2006年02月17日

自由なソフトウェア革命、ベネズエラに到来
〔A Visit With the Bolivarian Revolution:Original Article in English/ venezuelanalysis.com原文

デヴィッド・シュガー〔David Sugar〕;2006年1月9日

第3回自由な知識に関する国際フォーラム〔International Forum on Free Knowledge〕は、自由なソフトウェア訳注1の開発に興味を持つ世界中の多くの団体と個人が、マラカイボ市に集まってきた。ベネズエラがこの催しを主催することを選んだ理由のひとつは、〔2006年〕1月から、新しい自由なソフトウェア法――法令第3.390号――が施行されるからである。その法は、2年間で全ての政府機関が、自由なソフトウェアに移行することを命じるものである。私は「Telephonia Libre」と呼ばれる、電気通信における自由なソフトウェアの利用法について講演するために招待された。

私の旅行が数週間前から計画されていたのにも関わらず、中南米で私が経験した旅行すべてと同様に、今回も全く異なる時間の概念での結果に終わった。出発直前の週末まで、ベネズエラからの返事が来なかったとはいえ、これは実際にはそれ程珍しいことではない。21日月曜までに、私は次の日にマラカイボに到着し、29日に米国に帰国することが判っていた。これだけは、ベネズエラの国営通信管理機関のConatelで働くアンバル・ロドリゲスが確認してくれた。その前の週末に私は、アンバルと話す機会があったのだが、依然としてどの空港から出発するのか、またはどの航空便で発つのかすら月曜の朝まで判らなかった。

私の穏やか態度を理解するには、次のことを知っておかなければならない。私がサン・パウロである家庭に滞在していた時を思い出す。そこからポルト・アレグレへの便に乗る予定だった。空港は街の反対側にあり、ようやく車に乗りに向かった時には出発予定時刻の30分前だった。私たちは特に急いで移動したわけでもなかった。けれどもどうにかして、ブラジルという、ねじまがっていて奇異な時間のひずみを通り、私たちはとにかく時間通りに到着した。いまだにどうやってかは理解できない。中南米では時間は全く違う意味を持っている。

フォーラムでの多くの催し物や発表は私のに似て、どちらかといえば技術的な性質のものであった。担当の通訳者が、私が使った専門的な技術用語についての経験や理解がなかったために、私の発表は少しばかり容易ではなかった。終盤に別の人が私の発言を訳すと申し出たので、この問題は改善された。いくつかの発表は、社会的な環境で、自由なソフトウェアを利用している緒団体が行った。フォーラムには多くの人、特にベネズエラ政府の多くの機関の技術関係の責任者が翌年の移行計画のために参加していた。

当然のごとく、米国務省のウェブ・サイトは、軍の検問所がベネズエラ中にあり、多くの場合賄賂を求める兵士が配置されている、と親切にも警告してくれた。残念ながら、私はこのような事、ついでに言えば、空港ですらチャベス〔ベネズエラ大統領〕の巨大なポスターにも出くわさなかった。〔米国の空港には米大統領の写真が掲げられている。〕

その後私は、カラカスからバスでやって来た、〔プログラミング言語Perlを扱う人のユーザー・グループである〕パールモンガーズのジェフ・ザッカーと会った。彼も同様にあの忠告されていた、略奪兵士であふれた軍の検問所を見つけ損ねた。私は同様に、広く知られた国際的な自由ソフトウェア活動家のユアン・カルロス・ジェンティレと会い、彼もまたはるばるカラカスから同じ道を車でやって来た。カラカスからマラカイボまでは車で10時間かかると言われているのだが、彼はイタリア人なので、当然私は彼が5時間で到着すると思った。この二人と、デビアン・ベネズエラ・グループのアナ・イサベル・デルガトが、英語を喋らない人と私が語るときの、私の主要な「通訳班」であった。

国民経済省

ベネズエラはひとつではなく、ふたつの経済省の恩恵を得ている。まず古い経済省があり、それは伝統的な資本主義経済に対処する。資本主義がベネズエラで存続していて、ここしばらくは続くであろうことに触れるのは有意義であろう。ときおり土地が、土地無し労働者に再分配されている一方で、概して現存する産業と企業は手が付けられず、古い経済省に委ねられる。そのかわりに、彼らは社会を変容させる異なる着想を持っており、そこで二番目の省の出番となる。

Ministerio para la Economía Popular――あるいはおおよそで、人民の経済省、そして単純にするため単にMinepと呼ぶ――はベネズエラを、社会主義の社会に変容させる使命を帯びている。Minepは新しく奇抜な機関である。あらゆる種類の、聡明で左翼思考の人々が働いており、なかには世界中からMinepで働くためにベネズエラに来た者もいる。感じとしては、Minepには広範な社会主義の経歴を持つ人々がおり、そこに含まれるのは伝統的なマルクス主義者と共産主義者や、別の形態の社会主義を実践する者達などである。Minepに務めているものの中には自由社会主義者〔Libertarian Socialists〕もいるが、その中では更に急進的な一群であると見なされていると思う。

省はいくつかの重要な職務をこなしている。まず彼らは教育支援と、国営石油企業のPDVSAで行われたような共同経営計画の計画管理を提供する。けれども、彼らが行う最も重要な職務は、志願した一般のベネズエラ人に、社会主義労働者生活協同組合の経営方法を教育し養成することであるだろう。

これは政治的教化によって行われるのではない。省内の広範囲にわたる異なる社会主義の思想を考えると、おそらくその方が無難であろうし、もしそうであったなら疑いなく戦争を誘発させるであろうから(笑)。そうではなく逆に、生活協同組合に社会主義の事業を経営するために必要な道具、資金供給と実務訓練を提供することにより行われる。

この省はある意味では〔1953年に創設された米国の庁であり、中小企業の利益のために補助、助言や支援を提供している(参照元)〕「中小企業庁」の社会主義版ともいえる。しかし、小規模な商業を始めたいと望む人々に、住居を担保として売りに出す方法を教えるか、あるいは資本主義の雇用者に雇われたままになるかではなく、省は新しい社会主義経済の形成に手を貸したいと望むものたちを助けるために、実質的な財源を提供している。

Minepのこの側面に対する私の関心はひとつには、労働者が経営している生活協同組合へ、彼らが提供しているコンピュータに対して、VOIPサービス〔インターネットなどのTCP/IPネットワークを使って音声データを送受信する技術(参照元)〕の提供に関して、彼らが興味を抱いていることであった。これは相当特殊で技術的な問題であり、彼らは私と相談したいと思っていた。

多くの労働者生活協同組合は、概して10人かそれ以下の従業員を持つ小規模の新規事業により構成されている。Minepは訓練と支援、そして事業の必要に応じたコンピュータ・システムを生活協同組合が購入するための資金を提供している。このコンピュータ・システムは、Debian GNU/Linuxオペレーティング・システムに始まり、一般的な商取引用途にオープン・オフィスを、そしてウェブ・ホスティングにはアパッチ、といった形で、自由なソフトウェアを完全に使用している。Minep履修課程を通った生活協同組合はさらに、自らの内容を伴ったウェブ・サイトを持つ能力があり、通例サイトは特定の生活協同組合が提供を望む商品やサービスを扱う。

Minepの生活協同組合養成履修過程は昨年、試験的に行われ、労働者に管理された3千の生活協同組合が形成された。2005年末までには、国中で4万5千の生活協同組合が出来上がっており、年が終わるまでには、どのように結成し、社会主義経済の一部となるのかを、70万人のベネズエラ人に養成するであろうと予測されている。これが示唆することは、Minep履修課程を修了した者のうち約40%が最終的に社会主義事業を形成するということである。

自由なソフトウェアの利用と、生活協同組合計画の一環としての商業利用のため、コンピュータ・システムを提供することは、実際には比較的新しいことである。今年、彼らはわずか数千の生活協同組合を最初の試験的な履修過程で養成した。来年にはその履修過程と自由なソフトウェア訓練は皆に解放される。

資本主義は私の推測では、現在最大でおそらく10万人のベネズエラ人に直接利益を与えている。残りの多くは賃金奴隷ないしは、それによる契約に陥れられている。資本主義によって利益を得ている者の正確な数は国により異なるが、少数が実際に利益を得る一方で多くが得ないという法則は、相変わらず普遍的である。社会主義経済の理想においては、全ての関係者が利益を得る。

現在のベネズエラでは、既に資本主義経済よりも社会主義のそれにより直接利益を得ている人々のほうが多いと私は思うし、時が経つにつれ増大するであろう。ベネズエラで資本主義は完全に消滅しないかもしれず、疑いなく政府により脅かされたり変化を強要されたりはしてはいないのだが、私が思うに、新しい社会主義経済の高まる潮流に飲み込まれるだろう。これがボリバル革命の未来である。

知的繁栄省

SAPI――知的財産独立サービス省〔Servicio Autónomo de la Propiedad Intelectual〕――は、過去ベネズエラのいわゆる「知的所有権」法を規定していた省である。一時期SAPIは「著作権侵害〔海賊行為と同音異義語のpiracy〕」の問題に関係していたと聞いている。だが、船を襲う無政府主義で資本主義の「金持ち紳士」の残忍な一群を抑制するのは、海軍または内務省の仕事だと思っていた。

知的所有権という用語自体、当然ながら、20年前には存在すらしていなかったニュースピークの宣伝文句である。第一に、それが取り扱う主題は著作権、特許、企業秘密、商標から、その他のものまでに至り、その全てが現実には全て異なり関連していない。第二に、誰かに実体のないものを与えることができ、その上、それを他の人々がすることとともに、それらが――彼らの頭の中にあるかもしれない発案ですら――あたかも自らの物質的な所有物であるかのように、管理することができるという前提を基にしている。知的所有権は部分的に法律に基ずく絵空事による思想統制に等しい。知的奴隷制度であると言う人もいるだろう。

発案と思想をあたかも有形の所有物として扱うことの帰結は、科学と教育の破壊そのものであり、個人の権利と自由の排除である。科学は、新しい知識は徐々に改善される発案により生み出されるという概念に、ある程度基礎を置いている。教育は、現存するものから学ぶことができ、その知識を利用して新しい研究を生み出すという概念を基にしている。「知的所有権」の裏にある概念は、どちらとも相容れない。それは野蛮であり、また、貪欲な知的占有の独占的な支配の下、特権的な少数のみが学ぶことを許される新たな暗黒時代をもたらすかもしれない。

「知的所有権」は独占的な使用許可を伴うので、公立大学がこれに従い、そして別の人たちに彼らの発見の使用許可を与えた時、一般の人々は、少数の人々のみに利益を与える研究に資金提供することを強制される。さらに有害なことに、そのような資金提供を受ける企業は独占的な認可を使い、社会がすでに払ったものによる利益を、社会に売り返すことができるのである。これはあるものに2度支払いをしている、と見なすことができる。これはさらに、私有の資本主義にたいする公共福祉、あるいは更にはっきり言うと、搾取であると判断できる。

マラカイボにいる間に、私は運よくSAPIの現長官のエデュアルド・サマン〔Eduardo Samán〕と会うことができた。彼はSAPIの目的についての特異な見解を持っている。彼は著名な国際主義者であり、WIPO〔世界知的所有権機関〕内で、発展途上諸国の議題を促進する計画の確立における重要人物であった。新たな知的制約を生み出す代わりに、エデュアルドが提案することは、少数を更に富ませるために知識を貯蔵するのではなく、全ての人類の共通の遺産として知識を共有することを促進する、法条約とサービスを生み出すことによって、SAPIの任務が〔知的所有権(Intellectual Property)の促進ではなく〕むしろ「知的繁栄〔Intellectual Prosperity〕」の促進となることである。現在の先進世界の私営大企業が、人々の思考に対する許可権を所有するという、大いなる資本主義計画に成功したと仮定すると、ベネズエラのような場所が科学技術において新しい先導的な諸国になることも大いにあり得る。

PDVSA、そして如何に石油がボリバル革命を活気付けるか

マラカイボは石油産業と国営石油企業PDVSAの中心地でもある。石油企業は伝統的に保守的な傾向がある。だが、PDVSAはこの国の富を生産する主要な機関であり、ウゴ・チャベス大統領の革命的変革を支援する最も強固な源という点で、対照的である。

私は数人のPDVSA石油労働者と会い、彼らはPDVSA経営内の立場をよく代表しているように思えた。同様に私は昼食を取りながら重役の内の一人であるソコロ・エルネンデス〔Socorro Hernendez〕と、そして腕のいいハッカーとして、また財政の天才として有名であり、2003年に金融取引システムが妨害されたときに、再構築の手助けに関与したホセ・ルイス・レイ〔Jose Luis Rey〕と話すことができた。

今日、この国営石油企業は、ベネズエラにおける自由なソフトウェア運動(software libre)の主要な支持者であり、私をマラカイボに招いた第3回自由な知識についての国際フォーラムの主要なスポンサーである。ベネズエラにおける自由なソフトウェアの利用と、ボリバル革命がいかにして始まったのかに関する全ての質問は、PDVSAと2002年の労働者締め出しに回帰するように思われる。

この労働者締め出し以前、この国営石油企業の経営陣はベネズエラの裕福なエリートと堅固に繋がっていた。米国でハリバートンのような政治的に関わりがある企業に関連して起きてきたことと違わず、部分的に請負と汚職を通じ、ベネズエラの多くの最も裕福な人々はこの石油企業のおかげで更に富を得ていた。

そもそもウゴ・チャベス大統領は単に国の富裕層を更に裕福にするのではなく、石油の富を使い、国の貧しい者に教育と医療計画を通じ補償をするという政綱のもと選出されたのである。国営石油企業から金を得ることに慣れていた多くのベネズエラの裕福な市民は、これに耐える気はなく、いかなる犠牲を払ってでも、それが彼ら自身の国に対する破壊行為を意味したとしても、ウゴ・チャベス大統領は去らなければならないと決定したのである。

というわけで、2002年12月に労働者を締め出すことにより、彼らはこの石油企業の閉鎖を試み、IT基盤の全てを彼らの統制の下に置くことにより、全体としての国家の石油資源を人質に取ろうと試みた。その時当座のデータとシステムが破壊されていたならば、石油の次の一滴が生産されるまでに数年掛かっていたであろう。

4千8百人の管理者のうち約200人が止まることを選び、去っていった者よりも腐敗しておらず、当時退職していた元管理者たちの協力を伴い、共に労働者たちは石油企業の救済を試みた。しかし、最大の挑戦はコンピュータの基盤であった。

当時情報工学の管理は、チェイニー〔米副大統領〕や米国務省やCIAとの政治的・商業的な繋がりでよく知られている、SAIC(サイエンス・アプリケーションズ・インターナショナル)に委託されていた。当初、締め出しの最中に、石油施設を守るためベネズエラ軍が出動されたとき、SAICの職員は彼らが攻撃を受けていると主張し、米議会がその油田を奪取する戦争権限をブッシュに与えるよう説得するため、その施設を軍が占領しているビデオを製作した。このもくろみは失敗し、SAIC職員たちは国外に逃亡したのだが、同時にPDVSAの全てのパスワードを変更し、全てのコンピュータ・サーバーの遠隔操作を持ち去った。チャベス大統領の政府が降伏すれば、彼らは数ヶ月以内に復帰すると考えていたため、コンピュータのデータを破壊せずにおいた。

PDVSAの基盤の多くはマイクロソフト・ウィンドウズを基としたサーバーの下で機能しており、マイクロソフト・SQL〔データベースを操作するコンピュータ言語〕のような専有のデータベース・ソフトウェアを使用していた。情報工学の管理者らは、石油労働者の一群が彼らの計画を挫折させることができるとは予想していなかった。他ならぬその石油労働者が、現地のコンピュータ・ハッカーと共に力を尽くすことで、重要なコンピュータ・サーバーの確保に成功し、そうすることにより石油施設を救った。

ベネズエラ革命はおそらくコンピュータ・ハッカーにより救われた歴史上初めての革命であり、それが政府が特に行政における自由なソフトウェアの利用の促進を大切にしている理由のひとつである。ベネズエラ政府は、きわめて重要な基盤を再び外国の諜報員により人質として取られたり、妨害されることを決して望んではいない。これはソースが機密である専有のソフトウェア――例えば悪名高い裏口のNSAキーを持つマイクロソフト・ウィンドウズでは達成できない訳注2。信頼できる出所の専有ソフトウェアですら、将来の干渉の容疑対象に成り得るので、ベネズエラのみではなく、妨害工作に対して主権を守り、維持したいと望む全ての国家により否認されなければならない。

現在、私が出会ったPDVSAの全ての人が、ベネズエラの石油資源を、全体としての国家のための長期的で独立した富に変えるという基本的な構想に、あらゆる段階で完全に専心しているように見える。これは部分的に、Minepを通して計画された新しい社会主義経済の発展を通じて成される。

この富の獲得は急を要する事柄として捉えられている。その理由は、ベネズエラが最大の石油既知埋蔵量のひとつを所有しているとはいえ、彼らは世界の石油生産が低下し始めることを予想し、この富は一時的であると見ているからである。ソコロ・エルネンデスは、PDVSAが早くて20年以内に誰も石油を(例えば自動車で)「燃焼」しなくなると信じていると述べた。彼は、石油がそれが利用されている他の多くの産業において重要であることが変わることはないであろうが、価格は1バレル5ドルに落ち着き、ゆえに現在が、この富から有益なものを作り出す最高なだけではなく、最後の機会である、と彼らが信じているとも述べた。

国家通信委員会〔Conatel〕と結び

土曜に私はマラカイボからカラカスへと飛んだ。ベネズエラの革命的共和国においてすら、税関吏はやはり税関吏であり、空港は依然としてあらゆる場所の空港に似ている。革命的なポスターやチャベスの写真、あるいは国務省が警告した軍の検問所の欠如を考慮すると、言及に値することは、ベネズエラにおける社会と殆どの機関が、むしろ平凡なやり方で動いているということである。

さらに思想的に革命と繋がりのない省庁や政府機関は多数あるが、私が会ったこれらの省庁に所属する公務員の多くが、彼らなりに革命を支持しているようにみえた。これは大抵、チャベス政府により支給された資金で、異なる計画を省庁が行うことができたことによる。

例を挙げれば、ベネズエラの電話と放送サービスの管理機関であるConatelであり、これは米国のFCC〔連邦通信委員会:訳注3に少し似ている。

とはいえ、ベネズエラの地域共同体のためにテレセンター訳注4事業を草案することで、現在Conatelは国中の貧しい共同体に有益となることを行っている。私が出会ったConatelで働く多くの人が、貧しい家族の出である。彼らは私たちが「中流階級」の生活様式と呼ぶであろう生活を送っている一方で、テレセンターのような事業を提案することが出来ることを誇りとしている。彼らはこれをいかなる思想の問題でもなく、ただそれを行うことは正しい事であると見ている。これゆえに、全体としての公務員が、Conatelのような非常に伝統的な政府機関の人々ですら、同様にチャベスを強く支持しているのだと私は思う。

リタ・エルモサはこの公務員の態度の優れた実例である。思想が動機となっていない一方で、彼女はとりわけConatelテレセンター事業を誇りにしていた。ベネズエラ政府により支援されたこの事業は、やはり再び自由なソフトウェアを利用している、コンピュータ資源――VOIP電話、ウェブブラウザーと共同体教育サービス等――を共同体に提供する。

カラカス滞在中に私は、基本となるテレセンターをConatelビルで実際に見学した。典型的な共同体テレセンターは最大で12組のPCワークステーション〔高性能なパソコン〕と、ひとつのサーバーで成り立つ。インターネット情報と音声通信の接続はひとつの通信事業者〔通信キャリア〕を通じ提供される。同様にこのシステムは自由なソフトウェアを完全に利用し、各テレセンターには2人のスタッフが含まれる。

その内のひとりは、テレセンターのコンピュータと資料の使い方を教えて世話するために養成されており、設備の維持を任されている。二人目はその共同体の社会的需要について訓練されている人である。例えば、農業が盛んな自治体に配置されたテレセンターでは、二人目はたいてい農業教育を受けた人である。鉱山の町では、おそらく鉱山労働者である。

私はテレセンターが新たな千年紀の公共図書館である、あるいは将来そうなると信じている。残念ながら、世界の他の場所の多くの現存する図書館は、多くの場合コンピュータを備えているのだが、それがいかにして利用されるべきかを理解していない。一例を挙げると、米国の多くの図書館にはコンピュータがあるが、実際の所ウェブ閲覧のみに利用されており、利用者が実際に性交に関することを読むことを非常に心配する馬鹿げた政治家及び、この理由により図書館の内容の検閲を義務付ける法律によって、制限されている。

ベネズエラ社会主義は行政命令による社会主義ではないように見え、同様に国家や、いかなる単独の政党の思想によって推し進められているものでもない。それはむしろ、実験と教育による社会主義である。ベネズエラの社会主義者が深く結びついているように思われるものは、社会公正と連帯と平等の基本的な原則であり、それは平和のうちに生き、植民地の支配者から独立し、平等で、彼ら自身の運命を決定する事の出来る、リオ・グランデからチリの最南端へと及ぶ中南米共同体というシモン・ボリバルの理想像により鼓舞されている。多くの実際の政策は考察と議論のため開放されており、新しく独創的な解決策を試す意欲がある。とはいえ、多少皮肉にも、上記の全てがベネズエラの金持ちの直接の協力がなければ可能ですらなかった。

ウゴ・チャベスの政府を打ち倒す代わりに、国の最も重要な産業を直接妨害するため外国企業と共に力を尽くすことにより、ベネズエラの裕福なエリートは、他の行動が成し遂げることのできないやり方で、石油労働者を急進的にした。現在PDVSAの労働者達は新しい経済を生み出すことに完全に専心しており、誰が政権を握ろうと、そうあり続ける。ベネズエラの金持ちが、誰がベネズエラを革命的な社会主義国家にしたのかを熟考する時、当時その様な考えすら持っていなかったかもしれず、もしそうであったとしてもそれを遂行する手段を疑いなく持っていなかったウゴ・チャベス大統領に目を向けるべきではなく、彼らは鏡を見つめるべきである。



訳注:

〔1〕:ウィキペディア日本語版によれば自由(free)なソフトウェアとは「コピー、研究、変更、配付等の扱いに関して、ほとんど、またはまったく、制限が付けられていないソフトウェア」のことを指し、無償(free)のソフトウェアとは根本的に異なる。両者とも英語では「free software(フリーソフトウェア)」であり、区別がつかないが、当翻訳記事での「自由なソフトウェア」は前者の制限が付けられていないソフトウェアを指す。詳しくはウィキペディア記事参照のこと。

〔2〕:NSAキー(_NSAKEY)とはある主張によれば、国家安全保障局(NSA)に対してマイクロソフト社が与えたといわれている裏口のこと。主張によればNSAはこれを使いウィンドウズ・ユーザーに無断でユーザーの情報を入手することが出来る。この主張をマイクロソフトは根拠がないとして否定した。この論争は大いに議論され、このキーが存在するいくつかの説明が出された。NSAキーが主張されたような裏口ではなかったとしても、当翻訳記事で問題とされている専有ソフトウェアの機密性の問題が解決されたわけではなく、それどころか機密であるゆえに安全性に問題があるということの証明となっている(そもそもウィンドウズが機密でなければ議論する必要はなく、ただソースコードを検討すればいい)。NSAキーはウィンドウズの全てのバージョンに「_KEY2」という名で残っている。(日本語参照元英語参照元

〔3〕:Wikipedia日本語版によればFCCは米国政府の独立機関であり、「ラジオスペクトル(ラジオ及びテレビジョン放送を含む)を使用するすべての非政府組織、並びにすべての州間電気通信(wire、人工衛星及びケーブル)同じくアメリカ合衆国内で発信または着信するすべての国際通信を規定して管理」を行う(参照元)。

〔4〕:海外通信・放送コンサルティング協力(JTEC)のサイトによると、テレセンターとは「地域のニーズの多様性及び状況に応じて、また、技術、ビジネス・プラクティスや経済の変化に対応して、一つの形態から別のものへと展開できるように適応させることができる。最も簡単なテレセンターは、1、2本の電話回線、ダイアル・アップによりインターネットに接続できるパソコン、アプリケーション・ソフトウェア、パソコン用のプリンター、複写機、スキャナー及びファクシミリ装置で構成されている。」大規模なテレセンターでは「より多くの設備、より高度な技術、専用のインターネットやファクシミリ回線、会議室を備えた小さな事業所になる。」(参照元


補足:

なお当翻訳記事が基にした記事とはわずかに異なる英文記事が「Free Software Magazine」により発行されている。この雑誌のウェブ版各当記事にはベネズエラのConatelテレセンターの写真を含め数点の写真も掲載されている。当翻訳記事タイトルはこちらの記事のタイトルを使用した。



posted by Agrotous at 21:08 | TrackBack(1) | ベネズエラ
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ハッカーとフリーソフトウェアがベネズエラを救う
Excerpt: とても興味深く読みました。訳をありがとうございます。一部を引用して、紹介させていただきました。
Weblog: P-navi info
Tracked: 2006-02-22 05:07
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