2007年05月27日

ベネズエラにおける米国政府の新たな帝国主義的戦略
〔Setting the Stage for Turmoil in Caracas
Washington’s New Imperial Strategy In Venezuela:Original Article in English/ZNet原文

クリス・カールソン〔Chris Carlson〕Venezuelanalysis.com;2007年5月15日

それはセルビアであまりにも内密であったため、2000年に政権が引きずり降ろされ、国が大規模な民営化に開放され、莫大な公共部門の産業や事業、そして天然資源が米国と多国籍企業の手に落ちたとき誰も気付かなかったように思われる。同様に、旧ソビエト圏の諸国が近年全く同様の結果を伴い同じ戦略の犠牲になったとき、注目したのは少数であった。

帝国の要求やグローバル資本主義の拡大に従わない諸国家は、その国内での政治状況を変更し、国を企業投資家に開放するための秘密でよく練られた計画の標的になる。米国に支援された国内勢力が大統領を引き降ろすことで、外部からの干渉がなかったように見せかける。そしていま、米国政府は新しい最大の脅威に目を向けた。つまり中南米であり、より明確にはベネズエラである。

新世界秩序の勃興

20世紀後半に西側先進諸国の資本家らは、投資と成長のために国内の好機に集中し始めた。国境内における拡張の可能性が大部分で疲弊した段階に巨大企業は達し、成長のための唯一の選択肢は海外に新たな機会を追求することであった。肥大化する諸複合企業体は世界全域で、手当たりしだいに投資し、民営化し、買収することで、彼らの事業を拡大することを目指した。国家資本は国際化に向かっていき、その世紀の終わりまでには、資本主義は正に地球規模になった。

「でかくなるか、喰われるか」が彼らの新たな哲学であり、彼らは全諸国家を貪ることで拡大する決意をした。世界銀行と国際通貨基金〔IMF〕の協力と共に、あらゆる地域の経済は民営化に開放された。世界中の諸国で電話網、電力系統、水道や天然資源が裕福な資本家達によって買収された。今や自由市場資本主義は支配権を握った。世界の富が彼らの手中にますます集中するなか、それは国際的資本家の楽園であった。[1]

とはいえ、いくつかの国家は喰われない決心をしていた。彼らの天然資源が彼らのものであり、外国企業のものではない、という気が狂った考えを展開させた者たちにとって、民営化は評判のよくない概念であった。世界の複数の地域で抵抗運動が展開し、いくつかの国家はグローバル資本主義の理論に従わなかった。しかしながら米国政府は企業の拡張に世界を断固開放するかまえであった。彼らは従わない諸国に強いるのであった。暴力によってであろうと狡猾さによってであろうと。

ユーゴスラビアの事例:体制転換のひな型

それはユーゴスラビアにおいてであった。あるいはより明確にいえば、セルビアにおいてである。米国政府の新たな戦略が初めて実際に具体化したのは。そこから彼らは、セルビアの実践の途方もない成功を反復する試みとして、その戦略を他の諸国へと展開させていった。その理由を理解するのは難解なことではない。ミロシェビッチ政権崩壊が大民営化の扉を開いた後、この旧社会主義国の残骸の全ては、ヨーロッパで最大の内に数えられた天然資源埋蔵量を含め、時を置かずに米国及び国際投資家らの手に落ちた。

この戦略は精巧なものである。望ましくない政権を排除する意図をもって、米国政府はその政権に対する反対勢力を強化し統一することに専念する。そこには野党諸政党への財政的支援や、政権打倒に献身する複数の非政府組織〔NGO〕の創設が含まれる。それに加え、選挙で彼らの候補の勝利を助長するべく、米国は政治顧問や世論調査会社と契約することもある。だが選挙に勝利できない場合には、でっちあげの世論調査が公式の選挙結果に疑問を投げ掛けた上で、野党が選挙不正を主張する。大規模な抗議やメディアの注目が、政権が身を引くよう、あるいは野党の要求に屈するよう圧力を加える。[2]

これがどれ程信じがたく聞こえようとも、正にこれが2000年にセルビアでソロボダン・ミロシェビッチを引きずり降ろした戦略だったのである。コソボにおける戦争とNATO〔北大西洋条約機構〕による空爆が不首尾に終わった後、米合衆国はミロシェビッチに対する内政の反対勢力の強化に従事した。彼らを単一候補であるヴォイスラヴ・コシュトニツァの下に統一させ、彼の選挙運動におおよそ4千万ドルを注ぎ込むことによって。[3]米国に財政支援されたNGOや選挙顧問らは、選挙に関するプロパガンダ運動を引き起こすことを容易にし、またミロシェビッチ政権に対する大規模な抵抗を組織編制するべく舞台裏で暗躍した。[4]選挙当日選挙結果を監視するべく、米国により養成された「選挙専門家チーム」が国中に展開した。反ミロシェビッチの標語で国を溢れさせるために、米国は若い活動家達に数千の塗装用スプレー缶や選挙運動ステッカーを配給しさえした。[5]訳注1

第一回投票の公式結果によれば、どちらの候補も過半数の投票を獲得せず、従って決選投票が必要となった。しかし、米国の顧問達はコシュトニツァの圧勝を示す彼ら独自の「出口調査」を公表し、ミロシェビッチはそれを認めることを拒絶した。[6]野党は選挙不正を主張し、米国が後押しする諸団体が政府に圧力を加えるべく非暴力抵抗運動を展開させた。武装集団が連邦議会や国営テレビ放送本社に突入した。[7]大規模な抗議と反乱によってミロシェビッチは辞任を余儀なくされた。決選投票は行われることはなく、米国政府の候補であったヴォイスラヴ・コシュトニツァが政権に就いた。その戦略は成功したのである。

とはいえ何故米国はセルビアを、それよりも更に明確には小さな州であるコソボを標的にしたのか? 答えはレーガン政権時代、そして「US Policy towards Yugoslavia 〔ユーゴスラビアに対する米国政策〕」に関する1984年の機密文書にさかのぼる。検閲版が1990年に公開され、「共産主義政府及び諸政党を打倒する『静かな革命〔quiet revolution〕』を助長する広範な活動」を唱導していた。[8]

米国は長年の間、各々の州内部のありとあらゆる独立運動を支援することで、社会主義国ユーゴスラビアを分解・分割することに従事してきていた。そこにはコソボ州の離反を助長した1999年の軍事介入も含まれる。かつて、高名なヨシップ・チトーの下、相対的に言って経済成功であったもの――社会的に所有され、労働者により管理された会社を基にした社会主義経済――には、外国投資や米国資本の入る余地がなかった。これは現代のグローバル資本主義において大罪であった。マイケル・パレンチ はこの様に表現する:

「ユーゴスラビアは東ヨーロッパで、その福祉国家と公共部門の経済を廃止しなかった唯一の国であった。それはNATOへの加盟を懇願しなかった唯一の国であった。それは新世界秩序と協調しない独立した進路の計画を立てていたのであり、その残存したものは未だにそうしている。」[9]

国をいくつものより小さく依存した州へと分割し、彼らの公共部門経済を破壊することが最終的な目標であり、社会主義者チトーの崇拝者ミロシェビッチはそこに立ちふさがる唯一の存在であった。

彼らの活動に対する報酬は相当なものであった。一度ミロシェビッチが去ると、新政府によってまずとられた行動のひとつは、1997年の民営化法〔売却時には少なくとも60%の所有権を企業の労働者に割り当てるよう規定した法〕を廃止し、外国投資家に企業の70%を売却することを許可することであった。[10]2004年にコソボにおける国連派遣団は500社の企業の民営化を公表し、米国の諸企業が勝ち組であったことが判明した。フィリップ・モリス社は5億8千万ドルのタバコ工場を買収し、USスチール社はある製鉄会社の2億5千万ドルの配分をものにし、コカコーラ社はあるボトルウオーター生産者を2千百万ドルで手にし、その他もろもろである。[11]

それに加えて、西欧の投資家らがいま手を付けられるようになったものは、ニューヨーク・タイムズ紙が「戦争の華麗なる報酬」と称した、ヨーロッパ第二の石炭埋蔵量であり、鉛、亜鉛、銀、更に石油すらも含めた大規模埋蔵量である。[12]そして本当の逸品はコソボ州に位置していた。つまり、50億ドル以上の値段であると見積もられたTrepca鉱床〔鉛・亜鉛鉱床鉱山巨大複合施設〕がいまや最高入札者に開放されたのである。[13]

セルビアにおける戦略の成功は米国政府の政策立案者たちにとって重要な教訓であった。彼らはそれを東ヨーロッパで更に行く度か繰り返すこととなる。グルジア(2003年)、ウクライナ(2004年)、キルギスタン(2005年)、そしてベラルーシ(2001年に不首尾に終わった)といった地域で。「カラー革命〔Color Revolution〕」として知られるようになったそれにおいて、米国に援助された各々の社会運動は、米国政府によって促進される「自由市場」政策にとってより都合のよいものに替えるべく、体制を排除するのであった。[14]体制転換のための望ましい戦略は、この新たな類の非暴力抵抗運動に変化し、そしていま帝国は南米に視線を向けた。グローバル資本主義に対する新たな脅威が突然現れた地域へと。

ベネズエラの問題

コソボのTrepca鉱山がセルビア介入の大当たりであったならば、ベネズエラにおいてそれは国営石油公社PDVSAである。ベネズエラは世界で最大の内に数えられる石油埋蔵量を誇り、全ての重油埋蔵量が含まれたならば、総埋蔵量はことによるとサウジ・アラビアを上回る可能性がある。そして国の石油資源に対する完全な独占権をもってベネズエラで支配しいるのがPDVSAなのである。日量400万バレルの最大生産能力及び、650億ドルの年間収入を伴ったこの企業は、更に米合衆国に1万5千以上の給油所のネットワークを、また米国とヨーロッパ両方で複数の精製所を所有しており、全中南米で二番目に大きい企業である。[15]

確かなことは、企業投資家らがPDVSA社をベネズエラの他の公共部門諸企業と共に手に入れたいと望んでいる、ということである。実のところ、それが正に彼らが1990年代を通して行っていたことなのである。1998年までに、多国籍企業はすでに国有電話企業や最大の電力企業を買収しており、そしてPDVSAは彼らが国際資本への「開放」と称するもの――民営化の婉曲した言い方――を体験していた。[16]

しかしその同じ年に、ウゴ・チャベスが反帝国主義の綱領で大統領に当選し、ベネズエラの競売は突然中止された。実際ウゴ・チャベスは企業帝国主義者らや、米国政府における彼らの使用人にとって真の悩みの種になった。彼は民営化を阻止したのみならず、民営化されたもの全てを再国有化することによって今それを逆転させている。この国営石油企業の民営化はいまや法律によって禁止されており、彼の政権はそれを完全に掌握しており、国の発展に出資するために用いている。

だが米国政府と彼らの企業スポンサーにとってそれよりも更に懸念となっていることは、この傾向が中南米中に広がっていることである。チャベス政権は多くの近隣諸国との密接な関係を築いてきており、多くが彼の前例に従っている。ボリビアやエクアドルのような諸国は国の莫大なガス・石油埋蔵量の管理権を拡大させている。そのことが、それらをいつの日にか所有することを望む巨大企業にとっての機会を減少させている。

というわけで、彼らがセルビア、ウクライナや他の地域でしたように、米国政府はチャベスの脅威を取り除く意図をもって自らの勢力を展開させてきた。ここ数年の間、クーデター未遂、選挙操作や大規模抗議を含め多くを試みた後もなお、米国政府はその大衆の指導者を引きずり降ろすことができていない。とはいえ彼らは断念していない。それとは逆に彼らは実際には関与の度合いを増大させ続けてきている。

ベネズエラにおける東ヨーロッパの実践の反復

この新たな帝国主義的戦略には「アメリカン・コーナー」と称されるものが含まれている。これらの「コーナー」は米国政府によって対象国全域に開設される基本的にミニ大使館の役割を果たす小規模事務所である。これらの「コーナー」が正確に言って何をするのかは完全に明らかではないのだが、屋内では米合衆国に関する情報の列を見つけることができる。そこには海外留学の機会、英語教室や親米プロパガンダがある。それに加えて、ミニ大使館は若い学生らのために行事や教育や講義を計画準備する。訳注2

興味深いことに、それらは米国政府が不安定化を追求する諸国にとても多数あるように見受けられる。旧ユーゴスラビア諸国にはセルビアの7ヶ所を含めた、22のアメリカン・コーナーがある。ウクライナには24、ベラルーシには11、ロシアには30、イラクにさえ11ある。「コーナー」が飛び抜けて最も集中しているのは、近年米国政府が不安定化活動に専念した東ヨーロッパにおいてである。[17]

ベネズエラには少なくとも4ヶ所の「アメリカン・コーナー」があり、それは中南米諸国で最多であり、それに加えて米国は国中の文字通り数百の組織体に、年間500万ドルという額で資金供給している。[18]これらの米国に支援された諸組織は一丸となって東ヨーロッパの実践をベネズエラに埋め込もうと取り組んでいる。ロイター通信の報告では、ベネズエラの反政府派は、政権を打倒するセルビアの戦術をロバート・ヒルヴィー〔Robert Helvey〕という名の退役陸軍大佐から既に学んでいるという。

「ミャンマーの若い活動家ら、及び2000年に旧ユーゴスラビアの指導者ソロボダン・ミロシェビッチの打倒を助けたセルビアの学生らを訓練したヒルヴィーは、今週カラカス東部のある大学で非暴力の抵抗戦術について講義を行う」とその記事は伝えた。「ヒルヴィーもカラカスの講義主催者らのどちらも、正確にはどの様な抵抗戦術が教えられるのか詳細を明かさなかった。とはいえミロシェビッチ失墜以前のセルビアでの彼の任務においてヒルヴィーが学生に説明したことは、ストライキの組織編制の方策や、独裁政権の権威を揺るがす方法に関してであった」とロイター通信は報道した。[19]

そして更に最近ではメリダ州の大学都市において、テキサスの歴史学教授ニール・フォーリー〔Neil Foley〕が、米国大使館と、公式の「アメリカン・コーナー」ではないが同一の目的に貢献するベネズエラ・アメリカ・センター〔Centro Venezolano Americano de Mérida〕(Cevam)によって後援された行事を主催した。セルビアの複数の「アメリカン・コーナー」でやはり講演したことがあるフォーリーは、ボリビアとベネズエラの両国で「米国の価値観」に関する講演を行った。[20]

筆者はフォーリーの講演に出席したが、それは予想通り大学生らに押し付けられた全くの親米プロパガンダ宣伝活動であった。教授は米国大使館が彼を雇って伝えさせたメッセージをそのまま送り、米国社会と「米国民主主義」の素晴らしさを語った。フォーリーによれば、米合衆国はそれが抱える問題の全てを、他者に対する寛容さと、相反する関係者の間の包括的な「対話」によって解決するという。そしてベネズエラの学生達に明白な暗示を伝え、フォーリーはこうした基準に従って行動しない如何なる政府も「転覆する必要がある」とほのめかした。[21]

こうした活動の全てが、民主的に選ばれたチャベス政権に対する抵抗を統一し、増強させ、終結させる全国的な運動に集約している。最終的な目標は当然ながら、平和的な抵抗と大衆抗議を行うよう反政府派諸集団を組織・指導することによって政府を打倒することである。2002年にベネズエラ反政府勢力が暴力沙汰へと変わった大規模抗議を展開させ、それが最終的にチャベス政権の一時的な転覆へと至った時と同様に、米国に支援された組織的活動は可能な限りの方法で政府を倒すことを追求している。ことによると暴力を引き起こし、後に政府にその責任があると非難することによって。[22]

これまで、米国政府がベネズエラ反政府勢力の組織的運動を指導・統制するなか、セルビアと他の東ヨーロッパ諸国で用いられた戦略のほぼ全ての要素がベネズエラで実行されてきている。セルビアで採用されたのと同一の「選挙顧問」である、ワシントンに本社を置くペン・ショーン&バーランド社〔Penn, Schoen & Berland Associates〕が、ベネズエラの複数の選挙に対する疑問を投げかける試みとして、偽りの出口調査を公表するべくベネズエラで採用されてきた。この選挙操作の戦略は2004年の〔チャベス大統領〕罷免国民投票時に用いられた。その時、米国に支援されたNGO団体のスマテ〔Sumate〕とペン・ショーン&バーランド社は、チャベスが国民投票に敗北したという偽の出口調査を公表した。彼らは同様のことを2006年の選挙前に行い、チャベスの対抗者が「明らかにはずみをつけている」と主張した。[23]2004年と2006年の両方で、政府に対する大々的な抗議を引き起こす望みをもって不正を抗議する野党に、この偽りの調査結果が信憑性を与えた。この戦略はおおかた失敗に終わったのだが、チャベス政権の正当性に疑問を投げかけ、国際的にその印象を傷つけた。

これらの弱体化の試みは来る数週間の間に、民間テレビ局RCTV〔ラジオ・カラカス・テレビジョン〕に対する政府の行動〔RCTV放送免許更新拒否〕を否認するカラカスでの大々的な反政府抗議行動という具体的な形で現れてきている。反政府勢力はこの政府の決定に関連して組織編制し、政府が彼らの「表現の自由」を侵害していると主張してきており、RCTVの放送免許が満期になる5月27日当日の大規模デモ行進に至る一連の大抗議を首都〔カラカス〕で組織してきている。

全ての民間メディアが政府に対し抗議するデモ行進に出るよう視聴者に訴え宣伝する役割を担ってきた。皆が予想では、親政府勢力と反政府勢力の両方の人出が大規模になるであろうということである。政府に責任を負わせ体制を揺るがすためにデモ行進の最中に暴力が利用される可能性を政府は既に警告してきている。過去数日の間に、政府の情報当局は何らかの暴力の計画があるという証拠を示唆するものとして、反政府勢力が所有する5丁の狙撃銃や144本の火炎瓶を発見した。[24][25]

正にこの類の抗議行動が、2002年に複数の死者を出し、数百人を負傷させ、チャベス政権を一時的に転覆するに至ったのであった。RCTVのような民間メディア局はチャベス支持者達に死の責任を負わせるべくビデオ映像を操作し、人権侵害で政府を非難した。それ故に今回政府高官らは2002年クーデターに類似した事態を回避するべく、政府を支持する活動家達に5月27日と5月28日に写真とビデオで反政府勢力の抗議を監視するよう呼びかけた。

2002年にチャベスが引きずり降ろされた後に、大々的な政府を支持する抗議行動がなかったならば、米国政府の戦略はその大衆の大統領を既に排除していたのかもしれない。とはいえ戦略は失敗したのであり、従って帝国は試み続けている。それがウクライナ、セルビア、グルジアや他の地域で行ったのと同様に、この戦略が要することは、相当数の人々が政府に抗議するべく街頭に出るように仕向けることである。政府が広く支持されているいないに関係なく、あるいは民主的に選ばれていようといまいと、反政府派勢力は圧力をかけることによって彼らの願望を政府に課そうと試みている。

多くの抗議者らがおそらく承知していない事は、彼らがより大きな戦略における駒である、ということである。「自由市場」グローバル資本主義および企業に支配された民営化に世界を開放する戦略の。巨大な多国籍企業が世界を彼らの間で山分けする限りは、セルビアやベネズエラの様な小国は彼らの目標に対する単なる不運な障害物でしかない。誰がでかくなり、誰が喰われるのかを決める世界的な争奪戦において、ある諸国は喰われないことを望むという事実は、米国政府の官僚達にはただ単に問題ではないのである。



[1] 世界銀行とIMFが貧しい諸国に民営化を強制する仕方を更に読むには、その問題に関する充実した項目がある「Third World Traveler」へ。 http://www.thirdworldtraveler.com/IMF_WB/IMF_WB.html

[2] ZNetにこの戦略を更に詳しく説明したMichael Barker による4部シリーズの記事がある。http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=10987

[3] Michael A. Cohen and Maria Figueroa Küpçü, Privatizing Foreign Policy, World Policy Journal, Volume xXII, No 3, Fall 2005 http://worldpolicy.org/journal/articles/wpj05-3/cohen.html

[4] Chulia, Sreeram. Democratisation, Colour Revolutions and the Role of the NGO’s: Catalysts or Saboteurs?, Global Research, December 25, 2005, http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=20051225&articleId=1638

[5] Michael Dobbs, ‘US advice guided Milosevic opposition: political consultants helped Yugoslav opposition topple authoritarian leader’, The Washington Post, 11 December 2000, http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn?pagename=article&contentId=A18395-2000Dec3&notFound=true

[6] Ian Traynorは如何にして反政府派の「出口調査」が東ヨーロッパで諸政権を弱体化あるいは打倒するべく採用されてきたかをガーディアン紙の2004年11月の記事で説明している。“US campaign behind the turmoil in Kiev,” http://www.guardian.co.uk/ukraine/story/0,15569,1360236,00.html

[7] Chris Marsden, “How the West organised Milosevic's downfall,” World Socialist Web Site, 13 October 2000, http://www.wsws.org/articles/2000/oct2000/yugo-o13_prn.shtml

[8] Finley, Brooke.  “Remembering Yugoslavia: Managed News and Weapons of Mass Destruction,” from the book Censored 2005, Project Censored, Seven Stories Press, 2004.

[9] Michael Parenti, The Media and Their Atrocities, You Are Being Lied To, pg. 53 , The Disinformation Company Ltd., 2001

[10] Neil Clark, “The Spoils of Another War – NATO’s Kosovo Privatizations,” Znet, September 21, 2004, http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=6275

[11] Elise Hugus, “Eight Years After NATO’s “Humanitarian War” – Serbia’s new “third way”, Z Magazine, April 2007, Volume 20 Number 4, http://zmagsite.zmag.org/Apr2007/hugus0407.html

[12] Hedges, C., "Kosovo War's Glittering Prize Rests Underground," New York Times, 08/08/98

[13] Michel Chossudovsky, “Dismantling Former Yugoslavia, Recolonizing Bosnia-Herzegovina,” Global Research February 19, 2002, Covert Action Quarterly, Spring 1996-06-18, http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=MIC20020219&articleId=370

[14] Jonathan Mowat, “Coup d’État in Disguise: Washingtons’s New World Order “Democratization” Template,” Global Research, February 9, 2005, http://www.globalresearch.ca/articles/MOW502A.html

[16] Steve Ellner, The Politics of Privatization, NACLA Report on the Americas, 30 April 1998, http://www.hartford-hwp.com/archives/42/170.html

[18] Jim McIlroy & Coral Wynter, “Eva Golinger: Washington's 'three fronts of attack' on Venezuela,” Green Left Weekly, 17 November 2006, http://www.greenleft.org.au/2006/691/35882

[19] Pascal Fletcher, ”US democracy expert teaches Venezuelan opposition,” Reuters, April 30, 2003, http://www.burmalibrary.org/TinKyi/archives/2003-05/msg00000.html

[20] 在ボリビア米国大使館のウェブ・ページは、 ニール・フォーリーがベネズエラに滞在した前週にボリビアのラパスで「U.S. Culture Week」のために演説したことが記されている。 http://www.megalink.com/USEMBLAPAZ/english/Pressrel2007En/0404-USweek-eng.pdf

[21] 2007年4月16日、ベネズエラのメリダ州のアンデス大学におけるフォーリー氏による演説の筆者の個人的ノート。

[22] 2002年のクーデターの英文による最良で最も詳細な記述は、Gregory Wilpertによる最近の記事、 “The 47-Hour Coup That Changed Everything,”を参照せよ www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=2018

[23] 筆者の以前の記事 “Coup d’État in Venezuela: Made in the U.S.A. – The U.S.-designed Plan to Overthrow Hugo Chavez in the Days Following the Election,” Venezuelanalysis.com, November 22, 2006 を参照せよwww.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1884

[24] チャベス大統領は彼の諜報機関が反政府派の諸団体に潜入し、5丁の狙撃ライフルと共に消音装置と狙撃用眼鏡を所持した、ある反政府派団体に所属する男性を発見した、と公表した。  http://www.milenio.com/index.php/2007/05/05/65937/

[25] カラカス近郊のロステケスの警察は、「公共秩序を乱し、権威と直接対決する意図をもって来週街頭に持ち出す」べく全て使用準備が整った144本のモロトフカクテルを発見した、Prensa Latina, May 9, 2007, http://www.prensalatina.com.mx/article.asp?ID=%7BEEAA37C7-DE27-48EB-A23B-CDC19EAD2ADA%7D)

クリス・カールソンはベネズエラ在住の自由契約のジャーナリスト兼活動家。彼の個人的ブログは www.gringoinvenezuela.com へ。


訳注:

1.原文で引用されている記事(「US advice guided Milosevic opposition: political consultants helped Yugoslav opposition topple authoritarian leader」)によれば、5千個のスプレー缶と250万枚のステッカー

2.American Corners―日本にある「アメリカン・コーナー」は「アメリカ情報コーナー」と表記されており、沖縄の浦添市と名護市の市立図書館内に開設されている



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