2006年06月24日

米州における貿易協定、米国の覇権に対する挑戦
〔Trade Treaties and Challenging US Hegemony in the Americas:Original Article in English/ZNet原文

スジャータ・フェルナンデス 〔Sujatha Fernandes〕;2006年6月12日

ベネズエラのウゴ・チャベス大統領、ブラジルのルラ・イナシオ・ダシルバ大統領とアルゼンチンのネストル・キルチネル大統領は、4月26日ブラジルのサンパウロで、統合と提携の見込みを検討するため会談した。4月29日、キューバのフィデル・カストロ議長はチャベスと、新たに当選したボリビアのエボ・モラレス大統領と会談し、人民貿易協定(TPC)に調印した。これはチャベスによって提案された代替貿易協定である米州ボリバル代替統合構想(ALBA)に向かう一歩であるとみなされている。

新千年紀最初の10年の中南米における政治状況は、1960年代の革命的変革や可能性の雰囲気が漂っていた頃に、ある程度似ている。フィデル・カストロと彼のゲリラの一団は1959年にハバナで勝利を宣言し、ワシントンの目標を挫折させたキューバ革命の成功は、中南米全域において、大規模なゲリラ闘争に火をつけた。1954年のグアテマラの民主的に選出されたアルベンス政権に対するCIA後援の軍事クーデターは、米国が平和的な手段による変革を黙認する気がないことを証明した。多数の若者たちがグアテマラ、ベネズエラやニカラグアで山に入り武器を手にした。革命闘争は、コロンビアの国民解放軍(ELN)やペルーの革命的左翼運動(MIR)によって行われた。ゲリラ組織が支援を受けたのは、米国の中南米に対する覇権に対抗することを追求したキューバやソビエト連邦からであった。

続く数十年に、これらの若く理想に燃えた革命家たちの多くは、中南米全域で権力を握った軍事政権によって拘束され、拷問を受け、暗殺された。1973年チリでのアジェンデ社会主義政権に対するCIA後援のクーデターの後、ピノチェト独裁政権はシカゴ大学で教育を受けた経済学者たちの協力のもと、一連の自由市場改革に着手した。1990年代までに、自由市場正統派学説が現れ、それはワシントン・コンセンサスとして知られた。軍事政権の過程により、中南米左翼の多くが壊滅していた。1991年にソビエト連邦は崩壊し、米国に対する対案となる覇権の極という希望は取り除かれた。民営化や、より有利な地域への工場の移転や、外国の競争相手に対する地元市場の開放の結果として失業と貧困は増大した。

中南米における新自由主義改革は、北米自由貿易協定(NAFTA)から始まる、提案された自由貿易協定に顕著に表れた。NAFTAは北米の全て(カナダ、米国、メキシコ)をひとつの貿易圏へと統合することを追求した。NAFTA協定はメキシコが構造調整政策(SAPs)の条件を満たすことを要求し、それには公共部門の民営化が伴うのであった。すなわち、おびただしい価格統制、補助金や保護貿易主義政策の終焉であり、また貿易障壁の著しい削減である。これは一般のメキシコ人にいくつかの有害な影響を与えることとなった。メキシコに流入する安価な農業製品は、地方の農業労働者や農民の暮らしに打撃となった。多国籍企業へのエヒード〔メキシコの共有農場〕や先祖伝来の共同所有地の売却の提案は、農民や先住民族の立場を更に弱体化することとなった。

1994年1月1日、NAFTA発効当日、サパティスタ民族解放軍(EZLN)と名乗る革命的先住民集団が、劇的で象徴的な反乱を起こした。1917年のメキシコ革命の英雄であるエミリアーノ・サパタを基にサパティスタは、NAFTA協定特有の教義と、加盟国によって促進された更に広範囲な新自由主義世界秩序に異議を申し立てた。サパティスタは新自由主義構造調整に対する新たな抵抗の傾向を代表し、そのうねりは周辺から表れ出るのであった。次の10年間にこの地域で、米国主導の構造調整改革に異議を唱える、多岐にわたる社会運動が出現した。ブラジルの土地なし農民運動(MST)から、エクアドルの先住民の結集、ボリビアの水とガス諸紛争、アルゼンチンのピケテロス(道路封鎖等を通じて運動する人々)や立ち直った工場運動、そしてベネズエラとウルグアイにおける都市の貧しい者の間の地域共同体メディア運動まで、大衆運動の活気に満ちた復活が起きてきている。複数の国で、これらの社会運動は、時に自らの目的に不利益ながら、選挙団体と提携した。連帯的協力の結果、大なり小なり新自由主義の教義に挑む幾人かの指導者が政権に就いた。1998年ベネズエラでウゴ・チャベスが、2002年にエクアドルでルシオ・グティエレスが、2003年ブラジルではルラが、2003年アルゼンチンでネストル・キルチネルが、2005年にボリビアでエボ・モラレスが。後にグティエレスが大衆運動によって追放させられた一方で、ルラとキルチネルは大分中道な政治方針を採り、チャベスとエボはより急進的な方針を採っている。

この地域でカリブ海に面し、多くの南米諸国への玄関であるという戦略的な位置や、また莫大な天然石油埋蔵量の故に、ベネズエラはこの地域における米国の覇権に対抗するべく、上記の中道左派指導者たちの間の新たな地域同盟を促進する重要な役割を担い始めた。1994年以来、米国は米州自由貿易地域(FTAA)、または〔スペイン語で〕Area de Libre Comercio de las Americas (ALCA)の促進に努めてきた。FTAA/ALCAはNAFTAと、中南米全域の貿易障壁の撤廃を目指す世界貿易機構(WTO)を基にした貿易協定である。1994年以来の一連の米州首脳会談で、米国は自由貿易協定の調印を推し進めてきたのだが、交渉は地域合意に至らずにきた。その代わりに、米国はより小規模な二国間または準地域協定の促進を開始した。例えば、ペルー、チリ、コロンビアと調印した自由貿易協定(FTAs)、複数の中米諸国によって調印された中米自由貿易協定(CAFTA)、そしてベネズエラを除くアンデス諸国とのアンデス特恵貿易法〔ATPA〕である。ALCAに対抗するために、ベネズエラのチャベスは米州ボリバル代替統合構想(ALBA)を提案した。ALBAが追求することは、中南米の統合と準地域貿易圏の創設を基礎にした代替となる発展モデルを定めることである。ベネズエラにおけるチャベスのボリバル革命のように、ボリバル代替案は、南米統合の理想像を掲げた有名な人物である独立の指導者シモン・ボリバルの象徴を引き合いに出す。

ごく最近まで、キューバとベネズエラが中南米内でのこの代替案の主要な支持者であった。キューバがベネズエラに医師と教育を提供し、ベネズエラがキューバに特恵価格で石油を保障するという形で。しかし、石油産業経営陣による大規模なストライキと右翼クーデターを2002年に、そして反対派によって組織された罷免国民投票を2004年に切り抜けた後に、チャベスはより強固な立場を手にし、ALBAを地域の他の著国に拡大し始めた。2005年6月にチャベスは、市場価格以下で石油をカリブ諸国に供給する計画である、ALBA−ペトロカリブの調印のためカリブの国家元首を召喚した。ペトロスールは南米諸国の間で調印された同種の地域協定である。ALBAに関連した別の計画は、放送業でスペイン語のCNNとウニビシオンの影響力に対抗することを目指す、地域テレビ・ネットワークのテレスルである。キューバ、ベネズエラ、ブラジル、ボリビア、ウルグアイとアルゼンチンが過去数年の間に、様々な貿易協定に調印してきており、ALBAの一部として、またブエノス・アイレス合意のような他の地域協定に関連して、これらの計画を強固にしてきた。

サパティスタの登場以来、社会運動は自由貿易協定の破壊的な結果に関して彼らの主張を明確にしてきており、また彼らは代替となる開発協定や基準に向けた努力を活気付けてきた。例えば、5月1日のボリビアの天然ガス産業国営化というエボ・モラレスの決定は、「ガス紛争」として知られるようになった出来事の前後関係において歴史的な決断である。ボリビア経済はガスと石油の天然埋蔵に非常に依存している。現在ボリビアには約52兆立方フィートのガス埋蔵量があり、それは1200億米ドルの価値がある。それは中南米でベネズエラに次いで2番目に大きい埋蔵量である。この埋蔵の主要な消費者はボリビア人ではなく、外国企業と外国の市民である。2003年9月から、ガスと炭化水素資源を防衛し取り戻す連合が、多国籍企業から天然ガス埋蔵の取り返しと、天然ガスの国営化を要求した。抗議者らは首都ラパスを占拠し、太平洋液化天然ガス社〔Pacific LNG 〕との契約を破棄するよう政府に要求した。その契約はボリビア政府にわずか18パーセントの使用料の支払いで、市場価格以下で米国への天然ガスの輸出を許すというものであった。抗議や、数百人の負傷者と30人以上の死者を出した軍の弾圧的な反応の結果、2003年10月にサンチェス・デ・ロサダ大統領は辞任した。抗議は2004年5月と6月まで続き、社会運動は一連の行進やデモ、道路封鎖を行った。この大衆抗議の結果、生産に対する使用料は18%から50%に引き上げられた。だが社会運動側はそれ以上を望んだ。彼らは国家所有を、あるいは天然ガスの国営化を、そしてガスの産業化を望んだ。産業化が意味することは、ボリビア国内でガスを精製する基本的施設の建設である。

選挙期間中、エボ・モラレスは天然ガスの国営化を公約し、5月1日にボリビア国家による炭化水素の所有権を取り戻す法令に署名した。街頭での祝賀や式典と並行して、軍の部隊と政府の技術者らが国内の56のエネルギー設備を占領した。エボは国営化は収用の形をとらず、国家に資源の所有権を与えることとなる新たな契約の交渉で行われると述べた。外国企業ではなく、国家が取引する市場と価格を決定することとなる。ブラジル、スペイン、米国、英国とフランスの全てがボリビアにガス企業を所有している。エボが定めた国営化のもと、これらの企業はボリビアで事業を継続するのだが、その事業に対して手数料が支払われることとなる。多くの企業にとってこれは生産の40パーセントとなる一方で、最大の企業は18パーセントが支払われる。国営化はエボに対する支持を保障するのは確かであろうが、外国企業との間の問題をもたらし得る。ボリビアのエネルギーに対する最大の投資者である、ブラジルのペトロブラス社は、ボリビアからブラジルへの天然ガス・パイプラインの建設計画を中止し、訴訟を検討していると述べた。国営化法令は、ボリビアの社会運動の強い要求の結果による大胆な措置であり、ALBAのエネルギー統合に向けた手段という前後関係で起きた。

とはいえ、社会運動はこの新しい地域的率先のいくつかの側面と対立しているのも事実である。例えば4月26日のチャベス、キルチネルとルラによる会談で話し合われた南米ガスパイプラインである。ベネズエラからアルゼンチンへと石油を送ることとなるパイプラインは、地域統合と代替となる開発モデルを促進する重要な構成要素であるとみなされている。だがこのガスパイプラインは、ベネズエラの天然石油埋蔵の更なる搾取へと繋がり、またアマゾンを通過する予定であるため、汚染や森林破壊をもたらし、対象地域の地元地域共同体や先住民族集団の生活を脅かすであろう。この提案は既に地元集団や、ボリビアの高官ら、そして国際環境団体によって批判の対象となっており、著しい反対を引き起こすであろう。

ワシントン・コンセンサスの失敗と、自由貿易協定に対する民衆の不満が、中南米における連帯、協力と統一の新たな革命的基準を生み出した。数十年にわたる耐乏、拡大する不平等と、この地域の米国支配の後、諸政府は社会発展モデルを支持し、企業主導の発展というワシントンの処方箋を拒絶し始めた。この地域が代替となる道を切り開き始めることが出来るかどうかを決めるのは、ペルー、コロンビアやメキシコの来る選挙の結果であり、少数の諸国に留まらないALBAの拡大である。社会運動が地域統合の基礎として、更なる搾取と巨大な計画から焦点を転じることが出来るかどうかにかかっている。

posted by Agrotous at 22:29 | TrackBack(0) | 中南米全般
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