2005年08月20日

民主的、人道主義的な社会主義の構築
21世紀の政治的挑戦
〔Building a democratic, humanist socialism
The political challenge of the 21st century:Original Article in English/ZNet原文

デリック・オキーフ〔Derrick O'Keefe〕Seven Oaks Magazine;2005年3月9日


私達は新しい21世紀の社会主義を創造しなければならない。資本主義は維持できる発展のモデルではない。ウゴ・チャベス、2005年3月4日

ここ数ヶ月、ウゴ・チャベス・ベネズエラ大統領は社会主義を率直に支持し始め、ベネズエラ国内におけるボリバル革命と、さらに広範な国際的運動の両方にとっての、重要な発展を示した。

ベネズエラにおける、この過程の現在の傾向の重要性を、米国政府が理解していることは疑いようがない。繰り返し正当な民主的為政権を得て、現在社会主義を支持する、急進的な反帝国主義者の政府を持つ石油に富んだ国〔として〕、カラカスの政府は、1959年のキューバ革命以来の、最も深刻な「良い例という脅威」をもたらす。アンクル・サム〔米国政府〕の、孤立したキューバを完全に破壊できなかった歴史的失敗を嘲笑うかの如く、チャベスはフィデル・カストロとの親密な関係を誇示し、数千人のキューバ人医師をベネズエラに招き、そのエネルギー不足のカリブの島に石油を特恵価格で送っている。

新たに勇気付けられたボリバル政府と、さらに意気消沈する反対派という状況では、ベネズエラ大統領に対する暗殺の陰謀に対する度重なる警告があるのは、少々驚きである。ラジオ番組「こんにちは大統領」において、「もし私の命を狙う試みがあれば、ベネズエラの人々は一滴の石油も米国に送るのを止めるだろう」(ブルームバーグ、2005年3月5日 訳注1)と告げ、チャベスは、彼自身の脅しと共に、状況を語った。

彼の抹殺を試みる米国の共謀を思いとどまらせるよう、石油資源により威嚇する一方で、チャベスは思想的攻撃を続けた。

新しく、より良い、可能な世界への道は資本主義ではなく、社会主義だ、と私は確信しており、この確信は私の生涯消えないだろう。(こんにちは大統領、2005年2月27日)

社会的公正の為の世界的運動は、ベネズエラにおけるボリバルの過程に対する継続する脅迫を深刻に受け止めなければならない。当初、多くの左派は、チャベスをボナパルティスト〔Bonapartist:訳注2、改革論者、軍事指導者〔caudillo〕等と様々に非難し、彼に近づかないでいた。

2002年4月のチャベスに対するクーデター失敗は、この分派的取り上げ方を良い方向に変えたが、成されなければならない連帯の絆を確立する努力は多く残っている。進歩的な人々は、自己決定をするベネズエラの権利を守るだけではなく、社会主義を「再創造」するという挑戦を真剣に受け止るべきである。

企業グローバリゼーションに対する運動は、幾分誇らしげに、世界的な規模で資本主義は必然的に社会主義と共産主義によって取って代わられる、という左派の伝統的な「物語〔meta-narrative〕」を回避しながら、資本主義の害に対する具体的な解決策を提案することを避けてきた。政治的多元主義は世界社会フォーラム(WSF)とその参加者の標語になり、確かにこの事は、20世紀全体を通して社会主義の名の下に行われた悪に対する、健全で当然な反応だと理解できる。

だが、カンプチア〔カンボジア〕の殺戮地帯、ロシアの強制労働収容所〔gulags〕や、不快な官僚の特権と仲間同士での殺し合いが社会主義の印象を傷つけたが、同じく社会民主主義――第1次世界大戦の大虐殺への支持によって特徴付けられた熱狂的愛国者の裏切りから、トニー・ブレアのイラクにおける帝国の冒険まで――も体系的に、社会的変革の為に戦う労働者達と進歩的な人々を失望させ、裏切ってきたのである。

この失敗の記録は右派を成功させる事となり、ベルリンの壁と「実際に存在する社会主義」の崩壊に鼓舞され、過去15年間攻勢をとり、WTOと経済的恐喝、あるいは巡航ミサイルと「体制転換」のどちらかを通し、地球規模で新自由主義的「改革」を攻撃的に実行してきた。と言うわけで、ボリバル革命は、他の中南米における活気に満ちた社会運動と、中東での戦争と占領に対する地球規模の抵抗と共に、帝国に対する、ようやく訪れた挑戦を代表する。

資本主義的な覇権の擁護者らは、ベネズエラを彼等の相対関係が本気に挑戦される場所として予想してはいなかったのではないだろうか。1970年代全てと80年代の殆どの間、ゲリラ暴動、クーデター、残忍な右派独裁政権によって特徴付けられた大陸において、ベネズエラは安定した民主主義と賛美された。カラカスの旧体制は、実の所、1989年、ベルリンの壁が崩壊したのと同じ年に、壊れ始めた。その年の天安門大虐殺訳注3は普遍的に記憶される一方、カラカソは殆んど知られていない。1989年2月、新自由主義の耐乏方策に対する暴動が流血の中かき消され、数百人がベネズエラ警察と軍に殺害された。

この体験が、異議を唱える若い軍将校の集団による計画を加速させ、1992年にチャベス大佐は、失敗に終わった軍と民間人による反乱を率いていた。1992年のチャベスの、テレビ放映された降伏声明は彼を国民の有名人物に至らせ、6年後に彼は選挙の大勝利により政権を握った。

先に触れたとおり、チャベスとボリバル革命は当初、多くの左派に軽んじられ、一部の者は世界社会フォーラムにおける、この「上意下達方式」の指導者の影響を心配した。だが、今年のポルト・アレグレでの〔WSF〕集会では、チャベスは疑いなく最も人気がある人物であり、彼の存在はルラ〔ブラジル大統領〕のIMFの指令に対する穏健な交渉の仕方と協力に対する根の深い憤りを明らかにした。

実際チャベスは、満員のスタジアムの「チャベス、よし、ルラ、だめ!〔Chavez si, Lula no!〕」という繰り返される声を鎮める為に、割り込まなければならなかった。その同じ群衆の前で、ベネズエラの指導者は、今までの中で最も高らかに思想的な声明をした。

私たちは社会主義を論題、計画、方針として再生しなければならない。機械や国家ではなく、人間を何よりも優先する、新しい様式の、人道主義の社会主義を。

この呼びかけが聞き入られ、議論が真剣に始まる事を願おう。米国の帝国主義を打ち破る事と、新自由主義に対する実行可能な代替案を進展させる事は、21世紀の主要な挑戦に直面している私たちにかかっている。



訳注1:ブルームバーグ、2005年3月5日付けの記事「Chavez Warns U.S. of Oil-Supply Risk From Attempt on His Life」はこちら(英文)

訳注2:フランスの政治史においては、ナポレオン1世やナポレオン3世を輩出した、ボナパルト家によるフランス帝国を望んだ君主主義者を指す(参照元英文)。ボナパルティズムは階級秩序が不安定になった時、軍、警察、そして国家官僚が介入して秩序を確立した時に樹立された政府を表現するときに使われてきた。19世紀のボナパルティズムは一般的に20世紀のファシズムやスターリン主義に結び付けられる(参照元英文

訳注3:天安門大虐殺〔Tiananmen Massacre〕については、93年6月にNHKの「クローズアップ 現代」が、天安門広場において死者は出なかったと結論をだした(参照元)。他にもここここを参照。なお、天安門事件の裏には投資家ジョージ・ソロス(George Soros)、米国民主主義基金(NED)、やCIAが暗躍した事が知られている(参照元)。

posted by Agrotous at 00:32 | TrackBack(1) | ベネズエラ
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