2007年03月23日

米国の没落と中南米の台頭
〔The Descent of the US and Rise of Latin America:Original Article in English/ZNet原文

フィリップ・エイジー〔Philip Agee〕;2007年3月19日

近年のニュースを追っているものなら誰もが、中南米とカリブ海に広まっている革新的な変化の波に気付かずにはいられないであろう。長く孤独な年月に亘って、キューバは希望の光を掲げてきた。世界レベルの文化・スポーツ・科学的業績と共に、普遍的医療と教育の双方を無料で提供する模範的な諸計画を通して。今日物事が完璧であると言うキューバ人は見当たらず、完璧からは程遠いのだが、革命以前のキューバと比較するとおびただしい改善が成されたことをおそらく皆が賛成するであろう。その全てを、独立と自主決定の容認できない例として彼らを孤立させようとする米国による尽力に対抗して彼らは行った。〔米国〕は侵入、サボタージュ、テロリズム、暗殺、経済・生物戦および多くの諸国の協同したメディアにおける絶え間ない虚妄を含めたあらゆる卑劣な企みを用いた。1960年代に中南米でCIA工作員であったゆえに、これらの方法を私は十分承知している。合計で3千5百人近くのキューバ人がテロ活動によって亡くなっており、2千人以上が恒久的な身体障害者になった。キューバほどに長期にわたり、また一貫してテロリズムに苦しんだ国はない。

その年月を通して、1959年に権力に就く以前に始まり、キューバ革命は国防目的で米国に情報収集能力を有する必要があった。それがキューバの5人〔Cuban Five〕の完全に正当な任務であった。公平な裁判を受ける見込みのないマイアミで複数の犯罪の有罪判決の後、長い刑期を伴って彼らは1998年以来拘置されてきた。有罪判決は殺人のためにスパイ行為を行うべく共謀したためである。それにもかかわらず彼らは、マイアミでキューバに対する作戦のための犯罪的なテロリスト計画が行われていた土地のみに配属されていたのであり、それらの活動はFBIや他の法執行組織によって黙殺されたものであった。彼らは米国政府の機密情報を求めもしなければ、受け取りもしなかった。彼らの訴訟は未だ控訴中であり、長い間進展はないであろうが、彼らに対する完全に偏った有罪判決は、米国の歴史における最も恥ずべき不正のひとつであり、1920年代の無政府主義者移民ニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティに対する合法的リンチ殺人の部類に入る。米国において、また世界中で、キューバの5人の自由は、公正、人権や正義が重要である全ての者にとっての大義であるべきである。90の諸国の300の「Free the Five」連帯委員会の活動に加わることによって。

現在の米国政策とその手段や目的が見出せるのは、「自由キューバ支援委員会」の500ページ近い2004年の報告と、2006年に出版された秘密の補遺を伴う更新版である。1959年にそうであったと私が記憶するように、2007年も同様である基本的な目的は、悪い模範が普及しないようにキューバを孤立させることであり、成功した場合現在の政策は、キューバ人が正当にも主張するように、法的ではないにしても事実上の米国へのキューバの併合と完全な従属をもたらすであろう。1959年からの他の基本的な目的は、50年近く経った今でも、国内的な政治的反対を扇動することや、絶望、飢餓や失望に至る経済的困難をキューバに引き起こすことである。これらの目的を集団虐殺的であると呼ぶのは誇張ではない。

けれども、キューバに対する米国の50年近くに亘る経済戦争は、その経費が帳簿を付けているキューバ人の見積もりによると800億ドル以上に上るにもかかわらず、成功してきていない。1990年代初期、ソビエト連邦の崩壊によるキューバ経済の急落の後、それは1995年に回復し始めた。2005年までには成長は11.8%になり、2006年には中南米で最高の12.5%になった。いくつかの部門は崩壊以前の80年代後半の開発レベルを上回り、その他はほぼ回復した。キューバのサービス、ニッケル、薬学や他の生産物は急発展しており、どれほど試みようとも、米国はそれを阻止できずにきた。

結局のところ、キューバを孤立させる米国の試みは完全に失敗した。2006年9月に118の諸国の非同盟運動を率いるべくキューバは再び選出され、その二ヵ月後に、国際連合総会は15年連続でキューバに対する米国の経済制裁を非難する決議をした。今回は183対4であった。2007年にキューバは182の諸国と外交あるいは領事関係を結んでいる。一方で〔首都〕ハバナは果てしないほどの国際会議の開催地となっており、世界中から多数の人々があらゆる主題のため訪れる。そしてとりわけ、近年キューバは年間200万人以上の外国観光客を世界的な水準の行楽地に受け入れている。キューバを孤立させるには程遠く、米国は自らを孤立させた。

3万人以上のキューバ人医師と看護士が69の諸国で命を救い病気を予防しており、その多くが地元の医師がほとんど訪れない最も遠隔で困難な地域である。その一方で多数の諸国からの3万人の若き外国人が完全な奨学金を受けてキューバで医学を学んでいる。その全てが医師が不足した地域から選ばれており、皆が彼らの諸国のそれらの地域に帰り医業を行うことを誓っている。

教育に関しては、「そうだ、私は出来る〔Yo Si Puedo〕」として知られるキューバの識字計画は、5つの大陸の30近くの諸国によって採用されており、それらの場所で更に数千人のキューバ人有志が教育に携わっている。その計画を通し、スペイン語、ポルトガル語、英語、クレオール語、ケチュア語とアイマラ語で200万人ほどの人々が読み書きを学び終え、その殆どがその後異なる他の計画を通して教育を継続している。

これらの国際的な支援計画のおかげで、キューバの名声や影響、そしてキューバとの国際的連帯がこれ程莫大になったことはなかった。不正に有罪となった5人のキューバ人が1990年代にマイアミへ行ったのは、それらの尊い計画を守るためであった。

その後の1999年に、その地域における米国の最新の悪夢であるウゴ・チャベスが現れた。石油からの莫大な収入を持って、彼が21世紀の社会主義と呼ぶものを確立するべく、ベネズエラでキューバの模範に疑いの余地なく従っている。それに伴うのは、完全に米国を除外する米州ボリバル代替統合構想、〔略して〕ALBAの下の地域統合の対外政策である。その構想は既に進展中である。貿易ではメルコスール、エネルギー部門ではペトロカリベ〔Petrocaribe〕、ペトロアンディーナ〔Petroandina〕とペトロスール〔Petrosur〕、金融では南米銀行〔Banco del Sur〕、そして電子メディアではテレスールを通して。

ALBAの下の別の計画は Operación Milagro (奇跡計画)である。白内障、緑内障、糖尿病や他の視力問題のために無料の眼科手術を、支払う能力のない人々に提供する。それは、手術のため無償の経費でベネズエラ人をキューバに空輸するキューバ・ベネズエラ間共同の努力として2004年に始まった。2年の内に中南米とカリブ海の28の諸国が参加しており、視力回復手術の数は48万5千に達し、その内29万人がベネズエラ人である。毎日患者で満席のジェット旅客機がハバナを往来している一方で、13の最新の眼科クリニックがベネズエラに建築され、その中の幾つかは既にそこで数千の手術を行ってきた。別のクリニックがボリビア、エクアドル、グアテマラ、ホンジュラスやハイチで設立されており、その全てがキューバの立案と人材派遣が伴っている。 奇跡計画の10ヵ年目標は、中南米とカリブ海の600万人の人々の視力の回復であり、その計画はアフリカに拡大している。

これほど長年にわたるキューバの、そして現在ベネズエラの模範は、近年ボリビア、エクアドル、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイやニカラグアの人々を刺激し、進歩的な指導者らを選出させた。多くが1990年代の「ワシントン・コンセンサス」や新自由主義モデル、および半球の自由貿易地域を確立しようとする米国の決然とした尽力を拒絶した。その全てが各々独自の仕方で、草の根の社会・経済計画を開発しており、全ての者のため、特に長期にわたり除外されてきた大多数の国民のための生活水準の改善を目指している。キューバにおける業績が輝き続けるとはいえ、この地域の革命の灯火は、80歳で病んだフィデルという非凡な人物から、シモン・ボリバルとホセ・マルティからインスピレーションを受けた軍人で教師のチャベスに効果的に手渡された。

これ程広大な地域における何億もの人々のためのこれらの新しい希望を熟考すると、未だ中南米で学生によって読まれているホセ・エンリケ・ロドによる一級の小論である『アリエル』の中で教え子に最後の演説をするプロスペローを想起せずにはいられない。『テンペスト』〔シェイクスピアの戯曲〕から借用し、エアリアルによって象徴される美徳と善という屹然とした精神に従うよう、またキャリバンによって擬人化された米国の粗野な物質主義を拒絶するよう彼の教え子に促して、プロスペローは中南米の理想主義と米国との間の差異を示した。それはその小論が世に出た1900年と同様に今日も正当である。

10年前には想像できなかったほどに、中南米がめまぐるしく進歩的な傾向へと向かっている一方で、対照的に米国は、少なくともレーガン政権以来、一歩一歩21世紀のファシズムへと向かっている。そしてその歩調は、ジョージ・W・ブッシュの共和党政権の過去6年間に加速してきた。それに伴ったのは、2001年9月のツイン・タワーへの攻撃の直後の緊急自体の状況の下の、愛国者法〔Patriot Act〕の可決や、2006年の軍事委員会法〔Military Commissions Act〕の採用であり、その両方とも議会の民主党員のかなりの支持を得た。他の法律もこの趨勢を維持している。

米国連邦政府は現在、電話、通常の郵便物、電子メール、ファックスにかかわらず個人の通信を隠密に監視する法的権限を有している。それに加えて、銀行預金残高、クレジットカード、個人が閲覧するウェブサイト、そして購入する、あるいは図書館で読む書籍も含まれる。拷問、秘密の刑務所、誘拐に加え、人身保護令状を通し法廷に訴えることや裁判なしの無期限の拘留――この全てが現在合法である。米国の捕虜が他の政府に引き渡され、そこで彼らがおそらく拷問され、事によると暗殺される「特別上演〔extraordinary rendition:特例拘置引き渡し〕」もまた然りである。欧州議会による調査は、これらの人々を欧州の諸空港を通し秘密の監獄へと輸送した約1200便の秘密のCIAのフライトを確認した。米国市民やその他の世界の誰であろうとこの待遇を受けるために最低限必要なことは、政府によって「不法敵性戦闘員」として指定されることである。その唯一の定義は「米国に対する戦闘行為を意図を持って物質的に支援した」者である。キューバとの連帯を表明する談話から、イラクにおける戦争を抗議するピケラインまで米国政策に反対することならほぼ何でも戦闘行為あるいは敵意のある行為として解釈される得る。もし「敵性戦闘員」が裁判を受けるようなことがあったとしても、それは同等の地位の陪審員によってではなく、拷問によって引き出された証拠や伝聞証拠を利用することができる米国軍事法廷によって行われる。

ナチ政権を連想させるこれらの権限は、感知された敵に今にも振り下ろされる世界的な米国のダモクレスの剣であるのみではない。あらゆる範囲の弾圧は2001年のアフガニスタン侵略以来行われてきている。多数の証拠がバグラム、アブ・グレイブやグアンタナモの強制収容所、及びその措置に引き込まれ解放された様々な無実の者達の証言に見出される。それは、終わりも地理的な限界もない未定義で漠然とした「テロとの戦い」における、進行中の世界中に及ぶファシスト権力の応用である。2001年9月以来、ブッシュ政権は自らが信じるイスラム・テロリズムの動因の見掛け倒しの根拠を次から次へと上げてきており、それが米国帝国主義政策に対する反動と抵抗であるということを決して認めずにきた。〔それらの政策には〕イスラエルによるアラブ人の土地の継続する占領と植民地化や、1967年の六日間戦争〔第三次中東戦争〕以前の国境線の復帰に対するイスラエルの拒絶に対する米国の支持が含まれる。

報道によれば、2006年までに米国は世界中の1万7千人の人々を「敵性戦闘員」として指定してきた。この弾圧に、イラク保安と「再建」に見られる米国民間企業に対する莫大な契約や、常にご褒美に目を据え、イラク政府が非常に不利な30年間の「産品共有協定〔production sharing agreements〕」を、侵略以前イラクから追放されていた米国と英国の石油大企業と結ぶよう強要したこと、及び労働組合権限の歴史的な最低な度合いを合わせると、1919年にその〔ファシズムという〕用語を考案したムッソリーニがファシズムの真髄として述べた、政府と企業権力の融合ができあがる。ひとつの明るい点は、ドイツにおける13人のCIA要員とイタリアの他の26人に対する誘拐と法の侵害に対する最近の起訴である。当然ながら、彼らは決して裁判に掛けられることはないであろうが、この起訴は爽快な展開である。

米国の国益にかなうテロリストの保護は、21世紀の米国ファシズムのまた別の特徴である。そこには数多くの事例が、特にキューバ人亡命者の間にあるのだが、2つの例が他よりもひときわ目立っている。すなわち、オルランド・ボッシュとルイス・ポサダ・カリレスである。両者ともに文書で実証された国際テロリストの長い経歴を持っているのだが、彼らの共同犯罪のひとつは歴史的である。西半球において初の飛行中の民間航空機の爆破である。1976年10月6日、バルバドス離陸直後に爆発したのはキューバ航空455便であり、搭乗していた74人全員が殺害された。

1960年頃に双方ともCIAの活動を始めたボッシュとカリレスは、この爆弾攻撃の計画をカラカスで立て、ポサダによってリクルートされた2人のベネズエラ人に爆発物を供給した。この2人の人物は発見され、有罪の宣告を受け、長期にわたる刑期に処された。ボッシュとポサダはそうはならなかった。彼らは、彼自身CIAとの連携の経歴がある当時のベネズエラ大統領カルロス・アンドレス・ペレスによって保護されていた。彼らの両者とも、この犯罪の知的立案者として別々に逮捕され、ベネズエラの裁判所で裁判にかけられたのだが、両者とも有罪にはならなかった。

ボッシュは無罪の評決を受け1988年に釈放されマイアミに戻ったのだが、月並みな仮釈放違反で逮捕された。その後〔米国〕司法省は、「望ましくない者」として、また西半球の「最も危険なテロリスト」として彼の国外追放を命じた。だが当時のブッシュ大統領の息子ジェブ・ブッシュ〔前フロリダ州知事〕が、1990年に彼の父親にボッシュの国外追放命令を取り消すよう説得した。それ以来ボッシュはマイアミで自由に暮らしてきており、そこで彼は事あるごとにテレビ・インタビューを受け、キューバに対するテロリズムを正当化するあらゆる努力をしている。

ポサダの場合、ベネズエラにおける彼の裁判が決して終わらなかったのは、1985年に彼が脱獄し、国外逃亡したためであり、その後エルサルバドルに現れ、ニカラグアに対するCIAのコントラ・テロ作戦に従事した。それが終わったとき彼は中米で地下に留まり、1990年代初期からキューバに対する更なるテロ作戦を組織した。2005年に彼はマイアミで米国への不法入国のため逮捕された。そして、キューバでのホテルや他の観光客施設の爆破――その内のひとつの事例でひとりのイタリア人観光客が死亡した――をニューヨーク・タイムズ紙に彼が認めたのだが、彼が起訴されたのはFBIに対しまた帰化要請において嘘をついたことのみである。彼をテロリストとして裁くことができるよう、彼がそうであると認証することをブッシュ政権は拒絶してきており、それと同時に司法からの逃亡者とするベネズエラの引渡し要請を、彼が拷問を受ける可能性があると不条理にも言い張り無視してきた。彼の待遇は彼が行く行くはブッシュによって赦免されることを示唆している。ことによると〔ブッシュが〕ホワイトハウスを去る直前の2008年のクリスマスイブに。彼の父親が1992年のクリスマスイブに、1980年代のイラン・コントラ・スキャンダルの犯罪でキャスパー・ワインバーガー元国防長官と複数のCIA要員を赦免したように。この様にして〔ブッシュ父は〕翌月に始まる予定であった審理を妨たげたのであった。

明白なことを書き連ねる必要はないであろう。マイアミの5人のキューバ人の反テロの努力に対する有罪判決は、ボッシュとポサダの様なテロリストの公式の保護とは対照的に、米国が国際テロリズムの支援国家の最たるものであることを十分に証明している。

1980年代から現在まで続く世界的侵害という米国の計画を覆い隠すべく利用される主要な見せ掛けは、「民主主義の促進」である。それは歴代大統領、国務長官やその他が利用してきた、決して人を騙すことのない偽善的な主張である。米国民主主義基金〔NED〕、国務省、国際開発庁〔USAID〕、その関連基金や局の「民主主義促進」計画が、将来米国の支配下に置かれ米国の国益を守り満たすこととなる世界の諸国における国内的政治勢力を扇動し強化する試みにすぎないことは常に明白であった。その起源は1940年代に開始されたCIAの政治的作戦であり、そこに含まれたのは、民主的に選出された諸政府の転覆や、多数の例から2つを挙げれば1964年のブラジルや1973年のチリに見られる口に出せないほどの弾圧の確立である。

確かに米国においてこの発展中のファシズムに対する重要で価値のある抵抗が議会や民間団体や個人の間にあったし、今もある。しかしその殆どは防衛・後衛的な性質の孤立した試みであり、企業メディアの僅かな言及しか伴わなかった。キューバに対する経済制裁を軽減する、あるいは終わらせるべく、あるいは抑圧的な法律のなかでも最悪なものを修正するべく、それどころかブッシュとチェイニーを弾劾するべく複数の法案が議会に提出されてきたのだが、それらが成功する、あるいは法になることは決してありそうもない。実際には一党独裁国家の諸部門を巡り張り合っている二大政党はただ、権力の独占を維持するべくますます極端な処置を採用してきている。

かつて憲法を執行するためのおそらく最後の望みであった司法制度すらも、それを無視するネオコン〔neo-conservatives〕によって蝕まれるようになった。マイアミの有罪判決に対する5人のキューバ人による上訴を見れば十分である。アトランタ第11管轄区の当初の3人の上訴裁判所の裁判官らは、説得力のある93ページの満場一致の裁決を出し、マイアミの支配的な反キューバ的な環境において、自認したキューバ人工作員らの公正な裁判は可能ではなく、裁判地は変更されるべきであったという被告側の立場を支持した。それにもかかわらず、管轄区の他の10人の裁判官は、別の上訴を全裁判官による審理で行うという票決をし、その後当初の3人の裁判官のうち2人(3人目は引退していた)のみが反対票を出した以外は満場一致で当初の裁決を覆した。13人の管轄区裁判官のうち10人が、キューバ人工作員が公正な裁判を受けることができる場所としてマイアミを是認した事実は、連邦の司法制度が道徳的また知的に腐敗した度合いの良い例であろう。

現在は全く持って暗い日々である。米国およびその延長として、従属的協力国の英国に始まり、NATO〔北大西洋条約機構〕までを含めた同盟諸国にとって。これまでも米国において、他の恥ずべき弾圧の時期、例えば第一次世界大戦後の年月があったとはいえ、決してこのような世界的な展開能力は伴ってはいなかった。

案の定、世界中の米国の威信、かつて存在していた程度のそれは消滅し、軽蔑とさげすみに取って代わられた。その証明は、地域統合から5カ国〔ウルグアイ、グアテマラ、コロンビア、ブラジル、メキシコ〕を遠ざけようと試みて、ブッシュが中南米を歴訪するのと時を同じくして、彼の来訪を街頭で抗議するあれ程の数の人々によって表明されたブッシュと彼が象徴するものに対する拒絶である。現在中南米で開花している啓蒙され、理想的で進歩的な社会・政治運動の数々との何という相違であろうか!

ハバナ、2007年3月


フィリップ・エイジー(72歳)は、1960年から1969年の間中南米におけるCIAの秘密作戦要員であった。彼はベストセラーの『Inside the Company: CIA Diary〔CIA日記:日本語訳〕 』(Penguin Books, 1975)の著者。1977年に英国及びNATO4カ国によって国外追放された後、1978年以来彼は彼の妻とドイツのハンブルクに在住してきた。彼は連帯とビジネス活動のため頻繁にキューバや南米に訪問し、2000年にはキューバへのオンライン旅行サービス(www.cubalinda.com)を始めた。

posted by Agrotous at 21:43 | TrackBack(0) | 中南米全般
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