2006年07月01日

ベネズエラの革命的ラジオ放送
〔Revolutionary Radio in Venezuela:Original Article in English/ZNet原文

ピーター・ラコウスキー〔Peter Lackowski〕;2006年6月24日

40年の長きに亘り、ベネズエラの裕福な寡頭政治支配者〔oligarchs〕は国の富を略奪し、比較的裕福な国を、80%の国民が貧しい暮らしをする国へと変えた。ようやく、1998年にウゴ・チャベスが大いなる変革を成す為政権と共に大統領に当選した。以来彼と彼の支持者らは、1つの選挙からその次へと確固として着実な過半数の支持を得てきた。

だが寡頭政治支配者らは、過半数のベネズエラ人が政府運営を彼らに任せる気がないという事実を受け入れずにきた。彼らは選出された政府を破壊するべく、欺瞞、暴力、サボタージュを利用してきた。この策略の内どれひとつとして成功しなかった。現在彼らはチャベス大統領は「独裁者〔dictator 〕」であると主張し、プロパガンダ攻勢に出ている。

ベネズエラのボリバル革命は、いかなる独裁者も宣言できるような類のものではない。それを実現させるため、自発性を発揮した人々による大衆運動が携わっているのが事実である。この革命の物語は、部分的にのみウゴ・チャベスの物語なのである。これは同様にベネズエラの人々の全ての団体や組織的活動の物語であり、将来著述されるであろうものよりも多い数々の物語なのである。以下はベネズエラ人が「過程」と呼ぶものを構成する無数の団体の内のひとつの物語である。

メリダはベネズエラ最高峰のピコ・ボリバルの麓の、美しいアンデス渓谷に位置する人口25万の都市である。アンデス大学は約4万の学生を有し、魅力的な環境がこの都市に旅行者を引き付けている。ここは人口約75万の山の多いメリダ州の州都で商業の中心である。

2002年3月、寡頭政治支配者らはマスメディアに対する支配力を利用して、〔首都〕カラカスの主に上流・中流階級の人々による、ウゴ・チャベス大統領の辞任を要求する大規模なデモを作り出した。テレビのニュースによれば、おびただしい大多数の人々が彼に反対していた。

西に300マイル〔約480キロ〕離れたメリダでは、人々はカラカスや軍にいる知り合いや親類に連絡を取っていた。(ベネズエラでは2人に1つの割合で携帯電話がある。)彼らはメディアが伝えているのが事の全てではないことを知っていたのだが、彼らは本当に起きていることについての情報を求めていた。

数人の人が仲間内で、メリダで低電力のFM送信機を組み立て、彼らが収集出来る確かな情報なら何でも放送することにした。これは珍しいことではなかった。時を同じくして、似通った理由からベネズエラ中でラジオ放送局が設立された。

最初の問題は機材の入手であった。6学年目を終えたばかりなのに、電子工学の天才と評判のある若者が近所にいた。彼は見事に機能する送信機を組み立てるのに成功した。実際に、それは未だに作動しており、放送局の人たちの心配の種になっている。あの若者は成功を求めてブラジルに旅立ち、もしそれが壊れたら、彼らは直し方を知る手立てがないのである。彼らが「職人の手による」と呼ぶ装置の部品を単に買い換えることなど出来ないのである。

次の問題は聴衆を確立することであった。彼らはメリダで使われていない周波を見つけ、断続的な時間割を設定した。確かな情報に対する切望ゆえに、評判は急速に広まった。

彼らはこの活動を秘密にしておかなければならなかったので、現在の局部長のホルヘ・ルイス・エルナンデスが送信機を彼の台所の隅の旧式の洗濯機のなかに隠した。彼らはベネズエラの通信機関が彼らを探し当てることを気にはしてはいなかったのだが、メリダにはおおよそ8つの営利ラジオ局があり、それらの局の内の誰かが警察を呼んで騒ぎを起こすのではないかと心配していた。

彼らは彼らの放送局をラディオ・サモラーナ〔Radio Zamorana 〕と呼ぶことにした。それは、「Tierras y hombres libres,  Eleccion Popular, and Horror a la Oligarquia.」(自由な土地と自由な人々、大衆による選挙、そして寡頭政治支配者には戦慄を)というスローガンを掲げた、1800年代の革命的英雄エセキエル・サモラ将軍にちなんだ名前である。

2002年4月11日、ついにクーデターが勃発し、チャベスは誘拐され、1999年に72%の投票によって承認された憲法は完全に無効であると宣言された。民間のメディアはいつもと同じ偏った見解を伝え、歓喜したメリダの上流階級の人々はボリバル広場で示威運動を行った。

翌日、ラディオ・サモラーナは続報を放送した。大規模な群集が丘の上の貧しい近隣から、また他の都市からバスや車で、カラカスの中心へと向かっている、と。寡頭政治支配者らが軍の支持を失ったのは、将官やメディアが嘘をついたと兵士らが知ったときである。寡頭政治支配者の自ら任命した「政府」は大統領宮殿から逃げ出した。47時間の監禁状態の後、チャベスは公職に復帰した。

この事の成り行きはカラカスの大きなメディアでは報道されなかった。メディアは慣例の番組をテレビで、そして音楽をラジオで流し、寡頭政治支配者が未だに政府を運営している振りをした。最終的に、地域共同体ラジオ局が報道し、国営テレビ局が放送再開したことで、人々は大統領と憲法が安全であることを知ったのである。

メリダの人々は真相を知って勇気を出し、大人数で通りに出て、メリダのボリバル広場と市庁舎から上流階級のクーデター支持者らを追い払った。

ベネズエラ全域の都市や町で似たような事が起きた。後に、行政機関のConatelに対して、地域共同体放送局に正規の許可を与えるよう大変な圧力があった。ラディオ・サモラーナは洗濯機から取り出され、今は中心街の大きなコンクリートの建物にある、市の文化センターに置かれている。丸一日分に相当する多様な番組があり、地域共同体の人々が意見を出すことの出来る柔軟性も伴っている。多くの場合彼らは情報提供に貢献する。例えば医学校の教授は健康についての番組を行い、7歳の聡明な少年はアンデスの伝説についての土曜の朝の番組を受け持ったりしている。

放送局は論争のため討論の場も提供する。そのような事例は、管理者のうちの特定の人々が病院の医療物資を盗んで転売しているという確たる証拠を持ち寄った病院職員の一団である。

放送局は最新のニュースを報道することで、人々を動員するという役割を維持している。例えば、クーデター失敗の数ヵ月後、反対派はゼネストや、ベネズエラ人がグアリンバ〔guarimba〕と呼ぶもの――街頭でタイヤやごみに火を点けて物事を混乱させること――で国に混乱を引き起こそうと試みた。これが起きる度に、ラディオ・サモラーナは情報を報道し、大人数の人々が旗を掲げて現場へ赴き、火をかき消し、街頭を取り戻すのであった。

ラテンアメリカ大学は私立の大学で、学生の多くが上流階級の出である。したがって、学内で右翼学生の団体に影響力があることは驚きではない。2005年の秋に、路上強盗でひとりの学生が殺害され、一部の学生たちが更なる警察の保護を要求するデモを呼びかけた。大学の極右団体は、放火や略奪、また数人の警察が負傷した交戦を用いて、デモを暴動騒ぎへと変えることに成功した。町の大部分の人たちは何が起きているのか見当もつかなかったので、解説と最新情報を求めラディオ・サモラーナを聴いた。

12月4日、国民議会選挙の日に、どれ程敏速に放送局が地域共同体に応答するのかという実演を私は目の当たりにした。午後遅くに私はボリバル広場を歩いているところであった。大聖堂を通過したところ、警察と消防士が出たり入ったりしているのを群集が見守っているのに出くわした。見物人のひとりが私に、神聖な場所に催涙弾が、おそらく反対派によって撃ち込まれたのだと語った。反対派のなかには暴力行為で選挙を混乱させると脅していた者もいた。私はホルヘに電話しに行き、大聖堂を去ったばかりだと伝えたら、彼は「催涙弾のことかい? 私達のスタッフが今そこから報道している」と述べた。

放送局が公式に承認されたとはいえ、奮闘は続く。地域共同体センターの前の所長は、局と親しい仲で、現在の所在地を確保した。彼は人望のある地域共同体指導者で、ある役職に立候補しようと計画していた。そんな時、彼はオートバイに乗った何者かに撃ち殺された。犯人は捕まっていない。文化センターの向かいにある壁には、国や地元の英雄の壁画があり、彼の肖像もそこに描かれている。

次の所長は違った。彼はチャベスとボリバル革命の支持者であると主張したのだが、地域の人たちが彼の運営の仕方に文句を言いに局に来た時、彼は誰かを屋上に行かせて、局のアンテナに繋がっていた電線を切らせた。

放送局と親しい一団――農民、職人、隣人――は、どうすればいいか考えるため集まった。彼らの決定は、放送局の名前のもとになったエセキエル・サモラが似たような状況でしたであろう事をする、というものであった。彼らは、再び同じことをしたならば、マチェーテ〔中南米のナタ〕の側面で打ち据える旨、センターの所長に通告した。更なる厄介ごとは起きていない。

以上のことは独裁政権で生活する人たちの状況ではない。ラディオ・サモラーナは、それが奉仕する人々にのみ答える独立した存在である。それ自体の地域共同体以外は誰も指図をしないのである。

あるいは政府からの豊富な贈与で買収されもしない。Conatelは彼らに口出ししないのだが、物資援助を約束する一方で、常にそれを提供するわけでもない。ホルヘは腹の底から送信機のことを心配しており、また無指向性マイクロフォンを購入する余裕があればと願っている。以前より強力な電力のおかげで、彼らの信号波は渓谷の向こうまで届くのだが、放送スタジオは地下室の十分とは言いがたい一画にある。

ボリバル革命は無数の独立した団体を含んでいる。その中にはラディオ・サモラーナのような情報伝達に関わるものもあれば、〔米独立戦争時に英国軍上陸を伝えるため馬を走らせた〕ポール・リヴィアのように、地区から地区へと駆け回り、クーデターと戦うため人々を動員したオートバイ乗りもいる。他にも協同組合や文化団体、または地域共同体の広範囲に及ぶ問題に対処するために設立されたものであったりする。中には政治的なものもある。国民議会の連立与党には複数の異なる政党が所属している。

参加はチャベスを支持する人々のみに留まらない。例えば、都市の土地委員会は、特定の地域の人たちが都市周辺の公共の土地に彼らが建てた住宅に対する権利を取得する過程を処理する。ある地域共同体団体は、細部にわたり誰が何を所有しているのかを解決してから、その地域に対して基本的なサービスの契約を結ぶ。誰もが政治的見解に関わらず、物事が能率的に又誠実に処理されることに関心を持っているので、参加するのである。

政府が提供するのは、小額融資〔micro-loan 〕や技術的アドバイス、協同組合に対する監督、また運営費と透明な経理を備えた地域共同体団体への財政的支援である。だが政府の重要な役割は、官僚が人々に抗するのではなく、彼らと共に働かせることで、人々が物事を成し遂げることを可能にすることである。チャベス以来、彼らは追い風を受けて進んでいる。

全体として、これらの協同組合、区域住民団体、ラジオ局、政治団体や他の団体組織がボリバル革命を現実のものとしているのである。その多くがチャベスが大統領になる遥か前に活動を開始したのであり、彼らは彼や他の誰からもやり方を「指図〔dictate〕」してもらう必要はなかったのである。ベネズエラ人は彼らが「参加型民主主義」と呼ぶものを生み出している。そこでは人口の大多数を占める下層階級が活発に、彼らの政府、彼らの社会、そして彼ら自身の人生の主導権を手にしているのである。



posted by Agrotous at 17:11 | TrackBack(0) | ベネズエラ
この記事へのTrackBack URL

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。