合による協調の促進、投票者を登録し最大数の票を保証するための組織的活動、〔公式名簿に〕並行した非公式の投票者名簿の確立、不正行為を見つけるための選挙監視人の訓練、不正を非難するための全国選挙評議会(CNE)の線密な監視、選挙得票数を数える非公式の組織、CNEによる公示前の発表のための結果の迅速な予測(「開票速報」)である。これらの具体的な目的とは別に、活動は選挙過程に中期・長期的な、必ずボリバル革命に反対する、新たな志願者を呼び寄せるよう設計されている。好意を持たれている政党は、民主行動党〔Accion Democratica〕(社会民主主義者)、キリスト教社会党〔COPEI〕(キリスト教民主主義者)、社会主義運動党〔Movimiento al Socialism〕、ベネズエラ計画〔Projecto Venezuela〕と正義第一〔Primero Justicia〕等である。

この介入における多くの受益者のひとつは、民主調整委員会〔Coordinadora Democratica〕[1]であり、この組織の代表は企業、労働、政治政党から来ており、それは1980年代のニカラグア民主協議会〔CDN〕によく似た役割を果たしている。別の受益者は、2003年の失敗に終わった石油ストライキの終わりに、不信任国民投票を呼びかける組織的活動を始めるために登場したスマテ〔Sumate〕という組織である。この組織はニカラグアのVia Civicaによく似ている。最後に、コンサルタント会社のDAIは、ニカラグアで活動していたDelphi International Groupとそっくりであり、それはベネズエラ:自信構築イニシアティブ〔仮訳:Venezuela: Confidence Building Initiative 英文では「Venezuela: Initiative to Build Confidence」とあるが、これはスペイン語から英語に翻訳された時の手違いであろう。〕(VICC)と呼ばれる、反チャベスのプロパガンダに資金提供をしている。

ベネズエラにおける米国の政治的干渉が、いかにして作用するのかを理解するには、カラカスに事務所を置く3つの活動機関――DAI、IRIとNDI――との間の、AID/OTIの5つの契約書を調べるのがいいだろう。以下では次の事を分析する。1)2002年4月の失敗に終わったクーデターに続くDAI開業を伴うOTI契約。2)2004年8月の不信任国民投票と、その後の起こりうる選挙に対する介入のための、IRIとの2つの契約。3)同じく不信任国民投票に介入するための、NDIとの2つの契約。不信任国民投票の2年前からの、これら5つの契約の金額は、およそ1200万米ドルであり、原文はwww.venezuelafoia.infoのUSAID Contractsの項目において英語で公表されている。

1.ベネズエラ:自信構築イニシアティブ(VICC)を設立するためのOTIとDAI間の契約

2002年4月の失敗したクーデターの後、AID/OTIは、米国政府の計画の主要な役者として、ベネズエラにおける作戦を開始した。それまで政治的介入は主に、100万ドルの年間経費を用いたNEDとその4つの提携基金の手にあった。現地で作戦を実行するにあたり、2000年にIRIはカラカスに事務所を開き、2001年にNDIがそれに続き、これらの事務所は今も機能している。この2つの機関は多様な組織に資金を提供した。それらの組織を指導したのは、クーデター中に民主的社会制度を廃止したカルモナ法令〔Carmona Decree〕に調印した人々であり、クーデターが失敗に終わった後も、機関はクーデター陰謀者らを支援し続けた。だが、クーデター後、ワシントンにおいて、はるかに多額の資金と共に、ベネズエラでの試みを増大させるという明白な決定が下された。だが、今回はAID/OTIそしてDevelopment Alternatives Inc.と言うコンサルタント会社を通してである。この会社は、民間会社の見せかけの下、AID/OTIの支部として行動することとなる。

2002年6月、AID/OTIは、カラカスの米国大使館に、新たな計画を監督する2人の高官を送ることにより、ベネズエラにおけるこの計画を開始した。OTIのウェブページはこの事務室が、戦争から平和へ移行している、あるいは非民主主義政府から民主主義体制へと移行している危機地域における介入を受け持っていると述べている。どうやら、AID/OTIはベネズエラを、1998年のチャベス大統領初当選以来の様々な自由で公平な選挙にも関わらず、「民主主義へ移行している」国とみなしているようだ。ベネズエラにおけるOTIの初年度予算は220万ドルであり、それはベネズエラに対するNEDの当時の年次予算の二倍以上である。

2002年8月に、OTIは、「民主的な団体と手続きを支援し...社会活動の緊張を緩和し、民主的な均衡を保つ」ことを意図した諸計画を、ベネズエラに打ち立てることをコンサルティング会社DAIに委託し、その年の10月にDAIはカラカスに事務所を開設した。

1年目の予算は520万米ドルであり、作戦2年目は約490万米ドルであった。これらの額はNEDと連携基金に対する年間予算、およそ100から200万ドルよりも遥かに多い。毎年のDAIの予算には、ベネズエラの受益団体に対し資金や資料を配るための350万ドルが含まれ、残りは固定費、給料、交通手段への投資、情報伝達、コンピュータや他の経営上の経費のためであり、それに加え、情報自由法により開示された契約書では、その額が検問されているDAIの委託手数料がある。実の所、この計画は随意〔契約期間〕の2年目も継続し、そして契約は2005年の9月まで延長された。十中八九、それは再び2006年後半の全国選挙にまで延長されるであろう。

契約書によれば、OTIが、この計画をベネズエラに打ち立てることを決定した理由は以下である。

1)「大統領宮殿の外で、数人の抗議する人々が殺害された」4月以来、「政治的緊張が劇的に高まった」(クーデターについては言及されていない)。

2)米国は「ベネズエラにおいて(民主主義)の、持続を確保することに強い関心」を抱いている。

3)ベネズエラの「諸団体」は「民主的な均衡が取り戻され」、「全国・地方レベルにおける、メディア・市民社会・政治政党・政府制度を含む、人権と意見の自由な表現に対する保護」に対して支援を必要としている。

2002年8月30日付けのAID/OTIのDAIとの契約書は、DAIが従事する方法を列挙した49ページから成り立っている。序説において、OTIは自らをコソボ、フィリピン、ハイチ、コロンビア等における社会的、経済的、政治的な危機を前に、迅速に反応した勢力であると評している。それは自らの計画を「素早く、柔軟で、創造的で、効果的で、的を外さず、刺激を与え、そして公然と政治に関わる」と表現している。それはさらに、「OTIはしばしば、米国政府の最優先事項、そして注目された諸国に関する、最も繊細な政治問題に関与する」と付け加えている。その資金は米国国際災害援助基金〔U.S. International Disaster Assistance Fund〕から来ており、その計画は通常1年から2年継続し、その期限が来ると、OTIは通例その作戦を他のAIDの部門に受け渡すか、あるいは終了する。上記の契約書は、OTIが国際政治緊急出動部隊と同等であり、それを米国政府が、米国益に脅威を与える社会的・政治的激変を抑制するために利用している――軍の特殊部隊に類似したものである――ことを明白にしている。

OTIが支援する外国団体の類は、契約書によれば、1980年代そしてプロジェクト民主主義が採用されるまでは、CIAの秘密活動の一覧表に成りえたものである。すなわち、地元・地域・全国政府であり、民間、ボランティア組織であり、国際組織であり、先住民族集団であり、協同組合、団体と学生集団であり、非公式団体であり、メディア、民間部門と、これらの団体の連合である。OTIの活動に含まれるものは、調停の促進、争いの予防と解決、ジャーナリズム教育を含めた独立メディアの増進、司法改革、元戦闘員の動員解除と社会復帰、テレビ・ラジオ・報道機関を利用した国民メッセージの促進、初期資金を伴った主要な非政府組織の再開、そして選挙支援と強力な市民社会の発展を伴う統治の促進である。

ベネズエラに限定すれば、この契約書はDAIが「民主的な社会制度と手続きを強化するため、労働者、企業、政治団体、政府と市民社会」とだけではなく「ジャーナリズム訓練を通したメディア機関」と働くことを義務付けている。さらに、DAIは「包括的なベネズエラにおける社会的・政治的な政策についての対話を促進し、また市民の二極化により現在閉ざされている対話の道を切り開くNGO」と協力することが義務付けられている。この契約書は、計画は党派に属さず、憲法違反となる手段により政治秩序を変えることを望む組織には支援をしない、と規定している。しかし実際は、この計画の下の資金は全て政治的反対派に流れており、その中には、2002年4月の失敗に終わったクーデター中に、民主主義的社会制度を廃止したカルモナ法令に調印した人々が含まれる。

契約書によると、ワシントンのADI本部のCognizant Technical Officer(CTO)と呼ばれる係官が、全てのOTI計画を監督し、全ての重要な決定には彼の承認が必須である。契約書でラッセル・ポーター〔Russell Porter〕と呼ばれている、このCTOは国務省と緊密に連携し、OTIの現地代行者に任命され、カラカスの大使館に配属されたOTI職員の活動を指導している。これらの役員は、OTIに出資され、カラカスのIRI・NDI・DAI事務所により遂行される、日々の活動を指導している。

契約書によると、DAIは、経営、物流、取得物、財務に関わることを含めた、計画遂行に関する全責任を持つ。DAIに義務付けられていることは、事務所の設立、事務所の設備と車両の購入、ベネズエラ人従業員の調達、通信手段と経理システムの設置、自らの活動の詳細全てを保存するデータベースの開発・維持、下請負経由で資金を分配する計画の開発、下請負の有効性と影響の監視である。資金を支出する体制は、DAIが大使館のOTI現地代行者幹部に、NGOと他のベネズエラ緒団体に対する予算を提案することを義務付けている。その幹部は10万ドルまで支出許可を出すことができる。それを超える提案は、AID/OTIのワシントン事務所のCTOによって承認されなければならない。

契約書は、ベネズエラ到着前及び到着後のDAI米国市民職員の責任に関する詳細について数ページ割いている。それは、DAIが設備を整え、ベネズエラにおけるNGO、政府役人や国際組織などの接触先の名簿の準備を含めた、計画開始の準備をする時の敏捷性を強調している。また、契約書が、チームのカラカス到着後、資金の分配が出来るだけ早く始まるべきであると要求していることは注目に値する。これらの要件から、カラカスのIRIとNDI事務所と連携し、直ちに仕事に着手できるよう、DAIチームがカラカスに行く以前から、NEDの先の活動と4つの連携基金について熟知していたであろうことは明白である。

DAIはさらに、事務所用の場所を借り、自らの要員とカラカスに配属されたOTI職員のために家具付きの宿泊施設を確保することを義務付けられている。選ばれた事務所と住居は、大使館の警備条件を満たさなければならず、AIDの地域保安課からあらかじめ書面で承認を得なければならない。契約書は、もしオフィスビルに事務所を構えるのであれば、3階より下であってはならないと述べる。それがもし一階に位置するなら、頑丈な扉と、窓には鉄の格子を備えなければならない。それは通りから離れており、安全で、照明によりよく照らし出された駐車場に接し、壁あるいは金網で囲われていなければならない。加えて契約書は地上通信線の電話、ファックス、インターネット接続、携帯ラジオ、車内ラジオ、携帯電話、衛星電話、全地球測位システム〔GPS〕と社内コンピュータ・ネットワーク等の必須サービスの用意をDAIがしなければならないと規定している。それはまたDAIが米国市民要員とOTI役員のための避難計画を準備することを義務付け、安全管理違反をした要員の解雇の可能性にも言及している。なにはともあれ、これらの詳細な必要条件は、DAIが高い安全性を持ち、他に頼らず、即座にベネズエラを去ることのできる作戦を、素早く設置することを義務付けているのである。

この契約書の最も興味深い側面は、DAIカラカス事務所に対する米国要員(5人)と、ワシントンを拠点とする1人の進行係の任命である。「主要要員」と呼ばれるこの6人は、OTIの契約書で、苗字と頭文字のみではあるが、名を挙げられている。すなわち、グループ責任者J・マッカーシー。計画開発員ら、H・メンデス、L・ブランクとG・ディアス。財務管理専門家G・ファング。そしてワシントンの現地計画主任J・ジャコウィッツである。契約書はこれらの人々が何者であるのか、あるいはこの早急に準備された作戦のため、彼らが何処から来たのかについて一言も述べていない。明らかに、到着したその時から任務を遂行するため、全員がベネズエラとその国における米国政策についての広範な知識を有し、流暢なスペイン語を話せるのだろう。契約上OTIは、この6人の内誰をも入れ替える権利を確保している。従って、民間のコンサルティング会社であるDAIは、計画要員を選べないのである。これら6人が、DAIの商業という見せ掛けを装ったCIA工作員である可能性は否定できない。さらに、全てのベネズエラ人従業員候補者について、DAIは承認を得るため、彼あるいは彼女の履歴書と他の情報を、雇用前にCTOに提出しなければならない。この契約によりOTIが全面的に政府による作戦のため、DAIの企業構造を単に借りている一方で、それを民間部門の計画として偽装しようとしていることは明白である。そして実の所、契約書にある全てのOTIの必要条件は、OTIにより任命された人員により実行される仕事なのであり、DAIは単なる商業という見せ掛けでしかない。

このOTIとDAIの活動が本当にCIAの作戦であるという可能性については、「CIA日記Inside the Company: CIA Diary」(1975年)、において、諸外国におけるCIA工作員のための商業の見せ掛けの利用に関して、私が記したことを思い起こすとよいであろう。1947年の創設以来CIAは、機密を扱う活動から、外交の偽装のもと大使館で働いている工作員を切り離す手段として、海外に非政府の偽装の下、作戦を処理する工作員を配置してきた。長年の間、異なる米国の国際企業が、CIA工作員を彼らの海外事業に配置することにより協力してきた。だが、大使館で働くCIA工作員は常にその非公式偽装の工作員を色々な面で支えなければならず、この管理上の仕事は概して多くの時間を取ったのである。

1960年代の間、ワシントンの外部で、バージニア州ラングレーのCIA本部との直接通信手段を持つ商業の偽装の下、小規模で自立した工作員集団を確立する試みがなされた。その目的は、大使館で働く工作員による、時間が掛かる要請を減らすことにあった。メキシコシティーにおいてコードネームLILINKとして輸入企業を立ち上げた3人のCIA工作員がその例である。大使館内のCIA工作員らがこの非公式偽装の事務所を相変わらず指導していたが、個人的な打ち合わせと、大使館による他の支援の必要性を減少させた安全な通信手段があった。カラカスのDAI事務所は、CIA工作員に、民間そして商業と称する偽装を与え、大使館職員をベネズエラ政治内における機密の介入から分離する試みという点で、完全にこの傾向に合致する。

この契約書を集約すると、2002年4月の失敗に終わったクーデターの後、米国政府は、米国民主主義基金(NED)とその4つの提携基金に対するよりも多くの予算を携え、国際開発庁(AID)を通して、ベネズエラの政治過程に対する介入計画を拡大させた。それにも関わらず、NEDとその4つの提携基金による反対派との計画は継続された。2002年8月に、AID/OTIは、政治的反対派を支援する異なる計画を開発するため、約500万ドルの年間予算と共に、コンサルタント会社Development Alternatives, Inc.(DAI)と契約した。DAIはその後カラカスに、おそらくCIAの前線として、またCIAの人員が配置された事務所を設立し、その一方で米国の多国籍企業の通常の子会社として通用したのである。実際には、それは民間会社を装った米国大使館の主要事務所なのである。

2004年の終わりまでに、少なくとも67の企画が「ベネズエラ:自信構築イニシアティブ」と呼ばれるDAIの計画により資金供給された。2002年秋に開始された最初の企画は、2002年12月から2003年2月の石油産業による締め出しと妨害工作を支援するために立案された。この支援には、ストライキを支持するテレビ広告の組織的活動に対する資金提供が含まれる。ストライキが失敗した時、DAIは2004年8月の不信任国民投票に企画を集中させ、主な受益者の中には、チャベスに対する国民投票を促進した主要NGOである、スマテがいた。これらの活動と並行して、DAIは「国家コンセンサス計画Plan Consensus Country」として知られる、ボリバル革命に対する反対派による政治的計画の発達に出資した。この計画の受益者は「Queremos Elegir(私たちは選びたい)」や「Liderazgo y Vision(指導と理想)」である。現在、不信任国民投票と、2004年10月の地方及び州議会選挙におけるチャベス大統領の勝利以来、DAIは2005年と2006年の国政選挙に集中している。

2004年の末、OTIは進行中の作戦を、ベネズエラ、イラク、アフガニスタン、コンゴ共和国、スーダン、ボリビア、ハイチを含む、11の国において実行中である。OTIのウェブページには、彼らが計画を行っている諸国の表があり、全ての国が計画を説明するページへとリンクされているのだが、ベネズエラのみリンクも計画についての説明もないことは注目に値する。DAIに関しては、2004年末、アフリカ、アジア、東欧と中南米の数十の諸国において計画していた。ベネズエラの他に、ボリビア、コロンビア、ブラジル、エクアドル、エルサルバドル、ハイチ、ホンジュラス、ジャマイカ、メキシコ等で計画していた。これらのOTIとDAIの計画が、果たしてベネズエラにおけるのと同じ条件の下、言い換えれば、CIAの前線の偽装として、遂行されているのかどうか調べる価値があることは疑いようがない。

マリア・ビクトル〔Maria Victor〕によるスペイン語英訳


[1]編注:2004年8月15日の大統領罷免国民投票後まもなく、民主調整委員会は崩れ去った。



第1部:ベネズエラに対する米国の介入の仕組み

第3部:ベネズエラにおける共和・民主両党基金とのUSAIDの4つの契約書の分析(作業完了次第更新予定)

第1部〜第3部の単一HTMLファイル(作業完了次第更新予定)

Rebelion.org(スペイン語原文)




posted by Agrotous at 22:57 | TrackBack(0) | ベネズエラ
この記事へのTrackBack URL

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。