2007年12月22日

民主主義日記
〔Democracy diary:Original Article in English/ZNet原文

ヒラリー・ウェインライト〔Hillary Wainright〕Red Pepper;2007年12月14日

ヒラリー・ウェインライトがカラカスからベネズエラの国民投票を、そしてまた改革に向けた次の段階を報告する

国民投票当日のカラカスは非公式に午前3時から始まった。有権者達が爆竹を鳴らし、クラクションを鳴らすことで、チャベス大統領による憲法改正案の運命を決める日の夜明けを祝っていた。これらの改憲案に含まれていたものは、住宅供給、社会保障、教育に対する社会的権利や、短縮された週労働日数といった野心的な案、それに加えて、地域住民委員会の強化、ベネズエラを正式に社会主義国家にすること、大統領に広範囲な非常事態権限を与えることや、彼の任期が満期になる2012年にチャベスが大統領に再び立候補することを可能にするための数々の案であった。

投票の視察

私にとって国民投票当日は、それよりもゆったりとした時間、午前7時に始まった。灰色のジャケットを着て、「observación internacional〔国際監視団〕」の野球帽を被り。私達は大学関係、メディアや市民社会団体に所属する80人程の人々で構成された国際団体のひとつで、国民投票の投票過程を監視した。10台のミニバンがあてがわれ、私達はカラカスとその周辺へと派遣された。私はグループ10に配置され、空港近郊の中流下層階級/労働者階級の地域カティア・ラ・マル〔Catia La Mar〕近辺の6つの投票所を訪れた。そして投票終了後に、電子投票の手集計を監視するべく、カラカス中心部の大きな中等学校に戻った。

最初の持ち場に到着すると、投票所の最大で8つあるテーブルのどれに自分が割り当てられたのかを知るため、人々〔有権者〕が列をなして投票所の壁に貼られた名簿を調べていた。彼らは署名され、指紋が押され、名前が書かれたIDを手に、それぞれの部屋へ向かった。この身元の3重の確認は、私の故郷英国のいい加減な投票カード・システムとは大分異なっていた。

そして彼らは即席の段ボールで作られた仕切りの後ろ、人に見られないところで票を投じた、と言うよりはむしろ彼らは電子投票機の自分が選択したボタンを押した。その後その同一の投票機がその投票を印刷し、それを投票者が確認した後、電子投票の検査の基準のために投票箱へと入れた。この様にして無作為に54%の投票機が検査され、後にカラカス中心部の投票所で、これらの投票箱のひとつから360票程の票が慎重に数えられ、電子投票と照合されたのを私達は確認した。皆が安心したことに、それらは一致した。

最終的に全ての有権者は投票所を去るとき、指先に紫色の消えないインクが塗られた。ひとつの投票所である投票者は、その消えないインクに挑戦し、彼と観察者らは徹底的な実験を行い、漂白剤やアンモニアで紫のインクを試し、見事に旨くいった。

全工程は全国選挙評議会(CNE)の若いスタッフによって実直に管理された。その機関は1999年の〔ベネスエラ・〕ボリバル憲法の一端として創設され、選挙実施のための手続きを発展させ実行する熱心な責務を負っている。それは政府から独立しており、その評議会は大学関係者、市民社会団体やオンブズマンで構成された全国会議によって任命される。投票所は機関銃を肩に吊り下げた国軍の同様に若い兵達――男性と共に多くの女性達――によって護られていた。どうやら警察は信頼されていないようであった。

各「テーブル」には、地元区域から無作為に任命され、その過程で活躍するべく訓練された総長と秘書がいた。そしてまたそこには「賛成」側と「反対」側の2人の立会人がおり、私が訪れた全ての投票所で彼らは、規則の公正さ、誠実さや手続きの公明性に同意していた。殆どの場合、これらの地元参加者達は一定の相互尊重を完全に示しており、それは国内報道によって伝えられ、カラカス都市部の街頭で起きた分極化した様相とは異なっていた。ある投票所で、「反対」の立会人が改正案に反対して怒鳴り散らし、別の投票所では、投票すると共に「反対」側の立会人を追いやる「賛成」側の有権者の高飛車な態度を耳にした。しかし、他の点では皆満面に笑みをたたえていた。

衝撃

その日の終わりまでに、「賛成」支持者達の笑顔は消え去り、単に衝撃のみがあった。結果が接戦になるであろうことは広く知られていたのだが、出口調査は改正案賛成が6から8パーセント優勢であることを示していた。その晩の内には結果が全て判明するであろうと私達は聞かされていた。(電子投票が考案されたのは部分的に、迅速な結果を確実にし、遅れのための緊張を回避するためであった)。

私達はカラカス中心部にあるCNEビルの増築部分に集まり、待ち続けた。皆が予想したよりも接戦になっていた。そこまでは明らかだった。

夜中になっても結果は出ていなかった。遅れを何かのごまかしが起きている徴候であると解釈した反対派の闘士らがCNEビルに突撃している、という噂が広がり、そしてテレビ画面がそれを確認した。実状は投票所が遅く閉まり(投票のため並んでいる人がいる限り、4時の終了時間を過ぎても投票所を開けておく、というのが決まりであった)、また検査手順が予想よりも長くかかったのである。

舞台裏の空気は緊迫していた。投票日のわずか前日まで、政治的争いで人が殺害された事例を含む、かなりの暴力がおきていた。用意周到なCNEの主催者達は、国際監視団をホテルへ連れ戻す計画を立ててあったのだが、そうすることは危険すぎるという判断が下された。演壇に向かって人々が突進する度に、何らかの攻撃が行われているのではないかと考えそうになった。けれども、それは実際はただ、今すぐにも発表がされると思って休憩室から中央ホールへと急いで向かう人々であった。午前1時が過ぎた直後、ティビサイ・ルセナ〔Tibisay Lucena〕CNE代表が穏やかに演壇へと歩み寄り、多数のカメラやマイクを前に、静かに結果を発表した。

2人の女性が演壇の前で抱き合った以外には、概して呆然とした沈黙に覆われていた。国際監視団は保護される形で屋外のバスへと誘導された。私達は両側一人ずつ武装警備員に防御されて駐車場へと向かった。実のところ、全てが平穏に思われた(翌朝、反対派に不利な結果が出ていたとしたら、カラカス全域で多数の暴動が起きていたであろう、と複数の人が述べた)。

左派のチャベス批判家達

私達はバスの中で、謙虚でありながら自信に満ちたチャベスに聞き入った。「人々は意見を伝えた」と彼は述べ、選挙結果がベネズエラの民主的な社会制度の正当性を強固にしたことを指摘した。憲法改正案は頓挫した、と彼は認めた。「今のところは〔Por ahora〕」と彼は付け加えた。それは彼が以前の敗北の瞬間に、また勝利の前兆であった時に用いた文句と同一のものである。それは、腐敗したベネズエラ国家の反動的な寡頭勢力に対して彼が率いた1992年の軍事クーデター未遂直後の放送においてのものである。

その過去の体制の遺産は未だに消えていない。官僚政治や汚職は全てのレベルにおいて蔓延しており、オイルマネーを必要としている者たちにそれを受け渡すチャベスの手腕を妨害している。チャベスにとって憲法改正案が目指していたことは、その寡頭勢力国家を変容させ、その遺産を永遠に葬り去ることであった。しかしながら、彼の大統領職への支持が引き続き高いままである――世論調査は60パーセント以上を示している―― 一方で、民主化、人民権力そして新しい類の社会主義の構築を目指したボリバル革命を熱烈に支持する多くの者たちの間で、改憲案は非常に議論を呼んでいる。

実際に、チャベスにとって、ベネズエラ民主主義の強みに関する、より楽天的でない徴候が、彼の支持者達自身の間の議論や批判で盛んに行われてきている。例を挙げれば、左派に属する最も説得力のあるチャベス批判者に数えられるエドガルド・ランデル〔Edgardo Lander〕がいる。彼は広く尊敬された社会主義者の学者で、ALCA(米州自由貿易地域〔英頭文字ではFTAA〕)のベネズエラ協議代表のひとりであった。ランデルはボリバル革命に対する彼の支援を強調する一方で、改憲案が権力を大統領の手に集中させ、また人民権力を国家を優先した自立的な権力の源泉としてではなく、国家の一部として扱ったことを批判している。右派の反政府派との関係がないとはいえ、彼もまた、改憲案が憲法のこれ程徹底的な変更が伴っていたために、国民が参加する本当の憲法改正手順を踏むべきであったと力説する。(彼の論説の〔英文〕翻訳はwww.tni.orgへ。)

バリオからの視点

こういった社会主義者の批判家たちの論点はどれほど重要なのであろうか? チャベス大統領への支持が高い状況での改憲案の否認を説明するような如何なることが彼の支持者達の間で起きているのか?

これらの問いに答える最善の場所は、バリオと呼ばれるカラカスの貧しい地域であると思われた。チャベスの支持基盤において決定的な変化が起きたのはそこであった。おおよそ730万人が2006年12月の大統領選挙でチャベスに投票した。わずか438万人が憲法改正案に賛成票を投じた。その一方、「反対」に対する4、504、000票は、2006年に野党候補〔マヌエル・ロサレス〕が得た票〔4、292、466票〕をわずかに上回るものでしかなかった。従って、重要な影響をもたらしたのは、300万人ほどのチャベス支持者による棄権であった。この大量棄権の裏には何があるのか?

1958年1月23日にその中心を形成するアパート群への集団移住の後、「23 de Enero〔1月23日の意〕」として知られるようになったバリオのふもとに、パブロ・ナベレッテ(Red Pepperの中南米およびベネズエラ・ブログ編集者)と私が到着したとき、棄権の裏にある一要因の象徴が目と鼻を直撃した。おびただしいゴミの山である。

「官僚政治に対する欲求不満、私達が持つ問題に対する国家からの応答の欠如が、これ程多くのチャビスタ〔Chavistas:チャベス支持者ら〕が投票しなかった理由のひとつに違いない」と批評眼のある「賛成」投票者のマリルス・ギジェンは論じた。彼はそれらの問題を解決するべく、あるいは地方自治体がそれらを解決するよう圧力を掛けるべく、地域住民委員会〔または地区住民評議会:consejos comunales〕の能力を築き上げるためにほぼ常勤で働いている。保健とスポーツの訓練ではキューバ人の協力が伴う「ミシオン」として知られる政府による社会政策は、教育、保健や食の配分に関して言えば、国家の建設的な社会的能力の欠如に対する非常に成功してきた解決策ではある。けれどもその結果は、不安定な二重の体制であり、それらは、理論上国家機関の責務である住宅、ゴミや都市計画といった問題において活動範囲が限られている。

改憲案の擁護者達

改憲案の擁護者達は、この国家に対する広範囲に及ぶ大衆の欲求不満こそが改憲案の本当の理由であったと述べるであろう。上位から変化を余儀なくさせるべくチャベスの権限を拡大することによって、そしてまた下位から民衆による民主主義〔popular democracy〕の力を強化させることによって、国家を変容させるというものであった、と。「彼は良き聞き手です」とグスタボ・ボルヘスは言う。ヒップホップのプロモーターで、デザイナーでもある彼は「23 de Enero 」の頂上に住んでいる。他の多くの活動家と共にボルヘスは素晴らしいウェブサイト「www.el23.net」を運営しており、チャビスタ闘士である彼の父親が「Sucre En Comunidad http://sucreencomunidad.blogspot.com」という地域新聞を洒落た形でデザインするのを手伝っている。

最初のボリバル憲法〔1999年制定〕をまとめ上げた過程とは異なり、大衆参加が殆どなかった(改憲案は国民投票のわずか一ヶ月前に公表された)と主張する者にボルヘスは反論して、「改憲案はチャベスが人々に聞き入った結果でした」と強く主張した。彼の考えでは高い棄権率は、改憲案を説明し、メディアにおける反体制派による「脅し攻勢」に論駁する上で、チャベスの政党――統一社会主義党(PSUV)――の指導部が失策を犯したことに大部分帰するという。(このメディア攻勢には、国家による小規模企業の収用や、子供達が家族から取り上げられ、国家による児童保護へと渡されるという結果を改憲案はもたらす、と伝える広告が含まれていた。)

そうとはいえ、彼は指導部を非難することには慎重な態度を示す。「地域共同体も同様に責任を取らなければなりません。地域住民委員会は単なる事業の管理以上のものにならなければなりません――政治的なものにもなる必要があります。委員会は憲法改正案に関する、より大きな責任を負うべきでした。」

「誘拐された」チャベス

エドガル・ペレスはこの地域共同体の責任という考えを更に推し進める。彼はラ・ベガと呼ばれる地域の頂上に位置するラス・カシタスの穏やかな指導者である。私達が彼に会ったのは、貧しい人々に食糧を配給する中心施設「カサ・デ・アリメンタシオン〔Casa de Alimentacion〕」であった。そこにはフリーダ・カーロ〔メキシコの画家〕によるユリを持った女性の有名な絵が飾られていた。

ラス・カシタスはその境界を示す壁に自治を宣言する地域共同体である。この闘争的な自治という下地を考慮すると、おそらく予測どおりなのだが、エドガルは改憲案の欠陥や、彼らが説得に失敗した理由は、それらが説明された仕方よりも、それらが形成された仕方にある、と論じる。「私達は全ての地域共同体からの考えを取り入れる可能性である、憲法改正の手順を踏むべきでした。」

確かに、もしペレスの地域共同体が基準になるのであれば、そこには取り上げるべき多数の建設的な意見があったであろう。彼は、人々の需要に公共資源を注ぐことを目指した彼らの闘争、殆どが成功した闘争の数々を説明した。話の中で彼はチャベスを国家とその役人達と区別し、欲求不満の別の原因を指し示した。「大統領は以前そうであった様には近づきにくくなりました。彼ら[役人達]が彼を誘拐したのです。」

ペレスの意見は、選挙結果が出た朝ウェブ・マガジン「Aporrea 」でハビエル・ビアルデアウ〔Javier Biardeau〕によって書かれた事柄に結び付く。彼はこの過程(ボリバル主義の過程、チャベス革命、ベネズエラの変化を皆が「過程〔el proceso〕」として言及する)に密接な関係を持つ著名な解説者兼学者である。

「敗北に対する責任の大部分は、革命がもっぱら彼という人物にかかっているとチャベスを説得したものたちにある」とビアルデアウは記す。「これは誤りである。おそらくチャベス抜きでは革命はないであろうが、チャベスのみによるものも存在することはない。重要な討議や決定における人々の指導的な役割を軽視する傾向を是正する必要がある。『チャビスタ政治機関』[統一社会主義党(PSUV)の指導部]は打ち破られた。この革命は下から上へと築き上げられる、さもなければそれは上から崩壊していく。」

前衛主義の一掃

私がビアルデアウの論文を耳にしたのは、自称「草の根チャビスタ」で、チャベスのスピーチライターを時折務めている若い活動家知識人たちのグループの論議で持ち上がったときであった。彼らは彼らお気に入りの中国料理店で選挙結果を長い間論じていた。通信・情報相〔ウィリアン・ララ 〕が、彼らの一人に国民投票敗北に関する草の根の反応を集めるよう頼んでいた。議論の中で彼らはビアルデアウの声明に度々戻り、それが彼らが大統領へ返答したいと望むことを集約していると考えていた。つまり、

「社会的平等が達成されなければならないのみならず、政治的平等もまた達成されなければならない。指導部や単一のグループによって上から指導される革命というジャコバン派〔フランス革命時の政治政党〕の理想は、無用の物として一掃される必要がある。いまは深い熟考の時である。国内の右派の実利主義や国内の極左のスターリン主義の両方を終わらせる時である。汚職と官僚主義を終わらせる時である。専制政治のポピュリズムに向けた傾向を止める時である。そして批評眼のある社会主義的思想を一新させる時である。また今は、犯された悪弊の多くに関する容赦を請い、ある程度の謙虚さを示す時でもある。」これは説得力のある論文である。(Red Pepperのベネズエラ・ブログで英文翻訳http://redpepper.blogs.com/venezuela/2007/12/why-did-abstent.htmlを参照せよ。)

ビアルデアウの分析が明確に表したことは、私達が「23 de Enero」で出会った草の根のチャビスタの間で広く行き渡った考えであった。それは彼らが「賛成」に投票したのであろうと、棄権したのであろうと、あるいは少数の例では「反対」に票を投じていようと共有されているものであった。すなわち、「過程」を民衆による民主主義へと引き戻す必要性である。バリオや職場や田舎の地域――都市開発委員会、保健委員会、土地を持たない者たちの団体、協同組合のネットワークや労働者によって管理された工場――における活動の水準及び、ますます連結した組織編制から判断すると、政治的願望と共に組織編制の土台は、発展・支援されるべくそこに存在している。

それはチャベスから自立しており、それと同時に彼に対する支持の源泉になっている。バリオにはチャベスに対する愛がある。しかしそれは奴隷的な崇拝ではない。それは西側諸国における有名人や見世物という消極的な政治と比較することはできない。それが基礎にしていることは、彼らの生活における物質的な改善であり、また彼ら自身の将来を築き、彼ら自身の力を発展させるべく彼が彼らのために門戸を開いた、より拡大した機会や場である。チャベスの周りにいる者たちがどうやらあまり好ましく思っていない程に、彼らはそうした場に身を置いているのである。

民主的な緊張

ベネズエラの過程は、民主主義と民主的な指導という二つの理解の間にある緊張を例示している。一方で、そこにはひとたび民主的な為政権が獲得されれば、民衆の意志が勝者――例えば大統領、あるいは市長――によって代表され、指導とはこの意志を全ての敵対的な勢力に対して断固として課すことである、という見解がある。他方の見解は、民衆の為政権という権限は、大多数と指導部全てにおける民衆自らの組織編制を通して、活発に深め発展させる必要がある――そしてそれは正当性と権威の立場を用いて、その自己の組織編成と協議を民主的力のより深くより長続きし創造的な源泉にすることを助長することである、というものである。

チャベスのごく最近の発言は、この後者の見解の価値を認め、ボリバル主義の過程の参加型の性質を強固なものにする徴候を示している。彼の改正案の敗北後に行われたインタビューで彼は、主要な目標は相変わらず国家の変容でなければならないと強く主張したのだが、彼は次のような認識を示した。「いまは真の熟考と自己批判を開始する時である。ベネズエラ国民は憲法改正案の要請を提出する権力と権利を有している。この大統領職が終了する前に。未だ5年の猶予がある。」

彼が言及しているものは、15パーセントの登録有権者によって支持された請願は、彼らに憲法改正のため改正案を提出する権利を与える、という憲法の条項である。ラス・カシタスのエドガル・ペレスや彼のネットワークは既にこれに取り掛かっており、組織編制に着手している。チャベスの改正案に対する批判を通して、草の根組織の同盟が集まった。これが新たな草の根の先導の中心になる可能性もある。

敗北に対する反応で、チャベスは投票がベネズエラ民主主義の力を立証した、と主張した。彼は選挙過程とCNEの制度に言及しており、私はそれを、またその過程に対する政府の反応の仕方を国民投票当日に観察した。

とはいえ、優れたウェブサイトwww.venezuelanalysis.comでジョシュ・ラーナーが述べたように、「彼は彼が気付いているよりも正しい可能性がある。政府が民主的な過程を尊重することを国民投票は示したのみならず、それは更に新しい仕方で民衆を揺り起こした。過去チャベスが人々を無知に起因する自己満足や消極性から揺り起こしたのに対して、今回彼は彼らを無条件の支持や凝り固まった前提から揺り起こした可能性がある。これまでになく、無数のチャベス支持者達が、彼らの指導者の望みに率直に疑問を呈し、異議を唱えた。」http://www.venezuelanalysis.com/analysis/2971

というわけで私は、民主的な選挙過程の国際監視員として訪問を開始し、多くの点でそれが私達のものよりも民主的であることを知った一方で、最後はチャビスタ運動自体の内的な民主主義を観察することになった。そしてその土台に、多元主義、批評眼のある討論や民衆の自立に対する人を鼓舞する専心を見出した。そこから学ぶべきことは沢山ある。

posted by Agrotous at 21:39 | TrackBack(1) | ベネズエラ
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ベネズエラ報道に見たアメリカの世界共認
Excerpt: ベネズエラ・クーデターの報道を取り上げ、報道内容と事実の違いを以下の映像を交えて分かりやすく解説しています。 一部のでっち上げ報道が世界中に報道され、世界共認にまで繋がる悪例です。 1.200..
Weblog: 疾風怒濤
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