2007年12月01日

潜水艦とゆるんだネジ:
チャベスの側近、仕切りを飛び越える
〔Of Submarines and Loose Screws: A Chávez Ally Jumps the Divider:Original Article in English/Venezuelanalysis原文

ジョージ・シカリエッリョ=メイハー〔George Ciccariello-Maher〕CounterPunch;2007年11月17日

11月5日、ラウル・バドゥエル退役将軍は、ベネズエラと海外の多くの者に衝撃を与えた。憲法改正案を非難し、12月2日に「反対」票を投ずるよう勧める声明文を読み上げたのである。多くの者が感じたその衝撃、またある者にとっては憤慨は、これ程有力な側近の離反の結果であったことは疑いがない。この7月までバドゥエルはベネズエラ国防大臣を務めていた。しかしその職務それ自体では、ラウル・バドゥエルが近年チャベス支持者達から得てきた神話的な地位を説明しきれない。バドゥエルの離反に対する一般の衝撃、及びその必然性の両方を理解するためには、おおよそ30年に及ぶ歴史により綿密に目を向ける必要がある。

国家尊厳回復作戦

チャベスと共にバドゥエルは、1980年代初期にベネズエラ国軍内で形成された秘密組織、革命的ボリバル運動200(MBR‐200)の結成メンバーであった。この陰謀を企む理想主義者の一団は、マラカイ〔アラグア州〕の落下傘連隊に起源を持っていた。マラカイは〔首都〕カラカスから西に2時間程離れた息苦しいほど暑い人口100万人の都市で、そこで彼らは旧第四共和国〔チャベス政権以前の体制〕の汚職や抑圧からの脱却を計画し始めた。シモン・ボリーバル〔南米の解放者〕が休んだとされる歴史的に有名な大木サマン・デ・グエレ〔Samán de Güere〕の下で共に彼らはボリーバル主義の誓約を誓った。

しかし機が熟したとき、バドゥエル自身が目立って不在であった。あるインタビューで彼はマルタ・ハーネッカーに、1992年のクーデターの試みに加わらないことを選んだのは、それを時期尚早であると彼が考えたからだと語った。この決断ゆえにバドゥエルはしばしば非難されてきた反面、彼が完全に誤っていたわけではない。つまり、そのクーデター自体は、その後に起きたことにとって必須であったとはいえ、確かに時期尚早で不十分に計画されたものであった。とはいえ1992年のクーデター以前のバドゥエルの懸念のいくつかは目に付く。「軍の構造はどうなるのか?」と自問したのをバドゥエルは想起する。「私達よりも高い地位にいる者たちをどうするのか? 彼らを私達に従わせることはできない……なぜなら軍の生活の根本的な要素は階層主義〔verticalism〕なのだから。」この2002年のインタビューでバドゥエルは、〔ニカラグア〕サンディニスタの「ゼロ司令官〔コマンダンテ・セロ〕」からコントラに転身したエデン・パストラのように感じる、と予言的にも冗談を言った。彼〔パストラ〕が「両方の側から慕われていなかったのは、彼が彼らを裏切ったからである、とある者は言い、彼らに潜入したからであるとその他は言った。」

1992年のクーデターに加わらなかったことがMBR‐200とのバドゥエルの関係を終わらせることはなかった。彼は投獄された指導者たちとの連絡を維持し、その後に続く1998年選挙で政治権力獲得を目指すチャベスの出馬を支持し、そして1999年にバドゥエルはチャベス自身が過去所属していた第42落下傘歩兵連隊の指揮官に任命された。1992年のクーデターに参加しなかったことが彼の革命家の資格に長い影を投じてきた一方で、彼の神話的な地位は10年後、チャベスに対する2002年4月のクーデターへの軍の対応をほぼ独力で率いた時に強固なものになる。

1992年に軍上層部〔military hierarchy〕に対する尊重が行動の妨げになったバドゥエルが何故10年後それがチャベスに反旗を翻した時、正にその上層部から袂を別ったのか? なぜならその時までに別の極めて重要な要素が現れていたからである。つまり1999年の新憲法である。1992年に陰謀者ら全員が確信していたことは、バドゥエル自身の言葉では、「支配階級が現行憲法を行使していた一方で、彼ら自身の利害に応じてそれを適用させていた」ということである。他方2002年には、クーデター首謀者らや軍上層部(とはいえ重要なことに下士官達は含まれない)は、新しい「ボリーバル」憲法に反して行動した。彼が持つ2つの主要な価値観、軍の組織に対する忠誠と憲法に対する忠誠の間の対立を突きつけられてようやく、バドゥエルは実行に移る決心をした。彼は第42連隊がペドロ・カルモナ・エスタンガの不法の暫定政府に対して反旗を翻したことを宣言し、「国家尊厳回復作戦」を開始することによって、大多数の忠実な将校達がクーデターに歯向かうことを可能にした火花をもたらした。憲法に対するこの忠誠は報いられた。それから2年以内にバドゥエルは陸軍総司令官に任命されるのであり、2006年には国防大臣になるのである。

軍の2つの理想像

クーデター未遂とチャベス復権の余波の中、バドゥエルは大衆の心像において忠誠と中庸の典型を象徴するようになる。2007年7月に彼が退役するまで、この「4月13日」の英雄と革命運動の指針の間の潜在的な不一致は、全く公共の目に触れることはなかった。バドゥエルは退役演説の機会を捉え、「21世紀の社会主義」というチャベスが提案した事業に関しては慎重になるよう勧めた。彼は社会主義を概念としては賞賛したのだが、その国家資本主義的な現れには警告を発した。「私達の社会主義は大いに民主的でなければならない」と彼は忠告した。富の再分配と不平等の是正に焦点を合わせたものに、と。さらに、彼は「権力の分立訳注1とは単に中産階級支配の手段である」という考えから距離を置き、一般的にリベラルな立憲主義訳注2に結び付いているその様な分立は依然として必須の事柄である、と論じた。

とはいえ、バドゥエルは昨7月に退任した唯一の将軍ではなかった。アルベルト・ミュラー・ロハス〔Alberto Müller Rojas〕が退場の舞台を共にした。だが、バドゥエルが論争を引き起こすのを退役まで待った一方で、 ミュラーは論争を静めるために退役させられた。その年の初期に、ベネズエラ統一社会主義党(PSUV)の結党委員会の一員のミュラーは、軍現役中にPSUVに参加することで、現行法を鼻であしらった。軍の中立性とは根拠のない社会通念であり、それは反動的な軍組織の二本柱として軍人意識と共に存在しているものである、とミュラーは論じた。軍上層部を埋め合わせることを目的とした、広い層に基盤を持つ人民軍組織の発展と共に、軍の本質的に政治的な役割の承認を唱道して、ミュラーは現在の憲法改正の過程をこの新しい理想像への道を切り開くために用いるよう熱心に説いた。

軍の政治化という野党の主張に屈したとして、ミュラーは即座に穏健派のチャベス支持者らから激しく非難された。その次に起きたことは、ベネズエラ権力の謎に包まれた回廊の一端を垣間見せる。ベネズエラ軍の非政治的で職業的性質を力説し、チャベスがミュラーに対する非難に加わったのである。そしてチャベスや大多数のベネズエラ高官たちが、過去提案してきた軍の構造の類をずうずうしくも提唱したことで、この横柄な将軍は大統領の実力者グループから適切に追放されたのである。疑いなく、メッセージが軍上層部に送られた。そしてそのメッセージは、軍の政治化という問題からしばらくの間注意をそらせることになる。それが明らかになったのはチャベスの憲法改正案が公表された時であり、それはミュラーの主張にほぼ全ての点で一致していた。12月の国民投票で是認された場合、改正された第328条がもたらす結果は、軍がもはや明確に「非政治的な」機関ではなくなり、その代わりに「愛国的、人民の、そして反帝国主義」であると特徴付けられるようになる、ということである。それに加え、第329条は現在の予備軍を、「ボリーバル人民軍〔Milicia Popular Bolivariana:Bolivarian Popular Militias〕」として言及される制度的により強力な勢力へと再編成することになる。

とはいえこの計略はミュラーの皮肉な追放という話で終わらなかった。改正案が公表されて間もなく、軍最高司令部との協議の後、チャベスは新しい人民軍は「人民〔Popular〕」ではなく、「ボリーバル国民軍〔Milicia Nacional Bolivariana〕」として知られるようになる、と発表した。一見したところ重要でないこの語義上の変化よりも興味深いことは、その様な変化をもたらすべく介入したに違いない(どうやら強大らしい)政治的圧力である。

仕切りの飛び越え

ミュラー・ロハスがすかさず論争を引き起こしたのに反して、バドゥエルの世間の注目を浴びる日は、予定されている憲法改正国民投票から一ヶ月足らずの11月5日まで訪れなかった。11月4日にチャベスは、ある人物が間もなくチャベス派から反対勢力へと「saltando la talanquera」する、あるいは「仕切りを飛び越える」であろう、と警告した。このような声明はPSUV結党に関する最近の論争を注視してきたものにとって驚きではないであろう。その過程でチャベス連合の比較的大きい方に数えられた社会民主主義党(PODEMOS)が、チャベス派と反対勢力との間の無人地帯に基本的に追い出された。だがチャベスが明快な警告をした事実は、何か由々しいことが進行中であったことを示していたと考える者たちもいた。

翌日、国営テレビVTVが目立って除外されていた記者会見にバドゥエルは登場した。彼が述べたことは多くの者を呆然とさせた。彼らにとって彼は忠義の権化を象徴するようになっていた。彼自身の言葉では、バドゥエル(自称道教信者)は国の進路に関して「熟考し瞑想してしばらく過ごした。」彼の結論は、1999年憲法で事足りる、というものであった。革命に対する足かせになるどころか、この憲法はいまだ完全に効力を発揮していない、とバドゥエルは論じる。その憲法は「どのような形でも社会主義政府の職権行使を妨げることはないのであり、高度の包括的及び広範な社会的内容を有している」と彼は論じる。とはいえどの様な社会主義をバドゥエルは支持するのか? 彼はそれを語らない。けれども、その言葉〔社会主義〕がカンボジアのクメール・ルージュから北欧の社会民主主義(それを彼は啓発的にも「社会主義」であると考えている)に至るまであらゆるものに適用することができる、と彼がほのめかす時、彼の忠義が何処にあるのかは明白である。

彼の退任演説を繰り返して、バドゥエルはリベラルな立憲主義に対する彼の献身を再び述べた。「憲法というものは権力を制限し統制すべきである……そして権力の制限を緩和し撤廃するような憲法は疑いの目でもって見られるべきである。」要約すれば、憲法には本来的に禁止的な役割がある。つまり権限を与えるのではなく権力を制限するのである。このリベラルな立憲主義はバドゥエルのリベラルな社会主義にうまく符号する。つまり、権力の分立と緩やかな富の再分配を達成し終わったいま、更なる行動は必要ではない、と。権力の分立を弱体化させることで革命を急進化させる如何なる試みもバドゥエルにとっては「権力の強奪〔usurpation〕」に成り変るのであり、彼の主張では、もし是認された場合、現在の憲法改正案は「憲法条文に不名誉にも違反して、実質的にクーデターを達成することになる」のである。

特筆すべきは、バドゥエルが国軍に「改正案を深く分析」するよう訴え、国民全体に「私達に残された唯一合法で民主的な武器」、つまり12月2日の「反対」票を用いるよう嘆願したことである。とはいえ当記事の趣旨にとって最も興味深いことは、台本からバドゥエルが脱線した部分である。国軍に訴える時点が来たとき、バドゥエルは軍の性質に関する長い余談を始め、その中で彼は非政治的で職業的な機関としての軍の現在の定義を最初から最後まで読み上げた。彼の演説の他の部分にはこの軍の問題が比較的触れられなかった一方で、この即興の部分はバドゥエルの動機及び、ミュラー論争に対する彼の関連の両方に殆ど疑いを残さない。改正案はリベラルな立憲主義を弱体化させるのみならず、それは軍人意識をも脅かすのである。彼自慢の「階層主義」のために、ミュラーを失脚させ、チャベスにボリーバル市民軍の提案された名称を変更するよう圧力を掛けるべく介入したのは、バドゥエル自身だったのであろうかと疑うことは正当化されるであろう。

潜水病

バドゥエルの名高い地位を考慮すると、おそらく驚くべきことではないのだが、彼の宣言に対するチャベス支持者らの反応は耳をつんざく様な激怒のほとばしりであった。チャベスはバドゥエルが「彼自身を裏切っており」またサマン・デ・グエレの下での1982年のボリーバルの誓いを裏切っている、と主張した。想起すべきは、その時までに大統領が有力な側近の離反に縁がなかったのではないことである。「潜水艦が深く潜水すると圧力が高まり」と彼は皆に語った、「ゆるんだネジが飛び出すこともある。」この隠喩はこの革命の歴史全体に満ち溢れている。つまり、ボリーバル革命の潜水艦が新たな深みを測深する度に、その様なネジの数々がうねり出てきた。最も特筆すべきは、1992年のクーデターに関わった古参のフランシスコ・アリアス・カルデナスや、長年のチャベスの政治顧問であったルイス・ミキレナといった長年の同盟者らが、それぞれ2000年と2002年に反体制派に乗り換えた(奇妙なことにアリアス・カルデナスは〔2000年〕大統領選挙でチャベスに対抗して出馬した後にチャベス支持の立場に戻った)。とはいえ大多数の意見では、これは革命にとって有利に働いてきた。惰性的体質の数々を克服し、チャベス派の独自性を強固にし、革命が急進的な新たな方針を築くことを可能にしてきた、と。

多くの者が裏切りであるという主張を繰り返してきており、「La Hojilla〔テレビ番組〕」のマリオ・シルバに代表される者たちは、バドゥエルがわずか2週間前まで憲法改正案の最も論争を呼ぶ事柄さえも公に是認していたことを指摘してきた。皆のための祖国〔PPT〕党のようなチャベス連合のより反正統的な一員の一部でさえ、この失墜した英雄を激しく非難してきた。ある者たちは、バドゥエルが強制された退役に、あるいは国営石油会社PDVSAの総裁に任命されなかったことに憤慨している、と主張する。ある者は、バドゥエルが彼の出身州アラグアの知事に当選することを追求しているという風評に言及する。

この退役軍人の裏切りに非難を浴びせる一方で、ホルヘ・ロドリゲス副大統領は、彼が有権者に改正案国民投票に参加するよう勧めることで民主的な仕方で彼の不満を伝えたことを認めた。しかしながらミュラーはそのようには見ていない。バドゥエルの主張を線密に検討すると、より悪意のある意図が明らかになる、と彼は論じる。ミュラーによれば、権力の強奪というバドゥエルの非難は、政府に対する謀反の明確な呼びかけそのものである。換言すれば、クーデターで政府を非難することによって、彼は実際上同一のことを正当化している。その場合には、バドゥエルの立場は二重に皮肉になる。ミュラーが正しければ、勧めはしたが、クーデターの試みにバドゥエル自身が関与しないのはこれで二度目になる可能性がある。彼はベネズエラの歴史でクーデター首謀者らしからぬクーデター首謀者になるであろう。

しかしこの長い武勇伝の最も興味深く啓発的な部分が演じられるのは、ミュラー・ロハスがVTVの夜の番組「Contragolpe」(偶然にもそれはCounterpunch〔反撃〕と訳すことができる〔原文の初稿はウェブサイト「Counterpunch」に出た。〕)に招かれるまで待たなければならなかった。バドゥエル問題に関する彼の意見を語るべくミュラーは招かれた。そして彼は、バドゥエルを献身的な革命家であると見なしたことはかつて一度もないということを説明し始めた。確かに以前、ミュラーは、国防大臣を務めていた時のバドゥエルの方針を非難したことがあり、ミュラーによればそれらの方針は政府の軍民統合政策を妨げてきた。その後、番組にチャベス自身から電話が掛ってきた。7月の刺々しい仲たがい以来、彼はミュラーと公共の場で話をしていなかった。鋭く明敏な忠告を常に提供してきたことで彼はこの退役軍人に公に謝意を表し、これからも連絡を取っていくことを強く主張した。これは公の陳謝だったのであり、バドゥエルのより保守的な反対が軍の急進化というミュラーの提案と大統領の間に入り妨げとなったことの容認であった。

過失か反逆か?

しかしながら、反逆でバドゥエルを非難するのを断ってきた者たちもいる。政権の急進的な分派寄りの傾向がある、タチラ州のルイス・タスコン〔Luis Tascón〕国民議会議員はバドゥエルは反逆者ではないと最近主張した。タスコンによれば、バドゥエルは道徳的根拠からではなく、政治的な根拠のみによって非難されなければならない。「私はバドゥエルを支持しない」とタスコンは後に〔彼の立場を〕明確にした、「私が述べたことはバドゥエルが私の友人であり、私が彼を尊敬しており、彼が行ったことを評価しているのだが、私の考えでは彼は誤っている、完全に誤っている。」タスコンは言葉を慎重に選んだのだが、明らかに十分に慎重ではなかった。というのも、この宣言のために彼は即座に結党間近のPSUVの懲罰委員会によって除名された。[1]

ラウル・バドゥエルには2つの側面がある。つまり彼は忠実な軍人であるのと同時に、凝り固まった立憲主義者なのである。とはいえ軍上層部と憲法に対する忠誠は必ずしも人を革命家にするわけではない(あるいは殆ど全くしない)。1999年憲法に対する彼の支持、2002年に彼を行動に駆り立てたのと同一の支持は、憲法改正の新しい過程において彼を窮地に陥れた。だがこの葛藤は本来的にバドゥエル自身のリベラルな立憲主義、軍の伝統主義や社会民主主義的な気質に根ざしたものである。つまり、革命はもう十分進みすぎたと彼は言っているのであり、この点で、「権力の強奪」から彼が保護していると主張している憲法制定権力〔constituent power〕そのものと彼は衝突するのである。行政と立法権が国民の制憲権を分岐させると彼が主張するとき、その権力が厳密には何処に属するのであろうか、と不思議に思わずにはおれない。バドゥエルにとっての唯一の答えは分立である。彼は憲法制定権をルソー的な不可分の「一般意思〔General Will:総意〕」としてではなく、リベラルな抑制と均衡の制度としてしか考えることができないのである。しかしそれは未だかつてボリーバル革命の目標であったことがない。Aporrea.org というウェブジンのある評論家が述べたように、「ひとつだけ質問がある、我が友バドゥエルよ。過去8年間に起きてきたことを理解していなかったのか?」

以上のことで、現在の憲法改正案には懸念材料が全くない、あるいは権力の分立を進んで不用にすべきであると述べているのではない。改正案の多数の建設的な要素にもかかわらず、そこにはいくつかの意見の相違がある。とはいえ革命の構成員からのラウル・バドゥエルの退場は、彼の忠誠を尊敬するようになっていた多くの者たちにとっては辛いことなのだが、事実上不可避であったこの瞬間をもたらした、より大きな不一致に端を発している。「社会主義」や軍および憲法に関する彼の見解は、政府と同一のものではなく、またそれらが国民の願いを反映しているか否かを彼は気に掛けていないようである。来る12月に、情勢からいってそう成りそうな様にベネズエラの人々が改正案を承認したとしても、バドゥエルの見地からすればそれは依然として憲法に対する「クーデター」になるのである。

ジョージ・シカリエッリョ=メイハーはカリフォルニア大学バークレー校の政治理論博士号候補。 gjcm(at)berkeley.edu から連絡可。

[1] Venezuelanalysis.com 編注:この除名が実際に起きたかどうかは論争中である。自分は除名されたとタスコンが述べる一方で、懲罰委員会はその問題に関して会議を開いてきていないと述べている。


訳注:

1.division of poewers:現行憲法下のベネズエラでは三権分立ではなく五権分立(立法、司法、行政、市民及び選挙)。新しい憲法改正案では第六の権力、人民権力(Poder Popular:Popular Power)の樹立が提唱されている。チャベス大統領によればそれが憲法改正案の最も重要な側面であるという。(英文参照元

2.立憲主義とは「権力の行使を拘束・制限しようとする」立場や実践を指す。「即ち、権力の行使を憲法により、政治権力の構成と限界を定めて、適正化を図る」ものである(引用元)。
リベラルな立憲主義(liberal constitutionalism)は「異なる世界観をもった人々が平和的に共存するために人の生活領域を公と私の2つの領域に区分し、私的領域では各自の善の構想に基づいた自由な行動を保障する一方で、公的領域ではそれぞれの善の構想から独立した社会全体の利益について議論・決定するプロセスを確保しようとする」ものである(引用元)。

posted by Agrotous at 22:47 | TrackBack(0) | ベネズエラ
この記事へのTrackBack URL

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。