2007年10月27日

チャベス:「ガルブレイスの信奉者」
〔Chávez: 'Galbraithiano':Original Article in English/Venezuelanalysis原文

グレッグ・グランディン〔Greg Grandin〕The Nation;2007年10月2日

昨年、ニューヨーク・タイムズ紙は、ウゴ・チャベスが国際連合での演説――彼がジョージ・W・ブッシュを悪魔と呼び、米国人にノーム・チョムスキーを読むよう熱心に勧めた演説〔正確にはその後の記者会見〕――で、その言語学者が死去する前に彼と面談できなかったことを遺憾に思うと述べた、と報道した。チョムスキー氏の家に電話すると彼はピンピンしていた、とタイムズ紙の記者は皮肉った。けれども、スペイン語の原文の再検討が成され、チャベスがチョムスキーではなく、その数ヶ月前に実際に亡くなっていたジョン・ケネス・ガルブレイスに言及していたことが判明したため、タイムズ紙は訂正記事を出さなければならなかった。

ウゴ・チャベスを嘲笑しようと急ぐあまり、報道界がジョン・ケネス・ガルブレイスを訳し落としたこの出来事には、ささいな皮肉以上の何かがある。なぜならば、それ自体公の議論から長いこと取り除かれてきた、このハーバード大経済学者のニューディール政策による社会民主主義こそがまさに、チャベス革命〔Chavismo〕のみならず、それが極めて重要な一部となっているより広範な中南米左派を、より公正に考察することを可能にするからである。

チャベスは自らを「ガルブレイスの信奉者〔Galbraithiano〕」であると述べたことがあり、1950年代以来中南米においてスペイン語で入手可能であったこの経済学者の著作を十代のときに読み始めたと彼は述べている。チョムスキーや他の現在、より一般的な政治思想家に言及し始める遥か前から、彼は経済政策を説明するためにガルブレイスを引用していた。例えば、1999年に、彼の大統領任期の初めに、彼の穏健な改革計画を支持するためのベネズエラ実業家らの集会を強く主張したとき、彼はガルブレイスを引用し、そうしなかった場合、「極端な経済的自由主義」によって生み出された「毒素」が「制度に歯向かい、それを破壊する」こともあり得る、と警告したことがある。

ガルブレイスはチャベスのみではなく、彼自身経済学者であるエクアドルの新大統領ラファエル・コレアを含む広範囲にわたる改革者らによっても賞賛されている。この評判は、ガルブレイスが進めた国家による経済規制に向けられた高まる熱意を反映している。20年間に亘る失敗に終わった正統派の自由市場主義――それは陰鬱な成長率や広範囲に及ぶ社会不安と窮乏を引き起こした――によって被った損害を除去しようと中南米が苦闘するなか、政治家たちは10年前には考えられなかった主要なマクロ経済学の原則を再建している。例えばアルゼンチンは金利を引き下げることや、他と遣り合える通貨為替レートを維持すること、インフレを抑えるための価格統制を制定すること、そして国際債権者らとの交渉で有利に事を運ぶことによって、その地域で最も驚嘆すべき成長を遂げた。このようにして国の対外債務の3分の2を一掃し、国家歳入を社会支出や投資に利用できるようにした。

ガルブレイスが中南米で崇拝者を引き付けてきたのは、彼のマクロ経済学のためのみならず、企業の独占に対する彼の批評のためでもある。経済の大部分が外国企業によって支配されているこの地域で、また企業テレビ(ガルブレイスの考えでは、それは表現の自由とは殆ど関係なく、消費者需要を作り上げることが全てである)がエリートの特権の防波堤に成り果てたこの地域で、法人とは民主主義を堕落させる動機と能力を持った政治的媒介者である、という彼の信念は現在共鳴を呼んでいる。ガルブレイスの解決策は彼が「拮抗力〔countervailing power〕」と呼んだものを構築するために国家を用いるというものであった。積極的な組合保護、失業保護手段、助成金、生活保護や最低賃金を成立させることで、独占を阻止し、国家の富のより公正な割り当てを余儀なくさせることを保証する、というものである。

中南米において、1940年代に類似した民主的開発主義が勢力を振るった。あらゆる種類の政治理念をもった改革者たちが、現代化への障害はその地域の寡頭勢力であると信じ、その破壊的な支配を弱める最善の策はそれに捕らわれた者たちに権限を与えることであると考えた。だが冷戦がこの民主的な試みを中断させた。その大陸を通した安定を保証するべく、米国政府が反動的な同盟者たちに背後で支援を投入したのである。

開発主義は1970年代まで継続したのだが、独裁政治あるいは軍事政権の庇護の下であった。権力と富のより公正な分配を求めた要求にそれらの政権は高まる弾圧で応じ、1970年代から80年代にチリからグアテマラまでを含むこの地域で吹き荒れたテロの波で頂点に達した。多くの諸国で大部分の左派を一掃したこの暴力は、20世紀最後の20年間に中南米全域で勢力を振るった極端な自由市場経済を可能にした。

中南米左派の再台頭は民主的開発主義の復興の兆しとなるのだが、そこには重要な相違がある。1940年代には、政党や指導者らに縦の繋がりを持った組合や農民の団体を通して改革者達が政治権力を拡大することを目指した一方で、現在諸国の富と政治権力の極端な集中に対抗するために彼らは、「新たな社会運動の数々」で構成された多様で横繋がりの連なりを頼りにしている――例えばブラジルの土地なし農民運動や、ボリビアの党というよりは数々の社会運動の連合である社会主義運動〔MAS〕、あるいはエクアドルの強力な先住民族諸集団などである。

しかしながら、経済を規制する権利を再要求している国家と、反新自由主義の社会運動の多様な連なりの間の最も進んだ協力があるのがベネズエラである。チャベス革命と中南米に置ける過去の大衆主義運動とを区別するものは、その異質性〔heterogeneity〕である。都市下層〔バリオ〕で、協同組合員や共同体メディア及び他の文化活動家らと共に、あるいは地方で農民の団体と共に時を過ごし、彼らの興味の多様性、市民としての打ち込み、そしてより人間味のある社会を築くための献身度に感銘を受けずにいるのは不可能である。

左派市民社会組織――その多くはチャベス時代以前に存在し、いくつかはその後に始められた――の拮抗力はベネズエラを活気に満ちた民主主義に変えた。そしてそれは一連の強硬な反民主的猛襲を前に政権が存続してきたことのみならず、その発展途上の計画を理解する手がかりになる。なぜなら政府の計画の多くは上位下達方式ではなく、草の根を基にしているからである。昨年12月、ある信頼が置けるチリの世論調査会社の調査結果で、中南米でウルグアイ人のみがベネズエラ人よりも自らの民主主義に関してより良い印象を持っていることが判明した。

ベネズエラが直面している問題は個人の権利を保護し、汚職を制限するのと同時に、強固な行政と、権限を与えられた市民の間の関係を如何にして制度化するのか、というものである。正にそれを行う試みである一連の憲法改正に関する議論が展開中である。それは12月に国民投票に掛けられる。国際メディアが大統領任期の制限撤廃に集中してきたのに反して、他の改革案は地域住民委員会〔consejos comunales〕を大いに強化させる。それはベネズエラの「参加型民主主義」の土台として2年前に創設され、教育や医療から公衆衛生や道路補修までを含む幅広い地元の問題を管理している。委員会をチャベスが彼の権力を強固にするためのもうひとつの仕組みであると批評家らが見なしている一方で、ワシントン・ポスト紙は「地域の近隣で沸き立つ熱狂以外のものを見つけるのは困難である」と記した。

チャベス革命は旧式の独裁政治に落ちぶれることはあるだろうか? もちろんである。とはいえこれまでの経歴がその逆を指し示している。過度の修辞法の数々にもかかわらず、チャベスは前例のない平和的な社会革命を率いてきており、その過程で支持層を倍加させてきた。チリの〔サルバドール・アジェンデ(1970年―1973年)の〕人民連合党――それはチャベスのボリバル革命が選挙で得てきたのと同程度の承認を決して得なかった――を除いては、政治・経済関係の徹底的な改革が選挙でこれだけの回数承認された実例を見つけるのは困難である。これは顕著な業績である。なぜなら革命には、当初の支持の多くを失わせる危機の数々を引き起こし、暴力と弾圧の循環を生じさせる傾向が本質的にあるからである。

この業績が米国メディアで報道されることは殆どない。チャベスはその核心を強調するために、彼が慕う経済学者のひとりによる所見をひんぱんに繰り返す。ベネズエラ大統領はガルブレイスをこう引用する。「現実と一般通念の間の距離が現在ほど隔たったことはこれまでにない。」

posted by Agrotous at 20:02 | TrackBack(1) | ベネズエラ
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