2006年03月25日
中南米の左翼への転換
〔Latin America's Leftist Shift:Original Article in English/ZNet原文

ベン・ダングル〔Ben Dangl〕;2006年3月20日

過去六年の間に中南米では、人権や、より良い生活と労働条件、また企業の搾取と軍の暴力を終わらせる闘争において、おびただしい数の社会運動が勢いをつけてきている。近年、中道左派の指導者らがボリビア、ウルグアイ、チリとベネズエラで選出されてきた。

当選したことが、主として社会運動に起因しているこれらの政治指導者らは、貧困と戦い、またワシントンと国際企業の利益よりも人々の要求を優先させると公約した。この抵抗は、中南米の先住民族団体と組合による数世紀にわたる団結に繋がっている。この左翼への転換がなぜ現在起きているのか、そしてこの運動の最近の歴史におけるいくつかの重要な時と出来事について論じたい。

現在中南米は、1970年代から80年代に中南米全域で権力を握った軍事独裁――チリのアウグスト・ピノチェト、アルゼンチンのホルヘ・ビデラや、グアテマラのリオス・モント将軍を含むその他――によりもたらされた10年に亘る悪夢から目覚め始めている。

この様な独裁者たちのもと、数十万人の無実の人々が、軍により「左翼反乱分子」とレッテレルを張られ、拉致され、拷問されて殺害された。この悪夢の多くは米国政府により資金供給され、この抑圧の中心人物の中には、ジョージア州の米州軍学校〔School of the Americas 〕のような場所で米国人教官により訓練された者もいた。

このテロ実行とは別に、独裁者らは新自由主義経済政策をこの地域に導入するため、ワシントンと多国籍企業とともに精を出した。多くの場合ワシントン・コンセンサスとして言及される、この経済モデルは投資のため市場を開き、公共事業を民間企業の手に委ね、経済に対する政府の介入を否認し、組合の解体に励み、そして国際通貨基金〔IMF〕と世界銀行を通じて、貧しい諸国が数百万ドルを借りるようにしむけた。軍事独裁により生じた負債は今日まで中南米諸国に打撃を与えている。

数十年間この経済モデルは中南米を破壊してきており、その一方でIMFの職員らと自由市場の熱心な信者らは、相変わらず「もう少し待てば、市場が全てを解決する」と述べる。当然のことながら、市場は全てを解決してはいない。多くの点で、中南米における現在の左傾化は、これらの政策の失敗に対する反動なのである。

1989年にベネズエラのウゴ・チャベスが主要な政治指導者として台頭したのは、カルロス・ペレス大統領が世界銀行から数十億ドルを借り、国を負債で砕き、所得税を引き上げた時である〔正確には、チャベスが政治的に台頭したのは、1992年にチャベスのクーデターが失敗に終わった後である〕。暴動が通りを満たし、多くが殺害された〔カラカソ暴動〕。チャベスは〔1992年に〕ペレスに対するクーデターを企てるが、失敗に終わった。この衝突と不満の情勢により、チャベスは1998年に支持のうねりのなか職務に就いたのである。人々は旧来どおり物事が起こることにうんざりしていたのであり、チャベスに率いられたボリバル革命は変化を提供した。

2000年に、ボリビアのコチャバンバで、ベクテル社による水の民営化に対する人々の反乱が成功した。ベクテル社(後にニューオーリンズやイラクでの再建事業の処理を委託された)は、水の価格を最大で300%拡大させるという、コチャバンバとの民営化取引を推し進めた。人々は雨水の利用や、彼ら自ら作った井戸から飲むことに対して料金を請求された。コチャバンバの住民らは民営化に反対する抗議、道路封鎖、市全体に及ぶストライキを組織した。最終的にベクテル社は荷をまとめ町を去り、水は再び公共事業になった。

2001年12月にアルゼンチンで、企業グローバリゼーションのもろい計画は崩れ去った。1990年代にIMFにより支援され、カルロス・メネムにより履行された新自由主義政策に、崩壊の責任があると広く考えられている。米国における1930年代の大恐慌になぞらえることのできるこの経済不況は、アルゼンチンを地すべりのように襲った。1日でアルゼンチンはこの地域で最も裕福な諸国のひとつから、最貧のひとつへと変わった。負債で政府は破産し、銀行は閉鎖し、工場は幾千人もの労働者を一時解雇した。最早人々は銀行から現金を引き出すことができなくなった。

その結果、異なる階級の市民が抗議し、大統領を追い出し、この混乱状態に責任のある政府と企業の他の全ての人々の辞任を要求した。「Que se vayan todos 」が叫びであった――この文句の〔日本語〕訳は「みんな出て行け」である。この時期、アルゼンチンの人々はただ堕落した指導者らを追い出しただけではなく、近隣集会、物々交換市、都市菜園や代替通貨を組織し、その全ては生き残るためであった。国は崩壊し、この危機の時に人々は支援と連帯のため互いを見つめ、破壊の後から新しい世界を創り出した――政府の助けなしに。解雇された労働者らのなかには職場を引き継ぐ者がおり、ホテル、工場や会社は占拠され、労働者の協同組合により運営された。実のところ、これが2002年運動の中で残っている成功のうちのひとつである。アルゼンチン中で数百という工場や会社が未だに労働者の手の内にある。

私はこれらの工場のいくつかを訪ね、労働者と話をした。工場を占拠したとき、彼らの多くがいかなる種類のアナーキストや共産主義者や左翼でもなかった。ある者は右翼政党の一員ですらあった。彼らはイデオロギー上の理由で工場や会社を占拠したのではなく、食べるものがなかったからであり、ある人たちは上司が彼らを解雇した時に、家へ帰るバス代を持っていなかったからでる。そのため彼らは工場に残ったのである。彼らがそうしたのは子供たちを養うためであり、他に選択がなかったからである。

この種の危機がある程度、現在の中南米における反乱を活気付けているのである。人々は「水、食料、ガスを払えない。私には病院代を払う余裕がないが、私の子供たちにはよりよい未来を望んでいる」と言っているのである。新自由主義の仕組みは有効ではない。人々は別の何かを試したいと望む。多くの人々がこの「別の何か」が、ベネズエラのウゴ・チャベス、ボリビアのモラレス、アルゼンチンのネストル・キルチネルやその他に率いられた政治過程において象徴されていることを願っている。

駄目な輩を追い出し別の世界を始めたアルゼンチンや、ガスの民営化を終わらせたボリビア、農民が使用されていない土地を占領したブラジル等の通りで見られる挑戦――これらの集団が現在の政府の政治指導者のために道を切り開いたのであり、彼らこそがチャベスやモラレスのような人々が政権に就く場を開いたのである。

では、この左翼運動が政治の殿堂に到来したことは何を意味するのか?

アルゼンチンの例では、ネストル・キルチネル大統領は、IMFの言うこと全てには従わないことにより、国を負債と経済不況から立ち直らせるべく、IMFと交渉し取り決めをした。2001年の没落以来、キルチネルが舵を取りアルゼンチンは、IMFと袂を分かち、国際債権者らとの交渉の席での雰囲気を作り上げることにより前例を作り上げた。2003年に、アルゼンチンはIMFに対し返済不履行で脅しにかかった。この規模の国では前代未聞の出来事である。IMFは要求していた金利といくつかの政策から引き下がった。キルチネルの強硬な交渉は他の諸国にとって模範となり、アルゼンチンが危機から抜け出す助けとなった。

ウルグアイのタバレ・バスケスは人権において前進し、過去の独裁政権に関与していた軍人に対する刑罰からの免責を終わらせた。ボリビアのモラレスの公約は、ボリビアにおける麻薬戦争の消極的な影響の転換や、国のガスの(ある形態やまたは別の形態での)国営化、国の憲法改正のための会議の組織、そして米国後援の貿易協定の否定である。ベネズエラのウゴ・チャベスは莫大な石油の富を社会革命に利用してきた。

とはいえ、これらの左翼政府は完璧からは程遠い。ウルグアイのバスケスは新自由主義の道に下り、先の政府よりも右傾化したという声もある。彼の支持基盤が要求する徹底的な変革を行う替わりに、ブラジルのルラ大統領はIMFの規定に厳密に従ってきており、また教育や医療保健で社会計画を進ませるために政府の財源を利用する替わりに、彼は2300億ドルの負債の返済を続けている。

ベネズエラの政治過程は概ね石油収入で成り立っており、それが意味することは石油が持つ限りにのみ革命が続くということであり、また革命はその様な天然資源を持たない諸国には輸出できないということである。ボリビアのエボ・モラレスは、社会諸運動の要求からは程遠いガスの国営取引へと向かっているとして既に非難されている。そして2000年のコチャバンバでのベクテル社に対する「水戦争」において、この企業を追い出すことに成功したとはいえ、その替わりに開発された公共の水制度は、汚職と管理の不手際で問題がある。2001年から2002年の間にアルゼンチンで爆発した気運と連帯は、ほぼ消滅した。階級分離、無感情や市民参加の欠如がこの国の社会運動の特徴となっている。

この左翼転換に対する別の難題は、米国政府と多国籍企業によりもたらされている。米軍はパラグアイのボリビアとの国境から200キロ離れた場所に基地を設けた。数百人の部隊がそこに配属されていると伝えられている。私が話をしたボリビアとパラグアイの専門家らは、その部隊はモラレス政権や、その地域の左翼団体を監視し、ボリビアの(中南米で2番目に大きい)ガス埋蔵と、西半球では最大の水貯蔵のひとつであるグアラニ帯水層を見張るためにそこにいると信じている。

この地域での米国の優位が脅威にさらされているなか、軍及びその他の形態の介入がないとは決して言えない。エバ・ゴリンジャーの著書「The Chavez Code 」で実証されているように、米国政府は2002年4月のウゴ・チャベスに対する短期間で終わったクーデターを支持し手を貸した。ワシントンは中米やコロンビアで自由貿易協定の促進に懸命に取り組み、多くの企業メディアと共に、中南米における希望に満ちた政治過程の評判を落とし続けている。

物事が一夜で変わると思ってはいけない(最近私がボリビアに滞在した時によく聞いいた文句である)。中南米で起きることに対し望みを持つ理由がある。民主主義や異なる種類の政治と経済のための新しい場が開き始めている。すなわち、最良の場合、ワシントンや企業投資家の利益よりも、人々の要求を大切にする新しい時代である。

数による安全もあるのかもしれない。中南米において多くの中道左派大統領が、来る数ヶ月の内に当選すると予想されている。4月9日には、左翼社会運動指導者のオジャンタ・ウマラがペルーの大統領に当選すると予測されている。左翼傾向のある元メキシコ市長アンドレス・ロペス・オブラドルが、メキシコ大統領選の世論調査で先頭に立っている。この選挙は7月2日に行われる。エクアドルの選挙は10月に行われ、社会主義者のレオン・ロルドス〔León Roldós 〕が勝利すると予想されている訳注1

左翼の選挙勝利により推し進められる、進歩的な貿易・政治・経済圏は、途方もない可能性でもある。中南米においてこの貿易圏は、米国支配と新自由主義に対する代替案になり得る。これを現実のものとする道をチャベスは率先している。この様な圏内では、ワシントンと大企業に対し屈服するのではなく、進歩的な中南米諸国は、米国による搾取する貿易協定に対する代替案を築き上げるべく統合するであろう。この様な地域協力と統合は、企業の搾取に対する長期的で維持可能な解決策を提示するのである。

[この記事は、3月5日にバーモント州バーリントンでのToward Freedom が開催した"The Winds of Change in the Americas Conference"での講義を基にしている]

ベンジャミン・ダングルは「The Price of Fire: Resource Wars and Social Movements in Bolivia 」(AK Pressにより出版される)の著者である。彼は中南米における実践主義と政治を報道するwww.UpsideDownWorld.orgと、世界の出来事についての進歩的な視点を持つwww.TowardFreedom.comを編集している。


訳注
1:「Angus Reid Global Scan」の報道によれば、ロルドスが21%、制度革命党(PRIAN)の候補アルバロ・ノボア〔Álvaro Noboa〕が13%

タグ:中南米 左派
posted by Agrotous at 22:44 | TrackBack(2) | 中南米全般
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