2006年10月27日

「地に呪われたる者」国連で尊厳の声を上げる
〔The "Wretched of the Earth" Raise Their Voices of Dignity in the UN:Original Article in English/ZNet原文

カロル・デルガド〔Carol Delgado 〕Venezuelanalysis.com ;2006年10月22日

大部分の新聞が、国連で起きている安全保障理事会の議席を争う闘いを、グアテマラが殆どの投票回数でベネズエラを打ち破ってきた、と描いている。だがこれは、これまで起きてきた事の簡略化しすぎた見方である。それどころか、ベネズエラ立候補の成功は、勝ったあるいは負けた回数の見地から測ることは出来ない。なぜなら、声無き者たちの尊厳と意見は、調整されたり、沈黙させられたり、打ち負かされることはないからである。ベネズエラを支持する諸国の尊厳は、それが売りに出されていない故に、国連で理解されることはない。これらの諸国は彼らの国民のためのより良い未来のために闘う決心をしている。更に、この闘いは単に戦争に限ってはおらず、ひとつの原子爆弾よりも更に無慈悲に、また徐々に一般市民人口を殲滅する非人間的な経済制裁に関してでもある。それは更に戦争やIMF〔国際通貨基金〕や、世界銀行の構造調整プログラムによって隷属させられた子供たち、男性たちや女性たちが抱く、公正への歴史的な渇望についてなのである。

国際連合の主要な使命は平和なのだが、この機関は時代遅れの第一世界の論理に基づいて、混乱し行動する千の頭を持つ不明瞭な化け物なのである。それが、北米帝国をなだめるべく、レバノンにおけるイスラエルの大虐殺を黙殺する道徳を欠いた外交を伴った、腐敗した国連安全保障理事会を我々が持つ理由である。

外交の世界は体制順応者の世界であり、エリートの仮想現実のそれであり、何事も解決しない穏健派の世界である。米国を支持する外交は無責任で近視眼的である。棄権は、両世界で面目を保つことを望む慎重な者の選択ではあるのだが、道徳を欠いた体制と闘うか、あるいはそこには誰にとっても平和はない、という理解に欠けている。

ベネズエラを支持する諸国の勝利は事実である――問題は安全保障理事会の議席に限らない。公正と惑星の平和――それは比較の上で国際連合を小さく見せるであろう――のため闘うために、ベネズエラを支持する人々は、主権を有する諸国として彼らの運命を結束させることを、またフランツ・ファノンが述べたように、「地に呪われたる者訳注1」であることに打ち勝つことを決心したのである。国際連合で我々の尊厳と「下等人間」の人権を代弁する勇敢な外交官たちに私は敬意を表する。

ベネズエラは、姉妹共和国のグアテマラと安全保障理事会議席を争っているのではなく、帝国である米国と争っているのである、と主張してきた。そしてこのことは、グアテマラ大使が席に留まり投票を見ていた一方、終日代表団の間の米国大使による不断のロビー活動と行動――恥ずべきロビー活動――があったことによって明らかである。後にグアテマラ大使は、ベネズエラが立候補取り下げを拒否することで、国連ビルに全大使を隔離している、と述べた。

現実には、隔離されてきたものは平和それ自体であり、大使らや国家元首の良心であり、安全保障理事会で人々の意見が聞き届けられるのを妨げてきた。これが、予防戦争や大量虐殺、諸民族全体の破壊に影響を与え続けることを一部の者たちが追求する仕方なのである。戦争は冷淡にまた「悪魔的に」計算される。米国副大統領の企業が、破壊されたものを復興するための契約を獲得できるように、また莫大な石油埋蔵がある地帯に対する支配を帝国が掌握し、自体の不均衡な軍事支出を正当化し、現在それ〔米国〕を統治するエリートの民間企業のための莫大な利益を保証するために。

我々はこの闘いに敗れるかもしれないが、世界諸国の半分の意思には権限が与えられ、彼らは声を上げ続け、平和のために戦い続けるであろう。

カロル・デルガドは古くからのベネズエラ活動家。


訳注:

1:独立や植民地主義に関するフランツ・ファノンによる著作の題名(原著訳書



posted by Agrotous at 22:10 | TrackBack(0) | ベネズエラ
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