2007年02月17日

エリート民主主義:米国がベネズエラで最大限に統治した時代
ベネズエラにおける民主主義阻止の歴史―パート3
〔Elite Democracy: When Washington Reigned Supreme in Venezuela
The History of Democracy Prevention in Venezuela - Part 3 :Original Article in English/ZNet原文

クリス・カールソン〔Chris Carlson 〕;2007年2月4日

昨年9月国連総会でウゴ・チャベスが演説をしたとき、彼はワシントンが「エリート民主主義」を世界で助長していると非難した。その演説を聞いた多くの人が「エリート民主主義」で彼が意味したことを理解しなかったかもしれない。おそらく少数の人が彼の言葉がどれほど適切であったかを理解したであろう。とはいえチャベスは個人的な経験から語っていた。大部分の世界と同様に、ベネズエラはエリート民主主義による失望とその破壊的な帰結を経験してきている。世界における現代民主主義の危機と対面するためには、エリート民主主義という悲劇を理解しなければならないことをチャベスは理解している。

歴史を一貫して、ワシントンは大衆の除外と真の民主主義の阻止に専念してきた。世界中の諸国で独裁政権を就任させ、支援する長い歴史は、このことの十分な証拠である。だが独裁政権が公共関係〔public relations〕問題になると、国民をなだめるためにワシントンは米国の体系を模範としたエリートによる民主主義の形式を促進する。独裁とエリート民主主義の両方とも、真の民主的な制度の「危険」を阻止するという同一の役割を担う。エリート民主主義を通してであろうと独裁であろうと、大衆の参加は最小限に抑えられなければならない。真の民主主義が機能することは決して許されない。

ベネズエラはこのワシントンの戦略が機能する仕組みの典型的な事例研究対象である。20世紀にベネズエラは、独裁からエリート民主主義へと、そして最終的に新自由主義として知られる別の独裁へと移行した。この移行はワシントンとベネズエラのエリートによって入念に画策された。真の民主主義の「危険」は慎重に回避された。当然ながら米国の諸企業はベネズエラから正に望むものを手にした。すなわち莫大な量の安価な石油と中南米における米国製品の最良の顧客である。

残虐な独裁者でワシントンの同盟者のマルコス・ペレス・ヒメネスは、1950年代に米国企業に気前の良い石油採掘権を与えると共に、おそらくより重要なことに、米国輸入への門戸を更に開放した。(1)これがベネズエラの国内生産と産業にとって非常に不利益であった一方で、米国企業とベネズエラのエリート階級は大いに利益を得た。結果としての貿易収支は、ベネズエラが受け取ったオイル・ダラーが消費財の輸入で循環して米国に戻った為、米国に大幅に有利であった。これ以上に何を米国は望めたであろうか? ベネズエラの除外された大多数が独裁者と彼の国家警察――悪名高い「国家保安」の暴漢ら――によって牽制されている限り、この仕組みは彼らに申し分なく貢献した。

とはいえ1950年代を通して、独裁者に対する抵抗は増大していった。独裁者を追放するために発展した大衆運動は米国を悩ませた。例のごとく、彼らは大衆の参加と大衆運動の急進化を懸念していた。反米主義は激しく、1958年にリチャード・ニクソン副大統領と彼の妻はカラカスの暴徒に危うく殺害されるところであった。(2)ワシントンは人々が主導権を握らないことを確実なものにしなければならなかった。大衆の意志が行使されないことを。

1950年代に米国が民主的な制度の発展を表向きには反対していた一方で、彼らは民主的な反政府勢力との接触を維持しており、彼らが後々政権に就いたときのために、指導者らを米国の友に育て上げた。最も有名な野党政治家ロムロ・ベタンクール〔Rómulo Bentancourt〕は、彼が1946年に政権に就いた時、彼の共産主義者に対する好意ゆえに、米国に恐れられた。だが今や彼は国務省から影響を受け、米国への敵意を和らげていた。(3)ベネズエラでは「ベネズエラ民主主義の父」として知られるベタンクールは、民主主義の「許容し得る限度」を教示された。ワシントンは彼に新しい制度の要領を示していた。つまりエリート民主主義である。

エリート民主主義:「低危険度」民主主義

ベタンクールは1958年の独裁者の失脚の後、ベネズエラの次期大統領になった。だが公開選挙が開催される前に、ベネズエラのエリートは新しい政治体系の構想をまとめ、それが国をその後40年間統治するのであった。政治的な協定を基に築かれたこの体系は基本的に、全ての抗争を回避することに、したがって国の現状を維持することに向けられていた。数年前に独裁政権を支持した同一の財界及びエリート指導者らの多くが、この新しい制度の構想をまとめる者達であった。(4)

ベタンクールは共産主義及び左翼諸政党を非合法化することで米国の要求に譲歩した。結果は国政選挙で誰が勝利したかに関わらず、二大政党の間で権力を平等に共有するというプント・フィホ協定〔pacto de Punto Fijo〕として知られる政治協約である。彼らは政治抗争及び構造上の変化を回避することに合意した。経済の構造は変えられることがなく、諸機関は現存するものに基づくこととなった。その結果政治諸政党の大部分が彼らの支持を撤回し、彼らがエリートの支配とみなしたものに抵抗した。ベネズエラはいま建前では「民主主義」であったのだが、ワシントンとベネズエラのエリート階級は意義のある変化が起こらないことを確実なものにした。

この連立政権は「限度」内の民主主義に帰着した。人口の大部分および、政治的な多様性は完全に除外された。二大政党の間の共通した政治・経済計画の形成は、労働者と農民階級が抑制されなければならないことを意味した。必要とあれば暴力をもって。左翼諸政党が違法になったゆえに、彼らは秘密活動を余儀なくされた。ゲリラ集団が国全域で形成された。CIA〔アメリカ中央情報局〕は国内で左翼活動を監視することを許された。米国によって訓練・武装された軍は左翼諸政党を暴力的に抑圧し、数千人を殺害し拷問した。

独裁者の時代からわずかの変化しかなかった。大衆の参加は数年毎に2つのエリート政党のどちらかを選択することに限定された。それ以外のことはエリート政治家らに任せられた。大衆を無頓着にさせたままにするべく制限された改革と便宜が提供されたのだが、本当の構造改革は不可能であった。エリート民主主義は人気がない独裁者に取って代わり、ワシントンはベネズエラで好きなように振舞い続けた。

このエリート民主主義の形態こそが、ワシントンが米国民主主義基金〔NED〕やUSAID〔米国国際開発庁〕のような団体や、その他の秘密の手段を通して世界中で促進してきたものであり、促進を継続しているものである。基本理念は政治体系に限界を設けて、資本主義グローバリゼーションを脅かすことのない政綱のみに制限することである。この戦略は、ワシントンの資本主義の利害関係にある政治政党に資金供給し、訓練し、手を貸すことによって、またより根本に関わる変化を目指し努力する如何なる大衆政治運動をも弱体化させることによってこれを成し遂げる。より深い変化を要求する、あるいはグローバル資本の利害を脅かす如何なる急進的あるいは革命的な運動も、即座に妨害され権力に就くことを妨げられる。カリフォルニア大学の社会学教授ウィリアム・I・ロビンソンは次のように説明する。

「総合的な戦略において、ワシントンは自らの『民主主義促進』計画を通して『影響力の代理人〔agents of influence 〕』――地元の政治・市民指導者ら――を生み出す事を望んでいる。彼らに期待されていることは、構築途上のエリート社会体制との思想的な相似を引き起こすこと、新自由主義の見込みを促進すること、そして干渉された国をグローバル資本主義へと統合させる政策を唱道することである。更にこれらの代理人らに期待されていることは、より大衆志向で独立し革新的、あるいは急進的な団体や個人――彼らは自らの国のための独特の政策を持っているかもしれない――と張り合い、凌駕することである。」(5)

大衆はより急進的で根本的な変革を要求しているかもしれないが、エリートはそのような要求の方向を変える、または無効にするべく専心する。政治権力を与えるには、あるいは国家的な問題に関して相談するには大衆はあまりにも「無知」あるいは「無責任」であるとみなされていた過去の時代と同様に、現代では彼らはより内密な手段で無力化される。以前は独裁者が単に暴力をもって大衆の要求を抑圧したのに対して、新たな洗練された手段は衝突抜きで彼らを抑圧することをエリートに許した。大衆の要求を公に拒絶することはもはや受け入れられなくなった。つまりいまそれは秘密裏に行われるようになった。

ベネズエラにおいて真の民主主義はあまりにも「危険」であった。彼らが意志を行使できたとしたら、何を大衆は行うであろうか? 彼らは米国石油企業を追い出すであろうか? ベネズエラ産業を保護するために米国の輸入を制限するであろうか? 彼らは米国の敵と協力するであろうか? ワシントンとベネズエラのエリートにとって、民主主義はあまりにも危険であった。また再び、それは阻止されなければならなかった。

新自由主義への道:世界的な独裁

独裁政権と長年のエリート民主主義の間、米国諸企業はベネズエラで確固とした地盤の獲得に成功した。独裁者ペレス・ヒメネスは経済を米国輸出に徹底的に開放し、彼の後に続いたエリートはそれを変えるために何も行わなかった。優先事項が対立を回避しエリートの利害に足を踏み入れないことであったことから、保護貿易や自由主義の政策の双方とも採用されなかった。連立政権は最終的に輸入生産を促進し、国の産業経営者らを弱体化させることとなる中道を選んだ。台頭してきたベネズエラ産業は明らかに米国のそれよりも劣っており、張り合うことは出来なかった。ベネズエラの国内生産は米国輸入業者に負け、米国企業と繋がったベネズエラのエリート部門が1980年代までに政治を牛耳るようになった。(6)エリート実業家らは生き残る道が米国と多国籍企業の発展を拡張することに投資することであることを理解するようになった。その間にベネズエラは中南米で最も「アメリカ化した」国となった。

新自由主義経済政策のための条件は整い、エリート民主主義は道を開けた。合意に基づいた政府は如何なる重要なベネズエラ産業や生産を築くことにも失敗し、米国と多国籍企業が優勢になった。国益に対する忠誠を欠いたベネズエラのエリートは離脱し、多国籍資本階級に合流した。米国文化と投資がベネズエラ経済に更に浸透するなか、エリートは多国籍資本と協調するうえでより論理的で実効的になった。(7)商業団体、資本主義者、投資家、実業家や専門家らは外国資本と団結し、従って新自由主義イデオロギーを支持した。

カルロス・アンドレス・ペレス大統領は1989年に新自由主義の徹底的な経済政策を施行し、大規模の都市暴動・略奪・暴力という結果をもたらした。国軍によって数千人が街頭や民家で殺害された〔いわゆるカラカス暴動〕。長年にわたって石油収入と融資が、国家が最低限の社会福祉支援を国民に提供することを許してきた。だが1980年代に、ペレスは国際金融機関の要求に従うことを余儀なくされた。結果は貧困と困窮の徹底的な拡大であった。(8)

企業に牛耳られた金融機関と米国によって促された新自由主義政策は、世界の諸経済を無理やり国際投資へと開放させる。諸政府は経済に対する介入を最小限に抑え、公共サービスと資源を民営化しなければならない。国家予算は債務返済に集中しなければならない。それ以外のもの全ては自由市場に任せなければならない。保健医療、教育、公共サービスや国家資源は国際投資家に解放される。多国籍企業が国家経済の支配を完成する間に、投資と国際資本の流出入に対する全ての規制は撤廃されなければならない。

チャベスは新自由主義を世界的な独裁〔dictatorship〕として言及した。これはおそらく、諸国が特定の政策を受容するよう強要されるゆえに、その帰結の旨い描写であろう。世界銀行と国際通貨機関〔IMF〕が条件を指令〔dictate〕する。地方及び国家事業のための如何なる保護も撤廃されなければならず、経済に対する全ての政府の介入もまた然りである。諸政府は国有資源の全ての統制を多国籍資本に引き渡す。国家政府は意義を持たなくなる。多国籍資本が事を取り仕切る。

国の市民は、資源と国の経済に対する支配権を彼らの政府という媒介によってのみ行使できる故に、公共分野を縮小し民営化することは彼らの社会に対して国民が有する唯一の権限を基本的に取り除く。国民は押しやられ除外される。投資家、企業や資本家のみがサービス、資源や経済に関する決定を下す。国民が介入できる全ての手段を取り去り、エリート支配は完全に保証される。

ワシントンが世界中で新自由主義政策を促進し、課しているのも驚くに足らない。ベネズエラや世界中における目標は常に民主主義を阻害し、全ての意思決定から大衆を締め出すことにあった。新自由主義の独裁は彼らを恒久的に除外し、全ての決定がエリート資本家階級によって成されることを確実にする理想的な手段である。以前の独裁政権の下と同じく、人々は傍観者であり、参加者ではない。

ベネズエラにおいて計画はあと一息で旨くいく所であったのだが、国民が立ち上がり抵抗した。現在ベネズエラは、彼らが主張するように「非民主的」だからではなく、それが逆に民主的な故に、敵になった。ワシントンに対する脅威に。チャベスが独裁者だからではなく、むしろ彼が大多数を代弁している故に。なぜならば現在ベネズエラが企業の独裁によってではなく、人々によって支配されているからである。


(1) Ewell, Judith. Venezuela and the United States: From Monroe's Hemisphere to Petroleum's Empire. The University of Georgia Press, Athens, Georgia ©1996, pg. 177
(2) Ewell, pg. 165
(3) Ewell, pg. 162
(4) Coronil, Fernando. The Magical State: Nature, Money, And Modernity in Venezuela. The University of Chicago Press ©1997, pg. 226
(5) Robinson, William I. "Promoting Polyarchy: The New U.S. Political Intervention in Latin America," published in ALAI, Latin America in Movement, 2006-02-17
(6) Coronil, pg. 188
(7) Ewell, pg. 166
(8) Fernando Coronil; Julie Skurski. "Dismembering and Remembering the Nation: The Semantics of Political Violence in Venezuela, Comparative Studies in Society and History," Vol. 33, No.2. (Apr., 1991), pp. 288-337


クリス・カールソンはベネズエラ在住の北米出身学生兼活動家。彼の個人的ブログは以下:
www.gringoinvenezuela.com


The History of Democracy Prevention in Venezuela:

Democracy: Washington's Real Enemy in Venezuela - Part 1(英文)

Washington and Its Contempt for the Venezuelan People - Part 2(英文)

posted by Agrotous at 21:15 | TrackBack(0) | ベネズエラ
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