2006年01月02日

善隣政策と他の政治的感興
ボリビア民主主義と米国:歴史の教訓

〔The Good Neighbor Policy and Other Political Amusements
Bolivian Democracy and the US: a History Lesson: Original Article in English/ZNet原文

ソール・ランドー〔Saul Landau〕;2005年12月22日


社会主義者で農民代表のエボ・モラレスが、選挙でボリビア次期大統領となる見込みですら、チャールズ・シャピロ〔Charles Shapiro〕西半球担当国務副次官補を当惑させた。「ますます好戦的なキューバ・ベネズエラの組み合わせが三つ組みになることを知る事は、ワシントンでは歓迎すべきニュースにはならない」と2005年10月21日に彼はマイアミ・ヘラルド紙のアンドレス・オッペンハイマー〔Andres Oppenheimer〕に電子メールを送った(2005年12月4日)原文リンク

シャピロはそれらしく聞こえる専門語と使い古された常套句を組み合わせた。「次期ボリビア政府との私たちの協調の質と幅は、私たちが共有する利益にかかっている。すなわち、民主主義の強化、経済成長の促進、不法麻薬との闘いであり、それとともに国際的義務に対するかの政府の責任である。」

この陳腐だが暗号化された文句は次期ボリビア政府にこう告げている。ワシントンの指図に従うか、または痛い目にあうかだ。シャピロは「共有する利益」や「民主主義」のような文句が彼を文章の魔術師に変身させると考えているのかもしれない。「さあ、お立会い、硬貨(歴史)が消えました」というわけだ。

米・中南米政策についてのこの様な決まりきった表明は、ある政策が存在しているとみなしている。ワシントンが要求する命令に対する中南米の服従を越えた何かが存在し、それゆえに米国企業が略奪を続けられる、と。前世紀を通じて、米国は自らの支配に異なった呼び名を使ってきた。20世紀の初期までに、モンロー主義〔Monroe Doctrine〕は「砲艦外交〔または武力外交:Gunboat Diplomacy〕」の形を採った。海軍は米国の投資対象を守り、「安定した」――従順な、と読む――政府を確保するために日常的に介入した。

20世紀初頭に、セオドア・ルーズベルト〔Theodore Roosevelt〕は、砲艦の双子の姉妹である「ドル外交」を考案した。TR〔セオドア・ルーズベルトのこと〕とウィリアム・ハワード・タフト〔William Howard Taft〕の下、「外交」は中南米における企業投資を助長すること、そしてバナナや鉱物に対する融資や投資がその地域の米国の国益を意味すると定義することの婉曲語法となった。

ドルが企業の銀行口座へと流れることを確実にするため、地方の政治的混乱(独立と革命運動)が発生した時、海軍は介入した。米軍は関税収入を徴収し、米国の諸銀行に送金した。というわけで、「米国の国益を守るため」米軍は1903年から1914年の間、パナマを占領したと陳述する国務省の公文書を学生たちが読むとき、彼らは前後関係を理解するのである。

1904年に米軍はドミニカ共和国で「革命的戦闘のあいだ米国の国益を」守り、1906年から1909年にキューバでも、1907年、1910年、1911年と1912年にホンジュラスでも、1910年にニカラグアで、そして1912年に再びキューバでも同様にそうしたのである。

1913年にウッドロウ・ウィルソン〔Woodrow Wilson〕は介入を「善隣政策」と改称し、1919年に海軍長官として勤めたフランクリン・ルーズベルト〔Franklin Roosevelt〕が後にそれを彼の政策とすることとなる。1913年から1920年の間、国際法の不可侵の原則として不介入を堅固に擁護する一方で、ウィルソンは米国の軍隊にハイチとニカラグアの占領とキューバ、ドミニカ共和国、ホンジュラスとメキシコに対する介入を命令した。1930年代にフランクリン・ルーズベルトは招待されたニカラグアの独裁者アナスタシオ・ソモサ〔Anastasio Somoza〕を手厚く待遇したが、それは彼が「我々のろくでなし」だったからである。

善き隣人らしさは、冷戦の反共産主義にとって代わられ、それをアイゼンハワーはグアテマラにおいて自由選挙で当選した大統領であるハコボ・アルベンス〔Jacobo Arbenz〕をCIAが取り除く口実に利用した(1954年)――それはユナイテッド・フルーツ社の強い主張のもと成され、この社の非生産的な土地をアルベンスは反抗的にも国営化していた。

1959年のキューバ革命は、米国高官らに米国とその南の隣人らとの間の発展の格差を認める政策を提案することを強いた。1961年にジョン・ケネディーは、中南米の基本的施設〔いわゆるインフラストラクチャー〕の開発、民主主義の構築、そしてカストロ主義の魅力から人々の心をつかむための、「進歩のための同盟〔Alliance for Progress〕」を公表した。皮肉にも、1959年のアルゼンチンでのOAS〔米州機構〕会議において、カストロ自身が、もし米国が中南米のことを案じているのなら、基本的施設に投資するであろうと示唆していたのである。クリスチャン・ハーター〔Christian Herter〕国務長官はこの考えをカストロに不利なように利用できると考えたが、アイゼンハワーはそれを追求する活力を欠いていた。

だがケネディーは言葉による誇示を備えていた。しかし米軍は依然として納得していなかった。それゆえに、彼自身の進歩的な提案にその正反対で打ち返した。対ゲリラ戦計画である。中南米の警察と軍は「進歩のための同盟」に流れたよりも遥かに多い金を手にした。

1970年代中盤までに、米国に後援された抑圧的な勢力は「進歩のための同盟」を取り除いていた。独裁者たちと死の部隊がアルゼンチン、ブラジル、(断続的に)ボリビア、チリ、パラグアイ、(断続的に)ペルー、(断続的に)エクアドル、(断続的に)コロンビア、そしてほぼ全ての中央アメリカを支配した。

シャピロはこれらの出来事を忘れたのであろうか? 彼は彼の慈悲深く聞こえる文句を信じており、その文句が彼らの歴史に通じている中南米人を騙せると思っているのだろうか? 実際の所、中南米人たちは革命や不服従は、介入やCIAの秘密工作部隊を招くことをよく知っているのである。

1970年代後半から1980年代にいたるまでに、反ソ連プロパガンダをさらに効果的にするため、米国高官らは好戦的な冷戦の謳い文句に民主主義と人権を付け足した。米国が最近ブラジル(1964年)とチリ(1973年)で民主的に選任された政府を失脚させるのに手を貸していたにも関わらず、彼らは新しい時代が訪れたという振りをした。レーガンはエルサルバドルの残忍な軍に何億ドルも費やす一方で、同時に連続した選挙を支援し、それをワシントンが民主主義であるとした――まるで投票が死の部隊を中和するかのように。

ワシントンの言葉は行動に釣り合わない。シャピロの「経済成長の促進」はボリビア人に1999年のコチャバンバの水供給の管理権をベクテル社が購入したことを思い起こさせるに違いない。衝撃的にも、ベクテル社の下、ボリビア政府は水の価格を値上げした。それはボリビア人が、政府に水の管理を取り戻し、価格を下げることを余儀なくさせるまでの間続いた。

シャピロは同様に麻薬戦争を続けることを強く主張している。彼は麻薬が降伏するとでも思っているのだろうか? 麻薬戦争はこの地域全体の生態系の破壊と、コロンビアの広範囲の軍事化を、そして米国の近隣諸国が同様の破壊的方針を採るべきだという主張を意味してきた。

最後に、ボリビアが国際的義務を果たすべく専心せよと要求することは、ブッシュが全ての国際法に違反して、イラクに侵略的戦争を仕掛けた後には、マフィアの首領が彼の劣った対抗者に犯罪を糾弾せよと主張しているようにしか聞こえない。

シャピロの陳腐な言葉はワシントンの問題〔bind〕――あるいは盲目〔blind〕――を物語っている。ワシントンは分かっていない。あるいは興味がない。11月に、ブッシュはアルゼンチンのマル・デル・プラタでの半球会議において、アルゼンチン経済を破壊し、失敗に終わった貿易方策を強く主張することにより、自ら恥じをかいた。その失敗を分析する代わりに、ホワイト・ハウスは、自由貿易を非難し協同の発展構想を呼びかけたベネズエラ大統領ウゴ・チャベスに非難の矛先を向けた。

自らの自由選挙の語法に行き詰まり(1998年以来チャベスは3つの自由で公正な選挙で勝利している)、国務省高官らは仲よしの報道機関に、チャベスが12月のベネズエラ議会選挙を裏工作するだとか、チャベスが現地の報道機関を検問し、人権を尊重することを拒んだという噂を漏らした。マイアミ・ヘラルド、ニューヨーク・タイムズや他の主流メディアが――情報源として反チャベスの「独立の分析家」に大部分頼り――これらの非難をニュース記事として報道した後、ワシントン当局者がさらに大きな声で断言した。(ジャスティン・デラクール〔Justin Delacour〕、カウンターパンチ、2005年6月1日原文リンク

実際には、チャベスの敵対者たちが多くのベネズエラのマスメディアを所有しているのである。チャベスの不当性に米国が抗議の声を上げたため、OASとカーター・センターの監視団が12月の選挙を監視し、それは自由で公正であったと宣言した。

人権に関しては、チャベスはベネズエラの貧しい者のために教育と医療を拡大し、それらの改革は広範な賞賛を勝ち取った。チャベスを独裁者と呼ぶことは事実に逆らい、彼の大衆に対する魅力とは明らかに反している。

それにもかかわらず、西半球担当国務次官補であるトマス・A・シャノン〔Thomas A. Shannon〕は、チャベスが首尾一貫した反自由貿易の主張をし、社会主義の未来像を提示し、フィデル・カストロとの親密な交友関係にあることから、いまだに彼を「地域の安定に対する脅威」と定めている。彼らはチャベスを、生意気にもスペインから武器を購入してモンロー主義に挑み、ボリビアでエボ・モラレスが率いているような社会主義運動を助長する、もう一人の服従しない人物であると見なしている。

昔日には、砲艦と海兵隊やCIAが介入するところである。その他の傀儡大統領たちは黙りこくるであろう。けれども今日、チャベスはベネズエラの大多数からのみではなく、アルゼンチンとブラジルの大統領からも支持を得ている。

ワシントンは、スマテ〔Sumate〕のような反チャベスNGO〔非政府組織〕に資金供給するため米国民主主義基金(NED)を利用し、チャベスに対する裕福で無法な反対者らを後援している。そのスマテの代表らはワシントンと共に、2002年の無駄に終わった軍事クーデターを後援し、12月の選挙をボイコットし、そのことが彼らを思慮がなく、未練がましい敗者のようにした。OASの監視団は選挙を不正なしと評価した。このことはブッシュの既に降下していた評判をさらに引き下げている。

チャベスは米国の指導者達を笑いものにする一方で、割引した値段で灯油を米国の貧しい者達に届けている。ブッシュはそうしていない。ブッシュが彼自身のイラクに関する録音テープを巻き戻し、使い古された自由貿易の文句を中南米に繰り返している間に、チャベスは前進する。ペルーのアレハンドロ・トレド〔Alejandro Toledo〕のような親米の大統領たちは支持率を低下させている。

米国に後援されたボリビアの元大統領のゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ〔Gonzalo Sanchez de Losada〕は、彼の破滅を招く自由貿易政策のため、公職から逃げ出さなければならなかった。他方、初めての先住民族大統領のエボ・モラレスは高い支持率を得ている。

モラレスはブッシュの米州自由貿易地域を「米州の植民地化を合法化する協定」と呼んだ。彼はさらにワシントンの麻薬戦争を、ボリビアの莫大なガス貯蔵をひったくる口実であるとして糾弾した。モラレスの勝利は、社会的要求――教育、医療と土地改革――に取り組むことを優先事項としている左翼寄りの中南米指導者達の膨れ上がる列を埋めるであろう。

米国の政策により更に悪化する中南米の悲惨な貧困を前に、シャピロやシャノンはただ単に帝国の陳腐な言葉を繰り返している。それはまるで歴史が彼らの頭を白痴的な万力で掴み、米国が新しい世界の局面で時代遅れの帝国の役割を演じることを運命付けているかのようだ。


ソール・ランドーは政策研究所〔Institute for Policy Studies〕の特別研究員である。

posted by Agrotous at 23:24 | TrackBack(0) | 中南米全般
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