2006年03月17日

「ボリバル革命」本拠地における暮らし
〔Life in a strong hold of the “Bolivarian Revolution” :Original Article in English/ZNet原文

ザカリー・ラウン〔Zachary Lown〕;2006年3月8日

ララ州、ベネズエラ――流れるような白髪と長い白鬚の元ゲリラ戦士リト・マルティネスは、小さな山間の村サナレの広場に立っている。サナレはベネズエラ首都カラカスからおおよそ200マイル〔321キロ〕南に位置するララ州にある。キューバの革命に啓発されたマルティネスは、1960年代に他の数千の戦士と共に周辺の山腹に潜伏した。これに応じたベネズエラ政府は戦士たちを追撃し、数千のゲリラと支持者らを拘束あるいは「失踪」させた。マルティネスは「複数の監禁檻がある、げっ歯類がはびこったトンネル」と彼が描写するものに、9年間監禁された。今日マルティネスの世代の息子や娘たちが彼らの左翼の遺産を受け継いでおり、ララ州に「国で最も革命的な州」という名声をもたらしている。

石油収入を利用し、チャベス政権は大規模な社会福祉諸計画を実行してきており、計画はその結果として、草の根政治活動の急増を引き起こした。全体としてのこの過程は「革命的過程」、「ボリバル主義の過程」あるいは「変革の過程」などとして呼ばれている。ここララ州において、おそらく国の他の場所以上に、この「変革の過程」は劇的な進歩を遂げた。ゆえにララ州は、この過程の仕組みと、それが何処へベネスエラを導いているのかを垣間見せてくれる。

23歳のバロン・インファンテが育ったのは、ララ州の人がごった返した州都バルキシメトに近隣するラ・アンテナ・バリオである。いま彼は地域の音楽集団の歌手であり、その地位はある程度公職の部類に入る。帽子を逆にかぶり、彼はラ・アンテナの舗装されていない道を歩き、地元の政治家の様に握手して回る。道ひとつおきに、一階建の角材でできた家々のコンクリートの壁に巨大な壁画が描かれている。その全てに、チャベスの戯画化された肖像が、地元のチャベス派候補者を推薦するキャンペーン文句の横に描かれている。バロンは小さな家々にぶらぶらと歩いていき、出会う全ての人に挨拶をし、家族の様子を聞き、次の「大衆集会」のため地元の共同体センターへ来るよう催促する。「私はここのみんなを知っているし、みんなも私を知っている」と彼は言う。「ここの良い人々も悪い人も知っているけれど、みんな私と私たちがしている事を尊敬している、」そしてまるで祈るかのように、彼は人差し指の関節に口付けをし、空に向け「それからチャベスのことも」と結んだ。

数区画先では、エラディオ・ホセ・マルティネス医師が、ここでは医療保健ミシオン〔使命;計画〕として引き合いに出される、新しく塗装された一階建ての無料医療診察所の戸口に立っている。青く輝くミシオンと糊付けされた白衣にゆったりとしたスラックスをはき、ネクタイをした医師は、埃っぽい未舗装道やあばら家の家々やごみの山に囲まれている。他のキューバから来た4千人の医師とともにマルティネス医師が初めてここに到着したとき、近隣の志願者が医療センターを立てるまでの間、彼は現地の家族の家に滞在した。これはチャベスが実施したバリオ・アデントロと呼ばれる試験的プロジェクトの一部である。この地元のサービス・センターは、あちこちの貧しい共同体で、歩道の亀裂に生えている草のように現れている。「救急サービスですら利用できなかった屈辱の日々は終わった」とマルティネス医師は語る。

医療委員会が医療需要を確認し、データベースを構築しながら、共同体へ広がるのは、こうした地元のミシオンからである。医療委員会の労働者らは、地元の参加の必要性を強調する。「今年は保健ミシオンの足場を固める年です」と、ここララ州でのこの計画の創始者のひとりラファエル・ニエベス医師は語る。「官僚化はさせません。」

医療委員会の労働者らは、自らが更に大規模な革命的計画に貢献していると考えてもいる。どのミシオンや地元の事務所の壁にも、19世紀の解放者シモン・ボリバルの絵が飾られている。チェ・ゲバラの著書もたいてい手近にある。ニエベス医師自身、「イデオロギーの実力付けのための社会主義者ホルヘ・ロドリゲス学校」の講師をしている。「私たちは常に文化の場やスポーツの場や芸術の場を持っていた...」とNational Institute for Youth 〔Instituto nacional para la juventud :青年のための公共機関〕の公務員フロル・コルメナレスは述べる。「それを推し進めたのは資本主義の関係を超えたイデオロギーです。私たちはそれらの場を帝国主義を分析し、[中南米の作家]エドゥアルド・ガレアーノ〔Eduardo Galeano〕を読む場所としても利用します...そしてこれらのアイディアは行動に根付くのです。」

ララ州のジャクンバ大学のオスワルド・トナ教授によれば、医療保健ミシオンは古い制度を「押しだす」大規模な戦略の一部だという。「この新しい仕組みは古い構造の周辺に設けられた」と彼は言う。「資本主義の構造に真っ向から向かっていく替わりに、その周りに代替となる医療保健制度を根付かせるために構築している。」同様の仕方で、メルカルという名の大いに助成された食料品店は、民営の食料チェーンへの依存を減らすことを追求する一方で、労働者が経営する協同組合は個人所有の企業と直に張り合っている。

ラ・アンテナの地方議会の集会場はラジオ局の役割も担い、このバリオの中心に位置している。ラジオ局の責任者ラファエル・チンチジャはDJテーブルから聴取者へと話しかける。「これは新しい種類の社会主義であり、これに先立った如何なるものとも異なる」と彼は語る。この革命が独特であるということは、政治集会において、あるいは地方の政治家によるキャンペーンの宣伝文句で繰り返されるいくつかの主題のうちのひとつである。これらの宣伝文句の繰り返しには、大多数の人々へ簡単なメッセージをもたらそうと絶え間なく活動している国であるという事実が反映されている。「私たちはみなチャベスを信頼しているのだが、チャベスとは別に、私たちができることがあると皆信じている。私たちは人々の中に主役を生み出している」とチンチジャは、「主役民主主義〔protagonist democracy 〕」という頻繁に触れられる主題を列挙しながら説明した。

チンチジャは、地元の志願者とともにその土地の人々のために、新しい住居建設に取り組んでいるCTU〔Comités de Tierras Urbanas:都市土地委員会〕の奮闘を詳しく語る。「この種の自己能力開発はキューバでしか見たことがない、」と彼は言う。医師や無料の医薬品の提供と識字能力教材の印刷におけるキューバの役割は、英雄的であるとララ州では広く受け取られている。フィデル・カストロはしばしばチャベスのそれに匹敵するほどの崇敬の対象となっている。チンチジャは同僚と、またおそらく彼自身の懸命な働きに感嘆し、興奮し、「これは私が夢に見たことです。以前なら、政府は決してこの様なことに関与しなかった、」彼はごくりとつばを飲み込み、わびた後に続けた。「今日のような日にボリバルがここにいないのは悲しい。これは彼の夢だった。彼はこれを見たかっただろう。」

ベネズエラ経済を未だ牛耳る巨大企業と際立った対照をなしているのは、労働者が運営する協同組合であり、これは大衆経済省〔Ministerio para la Economía Popular〕の支援を受け国中に広がっている。この協同組合は、「内発的発展〔endogenous development 〕」や「内からの発展」として言及されるものの実例である。多くの協同組合は複数の小規模な商店から始まり、そこでは全員が同額の給料を受け取り、全員が方針決定の手順に参加する。

協同組合が「維持可能な発展」を達成するためには、他の協同組合と連結し、ある種の組織網を形成することが必要である。その後に一般の企業と張り合うことができるようになる。同様の仕方で、異なる商品を生産する複数の協同組合が、地元の需要を満たすため互いに連結し、商品を交換し合う。ここララ州では靴一足を一食と交換可能である。女性の食品協同組合は昼食を地元の小学校に提供しており、それにより入学率を50パーセント以上上げている。様々な保健と教育のミシオンもまた、異なる協同組合に立ち寄り、更なるサービスを提供することにより、「内発的」組織網を成立させている。

「内発的発展」が地元経済の特質を変化させているのと同様に、ベネズエラの教育の仕組みを作り直す試みもある。この努力に対する主要な障害は、第四共和国としても知られる、チャベス以前の政治基盤であり、それが大学組織内で最後の拠点を保持している。この進行中の衝突のひとつの例は、ララ州の工芸大学の正面玄関近くに位置する、教室の燃え尽きた形骸に見られる。「レオン・トロツキー学生運動」と呼ばれる秘密団体が、古い教員を追い出す試みとして、この教室を焼き払ったことを宣言している。学生らは地元の権威による、結果としての「魔女狩り」を主張しているが、逮捕者は出ていない。「これは彼ら自身の利益のため学校運営をしていた反動的な理事会です」と17歳のハビエルは語る。

16歳から18歳の学生らは学校を接収した。現在彼らは大学を占拠しており、11月28日以来、彼らは交替でここに寝泊りしている。彼らは古い理事会に所持品を取りにくるよう要求している。古い教員を追い出すことに成功した場合、学校を共同体センターへと変える、制度上の支援を地元政府から得ることができると彼らは信じている。

根本的に異なるカリキュラムを実行する試みは、最近作られた「イデオロギーの実力付けのための社会主義者ホルヘ・ロドリゲス学校」において見られる。この学校はコロラ地方自治体にある大きな講堂で開かれる。今夜、500人を収容する講堂は、ほぼ定員一杯である。フェルナンド・ソラス教授は演壇にもたれかかっている。「イデオロギーとは革命的語句の本にでてくる、ただの言葉ではない」と彼は説明する。「活動家は道徳的に正しい何かをしていると感じることだけで生きることはできない。私たちはそれぞれの時点を理解する枠組みを持たねばならない...全てを検討すると、地球は大多数に属さなければならないということに疑いなく行き当たる。」

カラカスでは、第三世界の首都の特徴の全てがみつかる。ララ州と異なり、巨大な摩天楼は大きい米国型のロゴを掲げ、計り知れない貧困に目をつぶっている。首都自体あばら屋の町に囲まれている。このあばら屋の家々は周囲の丘陵にある、全てが様々な色に塗られ、重ね重ねになった四角いブロックである。それは、混雑したショッピングセンターや交通渋滞した道を見下ろす、一種のおもちゃの積み木でできた町に似ている。メヒコ通りに接したカラカスの中心部には、2006年のチャベス再選のため1千万票の獲得を目標とした新しい種類のミシオンである、「Unidades de batalla electoral」 (UBE)あるいは選挙対策支部がある。全ての年代に対する教育もここで提供されており、また地元の行商人連合はここを集会場として利用している。

カルロス・ゴメスはこのUBEを出て、すりに警戒しながら、首都の通りをきびきびと歩いていく。彼は、1992年のチャベスによる不首尾のクーデターの試みに続き、チャベスの解放を試みた市民軍運動を率いたことにより、政治犯として3年過ごした。現在彼は、大陸全域の他の進歩的な団体との相互支援の確立を追求する、中南米連帯組織の国内調整役として働いている。彼は車や行商人や人々の合間を縫うように歩道を歩いていく。彼は焦りの色を隠さない。「表層の変化の先に行かなければならない」と彼は言う。「これは未だ資本主義だ。」



posted by Agrotous at 21:58 | TrackBack(2) | ベネズエラ
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