2007年07月15日

ベネズエラの本当の「自由の戦士達」は誰だ?
〔Who Are the Real “Freedom Fighters” in Venezuela?:Original Article in English/Venezuelanalysis.com原文

クリス・カールソン〔Chris Carlson〕;2007年6月7日

Students on the Knees黒いTシャツを着た学生達が、隊列を組んだ警察機動隊の前でひざまずき、時に街頭を平和裏に行進し、時にマスクや石で催涙ガスに立ち向かい、更に警察官らに白いカーネーションを手渡しさえして、自由や表現の自由、そして弾圧からの解放を懇願する。これがベネズエラの「自由の戦士」のイメージである。それは暴政や共産主義の独裁政権の憤怒に立ち向かい、自由と人権を要求した天安門広場や東ヨーロッパの若者達を連想させる。これはいつも通りの話なのか? 抑圧的で非民主的な独裁者を打倒することを決意した若き自由の戦士たちによる勇敢な政治運動という同様の典型的な状況なのか?

過去2週間の間〔首都〕カラカスの街路を歩き、街頭での論議に耳を傾け、反政府派及び親政府派両方のデモ行進に参加し、両方の集団と話をして民主主義とは何なのかや、暴政とは何か、そして特に表現の自由がどの様に現れるのかに関して彼らの意見、根拠や信条を聞いた今、私は何がベネズエラの学生反対運動と親チャベス集団を区別するのかをより理解するようになった。結論から言うと、ベネズエラの最近現れた学生「自由の戦士たち」が持つ民主主義、暴政や自由それ自体に関する認識には多くが欠けていることを私は気付いたのである。とはいえそれよりも興味深いことは、ベネズエラの真の自由の戦士達が反政府派の学生や記者達ではなく、むしろ主流及び国際メディアにほぼ完全に黙殺されてきた別のより大規模な政治活動家の集団である、ということである。

RCTV:民衆の声

見たところでは、ウゴ・チャベス政権が民営テレビ局 RCTV〔ラジオ・カラカス・テレビ〕の有効期間20年の放送免許の更新を拒否し、公共放送電波から立ち去らせた今年5月に全ては噴出したようである。カラカスの街頭でのデモ行進は「表現の自由」を中心に行われ、政府の決定は政府に反対する情報を受け取り表現する人々の自由を取り去るものであると主張した。デモ行進者らによって最も用いられたスローガンのひとつは「libertad, libertad!〔自由、自由!〕」であり、 RCTV テレビ局を自由の象徴へと変えた。別のよく使われたスローガンは RCTV が「La Voz del Pueblo」(民衆の声)であると断言するものであった。

だが RCTV は本当に表現の自由や民衆の声を代表しているのであろうか? 次の質問をするほうがより適切かもしれない。つまり、いかなる民間企業メディアも表現の自由を代表しているのであろうか? 親チャベス派のデモ行進者らはそれが実情ではないことを明らかに理解している。なぜならこの類のメディアが代表しているのは実際には民衆の意見ではなく、むしろそれを支配する大企業経営者グループの意見であることを彼らは知っているからである。それに反して親RCTV派のデモ行進者たちは、彼らの愛するテレビ局の裏にある種の見解を助長し、他を公表しないよう局に余儀なくさせるある特定の財閥がいることを理解していないようである。RCTVが聞きたいと望むことを人々が言う時以外には、「民衆」の声はほとんどいかなる影響力も持たない。

これは実際にはそれほど驚くことではない。世界の全ての民間企業メディアは基本的に同じ方法で機能を果たしている。財源の出所はもっぱら広告業からであり、そのためにメディアは最大の経済団体や広告代理店によって資金供給される結果になる。世界の企業メディアのほぼ全てはRCTVと同様に、巨大な国内及び多国籍企業によって所有されている。〔RCTVは〕1920年代に米国の実業家によって創設された。長い間国の一流エリート一族のひとつであり続けてきたその一族は、今もなお過半数の株式を支配しており、依然として数々の巨大多国籍複合企業に広告を売ることでほとんどの所得を得ている。

したがって、これらの団体の経済的利益に反する見解は当然のなりゆきとして伏せられるのに対して、エリート資本家らの経済的利益に有益になり得る見解は繰り返し支持される。例えばCNN (タイム・ワーナー)を所有し出資する経済団体が、CNNの番組がその利益に損害を与える見解(例えば反グローバリゼーション運動やメディア複合企業の解体)を唱導することを通例容認しないのと全く同様に、RCTV を所有し出資する経済集団は彼らの利益に反する見解を明らかに支持しない。そして資本主義と社会主義、民営化と国営化、新自由主義と保護貿易主義といったことの間の大いなる戦いにおいて、全ての企業メディアは論争の同一の側に付いている。

政治的左派の間でこのこと全てはよく知られているのだが、ベネズエラの学生運動はどうやら理解していないようである。 RCTV は民衆の声からは程遠い。ある種の見解を断定的に妨害し、特定の経済的利益に同調したその他を助長する国民的な討論の場は、ベネズエラの反政府派が申し立てたような自由の象徴ではほとんどありえない。

資本主義=自由

反政府活動家らの見解のもうひとつの基本的な問題は、資本主義に対する無批判的な立場や、それに対するほぼ全ての代替案に対する激しい憎悪である。「共産主義反対!」と反政府派デモ行進の看板には書かれている。「社会主義は破綻した!」「カストロ共産主義反対!」といったものが、首都の街頭やバスの中や地下鉄の駅での学生、ジャーナリストやカラカスの中産階級抗議者らのシュプレヒコールや叫びである。反対派集団にとって、共産主義、社会主義や、他の如何なる資本主義に対する対案も単なる暴政の一形態であることは火を見るよりも明らかなのである。当然ながら、これらの体制は過去に権威主義的な独裁政権に至ったのであり、反政府活動家らはそれらが将来の更なる暴政という結果しかもたらさないことを確信しているのである。

だが、この主張とベネズエラ反政府派の考えには別の主要な欠点があり、それはベネズエラ情勢の背後にある前後関係を彼らが理解することを妨げている。過去、共産主義や社会主義を築く試みが大部分失敗してきたのであり、多くの場合残忍な専制政治の形態に至ったという彼らの主張は当然正しい。けれども、それは主流の政治観に基づいて教え込まれてきた物語のひとつの側面にすぎない。その物語のもう一方の側面は資本主義も同一のことを世界全域でより大規模に行ってきた、ということである。資本主義がほとんど自明のこととして、権力の莫大な集中に至り、真の民主主義の如何なる見込みも最後には妨げることになることをベネズエラの反政府派は理解していないようである。

実際のところ、このことがあまりにも明らかだった故に、1949年にアルバート・アインシュタインはそれを明確に理解し、以下の資本主義の批評で要約した:

「民間資本は少数の手に集中する傾向にある。それは部分的には資本家の間の競争のためであり、又別の部分では技術的な発展と分業の増大が小規模な構成要素を犠牲にして生産のより大規模な構成要素の形成を促進するからである。この過程の結果は、民間資本の少数独裁政治である。その莫大な権力は民主的に組織された政治社会によってすらも効果的に抑制することができない。その証拠に、立法府の議員らは政治政党によって選出されるのだが、それらの政党は主として選挙民を立法府から実質的に隔てる民間資本家らによって資金供給されていたり、あるいは異なる仕方で影響を受けていたりしている。その帰結として、市民の代表者らは恵まれない階層に属する人々の利益を実のところ十分には守らない。そのうえ、現況では必然的に民間資本家らは直接あるいは間接的に主要な情報源(新聞、ラジオ、教育等)を統制する。従って、各々の市民が事実に基づいた結論に達し、政治的な権利を知性を持って行使することが極端に困難であり、実際には殆どの場合まったく不可能である。」(「何故社会主義か?」アルバート・アインシュタイン、マンスリー・レビュー誌、1949年)訳注1

そして、世界の資本主義的民主主義国の多くを誠実に見る者ならほとんど誰もが、アインシュタインが半世紀前に批判したことの多くが未だに現在起こっている事を明確に認めることができるであろう。この政治制度は、市民によって民主的に統制されるのではなく、経済的エリートの支配下に入ることになり、自由民主主義という仮面をかぶった完全には認識できないある類の暴政を引き起こす。

とはいえ、 RCTV の自由の戦士達にとって、資本主義は自由と同等であり、そして資本主義に対する全ての代替案は暴政と同等なのである。カラカスの街頭のデモ行進者らが皮肉にも理解していないことは、彼ら自身が資本主義が必然的に引き起こす捉え難いが破滅的な類の暴政そのものの犠牲者である、ということである。そしてまた、その暴政を維持する上での北米の帝国主義が担う役割も彼らは理解していない。

彼らが全く理解していないのは、親RCTVデモ行進でこれほどまでに熱烈に彼らが支持している正にその経済的エリート、帝国に密接に結びついているそのエリートの犠牲者に彼らも含まれているということである。そして又、表現の自由、民主主義や自由などが意味することに関する彼らの概念そのものが、彼らが街頭で行進して守ろうとしている同一のメディアによって完全に作り上げられている、ということである。次のことを理解している人はデモ行進者の中に一人もいないようである。すなわち、民間メディアを所有する経済的エリートが表現の自由、民主主義や、その他の彼らが案じる振りをしているきれい事など何とも思っておらず、(1950年代に独裁者マルコス・ペレス・ヒメネスが国家権力の全てを乱用し、10年近く独裁者として統治したとき、あるいは「民主主義」であるとされた過去半世紀に左翼、共産主義者や政治的反対者らが拷問され、殺害され、投獄され、国外追放された時も、米国政府やベネズエラの経済的エリートは気にかけなかったようであり)むしろ、彼らは賢明な資本家らが常にそうする必要があるのと同様に、彼らの利潤、投資、経済的利害を心配するのみである、ということを。

反政府派活動家らがどうやら顧みていないことは、過去20年間に中南米全域を襲った貧困、犯罪や暴力の高まりが主として、米国政府及びRCTVや他の民間メディアを支配するエリート経済団体そのものによって助長された新自由主義政策や改革の結果である、ということである。そして1989年にカルロス・アンドレス・ペレス大統領が軍を出動させ新自由主義改革に抗議する何千もの人々を虐殺した時訳注2、その同一の民間メディアは、表現の自由、自由あるいは民主主義に関して全く懸念していなかったようである。

実のところRCTV のエラディオ・ラレス〔Eladio Larez〕社長は、1989年の残忍な虐殺直後の生放送において、それを「迅速に危機を克服するべく共に働いた人民と政府」で構成された「ベネスエラという名の非凡なチーム」の活動と称し、実際に賞賛した。そこには表現の自由や、通りで射殺された数千人の自由に対する懸念は大してなかったようであり、また過去8年間チャベスが耐えてきたような猛烈な非難は微塵もなかったどころか、むしろその暴力へと至った階級闘争の背後にある真実を友好的にごまかしたのであった。

RCTV protester and police反政府派デモ行進者らが以上のどれをも理解していないようであり、それどころか国のメディアを数世紀にわたり支配してきたエリート集団を引き続き擁護しているという事実は、彼ら自身がメディアの操作や歪曲の被害者であるという十分な証拠である。彼らのお気に入りのテレビ局が(その他の現存する反政府派テレビ局、新聞社、ラジオ局と同様に、彼らにそう告げる表現の自由を持っており)そう告げるからというだけの理由で表現の自由を失ったと彼らが突然感じる一方で、企業メディアが代表する表現の自由の深刻な欠如に関する懸念が全くないということが、ベネズエラの反政府派がベネズエラにおける表現の自由の現実に関して明らかに混乱していることを示している。結局は、ベネズエラの「自由の戦士」が抱いている自由についての概念は、どうやら実際には企業支配であり、彼らの民主主義の概念は実際には資本主義の暴政であり、そして彼らの表現の自由の概念は「民衆〔el pueblo〕」のためではなく、エリートのための表現の自由であるようだ。

ベネズエラの真の自由の戦士達

一方で、たとえ国際メディアの報道や世評を受けてこなかったとしても、ベネズエラに真の自由の戦士達がいないわけではない。過去数週間カラカスの街頭で人々と話をしたとき、「libertad〔自由〕が意味することと、その言葉に含まれている全ての事を本当に理解している多くの活動家に私は確かに出会った。そしてRCTV 支持者らがカラカスの街頭をせっせと行進する一方で、ベネズエラの真の自由の戦士達は、企業メディアによって大部分黙殺されたとはいえ、同様にベネズエラ全域で国の将来についてせっせと議論し、またベネズエラの真の自由を保証するべく精を出していた。

表現の自由を彼らが持たない事を世界に納得させようと試みる街頭の学生たちに国内・国際メディアが集中する一方で、ベネズエラのより大規模な数の政治活動家らが仲間の市民と共に、ボリバル革命の将来の政治構造であるベネズエラ統一社会主義党(PSUV)訳注3について議論していた。実のところ、5月の一ヶ月を通して570万人の人々がこの新たに形成された政党への入党申し込みを済ませたのである。

その数字を全体的に見ると、1998年にチャベスが360万票を得て大統領になる以前、国政選挙で一人のベネズエラ大統領が獲得した最大の票数は380万票であった。ボリバル革命の新党は一ヶ月強で570万人の有権者の登録を済ませた。

Venezuelan Freedom Fighters国中で新党の政治綱領を一般大衆と討論し議論するべく展開する2万5千人以上の「促進者」が既に存在している。そしてベネズエラ全域の地域共同体で2万以上の集会を7月に開くのが彼らの務めになる。その場で党の政治綱領を論議し決定し、その後に新党の公式綱領を草案する全国集会に送り出すべく代弁者らを選び出すことになる。

入党申し込みを済ませた570万人の内、3分の1近くが30歳よりも若く、おおよそ10万人がわずか18歳である。18歳以下の数千人の若者も登録許可を求め、大統領自身に一通の手紙を共同で送りすらした。そしてチャベスは彼らの入党を許すかもしれないと述べた。ことによるとこれがベネズエラにおける本当の学生運動かもしれないのだが、主流メディアからほとんど全く注目されてきていない。

さらに、これらの活動家達が数の上で遥かに多いだけではない。彼らは自由や民主主義に対する真の脅威を遥かに深く理解してもいる。彼らは資本主義に固有の問題を理解しており、新しい類の「21世紀の社会主義」を築くことに関心を寄せている。彼らは企業メディアの背後にある真実を理解しており、 RCTV が民衆のチャンネルであると偽り、ごく少数の者達の利益のために動いていたと私に断言した。1949年にアインシュタインが理解したように彼らも、国内および国際メディアが民間資本家の統制下にあり、それが抑圧された大多数の見解を常に取り残し検閲し、彼らの言では「民衆の知性を毒す」べく任務を果たしてきたことを理解している。

Uncle Sam and RCTV Puppy闘争的な親チャベス派活動家の多くは更に、RCTV や他の民間チャンネルによって放送されてきたことの多くが、チャベス政権の転覆を目指し、米国政府によって監督された更に大きな戦略の一貫であることを理解している。(親チャベス派デモ行進での独創的な看板のひとつは、アンクル・サム〔擬人化された米国政府〕がリモコンで子犬のRCTVを制御している戯画を示していた。)そこには今、ベネズエラにおける学生抗議行動が米国政府のより大きな戦略の一部であることを示す十分な証拠がある。その戦略は望ましくない政権を転覆するべく、過去数年間にセルビア(2000年)、グルジア(2003年)やウクライナ(2004年)といった異なる諸国で用いられてきた(「Washington’s New Imperial Strategy in Venezuela〔ベネズエラにおける米国政府の新たな帝国主義的戦略:和訳」と題された5月13日付の私の記事を参照せよ)。とはいえ親チャベス派陣営の活動家らは既にこのことを承知していた。「これらの学生抗議行動は全て米国政府の計画の一端です」と、それがまるで常識であるかのように一人の活動家は私に語った。

おそらく最も重要なことは、新しい革命的政党であるPSUV に入党申し込みをしている人々が北米帝国主義を意識しており、またベネズエラにおける貧困の真の原因は(ある民間テレビ局が最近主張したようなベネズエラ民衆の想定上の怠け心や劣等性ではなく)搾取、帝国主義や経済的依存という長い歴史であることを理解している、ということである。彼らはチャベス大統領の盲目で批判力のない信奉者なのではなく、むしろ脈々と続くこの反帝国主義闘争に関わっている政治的活動家なのである。彼らの関心を引いていることは、革命をその指導者であるウゴ・チャベス抜きでも継続できるほど強固なものにして、資本家の寡頭政治勢力が決して再びベネズエラやそのメディア、社会制度やその経済を支配することのないよう確実にする恒久的な構造へと変えることである。「No volverán!」と親チャベス派デモ行進者らは叫ぶことで、ベネズエラを伝統的に支配してきたエリート集団が「復帰しない」ことを断言している。

そして現在の問題である表現の自由に関しては、親チャベス陣営の人々は表現の自由が、メディアの管理を民間企業に単に委ねることよりも遥かに深い事柄であることを理解している。親チャベス活動家にとって、真の表現の自由はメディアが民主化され、その管理が少数派ではなく人々の手に本当に委ねられた時に初めて達成される。

「私達が今手にしている以上の表現の自由を私達はこれまで決して手にしてこなかった」と〔カラカスの〕カティア地区のタクシー運転手は私に述べた。「以前は、今彼らがするようには大統領を決して非難できなかった。あるいは人々が今述べるようなことを述べることは。」

町の別の区域で中年のジャーナリストはある地域共同体ラジオ局のトークショーを終えた後に、私に微笑み言った。「発言する場所があることはとても素晴らしいことです。ようやく自分の意見や自分の批評、自分の所見を述べ、それらを公然と議論することができる。この政権以前は、私の様なジャーナリストは決して意見を表明できなかった。」

ベネズエラの真の自由の戦士達は、カラカスの街頭で抗議し、国際メディアのカメラの前でポーズをとっている学生たちではなく、国全域の多数の活動家たちである。その多くがベネズエラの政治体制に含まれたことがかつて一度もなく、現在真の民主主義を支持する大衆運動を率いている。これらの活動家は経済的依存からの自由、北米帝国主義からの自由、そしてエリート支配からの解放のために闘っている。ベネズエラの真の自由の戦士達は、過去数ヶ月の間に一団となってベネズエラ統一社会主義党に入党するべく現れてきた草の根活動家である。革命を強固なものにし、社会主義が意味することを議論し、そして彼らの子供達や孫達の未来のために自由で独立したベネズエラを確実なものにするべく取り組むために。

昨週PSUV入党届けの驚愕するような結果を受け、ホルヘ・ロドリゲス・ベネズエラ副大統領が述べたように、その結果は「ベネズエラ民衆の確固たる意思及び、解放を求めた覆すことのできない彼らの決断」を表している。


訳注:

1.原文はMonthly Reviewサイトで公開されている。翻訳は「科学・社会・人間」の9月10日号掲載の、アインシュタインの「何故社会主義か」がある。ここで引用されているのと同一部分の「科学・社会・人間」記事の訳文はこのブログで引用されている。

2.1989年に起きた、いわゆる「カラカス暴動」。当ブログ関連翻訳記事「第四次世界大戦はベネズエラで始まった」を参照。

3.ベネズエラ統一社会主義党(Partido Socialista Unido de Venezuela:United Socialist Party of Venezuela)。Wikipedia在ベネズエラ日本国大使館サイトでの表記は「ベネズエラ統一社会党」



posted by Agrotous at 22:50 | TrackBack(0) | ベネズエラ
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