2006年12月02日

白人入植者エリートとの関係の清算を準備する中南米
ボリビアからベネズエラまで、大陸を吹き抜ける政治運動や抗議は、階級のみならず人種についてでもある
〔Latin America is preparing to settle accounts with its white settler elite
The political movements and protests sweeping the continent - from Bolivia to Venezuela - are as much about race as class :Original Article in English/ZNet原文

リチャード・ゴット〔Richard Gott〕The Guardian;2006年11月19日

アイマラ族のエボ・モラレスが今年ボリビア大統領として当選したことで頂点に達した中南米における先住民抗議の近年の激増は、何世紀にも亘り大陸を支配してきた白人入植者エリートのあやうい立場を際立たせてきた。「白人入植者〔white settler 〕」という用語が多くの欧州の植民地の歴史において聞き慣れたもので、軽蔑的な響きを伴うとはいえ、中南米(と米国)の白人は通例このようには描写されず、彼ら自身この表現を決して使わない。この英語の語句を十分に翻訳できるスペイン語やポルトガル語は存在しない。

16世紀以来の植民の長い経験の結果、伝統的に中南米は、他の地域の植民地計画から区別された大陸である、とみなされてきた。それにもかかわらず、それは実のところ、より近い時代の欧州からの白人入植者の地球規模の拡張の歴史に属している。今日のエリートは主として、〔18世紀頃の中南米諸国〕独立後の2世紀の間に発展した移民の欧州文化の産物なのである。

19世紀と20世紀の欧州諸帝国の白人入植者国家の特徴はよく知られている。入植者は土地を接収し、そこにいた住民を立ち退かせる、あるいは皆殺しにした。彼らは生き残った先住民の労働力を農業で搾取した。彼らは自らのために、欧州の生活水準を確保した。二等階級あるいは三等階級の市民として、先住民族に大部分権利がないよう確保すべく諸法案を起草し、残存していた先住民族を極度の偏見で扱った。

中南米は、英帝国に関する論議で使用される喚起的な語句、「入植者の植民地主義」の特徴を共有する。それは他地域の欧州の植民地によって共有されていない更なる特徴を、カリブ海と米国と共に有している。つまり、非先住民の奴隷階級の遺産である。奴隷制が1830年代までには大部分の世界で廃止されていたとはいえ、中南米(と米国)においてその習慣は数十年間継続した。白人入植者らは2つの異なる集団を抑圧し、先住民族の土地を強奪し、輸入された彼らの奴隷の労働を充当するうえで独特であった。

全ての「入植植民地主義者」社会のある特徴は、入植者らの根深い人種差別的な恐怖と憎悪であり、彼らは所有権を奪われた最下層階級の存在によって恒久的に警戒させられている。それにもかかわらず、中南米の入植者らの人種的な憎悪は、この大陸の歴史と社会の通常の理解において些細な断片しか占めてこなかった。左派の政治家や歴史化ですら、人種よりも階級を論ずることを好んできた。

ベネズエラにおける12月の選挙は、黒人と先住民の血が流れたウゴ・チャベスの再選をもたらすであろう。彼に対し示される反対派の敵意に満ちた嫌悪の多くは、明らかに人種的嫌悪が基にあり、類似した嫌悪は1970年代にチリのサルバドール・アジェンデと、アルゼンチンのフアン・ペロンに対してあった。白人入植者エリートにとって、アジェンデの許されえない罪は、ロトス〔rotos〕を結集させたことである。チリの最下層階級に付けられた見下し愚弄する呼び名である「壊れた者ら」を。ロトスの先住民起源は、アジェンデの政治デモにおいて明白であった。先住民族の衣装を纏った彼らの、先住民の隣人に対する親近感は容易に分かったことであろう。同じことはペロンを支持した「黒い頭〔cabezas negras 〕」にも言える。

この調査されていない事柄は、先住民の組織が全面に出てくると共に、より明白となり、白人の過去の恐怖を誘発させた。入植者の代弁者であるペルー出身現スペイン人作家、マリオ・バルガス=リョサは、「文明と野蛮」の間の選択を警告した、アルゼンチンのドミンゴ・サルミエントのような19世紀の人種差別主義の知識人の声を繰り返し、「社会・政治的な混乱」を引き起こしたことで先住民族運動を非難した。

独立後の中南米の入植者エリートは、欧州のもの全てに取り付かれていた。彼らは政治的模範を求め、欧州に旅した。首都以外の彼ら自身の国を無視し、国家建設の事業から大多数を除外して。彼らが輸入した自由主義の観念と共に、他の欧州の植民地世界の入植者の間で共通の人種差別の概念も入ってきた。人種差別の見解は黒人人口の格下げと非認知へと、そして多くの諸国において、先住民族の身体的な根絶へと至った。彼らの代わりに、欧州から数百万の新しい入植者がやって来た。

それにもかかわらず、19世紀の反植民地主義反乱の間の短い時期に、急進的な者たちが先住民の運動に加わった。ブエノス・アイレスの革命的政府は1810年に、先住民とスペイン人は平等である、と宣言した。先住民の過去は、全てのアメリカ大陸人の共通の遺産として賞賛され、先住民の服を着た子供達が大衆の祝祭で歌った。都市に投じられた銃器は、先住民抵抗運動の有名な指導者であるトゥパク・アマルやマンゴレ〔Mangoré:16世紀のグワラニ族酋長〕に敬意を表して洗礼を施された。キューバでは、初期の独立運動が16世紀の首長ハトゥエイ〔Hatuey 〕の名を復活させ、またタバコの葉に身を包んだ先住民女性が描かれた旗を考案した。チリの独立支持者らは、以前の諸世紀のアラウカノ族の反抗者らを喚起し、彼らの旗にアラウカノ族の象徴を使用した。1822年のブラジルの独立は同様の光景をもたらし、白人エリートはその先住民の血統に歓喜し、多くの先住民族の間で話されたトゥピ語が、公用語としてポルトガル語に取って代わることを提案した。

急進派の包括的な政策は、先住民の大多数を入植者社会に組み入れることを追求した。しかしながら、この進歩的な思想の系統は、ほぼ直ちに記録から消滅する。先住民族に友好的であることを望んだ政治指導者らは、先住民族を根絶する世界的な組織的活動に関与することを切望する者たちに取って代えられた。英国はオーストラリアと南アフリカで既にその任務に着手しており、フランスは1830年にアルジェリアを侵略したときに関与した。

すぐに中南米も加わった。19世紀における先住民族の意図的な撲滅は、それ以前の植民地時代にスペインとポルトガルによって試みられたどれよりも更に大規模であった可能性がある。数百万の先住民が欧州の疾患に対する免疫の欠如により死亡したのではあるが、初期の植民地主義者らは、食糧を栽培し労働者を供給するために先住民を必要としていた。同時代の他の大陸での撲滅運動を引き起こすことに繋がる、土地から先住民を取り除く経済的必要性が彼らにはなかった。真の中南米の大虐殺は19世紀に発生したのである。

先住民の大量虐殺は植民地のための更なる土地をもたらし、1870年から1914年の間に500万人のヨーロッパ人がブラジルとアルゼンチンに移住した。多くの諸国で入植運動は20世紀まで継続し、今日にまで続く優位な白人移住者の文化を維持した。

とはいえ、変化は遂に議題に載った。近年の選挙結果は、複数の新政府が1960年代の進歩的な課題を復活させた故に、左派への動きとして、ある程度の真実を伴い評されている。しかし、より長期的な見地からは、これらの進展は、中南米白人移住者の文化の拒絶や、2世紀前に試みられた包括という急進的な伝統の復興のように思われる。新たな闘争の概略は今、最終的な清算とともに、見極めることが可能となった。

*この記事は、10月に中南米研究協会〔Society for Latin American Studies 〕で行われた、第三回年次SLAS講義を基にしている。リチャード・ゴットは『Cuba: A New History 』(Yale University Press)の著者。



posted by Agrotous at 22:26 | TrackBack(0) | ベネズエラ
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