2006年10月20日

世界規模の階級闘争
〔The Worldwide Class Struggle :Original Article in English/ZNet原文

ビンセント・ナバロ〔Vincent Navarro 〕Monthly Review ;2006年9月27日

階級的実践としての新自由主義

我々の時代の特徴的な印は、先進資本主義諸国の主要な経済・政治・社会フォーラム及び、彼らが支配する国際機関――IMF〔国際通貨基金〕、世界銀行、WTO〔世界貿易機関〕や、国際連合の専門機関、例えば世界保健機関、食糧農業機構やUNICEF〔ユニセフ〕等――における新自由主義の支配である。カーター政権時の米国において開始された新自由主義は、レーガン政権及び、英国のサッチャー政権を通して、その影響力を拡大させ、国際的なイデオロギーになった。新自由主義の原理(だが必ずしも実践ではない)が仮定するのは以下である。

  1. 国家(あるいは一般用語では誤って「政府」と呼ばれているもの)は、経済及び社会的諸活動における干渉主義を縮小する必要がある。
  2. 市場の莫大な創造的活力を解放するために、労働と金融市場は規制緩和〔撤廃〕されるべきである。
  3. 労働、資本、商品やサービスの完全なる流動性を許すために、国境や障壁を排除することにより、商業と資本投下は奨励されるべきである。

新自由主義の識者らによれば、以上の3つの教義に従い、これらの実践の世界的な履行が「新たな」過程の展開に及んだのである。つまり、社会的進歩の新たなる時代と結び付けられた、世界中に及ぶ莫大な経済成長の期間をもたらした経済活動のグローバリゼーションである。我々はこう告げられる。歴史上初めて、我々は世界的な経済を目の当たりにしているのであり、そこでは国家は権力を失っており、現在世界の経済活動の主要な構成単位である多国籍企業を中心とした世界経済によって取って代わられている、と。

グローバリゼーションの過程に対する称賛は、左翼のある分野のあいだにも現れている。マイケル・ハートとアントニオ・ネグリは、広く引用された『帝国』(ハーバード大学出版、2000年原著訳書)において、彼らが資本主義の新たなる時代と見なすものの意義深い創造性を称賛する。彼らの主張では、この新たな時代は時代遅れの国家構造から絶交し、彼らが帝国主義秩序であると規定する新たな国際秩序を確立する。彼らは更に、いかなる国家も優位に立つことなく、あるいは覇権的になることもなく、この新たな秩序は維持される、と主張する。したがって、彼らはこう記す。

我々が強調したいのは、帝国の確立が過去の権力構造を基にした郷愁的な諸活動の排除へと向かう建設的な一歩である、ということである。つまり、我々は過去の状況――例えば、世界的資本から人口を保護する手段としての国民国家の復活――へと我々を戻そうとする全ての政治戦略を退ける。新たな帝国主義秩序は、マルクスが資本主義は生産の形態であり、それが取って代わった形態よりも社会的に優れた形態であると信じたのと同様の仕方で、先立つ制度よりも優れている、と我々は信じる。マルクスが掲げた観点は、資本主義社会に先行した偏狭な地方主義や固定的なヒエラルキーに対する健全な嫌悪感、及び資本主義に備わっていた解放の莫大な可能性の認識を基にしていた。(39)

ハートとネグリの立場では、グローバリゼーション(すなわち、新自由主義の教義に従った、経済活動の国際化)は、いかなる国家あるいは諸国家も、それを指導あるいは組織することなく運営される世界的な活動を奨励する国際的な制度と化す。グローバリゼーションと新自由主義に対するこの様な感服し、へつらった観点が、マルクス主義から理論的立場を引き出したと主張する書籍に好意的な書評では知られていない、ニューヨークタイムズ紙の書評家エミリー・エーキン〔Emily Eakin 〕や、その他の主流評論家から『帝国』が得た肯定的な評価の説明となる。現にエーキンは『帝国』を、世界がその現実を理解する必要のある理論上の枠組み、と評している。

新自由主義識者らと共に、ハートとネグリはグローバリゼーションの拡張を褒め称える。一方他の左翼識者らは、グローバリゼーションを世界の拡大する不平等と貧困の原因であると考え、その拡張を祝うどころか嘆いている。ここで強調すべきことは、この後者の分派――そこに含まれるのは例えばスーザン・ジョージやエリック・ホブズボーム――がグローバリゼーションを嘆き、新自由主義の考えを非難するとはいえ、彼らは新自由主義の基本的な前提を新自由主義識者らと共有している。すなわち、多国籍企業の力が国家のそれに取って代わった国際秩序において、国家が権力を失っている、ということである。

新自由主義における理論と実践の間の矛盾

ここで、新自由主義の理論と新自由主義の実践は、全く異なるものであるということを直ちにはっきりさせておこう。経済協力開発機構(OECD)加盟国の大部分――米国連邦政府を含む――は、過去三十年の間に、国家介入と国家公共支出の拡大を見てきた。私の専門分野は公共政策であり、世界の多くの場所で国家介入の特質を研究している。私は、先進資本主義諸国における大部分の諸国での国家介入の拡張を証言することが出来る。米国においてですら、レーガン大統領の新自由主義は、連邦の公共部門の減退へと転換することはなかった。それどころか、彼の指令の下、連邦の公共支出は、軍事支出の劇的な増加――GNP〔国民総生産〕の4.9から6.1パーセント――の結果、GNPの21.6から23パーセントへと拡大した(2003年米国議会予算局国民経済計算〔Congressional Budget Office National Accounts 2003〕)。公共支出におけるこの増加は、(連邦の負債の膨張をもたらした)連邦の赤字の拡大、および税の拡大によって出資された。建前では反税金の大統領として、レーガンは実際には(平和時に)他の歴代大統領の誰よりも多い数の人々に対する税を拡大させた。また彼は税を一度のみならず、二度増大させた(1982年及び1983年)。階級権力の実証として、彼は最大の所得を持つ人口の20パーセントに対する税金を徹底的に削減し、その一方で大多数の人口に対する税金を増大させた。

したがって、公共部門の規模を縮小させ、税金を下げることによって、レーガンが米国における国家の役割を減少させた、と述べるのは正確ではない。レーガン(と彼以前にカーター)が行ったことは、彼の選挙戦に資金供給した上流階級や経済界(例えば軍事関連企業)が、より利益を得るように、国家介入の特質を劇的に変化させた。レーガンの政策はまことに、国の労働者階級の大多数に打撃を与えた階級政策であった。レーガンは心底から反労働であり、前例のないレベルで社会支出の削減を行った。レーガンの政策は新自由主義ではなかった、と繰り返すのは価値がある。つまりそれは、大規模の公共支出と大規模の連邦赤字を基にしたケインズ主義であった。更に、連邦政府は国の産業開発(主に国防総省を通して、だがそれに限られず)に非常に活発に介入した。レーガン政権時の国防長官キャスパー・ワインバーガーが、ある時(製造部門を見捨てたという民主党の批評に対する返答として)指摘したように、「我々の政権は、西欧世界において、より前進し拡張した産業政策を持つ政権である」(ワシントンポスト紙、1983年7月13日)。彼は正しかった。他の如何なる西欧の政権も、これ程徹底的な産業政策を持ってはいなかった。全くもって、米国連邦国家は西欧世界で最も介入主義の国家のひとつでなのである。

米国が(度々定義されるようには)新自由主義社会ではなく、米国国家が、大規模米国企業による商品の生産と配布や公共事業を含めた、国家経済を開発する主要な役割を減じてはいない、という確固とした科学的な証拠が存在する。この経験的な証拠は、連邦政府の(経済・政治・文化・安全保障の領域における)介入主義が過去30年間に拡大したことを示している。例えば、経済領域で保護主義は減少していない。それは、農業、軍事、航空宇宙産業や生物工学の諸部門に対する高い助成金と共に拡大した。社会的分野では、社会的権利(と何よりもとりわけ労働権利)を弱体化させる国家介入は、(レーガンの下のみならず、父ブッシュ、クリントンと息子ブッシュの下)甚だしく拡大し、市民の監視は急激に拡大した。ここでもまた、米国における連邦の介入主義の縮小はみられず、それどころか、過去30年の間に、より歪められた階級的特徴がこの介入にはみられる。

人々の生活における国家の衰退する役割についての新自由主義の語り口は、事実によって容易に反証することが出来る。実際、新自由主義の知的考案者の一人であるジョン・ウィリアムソンがある時指摘したように、「我々は米国政府が国外で促進し、米国政府が国内で実践していないことを認知しなければならない、」そして「米国内で実践していない政策を米国政府は促進している」と付け加えた。(『Latin America Adjustment〔中南米調整(原書)〕』J・ウィリアムソン編(1990年)の『What Washington Means by the Policy Reform〔政策改革でワシントンが意味すること〕』P.213)。これ以上に旨く言い当てることはできなかったであろう。言い換えれば、もし米国公共政策を理解したいのならば、米国政府が述べる事ではなく、行う事に目を向けよ。これと同じ状況が先進資本主義諸国の大多数においても生じている。それらの国家はそうでなくなるのではなく、更に介入主義になっている。国家の(一人当たりの公共支出によって判定された)規模は、これらの諸国の大部分で拡大した。例によって、この点についての経験的な情報は確固としている。これまで起きてきた事は、国家の縮小ではなく、国家介入の特質の変化である――その階級的特徴の更なる増強である。

世界経済と社会的状況の悪化

新自由主義の教義に反して、新自由主義の公共政策は、明言された目標を達成する上で著しく失敗してきている。その目標とは経済効率と社会福祉である。

表1:経済成長、1960年ー2000年
     

1960―1980

1960―2000

開発途上諸国における経済成長率(中国を除く):

年間経済成長

5.5% 2.6%

一人当たり年間経済成長

3.2% 0.7%

中国における経済成長率:

   
年間経済成長 4.5% 9.8%

一人当たり年間経済成長

2.5% 8.4%

出典:世界銀行、『世界開発指標』、2001CD-ROM;ロバート・ポーリン『Contours of Descent〔下落の外郭線(原著)〕』(Verso、2001)P.131。

1980−2000年の(新自由主義が最大限に現れた)期間を、それに直ちに先立つ期間の1960−1980年と比較すると、先進及び開発途上の資本主義諸国の多くにおいて、1980−2000は1960−1980よりも成功していないことが容易に確認できる。表1が示すように、全ての開発途上(非OECD)諸国(中国を除く)の成長率と一人当たり成長率は、1980−2000(2.6パーセントと0.7パーセント)よりも1960−1980(5.5パーセントと3.2パーセント)の方が遥かに高かった。マーク・ウェイスブロート〔Mark Weisbrot〕、ディーン・ベイカー〔Dean Baker〕とデヴィッド・ロスニック〔David Rosnick〕は、生活の質と福利の指標(乳児死亡率、就学率、平均寿命など)における向上が、1980−2000よりも1960−1980の方が早く増大したことを立証した(同水準の開発にある諸国を、それぞれの期間の第一年度に比較した場合――『The Scorecard on Development〔開発についての採点表(英文PDF)〕』経済政策研究センター、2005年9月)。そして表2が示すように、先進資本主義諸国における年間の一人当たり経済成長率は、1961−80年よりも1981−99年の方が低かった。

表2

A.OECDと開発途上諸国における年間平均一人当たり経済成長率

  1961−80 1981−99
(A)OECD諸国 3.5% 2.0%
(B)開発途上諸国(中国を除く) 3.2% 0.7%
成長差(A/B) 0.3% 1.3%
     
B.世界所得格差の発展、1980−1998(中国を除く)
50%の最富裕層の所得に対する、50%の最貧困層の利益配分率 4%、より不平等
20%の最富裕層の所得に対する、20%の最貧困層の利益配分率 8%、より不平等
10%の最富裕層の所得に対する、10%の最貧困層の利益配分率 19%、より不平等
1%の最富裕層の所得に対する、1%の最貧困層の利益配分率 77%、より不平等
     
出典:世界銀行、世界開発指標、2001;ロバート・サトクリフ〔Robert Sutcliffe〕、 『A More or Less Unequal World? 英文PDFリンク』(政治経済学研究機関〔Political Economy Research Institute 〕、2003);ロバート・ポーリン『Contours of Descent』(Verso、2001)P.133。

だがここでも強調することが重要なのは、開発途上諸国(中国を除く)よりも大きいOECD諸国における年間一人当たり経済成長によって、それぞれの一人当たり成長率の差異が劇的に拡大してきた、ということである(表2)。これが実質的に意味することは、2種類の諸国の間の所得格差は、特に両極の間で劇的に拡大したということである(表2参照)。だが最も重要なことは、格差は諸国の間のみならず、先進及び開発途上で一様に国内で劇的に拡大したということである。両方の種類の格差(諸国間及び国内)を合計すると、ブランコ・ミラノヴィッチ〔Branco Milanovic〕が立証したように、世界人口の最上位1パーセントが、世界所得の57%を受け取り、最上位の者たちと最下位の者たちの間の所得差異は78倍から114倍に拡大したことが分かる(『Worlds Apart原著』プリンストン・ユニバーシティー・プレス、2005)。

世界中で、また新自由主義公共政策に従っている諸国内で、貧困が拡大したとはいえ、そのことで(開発途上諸国を含む)各国内の富者に不利な影響が及ぼされたことを意味しないことは強調する価値がある。その代わりに富者は、非富者からの隔たり及び所得の相当な拡大を経験した。大多数の資本主義諸国において、階級格差は非常に拡大した。

階級的実践としての新自由主義:格差の根源

これらの諸国のそれぞれで、上位の者たちの所得は、国家介入の結果により劇的に拡大した。従って、左翼の大部分によって退けられた範疇や概念に目を向ける必要がある。すなわち階級構造、階級闘争、及びそれらの国家に対する影響である。これらの科学的範疇は、各国で起きている事を理解する重要な手がかりであり続けている。科学的概念が、とても古くはあるが時代遅れではないことがあることを明らかにしたい。「古い〔ancient〕」と「時代遅れ〔antiquated〕」は2つの異なる概念である。引力の法則はとても古いが、時代遅れではない。この事を疑うものは、10階から飛び降りて試すことができる。左翼のある部門が、階級や階級闘争のような科学的概念を古い概念であるという理由で顧みないことによって、同様に自殺的な代価を払う危険がある。階級の存在及び、先進資本主義世界の支配的階級と開発途上資本主義世界の者たちの間に、世界中で確立された階級同盟を認めないことには、我々は世界(イラクから欧州憲法の却下まで)を理解することは出来ない。新自由主義は、先進及び開発途上両世界の支配的階級のイデオロギー及び活動なのである。

先を急ぐ前に、まずは各国の状況から始めよう。新自由主義のイデオロギーは、第二次世界大戦の終わりから1970年代の間に、労働・農民階級によって達成されたかなりの進歩に対する支配階級の反応であった。その後に生じた不平等の途方もない拡大は、支配階級の所得の増加に直に帰着するのであり、それは階級的に決定された公共政策の結果である。例えば、(a)反労働者階級の処置である労働市場の規制撤廃;(b)金融市場の規制撤廃、これは1980−2005の期間に資本の覇権的な部門である金融資本に大いに利益を与えた;(c)商品及びサービスにおける通商の規制撤廃、これは労働者を犠牲にして高消費人口に利益をもたらした;(d)社会福祉公共支出の縮小、労働者に打撃を与えた;(e)サービスの民営化、公益事業に頼る労働者階級の福祉を犠牲に、20パーセントの最富裕層に利益を与えた;(f)個人主義と消費主義の促進、連帯の文化に悪影響を及ぼした;(g)市場に修辞学的に敬意を払う一方で、彼らが基礎を置く多国籍企業と国家の間の明確な同盟を覆い隠す理論上の語り口と論説の発展;そして(h)彼らの利益を促す、支配階級及び経済集団――多国籍企業――の利益を増進するべく、事実上拡大した国家介入主義に明らかに矛盾した反介入主義の論説の促進。以上の階級的に決定された公共政策は、労働者及び他の一般大衆階級の利益に相反する国家の行動あるいは介入を必要とする。

今日の世界における主要な闘争:北の先進諸国と南の開発途上諸国の間ではなく、北と南の支配階級の同盟と、それに対抗する北と南の支配された階級の間の闘争

世界の主要な闘争が、裕福な先進諸国と貧しい開発途上諸国の間のそれである、ということは一般通念の一部となった。とはいえ、先進諸国と開発途上諸国は、国際レベルで同盟を確立した、相反する利害関係を持つ諸階級を有している。この状況が私にとって明白になったのは、私がチリのアジェンデ大統領に助言を与えていた時であった。〔1973年〕ピノチェト将軍に率いられたファシストのクーデターは、広く報道されたような、富める北(米国)によって貧しい南(チリ)に課せられたクーデターではなかった。ピノチェト政権を残酷に課した者たちは、チリの支配階級(ブルジョア、プチブルや中流の上の専門家階級)であり、それに伴った支援は米国のものではなく(米国社会は2億4千万人の帝国主義者らの集団ではない!)当時米国で(アパラチアにおける炭鉱夫のストライキを鎮圧するべく軍を送り出したことから)非常に評判が悪かったニクソン政権のものであった。

階級の存在についての認識の欠如はしばしば、その国全て――頻繁に米国――の糾弾へと繋がる。だが実際には、米国帝国主義の最初の被害者の中に含まれるのが、米国の労働者階級なのである。米国の労働者階級は帝国主義から利益を得ている、と言う人がいるであろう。例えば、ガソリンは米国で比較的安価である(益々そうではなくなってきてはいるが)。米国で私の車を満タンにするのには35ドル〔約4千円〕掛かり、同じ車種を欧州で満たすのには52ユーロ〔約7千8百円〕する。しかし、それとは対照的に、米国の多くの地域において公共交通機関は事実上存在しない。例えばボルチモアの労働者階級は、ガソリンの価格が如何程であろうとも、車に頼らざるを得ない状況よりは、(そこには設備されていない)一級の公共交通機関から、より利益を得る。そして忘れてはならないのは、エネルギー及び自動車産業界が、米国内の公共交通機関に反対し、破壊した主要な者たちであったことである。米国労働者階級は、自国の資本主義及び帝国主義制度の被害者なのである。先進資本主義世界の他の如何なる国も、米国のような低開発の福祉国家を持たないことは偶然ではない。毎年米国で10万人以上の人々が、公共医療の欠如により死亡している。

各国の階級権力を無視する一方で、世界中の権力の分布に目を向ける風潮は、富める諸国によって国際組織が支配されているという頻発する非難にも明らかに見られる。例えば、最も富める諸国に住む世界人口の10パーセントが、IMFにおける投票権の43パーセントを所持している、と頻繁に指摘されるのだが、いわゆる富める諸国に住む〔世界〕人口の10パーセントがIMFを支配している、というのは真実ではない。IMFを支配しているのは、それらの富める諸国の支配階級であり、彼らは彼ら自身の諸国のみならず、その他の諸国の支配された階級に打撃を与える公共政策を発議しているのである。例を挙げれば、IMFの理事は、(イラク戦争を支持してブッシュとブレアとパートナーを組んだ)ホセ・マリア・アスナールの極右政権で、スペインの経済大臣時に、スペインの一般大衆階級の生活水準を容赦なく低下させた冷酷な財政引締め政策を実施したロドリゴ・ラトである(ビンセント・ナバロ、『Who is Mr. Rato?〔ラト氏とは何者か?〕』カウンターパンチ誌、2004年6月)。

更に別の点をはっきりさせよう。WTO内での富める国と貧しい国の間の対立について、多くが書かれてきた。富める国の諸政府は、彼らの農業に補助金を大量に支給する一方で、貧しい諸国から入ってくる生産物に脆い繊維や食糧等の産業には、保護障壁を掲げている、と言われている。世界貿易に対するこれらの障害が、貧しい諸国に不利な影響を及ぼすのは確かだが、解決策がより自由な世界的貿易であると想定するのは誤っている。障壁がなかったとしても、富める諸国のより高い生産力が世界貿易における彼らの成功を保証するであろう。貧しい諸国が行う必要があることは、輸出優先の経済(彼らの問題の根本)から、自国優先の発展へと転換することである――この戦略は所得の大幅な再分配を要し、従ってそれらの(及び裕福な)諸国の支配階級による抵抗を受ける。ほぼ全ての国が低開発から抜け出るための(資本を含む)資源を既に有している、ということを理解することは非常に重要である。思いも寄らない情報源を引用してみたい。1992年9月12日(人口爆発が世界の貧困の原因であるとされていた当時)のニューヨークタイムズ紙は、世界で最も貧しい国バングラデシュの状況についての驚くほどに率直な報告を掲載した。この詳細な記事において、アン・クリテンドンは問題の根本に直接触れた。すなわち、生産的資産である土地所有の傾向である。

比較的な豊かさの中にある止まることのない栄養失調の原因は、バングラデシュにおける土地の不平等な分配にある。ここでは西欧の規準で、少数の人々が裕福ではあるが、重度の不平等が存在し、そのことは大いに歪んだ土地所有に反映している。地方人口の16%の最富裕層が3分の2の土地を管理し、人口の60%近くが1エーカー〔4,047平方メートル〕以下の土地を所有している。

クリテンドンは解決策が科学技術であるという望みを持ってはいない。全くその逆で、科学技術は物事を悪化させ得る。

世に出た新しい農業科学技術はこれまでの所、幸運とは言えない隣人から買い上げることの出来るより良い立場に大規模農家を置くことで、彼らに有利に働く傾向があった。

なぜこの状況は尾を引くのか? 答えは明らかである。

それにもかかわらず、土地所有者によって政府が牛耳られている――議会の約75%が土地を所有している――なか、制度の根本的な変化に対する公式な支持を見越すものは一人もいない。

これに加えて、米国国務省の政治体制の区分で、バングラデシュは民主主義の欄に配置されているのを指摘したい。その一方で、飢餓と体重不足がバングラデシュにおける幼児死亡率の主な原因となっている。バングラデシュの飢えた子供の顔は、先進諸国の人々の同情を引きバングラデシュへ、寄付金と食糧援助を送るようにするために慈善団体が使用する最も一般的なポスターになった。どの様な成果が伴うのか?

バングラデシュの食糧援助の役員は、バングラデシュに送られた何百万トンという食糧援助のごく少量しか、村落の貧しく飢えた者たちに届いていないことを内密に認めた。食糧は政府に与えられ、それを受け政府はそれを助成された値段で軍や警察、都市の中流階級居住者に売却する。

バングラデシュの階級構造と、それを定める所有諸関係が、甚大な貧困の原因なのである。アン・クリテンドンがこう締めくくるように。

バングラデシュには、国の全ての男性、女性と子供に、十分な食糧を供給するに足る土地がある。この青々とした土地の農業的潜在性は、来る20年の避けられない人口増加にすらも、バングラデシュの資源のみで容易に食糧供給できるほどである。

ごく最近、バングラデシュは、主として世界市場における輸出による高い経済成長を遂げたことで報道に取り上げられた。しかし、その成長は経済の輸出優先の小さな部門に限られており、人口の大多数に変化をもたらさなかった。その間に、栄養失調と飢餓は拡大した。

国家と階級の諸同盟

階級諸同盟の達成において、国家は重要な役割を担う。例えば、米国対外政策は、(世界の最も裕福な人々の20パーセントが偶然にも暮らす)開発途上国の支配階級の支援に向けられている。これらの同盟に含まれるのは、多くの場合、支配階級の構成員の間の個人的な繋がりである。例は多数ある――例えば、中東の封建的諸政権に対するブッシュ家の伝統的な支援。アラブ首長国連邦(UAE)に対するクリントンの支援。〔UAEは〕アーカンソー州リトル・ロックのクリントン図書館に対する主要な後援者のひとつであり、クリントンに対する講演料(上限100万ドル)や、クリントンに有利となる運動に対する主な寄付者である(ファイナンシャル・タイムズ紙、2006年3月4日)。UAEは世界で最も圧制的に残忍な政権のひとつである。支配階級は85%の(「ゲスト労働者」と呼ばれる)労働人口に市民権を認めていない。言うまでもなく、(米国と欧州の政府によって大いに影響を受けた)国際機関は、新自由主義的レトリックである自由市場を基にした、その様な同盟を奨励する。IMFと世界銀行によって唱導されている社会的公共支出の削減は、世界中の支配された階級の福利と生活の質を犠牲に、南北両方の支配階級によって推し進められた新自由主義公共政策の一環である。以上の例全てで、南北の諸国家が決定的な役割を担っている。

支配階級の間の同盟のもう一つの例は、米国市民及び、加速度的に、開発途上世界に対する、ブッシュ政権による営利目的の健康保険の促進である。これは、顧客を選び大衆階級を除外する民間の保険制度から利益を得る支配階級を代表した、中南米の保守的な諸政府の助言と協調を伴って実行される。米国と中南米のこの大衆階級は、この営利目的の医療保険制度へ向けた動きに大いに反感を抱いている。(映画『ジョンQ 』は健康保険企業に対する米国労働者階級の間の敵意を描いている。)先進・開発途上諸国の支配階級が階級的利害を共有しているという事実は、彼らが全てにおいて意見が一致していることを意味しない。当然である。彼らにも意見の相違や衝突がある(各国の支配階級の異なる分派の間に意見の不一致や衝突があるように)。しかし、新自由主義のフォーラム(例えばダボス会議〔世界経済フォーラム〕等)や、覇権的な地位を持つ新自由主義機関(エコノミスト紙やファイナンシャル・タイムズ紙等)で明確に露出するように、この様な意見の相違が彼らの利害の共通点を隠すことはできない。

今日の世界において優勢な国家は存在するか?

今日の世界で我々が目の当たりにしているのは、グローバリゼーションを上回る、優勢な国家を取り囲む経済活動の地域化である。すなわち、米国を中心とした北米、ドイツを中心とした欧州、日本――そしてまもなく中国――を中心としたアジアである。このように、各地域内に諸国家のヒエラルキーがある。例えば、欧州では、ドイツ国家が優勢である欧州連合〔EU〕の公共政策に、スペイン政府は依存するようになってきている。この従属関係は曖昧な状況をもたらす。一方では、EU諸国は主要な政策(金融政策等)を高次の機関(ドイツ中央銀行が牛耳る欧州中央銀行)に委任することを選択した。しかしこれは、スペイン国家が権限を失うことを必ずしも意味しない。「権限を失うこと」は、以前にはそれ以上の権限を有していたことを意味するが、事実は必ずしもそうではない。実際、スペインのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相は、もし国内通貨としてペセタを依然として用いていたとしたら、(イラクからスペイン軍を撤退させた時の)ブッシュとの衝突で莫大な代償を支払うところであったであろう。主権の共有は権限を拡大することができる。他方、欧州の支配階級が履行を望む評判の悪い政策を正当化するために、EU政府は彼らによって頻繁に利用されている(例えば、中央政府の赤字をGNPの3パーセント以下に維持するよう諸国に強要したEU財政安定協定〔European Stability Pact〕の帰結としての公共支出の縮小)。これらの政策は、どの加盟国からでもなく、欧州法〔European legislation〕から生じたと示され、そうすることで各政府の責任を希薄にするのである。欧州レベルの階級同盟は、新自由主義イデオロギー及び政策に専念したEUの諸機関の働きを通して現れる。発議された欧州憲法に対する反対票は、欧州の支配階級の同盟者として動くEUの諸機関に対する、加盟諸国のいくつかの労働者階級の反応であった。

諸国家のヒエラルキーの内、いくつかが優勢である。米国国家は優勢な立場を持ち、それは他の国家の支配階級との一連の同盟を通して維持されている。新自由主義のイデオロギーは、これらの階級の間の繋がりをもたらす。言うまでもなく、彼らの間にも衝突や緊張関係がある。しかしこの緊張関係が、階級利害という共通点に勝ることはない。彼らを結びつける諸活動は、労働者階級や左翼機関に対する攻撃的な政策である。1980−2005年の期間は、1960−1980年の期間に成功した左翼政党に対する攻撃的なキャンペーンによって特徴付けられた。新自由主義時代の間に、支配階級の同盟は多階級の宗教運動を促進し、社会主義や共産主義を阻止するため、宗教を積極的な勢力として利用した。アフガニスタンで共産主義者に率いられた政府に対抗する宗教的な原理主義者らに対する支援を開始したのは、カーター政権であった。アフガニスタンからイラク、イランやパレスチナ自治区、そして多くのアラブ諸国で、彼らの政府を通して、米国と欧州の支配階級は、宗教的原理主義者らに資金供給し、支援した――多くの場合階級的利害のみならず、彼ら自身の宗教的な動機によって。米国の「道徳的多数派」は、世界の道徳的多数派になると考えられていた。これらの大いに反左翼の原理主義運動は、圧制的で封建的政権に対するアラブの民衆の溜まりに溜まった欲求不満を利用し、彼ら自身の力学を発展させた。多くのアラブ諸国において起きてきたように、国家の捕捉を容易にし、また圧制的な宗教的神権政治を据え付けるために。

だが、封建的な政権に対する支配階級の支援を、単に冷戦の産物であると見なすのは誤っている。それはそれ以上のことであった。それは階級的な反応であった。この事の最善の証明は、ソビエト連邦の崩壊後も支援が継続したことである。冷戦は、世界レベルで階級闘争を進めるために遂行された――その継続が示すように。階級戦争は実に、米国介入主義の非常に活動的な構成要素となった。ロシアの一般大衆階級の生活水準の劇的な下落の結果として、ロシアの平均寿命を縮小に追いやったのは、クリントン政権時にロシアで、ローレンス・サマーズとジェフリー・サックスによって推し進められた「ショック療法」であった。主要な公共資産の、拡大する民営化は、ロシアにおける階級戦争の一環であった――イラクにおいてと同様に。

イラクにおける米国占領軍代表ポール・ブレマーは、50万人の政府職員を解雇し、事業税を大幅削減し、投資家に並外れた新しい権利を与え、そして石油産業を除く全ての商取引に対する輸入制限を取り除いた。ジェフ・フォー〔Jeff Faux〕が『The Global Class War〔世界的階級戦争(原著)〕(Wiley、2006年)』で述べるように、残酷なイラク独裁政権から占領軍が保持した法律は、反労働組合の法のみであった。そこには労働者のボーナスや食糧及び住宅補助金の全てをとり上げた制限的団体交渉合意が含まれる。エコノミスト紙が社説で論じたように、イラクの経済改革は「資本家の夢」なのである(2003年9月25日)。

ここ最近、南北問題〔North-South divide〕の別の見解が、米国で最も影響力のある思想化の一人、哲学者ジョン・ロールズの著作〔『万民の法The Law of Peoples)』〕において現れた。彼は世界の諸国を「まとも〔decent〕」と「まともでない〔non-decent〕」諸国に分割する。まともな諸国(大方が先進資本主義世界に属す)には、民主主義的な権利や機関がある一方で、(大方が開発途上資本主義世界に属す)まともでない諸国にはない。この二つの部類に世界を分割した後彼は、まともでない諸国は無視されるべきであるという結論を下す。とはいえ彼は、「貧困によって自らを自由主義あるいは、まともな社会に組織編制するのを妨げられている貧しい諸国を助ける道徳的な責務」を認める。この様な立場や見解は、過去と現在の国際関係および、各国の階級関係の驚くほどの無知の証拠となる。ロールズは更に諸政府を諸国と混同する(主要な衝突は北と南の間にあるという前提に度々現れる混同である)。彼がまともでない諸国と呼ぶ(残酷で腐敗した独裁政権によって特徴付けられた)国には階級がある。つまり、その支配階級は、まともな諸国の支配階級によって奨励され支援された活動において無視されてはおらず、更に〔まともな諸国の支配階級〕は彼らの国の支配された階級の生活水準と福利を損なわせてきた。同様にロールズの、いわゆる、まともでない諸国には、甚大な犠牲に耐える階級を基にした運動があり、変革のための英雄的な闘争を実行し、いわゆるまともな諸国の支配階級によって不利な立場に立たされ妨害される一方で、絶えず苦闘している。この様な知的な人物が、このような無作法な〔支配〕階級の道徳的な範囲を規定するとは、驚くべき(だが予測のつく)ことである。この無作法の最近の事例は、米国と英国の両政府によるネパール国王に対する報じられた支持である。それは第三世界の国の左翼諸政党によって率いられた大衆の反乱を阻止しようという彼らの願望から生じている。

諸国内の格差とその社会的帰結

格差が社会的連帯の欠如の一因となり、社会的病理を拡大させるということは十分に立証されている。多くの人たちが私自身を含め、この現実を記録してきた(『The Political Economy of Social Inequalities: Consequences for Health and Quality of Life原著』Baywood、2002年)。この立場を裏付ける科学的証拠は圧倒的である。如何なる社会においても、最大死者数は社会的な格差を減らすことによって防ぐことが可能である。マイケル・マーモットは、異なる社会的地位に就く専門家の間の心臓病死亡率の勾配曲線を研究し、地位が高いほど心臓病死亡率が低いことを発見した(『The Status Syndrome原著』2005年)。そして彼は更に、この死亡率の勾配曲線は、食や運動やコレステロールのみでは説明がつかないことを示した。これらの危険因子は勾配曲線の一部分しか説明していない、と。最重要因子は、(階級、性別や人種が重要な役割を担う)社会構造内で人々が就いている地位であり、諸集団の間の社会的隔たりであり、人々が彼ら自身の実生活に対して持つ特異な管理能力である。

この桁外れに重要な科学的な研究結果は多くのことを内含している。その内のひとつは、我々が直面している主要な課題は、貧困を単に撲滅することではなく、不平等を減少させることである、ということである。不平等を解決せずには、貧困は解決不可能である。またそれが別に示唆していることは、世界的貧困を、1日1ドルで生活する人の数を数量化し測定した世界銀行の諸報告において、誤って推定されているのとは異なり、貧困が単なる資源の問題ではないということである。繰り返すが、真の問題は、絶対的な資源ではなく、社会的隔たりと、自らの資源に対する管理能力の異なる度合いである。そしてこのことは全ての社会に当てはまる。

詳しく述べたい。〔米国メリーランド州〕ボルチモアのスラム街に暮らす、技術訓練を受けておらず、失業中の若い黒人は、アフリカのガーナの中流階級専門家よりも多く資源を所有している(彼あるいは彼女はおそらく車一台、携帯やテレビ、そしてより大きい一世帯平方フィートと、より多い台所用品を持っている)。全世界が単一の社会であった場合、ボルチモアの若者は中流階級であり、ガーナの専門家は貧しいであろう。けれども、一番目の平均寿命(45年)は二番目(62年)よりも遥かに短い。一番目が二番目よりも多く資源を持っている状況で、これはどういうことなのか? 答えは明白である。ガーナで中流階級であるよりも、米国で貧しいほうが遥かに困難なのである(隔たり、失望、無力や失敗の感覚は遥かに大きい)。一番目は〔社会的地位の〕中間線から遥か下方に位置し、二番目は中間線の上に位置する。

同一の構造が諸国間の不平等においても作用するのであろうか? 答えは益々もって、そうである。「益々」を付言した理由は情報通信である――益々グローバル化された情報体系やネットワークを伴い、より多くの情報が世界の最遠隔の地域に届いている。そして不平等によって引き起こされた社会的隔たりは、諸国内のみならず諸国間で、益々明白になってきている。この隔たりが搾取の結果である、と次第に理解され始めている故に、我々は莫大な緊張に直面している。それは、階級的搾取が社会動員の原動力となった19世紀と20世紀初期のそれと共通点がある。未来を明確にする重要な要素は、如何なる経路でその動員が生じるのかを通してである。我々が見てきたことは、北と南の支配階級の同盟によってけしかけられ、誘導された莫大な動員であり、既に言及したように、主要な階級関係に変化を与えずに留める、多階級の宗教的あるいは国家主義的な動員の奨励を目指している。この現象は19世紀末期と20世紀初頭に起きた。例を挙げれば、欧州のキリスト教民主党は、社会主義と共産主義の脅威に対する支配階級の返答として現れた。イスラム原理主義の発生も同様の目的のためにかき立てられた。

左翼の代替案は、支配された階級と他の支配された団体との間の同盟の中心に置かれなければならない。各国で起きている階級闘争の過程に築かれることが不可欠である政治運動と共に。ベネズエラのウゴ・チャベスが述べたように、「ウッドストック〔1969年に開かれたロックフェスティバル〕のような抗議と祝典の単なる運動に止まってはいけない。」それは桁外れの闘争であり、組織編制と強調が鍵となる、第五インターナショナル訳注1を呼びかける試みなのである。これが今日の国際的左翼の挑戦である。


[ビンセント・ナバロは米国ジョンホプキンス大学とスペインのポンペウ・ファブラ大学の公共政策プログラム教授権ディレクター]
All material © copyright 2006 Monthly Review


訳注

1:社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルの運動。



posted by Agrotous at 21:56 | TrackBack(0) | 世界
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