2005年08月08日

misionmercal.gif通常より25%から50%安く、なおかつ高品質の商品を提供する、スーパーマーケット組織網であるベネズエラのメルカルは、善良な政治家の思い付きによって出来た政策ではなく、支配階級によるチャベス政権への攻撃に対する抵抗から生まれた。これはストライキによって、国営石油企業PDVSAが労働者の手に渡った過程とも通じる(関連記事)。

メルカルはベネズエラにはびこる貧困に対処する試みである。そのメルカルについての記事を以下翻訳紹介。

(メルカルのロゴはベネズエラ政府サイトより)


メルカル:ベネズエラにおける貧困の減少と国家的食の主権の創出
〔Mercal: Reducing Poverty and Creating National Food Sovereignty in Venezuela:Original Article in English/Venezuelanalysis原文

サラ・ワグナー〔Sarah Wagner〕;Venezuelanalysis.com;2005年6月24日


「80%の人口が日々の無慈悲な貧困とその酷い結果を被っている時に、どうしたら国は自らを、人権を尊重する民主主義とみなせるだろう? 非識字とそれが生み出す無知、栄養失調、失業と貧困という劇的な状況に随伴する他の様々な疫病を基にいかなる類の民主主義が形成出来得るだろう?」

――ベネズエラ外務大臣アリ・ロドリゲス〔Ali Rodriguez〕米州機構の特別会議にて。2005年2月23日。


ウゴ・チャベス・ベネズエラ大統領を引き摺り下ろすという、反対派による、失敗に終わった試みであったつかの間のクーデターから8ヵ月後、当時なお強力だった反チャベス部門――CTV組合、主要な商工会議所Fedecamarasと、20の野党と40のNGOによって構成された民主調整委員会(CD)――は、国を不安定化し、「ファシスト独裁者」を辞任に追い込むよう意図された新たな戦法――経済妨害工作――を取った。[1] 2002年12月9日、当初商業的なストライキ――スーパーマーケット、私立学校とマクドナルドの様なチェーン店にほぼ制限されていた――として始まり一週間がたったものを、経営陣と国営石油会社PdVSAの事務職員らが石油産業を麻痺させることにより、規模を大きくした。この経済妨害工作は様々な仕方で工作された。西と東両方の港の石油タンカー船長らは船を動かすのを拒むことにより、PdVSAが契約上の義務を果たすのを妨げた。パスワードを差し出さないことにより、PdVSAのコンピューターシステムは妨害され、主要な精油所の閉鎖に到った。そして40%のPdVSA従業員は職務をやめた。

2002年12月下旬までに、生産は310万から2万5千バーレル・パー・デイ〔1日当たりのバーレル数〕(bpd)にまで落ち、極度の国内的影響と共に過酷な燃料不足を引き起こした。牛乳と、米、小麦粉、砂糖、油等の他の必需食品は日増しに入手困難になった。とは言うものの、小規模及び中規模商店は概してストライキに参加していなかったので、まったく入手できないわけではなかった。カラカスの技師ルイス・ダニエル・インファンテ〔Luis Daniel Infante〕によれば、食糧不足よりもさらに劇的だったのは、配給網が麻痺した事と――ガス不足の直接の結果である――流通業者の休業であった[2]。ベネズエラでは大多数の住宅が直通のガス管が備え付けられていないので、ガス缶の配達がなければ、人々は調理ができない。「この事は、とりわけ赤ちゃんにとって、幾つもの問題を引き起こした。なぜなら親が温かい牛乳を用意できないから」インファンテは言った。またこう付け足した、「大人は他の物を食べられるが、栄養を取る為に赤ちゃんは通常温かい牛乳がいる。このことが母親らに多くの苦悩を引き起こした。」

ブラジルから購入した燃料と、数千の退職した、あるいは外国の石油労働者を雇うことにより、生産を再び機能させることができた。[3]しかしストライキが打ち破られた2月初旬までには、経済妨害工作はベネズエラに100億ドルの損害をもたらし、国の採鉱と鋼鉄産業は一時的に閉鎖し、失業率は22%増大し、貧困は44%から54%に急上昇し、数千の会社が倒産した。

「ストライキは私が知るベネズエラの歴史――過去50年間――の中で前例が無い。この石油ストライキは前例がない、なぜなら以前は、石油ストライキは労働者の抗議で...それらは一日限りだった――また産業全体としてではなく、産業の一部だった。可燃物の配給に影響を与えたストライキは皆無だった...どうやって彼らが2ヶ月もストライキを、ベネズエラで、持ち堪えられたのか説明できない――しかも持ち堪えただけではなく、その困難を打ち負かし、それが終わった時には、私が思うに、彼等は強くなっていた、なぜなら将来この様な活動に対処できる様に、政府が別の仕組みを作り上げたからだ。ここからメルカルと小規模事業経営〔micro businesses〕の着想が出現した」インファンテは述べた。

1日生産量ゼロから4,161トンへ

2003年4月24日、「ベネズエラ軍兵舎の胸元」から生まれたメルカルは、完全な国家的食の主権と栄養不良減少を目指す計画である。貧困層の町と貧窮化した地域に主として集中する、メルカル組織網は高品質な、無名ブランドの基本食品を最大50%割引で提供している。

メルカル以前、大多数の食品の生産、貯蔵、輸送、供給と売り出しは少数の超国籍企業とベネズエラのチェーン会社の手の内にあった。これらの企業と会社は概して〔チャベス〕反対派を支持していた。2回目のメルカル記念日(2003年4月25日)に、週に一度のテレビ番組「こんにちは大統領〔Alo Presidente〕」の中で、チャベスは経済妨害工作期間中に、ベネズエラが抱えた大変な食の弱点について語った。「その攻撃は私たちに貢献した。なぜなら私たちは帝国の攻撃から、ベネズエラの少数支配者ら〔oligarchy〕から、そしてベネズエラに対する攻撃を支持した者達と、飢えによって私たちを負かそうと望んだ者達から学んだからです。私たちはほんのわずかな物も食料貯蔵として蓄えていなかったことを[知った]。ベネズエラには、自然、政治的、あるいは社会的な災害に備えた、食料貯蔵がなかった」とチャベスは言った。

全国的な石油ストライキの後メルカル組織網は、多くをベネズエラ国軍の参加により、急速に発展した。最初の3つのメルカルと2つの保管所の建設以前、ベネズエラ軍は軍の駐屯地を店として、軍の兵舎を主要な貯蔵所として利用した。「ベネズエラの軍は通りに出て、自らを捧げ、彼らの持つ科学技術、人的資源、交通の手段と食料貯蔵の設備を使い、事業を楽にしてくれた」とチャベスは言った。

開始時、メルカルは一日平均66トンの食糧を販売し、2004年12月までには、売り上げは一日4,160トンにまで増大した。当初の3つのメルカルと2つの保管所は13,392のメルカルと102の保管所にまで増加し、それに加えて最近建てられた31のスーパーメルカル、12,500のメルカリトス〔Mercalitos〕(小さいメルカル)、そしてメルカルと共同して運営する数百の協同組合店とその他の事業体等がある。

メルカルが提供する製品には牛乳、トマトソース、パン、魚、果物、肉、小麦粉、海産食品、チーズ、穀物、卵、パスタ、コーヒー、マーガリン、砂糖、オートミール、レーズン、調理用油、鶏肉、塩と米等が含まれ、価格は昔からあるスーパーマーケットの価格より全て25から50%低い。

製品

単位

メルカル  Bs.

スーパーマーケット Bs.

スーパーマーケットに対するメルカルの比率

Kg

6,400

9,400

68%

コーヒー

250g

1700

3125

54%

砂糖

Kg

740

1032

72%

小麦粉

Kg

890

1510

59%

パスタ

Kg

1,100

1740

63%

オートミール

1,000

2070

48%

レーズン

250g

1,400

3390

41%

1 リットル

2,850

3,635

78%

1 kg

1,150

1,420

81%

平均:

62.7%


Source: 著者自身の調査. $1 = Bs. 2,150 〔100円=約1922ボリバル〕  

だが価格に加えて、メルカルはその品質によって知られている。「私は中流階級に属している。どんな場所でも問題なく買い物をするのに、十分な財政上の資源を持っている。にもかかわらず、私はメルカルで買い物をした事があるし、メルカルで売られている製品が非常に高品質なことに気付いた。値段の為ではなく、質の為に私はメルカルで買い物をする。牛乳、肉、パスタ――これらの商品全てがとても良い品質なのです。メルカルの人達は品質に関心を持っていると思うし、だからこそ人々はそこで買い物をするのだろう」とインファンテは言う。

現在メルカルは国営企業であるPdVSAの次にくる、2番目に大きい政府企業であり、国で最大の食品供給組織網である。ベネズエラ人口の30%に奉仕するため急速に発展する、メルカル組織網の次の段階は、ホルヘ・ジョルダーニ〔Jorge Giordani〕企画開発大臣によれば、さらなる投資を可能にする構造を強化し、高い食料価格の根本原因、物価の暴騰〔インフレ〕と投機、〔の問題解決〕に着手することである。

「メルカルにおけるインフレはゼロだ、」2005年4月にチャベスは宣言し、「新自由主義は、国家は助成金を使うべきではないと言い、それは大衆主義〔populism〕である[と主張する]。大衆主義だって?これは政府だ〔government〕...民主主義は国民の為、そして国民による統治〔government〕だ。」

政府とメルカル組織網は、毎月2,400万ドルの助成金を通し価格を2004年の水準に維持する、と明言してきたが、メルカルを政府の財政援助から引き離しつつ、その物価不変〔ゼロインフレ〕という方針を保つ、一連の計画が始まっている。この3重の戦略は、外国の食料資源に対する依存を下げ、国の食主権を増大し、職を生み出す為の内発的発展〔endogenous development〕と、産業からの直接購入を通し仲介者を排除すること、また大きな貯蔵空間と配給・輸送組織網の創設と発展を促進することに、焦点を合わせている。

内発的モデル対資本主義モデル

内発的発展が勢いを得たなか、メルカルは着実に地域と地元の生産者からの購入を、全体の購入の40%にまで増大させた。少額無担保融資〔いわゆるマイクロクレジット:訳注1の手法による、地元の農産業に対する支援の結果、小・中規模会社における職が生み出され、それらの会社は拡張しただけではなく、首尾よく国家経済に組み込まれた。これが今度は国家的食の主権という目標を推進する。「現在、独占権を、例えば小麦粉生産に対して持つ代わりに、15の小規模会社が小麦粉を生産している...これらの小規模会社は、人口が食料を使い果たさないよう保障するという、特に重要な役割を果たしている」インファンテは言う。

地元及び地域会社からの購入は、輸送、配給、宣伝に対する経費を削減し、従って消費者に対する経費を削減し、政府の助成金を削減する。[4] 例えばポルトゲーサ州〔Portuguesa〕では、メルカルは開始当初と比較して148%多く地域生産者から直接購入している。別の言い方をするとこれは258,000トンの製品である。この地域の調整役、セニア・ブリセーニョ〔Xenia Briceno〕は計画が始まってからの2年間で、商品の経費を下げる手段として、商業の繋がりの仲介者を排除する方向に向かっており、それは商品を生産者の手から消費者の手へ直接運んでいる、と言う。

「仲介者」への攻撃

現在輸入されている食料に対する60%の物価の暴騰は、2通りの仕方で取り組まれている。ベネズエラがキューバ、アルゼンチン、ブラジル、コロンビア等の国々との間で、石油を肉、家畜類、豆や穀物等の製品と交換する「食料のための石油」同意の一環として、これらの一部の食料は卸売りで購入されている。

第2に、メルカルは生産と製品が消費者に届く中間にいる、仲介者の鎖を攻撃している。「この鎖は主として消費者に、基本的な必需品の上で、影響を及ぼしている、」チャベスは強調し、こう付け加えた、「私たちの弱点を減らし、自主性を強化し、経費を削減し続けることにより、私たちは投機を打ち破ることができる。」

メルカルの広範囲に及ぶ成功と急速に拡大する顧客により、ベネズエラ食品工業会議所〔Venezuelan Chamber of the Food Industry〕(Cavidea)会頭パブロ・バライバル〔Pablo Baraybar〕は、農産業を代表し、Cavideaと提携する会社はメルカルに、その製品に対し一定の割合の特別価格を与える、と断言した。「Cavideaはメルカルの主要関係者となる事を願い、これらの店の商品のうち大部分の割合が国内製品になるよう、本当に望んでいる。価格、質、栄養価値という点で、私たちはメルカルの妥当な供給者となるために、必要な物は全て備えている。これらの店の人々によって認められている、昔馴染のブランドすら私たちは売ることが出来る、」と彼は述べた。[5]

Cavideaは現地産業及びPolar、Kraft、Nestle、Bimbo、Alfonzo Rivas y Compania、Alpinaや明らかに事業の一部を欲している民間部門企業などの超国籍産業をつなげている。「メルカルストアと、国の問題を間違いなく解決する農業供給サービス法人〔Corporation of Agricultural Supply and Services〕に基本的に代表される政府計画があり、責任のある実業家として、私たちはこれらの計画に参加してゆく」[6]バライバルは言った。

貯蔵と運送のボリバル組織網

政府はまた貯蔵と配給を管理することにより、物価の暴騰を決める重要な役割を果たす投機に対する攻撃に着手した。国の西部をマラカイボ(スリア州)、中部をプエルトカベジョ(カラボボ州)、東部をバルセロナ(アンソアテギ州)が、それぞれ奉仕する為に設置される、3棟の21,000立方メートルの冷蔵設備の建設に、2,600万ドルが向けられた。農業供給・サービス公社〔the Corporation of Supply and Agroalimentarios Services〕(CASA)所長コマル・デュアルテ〔Comar Duarte〕によると、冷蔵設備の建設は優先事項である。なぜならそれはメルカルが、商品化された製品を貯蔵する経費を削減し、さらに多くの食料確保を可能にし、配給を促進する事を可能にするからである。

食料類を貯蔵する場所の補修と維持に約1,000万ドルが割り当てられている。この資金は23のサイロの経営能力を効果的にしたり、ミッション・メルカルを支援する技術的足場を獲得したり、3800立方メートル分の水を蓄積出来る巨大タンクの建設等の計画に資金提供をする。追加の資金は山羊や羊等の動物を飼育する施設や、産業地区の建設、また穀物、小麦、牛乳の加工施設に投資されている。「私たちが食糧を生産し、蓄積し、貯蔵し、輸送し、商品化し、店に出す能力は主権であり、食の安全確保であり、人々にとってきわめて重要である...メルカルはベネズエラ民衆の食の主権を回復する為の発射台である」とチャベスは主張した。

川を低くする

メルカルの重役である、ホセ・ラファエル・オロペサ〔Jose Rafael Oropeza〕将軍は、供給、貯蔵、販売の点においてボリバル政府が成し遂げた具体的な進展を強調し、これらの前進は少ない資産を持つ人々の間に最も影響を与えている、と言う。だが、オロペサは政府がメルカルに対する助成金を削減する為には、インフレと投機両方に取り組まなければならない、と忠告した。

チャベスはインフレを川に喩え、どちらも始まると増え続けると述べた。「私たちは〔事業を〕進めていて、少しずつこれを下げている、なぜならそれは大量の費用がかかるからであり、それは川〔の水位〕が増す時に似ているから」と彼は言う。事実、ベネズエラのインフレは随分減少した。2004年1月から4月のインフレは4.7パーセントで、インフレが7.8パーセントだった前年の同時期から3.1パーセント下がった。進行度23.1パーセントだった2003年4月から2004年4月と比べると、2004年4月から2005年4月は、15.8パーセントで、インフレは顕著な程低い。財務省による見積もりを基に、ネルソン・メレンテス〔Nelson Merentes〕はインフレ率15%以下で2005年は終わるだろうと予測している。

他の発生期の計画の様に、メルカルは不正行為と逆行から逃れることが出来ない。最も評判の悪い欠点は、ララ州でのメルカル社長、ハネス・ロドリゲス〔Janeth Rodriguez〕の言によると、確証された汚職の噂、製品の消失と、「ある」管理上の混乱の周りで展開する。おそらくララ州はメルカルの評判が最も大きな打撃を受けた場所だろう。百万ドル汚職スキャンダルが2年前に爆発し、町議会議員のダゴベルト・ラモス〔Dagoberto Ramos〕(MVR〔第五共和国運動〕)の関わりを示し、メルカルの評判を傷つけ、その役員らに食料品の売り上げのみではなく、計画に統合されている全ての組織網に対して注意を払うことを余儀なくさせた。メルカルを悩ます汚職の程度は未知数であり、問題に取り組む努力は始まったばかりである。時間及び拡大した大衆参加と共に、メルカル組織網の不正行為をもっとたやすく発見し、取り組むことができるようになる、と役員らは期待している。

成功は大衆参加しだい

メルカルにおいて軍は活動的役割を果たし続けている。カストル・ビセンテ・ペレス・レアル〔Castor Vicente Perez Leal〕准将によれば、彼の軍部隊、国家警備軍第3旅団、は共同体開発基金〔Fundacomun〕、労働省、PdVSA等の他の組織をメルカルの為の計画の上で助ける事により、1日12トンの食糧を販売するという目標に向け働いているという。例えば、メルカル薬局が開始され、それは隣接した共同体に、割引かれた基本食品だけではなく、医薬品も利用することができるようにする試みである。

2年前の開始以来、メルカルは4,000トン以上の食糧を売ってきた。1,000万人以上のベネズエラ人――おおよそ人口の30%――がメルカルで買い物をする。メルカルはボリバル政府の社会福祉計画の一つであり「大変な影響を持つ。日毎にそれは成長し続ける」とララ州知事ルイス・レジェス・レジェス〔Luis Reyes Reyes〕は言う。

チャベスは、メルカルの成功――メルカル組織網の存在それ自体すら――は高水準の係わり合いを条件とすると認める。手短に言えば、試みに対する大衆参加である。「[メルカル創設に]多くの分派が参加した。栄養省〔Ministry of Alimentation〕がメルカルを創設したが、この全ての核心はel pueblo[民衆]にある。このミッションはベネズエラ民衆の物だ。それは民衆から来て、民衆に達する。その目標は、除外と不平等という邪悪な構造を打破する事以外にはない」と彼は述べた。

メルカル―貧困の軽減

経済妨害工作はメルカル創設の刺激になりはしたが、2002年より前に、ベネズエラが貧困と栄養失調という過酷な問題を抱えていた事を認めなければならない。ベネズエラのアンドレス・ベージョ・カトリック大学によれば、人口の70パーセントが貧しい暮らしを送っているという。この数値は誰が貧困調査をするかによって変わるが、70パーセントは最も広範囲に使われる数値である。

反対派の人々はしばしば、チャベスが大統領に選任されて以来、貧困、それゆえに栄養失調、が増大した、と主張する。しかしながら、この主張はベネズエラにおける貧困――全中南米で最も過酷な中の一つ――は過去20年間、上昇傾向であることに、全ての研究が一致している事実を考慮していない。

「極端な貧困と飢餓の撲滅」、8つの国連ミレニアム目標の第一番目は、2組の指標を通して監視される。所得水準と栄養失調である。ラテンアメリカ・カリブ経済委員会〔Economic Commission for Latin America and the Caribbean〕は「食料エネルギー消費量最低レベル以下の人口割合〔Proportion of the Population below Minimum Level of Dietary Energy Consumption〕」の次に掲げる年についてのデータを提供する[7]。1990−1992年、1995−1997年、及び2000−2002年。

もしも1990−1992年と2000−2002年についてのデータだけを見ると、チャベス下の増大する貧困という主張が立証されたように見える。1990年から1992年の間、11%のベネズエラ人口が毎日の必要カロリーを満たしておらず、2000−2002年までには、この割合は17パーセントにまで上昇している。しかし、もし16パーセントという1995−1997年の水準を見ると、この急速に加速する傾向はチャベスが公職に就く前に始まっており、1987年から1997年の間に、政府の社会福祉支出がほぼ50%減少した事実に少なくとも部分的に原因がある。[8]

1995−1997年水準と2000−2002年水準の間の1パーセントの上昇は、3つの要素によって説明できる。2001年9月11日以後、世界経済は景気後退に突入し、急な石油価格減少と世界中での拡大する貧困の度合いを生じさせた。9月11日以前の石油価格は1バレル24ドル前後であったのが、以後には1バレル19ドルに下落した。[9]2002年4月クーデターの試みの破壊的な政治危機と全国的石油ストライキを合わせると、ベネズエラが貧困と栄養失調の範囲で後退に悩まされたのも驚くことではない。

だが、実際の所、2,660万人の国において、11%と17%という数値は、それぞれ300万と450万の人々ということなのだ。[10]毎日の必要カロリーを満たすことの出来ない300万の人々という事に問題がないとは到底みなせない。また、人口の11%と17%が毎日のカロリー摂取量を満たせない一方で、毎日2,200カロリーを摂取する人口の83%の内の多くの人々が必ずしも、果物、野菜、乳製品と肉を含むバランスの取れた食事をしているとは限らず、その代わりにでんぷん質の食品を詰め込んでいるかもしれない、という事を考慮に入れるのは、極めて重要なことである。パン、米、及びパスタ、家族を養うため(そして毎日の必要カロリーを採る為)の最も安い方法、はバランスの取れた食事にはならず、それによって、多くの場合栄養失調を生じさせる。未来に投資あるいは将来を計画する事、または社会の生産的な一構成員になることは、不完全に栄養を与えられた人々にとって困難である。

メルカルを通じ栄養失調を撲滅する

新自由主義により、世界中の子供達は「実質的には必ず避け得、治療できる病気により死んでいる、1日3万人以上、1分21人、そして30秒に10人の割合で。南では、かなり多数の国々で栄養失調に苦しむ子供の比率は50パーセントを上回っており、その一方で、FAO〔国際連合食糧農業機関〕によれば、第一世界に住む子供は、低開発国の50人の子供が摂取するのと同等の量を、彼あるいは彼女の一生に亘って摂取する。」

―ウゴ・チャベス、第12回G15首脳会議にて。2004年3月1日。

ラテンアメリカ・カリブ経済委員会と世界開発報告〔World Development Report〕の両者共に、42パーセントのベネズエラ世帯が、1日2ドル、または一ヶ月60ドル以下と定められた、貧困線以下で暮らしていると挙げている。だが、一日3ドル又は10ドル――あるいは最低賃金ですら――稼いでいるベネズエラ人が貧しい暮らしをしていない、と述べる事は、一般的に中南米で二番目(ブエノス・アイレスの次)に高価な街と呼ばれるカラカスに住んだことのある、あるいは旅行に行ったことのある人に、非常に誤っていると感じさせるだろう。事実、2004年7月に公開された政府の統計資料によると、4人家族の基本的な食料カゴの費用をまかなう為には、252ドルの毎月の所得が必要なのである。この総額には、住宅、教育あるいは衣類等の支出を含んでおらず、食料のみなのである。

この事を認め、2005年4月政府は最低賃金を27%の増加である、一ヶ月160ドルから202ドルに引き上げた。国営ニュース・サービス提供機関、Agencia Bolivariana de Noticas(ABN)とのインタビューにおいて、全国経済評議会〔National Economic Counsel〕の会長、エフライン・バスケス〔Efrain Vasquez〕はこの処置は公式部門における全ての労働者の51パーセントの収入に影響を及ぼすだろう、と述べた。市場調査会社Datosによると、最低賃金の増加と組み合わせると、メルカルは人口84パーセントの購買力を53パーセント(インフレを考慮した後だと33パーセント)拡大した。3人の子の父親で、26年間売店で働いてきたペドロも同意する。「メルカルは、中流階級すら体験している財政上の困難を緩和する助けになった。」

チャベスは社会国家〔social State〕と伝統的国家〔classic State〕を区別し、社会国家は「人々の人気のある国家〔a popular State of the people〕」である、と断言する。ベネズエラ大統領によれば、ただの補助された食料雑貨店の組織網以上であるメルカルは、人々の要求に答える、法と正義の新しい社会国家の資質の具体的な例であり、一方でそれらの人々の要求はその国家を形作る根本的な役割を担うのである。



[1]2002年12月5日、当時CTVの組合長であったカルロス・オルテガ〔Carlos Ortega〕は当初24時間の商業ストライキだったものを、彼が「ファシスト独裁者」と呼ぶチャベスが辞任するまで延長した。

[2]例えば、フルーツ・ジュースを生産するFrica社等数社を除いた、大企業、食料生産をするもの、polar社、remavenca社、ほぼ全て、がストライキに参加した。参加しなかった他のものもいたが、すでに配給組織網が機能していなかった。

[3]「ストライキを組織したのが上層部の経営者達で、労働者が支持していなかったという事実のおかげで、石油産業は急速に立ち直った...(商業)ストライキに参加しなかった協同組合と中小企業のおかげで、ストライキは失敗に終わった」インファンテ〔の言〕

[4]「これは革命の新たな段階において私たちが始動している戦略であり、飛躍――国の下からの、資本主義モデルとは何の関係も無い内発的モデルを共にした、社会経済の発展――を活気付け続ける為の、付加された努力である」チャベスは述べる。

[5]アナ・トレサ・ペーニャ〔Ana Teresa Pena〕、2004年11月29日、"The agricultural industry, willing to struggle against poverty…and to join the Mercals." を参照のこと。

[6]バライバルによると、もし低価格製品の一覧を作成する政府との合意があれば、スーパーマーケットで売られる他の品に対し、この管理は必要ではなくなる。

[7]http://www.eclac.cl/mdg/go01/imeta1_en.asp#
http://www.mem.gov.ve/sitiosinteres/index.php を参照

[8]1987年に、ベネズエラのGDPのうち8%が社会福祉支出に捧げられたが、1997年までにはそれは4.3%にまで落ちた。

[9]「2003年に、通貨規制の実行と共に、ストライキはベネズエラ経済にひどく影響し、前年既に8.9%縮小した後に、第一四半期にGDPは29%、その年全体では9.2%縮小した。」 http://www.eia.doe.gov/emeu/cabs/venez.html

[10]この数、2,660万はVenezuelan National Statistics Instituteの2005年度人口計画である。それは2002年の国勢調査を基にしており、http://www.ine.gov.ve/poblacion/distribucion.aspから入手可能。だが、それが行われた処理方式により、この国勢調査には欠陥がある十分な理由がある。調査官が「安全」な上流・中流の地域では玄関から玄関へと訪問した一方、都市の地域〔barrios〕と田舎の地域の人口については見積もられた。殆どのベネズエラ人と学者は、それはひどい過小評価をしたと証言し、ベネズエラは3,000万人近い人口であると信ずる。



訳注1:「マイクロクレジットとは、貧困層を対象に提供される金融サービスのうち、無担保で融資される少額のローンを指」す(参照元:http://www.will.pref.aichi.jp/main02/news/main/046/ques.html)。バングラデシュにおけるマイクロクレジットの事例はCafeglobe.comの記事(http://www.cafeglobe.com/NEWS/micro/index_030808.html)を参照のこと。なお、訳者は以前記事「中南米のドミノ倒し」内で、マイクロクレジットを「信用貸付」と訳したことがある。



posted by Agrotous at 16:38 | TrackBack(1) | ベネズエラ
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