2005年12月03日

チャベスは彼らを発狂させる
ベネズエラ反対派についての現場で得た印象

〔Chavez Los Tiene Locos (Chavez Drives them Crazy):
A First-Hand Impression of the Venezuelan Opposition: Original Article in English/Venezuelanalysis.com 原文

アレサンドロ・パルマ〔Alessandro Parma〕;2005年11月24日


cheeky_universal
Credit: Alessandro Parma

「チャベスはボベスと同じで、家ごと全員を殺し、その財産を全て盗人の黒人らに分け与えようとしている!」と私の女家主の息子である、目を見開き、籐の椅子にもたれかかったアレは言った。私たちはカラカスの夜景を見渡せる大きなフラシ天のバルコニーに座っていた。バリオ〔下層階級移住区: barrio〕のきらめく光が彼の後ろの遠い闇に大きなオレンジ色の塊となっていた。

私は「だけどアレ、チャベスはもう8年間も政権に就いていて、もし彼が金持ち全部を殺して彼らの財産を分配したいのなら、なぜ彼は既にそうしていないのだろう?」と言った。アレは少しの間もたれ掛かったあと言った。「それもやはりボベスと同じで、彼は寡頭政治家らに安全であり、商取引をしていいと伝えたもので、彼らは彼を信じて、その後でいずれにせよ彼は黒人たちに彼らを殺させた。彼はとても邪悪だった。」

私の女家主のバルコニーでの、あの夜のアレとの会話はベネズエラの富んだエリート、あるいは、ここでしばしば呼ばれるように寡頭政治家〔oligarchs〕と交わした多くの会話と似ていた。強烈に階級に基礎を置き、驚くほどの自己欺瞞と深い苦々しさに満ちた、その全てが、十分に大人で、教育された知的な専門家 との会話である。アレは大学院修士号を持った27歳の弁護士だった。

これが、ベネズエラ訪問時に私を最も驚かせたことの1つである。私は、富んだエリートがチャベスに反対するのは、彼の貧しい者に味方をする政策のせいだと予測していた。彼らの主張はベネズエラ政府についての英国の批判家の言葉を、おおよそ追随するものと思っていた。それが言うには、ベネズエラを運営しているのは、いささか狂った扇動者であり、彼は職権を乱用し、反市場政策にふけり、それにも関わらず貧民に人気がある。

この主張は、貧民街、またはバリオのチャベスの貧しい支持者らは基本的に馬鹿であると言う。彼らは彼の巧言によって傾き、無料の保健医療や教育のようなもので簡単に買収される。英国の批評家は、チャベスの9つの選挙での勝利、不信任国民投票での勝利と、クーデターの試みを、集団デモにより支援されて克服したことを否定し難いと見ており、彼の人気を否定してはいない。

これを根拠に政府に反対している、裕福な反対派支持者をベネズエラで見つけるのは不可能に近い。すなわち、大多数の裕福なベネズエラ人は同様に、バリオの貧民は馬鹿で容易に買収されると信じている。実際に、多くが貧しい者たちを「モノス〔monos〕」あるいは猿と呼んでおり、それはバリオの人々が概してより浅黒い肌をしている一方で、上流階級は概して遥かに肌白いことに起因している。

しかしながら、ベネズエラで私が出会った反対派の裕福な人のほぼ全てが、海外のチャベス批評家による分析と対照をなす2つの事を主張した。ひとつめに彼らは、チャベスは事実上まったく支持がなく、貧しい者すら彼に反対している、と言う。彼の支持者による小さいが献身的な集団が、彼らに有利なように荒々しく選挙を不正操作する一方で、大多数のベネズエラ人は活発に彼に反対している。彼が60%の票を得たという選挙結果を彼らは一笑に付す。彼らは6%のほうが遥かに正確な数字であると言う。

政府に対する大衆の完全なる不支持という信念は、2つめのさらに突飛な主張に行き着く。裕福なベネズエラ人たちによれば、その基盤が存在しない故に、大規模なデモによりチャベスは政権に復帰し得なかった。実の所、チャベスがあらかじめ2002年のクーデターを計画・準備し、彼の信奉者に実行させた。その後、彼は政権への復帰を陰で演出し、その「茶番」全てを彼自身の権力拡大に利用した。この理由により、彼らは2002年を アウト・ゴルペ 〔auto-golpe〕、「自作クーデタ」――ペルーで当時〔1992年〕のフヒモリ〔またはフジモリ〕大統領が議会を解散した時に最初に作られた用語――として言及する。

これらの見解が、それに対する圧倒的な反証を考えると、驚かされるものではあれ、それは裕福な反対派の間では広く定着している。とても多くの教養のある知的な専門家らが自発的にそれらを信じる理由は 非常に 多い 。その中には、80年代にベネズエラが経験した経済・精神的外傷や、大多数の第三世界に存在する富める者と貧しい者の間の断絶、そしてチャベスを追放するためには何でもする、反対派メディアの絶え間ない 尽力 がある。

その途方もない石油の富のため、以前ベネズエラは第一世界の国と考えられていた。1980年代に、石油価格が劇的に低下した時、ベネズエラの経済状況も同様であった。貧困は1980年の 人口の 18%から1996年の65%に拡大した。生活水準のこの非常に急激な破綻は、チャベスが政権の座に就くことを許す危機的な政治状況と、裕福な反対派の特殊な見方を生み出す事を助長した。

上流・中流両階級の生活水準の主要な凋落が80年代と90年代の間に起きたとはいえ、それは2003年の石油ストライキの後に、なおいっそう悪化した。このことが莫大な経済的損害を引き起こした。これが、私が出会った上流・中流階級の人々が職を失った原因として、最も多く引き合いにだした理由である。このストライキを組織し指導したのは反対派であったのではあるが、部分的にすら彼らの責任とはされていない。全ての責任はチャベスにある。彼は、凋落の過去数十年に起因する彼らの憤怒や失望の身代わり〔scapegoat〕となったのである。

私の女家主であるカルメン夫人は、私がベネズエラで多数見かけたのと同様のアパートを所有していた。しっかり装飾されてはいるが、全てが1970年代の物ばかりである。彼女の境遇は、私がベネズエラで遭遇した多くの上流階級の人々の典型である。彼女とその家族は80年代と90年代にわたって、海外旅行や贅沢な買い物の減少と共に、生活水準の明確な低下を体験した。石油ストライキの後、彼女たちの生活水準はさらに低下し、彼女の息子は外務省の職から解雇された。

アレは、反対派支持者であったために、不当に解雇されたと言った。私は、彼の雇い主らがどうやってそれを知ったのかを彼に聞き、彼は彼が政府を嫌悪し、それが倒されるのを望み、ストライキに彼が参加したことを省の雇用者に語った、と言った。彼は、彼が仕事の妨害をしたことすらほのめかした。

その頃から私は彼らと住み始めた。カルメン夫人はほとんど毎夜、野菜スープを飲み、まれにしか買い物をしなかった。だが、客や親族が訪問した時には、彼女は高級品の購入を見せびらかした。 世間 に対する面目に関する彼女の懸念は絶大であった。彼女が生活費を払うのに助けがいることを人に知られたくないため、隣人には、私が家賃を払う者ではなく、国際交流の学生であると言うよう、彼女は私に頼んだ。彼女とその息子の地位の損失という屈辱は、チャベスに対する嫌悪へと変えられた。

カルメン夫人のような元上流階級の人々が感じる喪失感に加えて、そこには、富は彼らの生得権であるという意識がある。身内びいきと汚職は蔓延しており、多くの裕福な専門家らは私に、彼らが家族のコネを通して職を手に入れたと、戸惑いも見 せず に認めた。その同じ人々が即座に、ベネズエラ人口の80%が貧しい唯一の理由は、彼らが怠け者の酔っ払いだからだ、と言うのである。そこには、ある人々は富と快適さに生き、政治的に支配するため生まれ、そして他の者は不安定と貧困により特徴付けられた人生を送るよう生まれる、という一般的な印象がある。

さらに、上流階級の自己認識と貧者に対する彼らの嫌悪には根本的な側面がある。まるでそれが彼らの奥深くにあり、彼らの存在に組み込まれ、彼らの国の歴史により条件付けられたかのようである。多くの面で、状況は「コンキスタドール〔スペインの中南米征服者: conquistadors〕」の時代からほとんど変わっていない。多くの富める者は今もなお、絶望的に貧しいバリオのすぐ上の、華やかなアパートに住んでいる。鉄の囲い、電線、武装した護衛、複数の警備門で複合的に防備した彼らは、水と電気の供給が、当てがなく乏しい、粗悪なスラムの家々に囲まれている。

このベネズエラのエリートの、一般大衆に対する極度の恐れの歴史は豊富である。私の女家主の息子が語ったボベスについての物語は、この問題に光明を投げかける。ホセ・トマス・ボベスJosé Tomás Bovesは、ベネズエラの独立戦争時、指導的なスペインの王党派であった。チャベスの英雄であるシモン・ボリバルの不倶戴天の敵であったが、にもかかわらず反対派の人々はチャベスをボベスになぞらえる。

アレの言によれば、「ボベスは貧しい生まれの白人であり、スペイン海軍から追い出された後、黒人奴隷らと交流しなければならなかった。彼は彼を見下した裕福な白人を恨み、彼らに復讐することを切望した。独立戦争が勃発したとき、彼は黒人についての知識を利用し、彼らに寡頭政治家に蜂起するよう仕向けた。彼は奴隷軍を率い、それは日々白人、女性と子供、誰であれ殺害し、彼らの財産を奪った。彼の軍とともにボベスは、ある町に至り、条件を話し合うため町に入っていった。」

「ボベスは脅えた寡頭政治家らとの会合を開き、彼らに心配する必要はないと告げた。彼らが、彼が軍に与える少量の金を引き渡せば、彼らは見逃される。寡頭政治家らは大喜びで安心し、ボベスは祝いのために舞踏会を開くことを勧めた。町の金持ちらは踊っては飲み、ボベスはたいへん魅力的な接待役であった。その後の宵のある時点で、ボベスは合図を送り、彼の黒人護衛らが舞踏場にやって来て、一人残らず殺害した。そして彼らは町に行き何もかも奪っていった。」

舞踏場の物語はおそらく事実というよりは俗説 であろう。とりわけボベスは数世代のベネズエラの作家により悪魔化されてきたのだから。それは、彼らの特権的な状況とチャベスに関する、裕福なベネズエラ人が持つ深い恐怖心を明示する。彼らにはどうすることも出来ない経済の動きについての苦い思いと、下層階級に対する深く本質的な恐怖の組み合わせは一体となり、チャベスへの驚くほどに激しい嫌悪と、彼と彼の支持者についてのどんな悪いことでも信じたがる 態度 を作り出す。

この混合物に注入されるものが、チャベスを免職するためにはいかなる言動もいとわないメディアである。「自作クーデタ」や、チャベスは大衆の支持を得ていないという見解や、その他多くのさらに極端な空想の責任の大部分は彼らにある。主要な反対派テレビ局のひとつグロボビシオン〔Globovision〕は、なぜ政府が腐敗し、邪悪で、実際のところ独裁政権なのかについてのみの24時間報道に文字通り専念する。国営放送局を例外にして、他のチャンネルは、いくつかのメロドラマと映画を放映はするが、ほとんどの所同様である。

おおかたの新聞もこれに寄与し、明らかに真実でないものを決まって発行している。最高品質の日刊新聞であるエル・ウニベルサル〔El Universal〕ですら、汚職と身内びいきはこの政府が到来して以来のみベネズエラに存在するという様な滑稽な主張をする。また中には、反対の方向に大分偏向した政府支持の大きな新聞がひとつと、中立の新聞がひとつある。

私が出会った裕福なエリートの大部分が、彼らが読むメディアはとても偏っており、まったく正確でない事をしばしば発行すると認めるのだが、彼らはその多くをどのみち信じるのであった。それはまるで、この混乱する不穏な新しい世界において、彼らが慰めを見出せる限られた場であるかのようである。この状況のもと、はるかに狂気じみた説や憶測が溢れている。

〔例えば〕2002年のクーデターを捜査中に暗殺された国家検察官のダニロ・アンデルソン〔Danilo Anderson:訳注1は自らを爆破させた。ベネズエラは現在、実際にはキューバの共産主義独裁政権である。反対派支持者への政府職の拒否は、ヒットラーがユダヤ人にしたことに似ている。「自作クーデタ」とチャベスに対する5%の支持という作り話は、他の多くの中の最も一般に知れわたり、最も根強いうちの2つなのである。残念ながら多数の教養のあるベネズエラ人は自らのプロパガンダを信じているようだ。

この悲劇的な結果のひとつは、ベネズエラの民主主義にとって重要である。反対派のかなりの少数は、すべての選挙は どうしようも ないほど 不正操作されているので、参加する意味がないと強固に信じている。これらのなかで最も有名なのが、市民的不服従を許す憲法の条項から名を採った350運動である訳注2。彼らは選挙に参加する者を、政府から賄賂を受け取りその見返りに選挙に出馬する反逆者と呼んでいる。

対案として、彼らは、政府転覆を目的として、政府に対する暴力的な直接行動を主張している。この10月、彼らの集会のひとつで、彼らは2002年のクーデターに関与した将軍のひとり、ネストル・ゴンサレス・ゴンサレス〔Nestor Gonzalez Gonzalez〕の録音されたメッセージを流した。彼の熱烈に受け入れられた演説は、彼らに「いかなる必要な手段」をも利用し、「独裁」に対して死ぬまで戦うよう促した。350運動の主要な人物のひとり、パトリシア・ポレオ〔Patricia Poleo〕は、その同じクーデターへの彼女の関与を捜査していたダニロ・アンデルソン殺害計画に手を貸した かど で告発された後、潜伏している。

上記の記述は、ベネズエラ反対派やベネズエラの金持ちの全てを論じてはいない。私は同じく、チャベスに激しく反対するバリオの人々にも出会った。もっとも私はより多くの支持する人々に会ったのだが。中流階級にも彼の支持者がいる。チャベス支持者の多くもまた天使ではない。とりわけ、多くの者が政府に対して無批判になり、政府に反対するものを「ファシスト」呼ばわりする傾向がある。

そこには、彼の君主的なやり方や、ある種の国家権力の悪用の様な、政府とチャベスが非難の対象となる理に適ったこともある。モロチャス〔morochas:訳注3(双子)と呼ばれる現在の選挙の抜け道が過半数の親チャベス選挙評議会により容認されているのみならず、支配的な政党 MVR 〔第5共和国運動〕によって盛んに促進されているということは、控えめに言っても、遺憾である。

人々には彼らが賛成しない政策に反対する権利と義務がある。しかし、もし両方の間にいくらかの和解の要素が出来、そしてしばしば内戦に陥りそうに見える国において結果として和平が可能であるなら、反対派は過去犯した誤りを認め、政府とその支持者との譲歩へと向かわなければならない。これが起きているかもしれないという励みになる徴候がある。例えば、経営者団体で元クーデター後援者であるフェデカマラス〔Fedecamaras〕が最近、ベネズエラの開発に助けとなる点で、政府と協力することに承諾したのである。

裕福な反対派が辿るべき道はいまだ長い。彼らのもっともな懸念が考察されることを望む、あるいはある種の政治的代弁を取り戻したいと望むのであればだが。これに対する経済と歴史両方に基づいた心理学的な障害物は、彼らがこの段階に達することを不可能にする可能性がある。事によると、彼らは憎悪と自己欺瞞のなかで朽ち果てるしかないのかもしれない。彼らが現代のベネズエラに関する心的な状況から脱しなかった場合、将来、結果は残念ながら暴力をともなう可能性がある。



訳注

:ダニロ・アンデルソン暗殺については当ブログ記事「ベネズエラに対する米国の攻撃:ブラック・プロパガンダと汚い戦争戦術の高まり(再び)」を参照のこと。

:市民的不服従についてのベネズエラ憲法第350条は以下。「共和国の伝統と、独立・平和・自由に対する彼らの闘争に忠実であるベネズエラの人々は、民主的な価値・原則そして保証を侵害する、あるいは人権を不当に奪う、いかなる体制・法律・権威をも否認する。」(訳者による英文日本語訳)

在ベネズエラ日本国大使館の説明によればモロチャス(大使館サイトではモロチャ・メカニズム)とは「候補者に平等な機会を与えるために、氏名単記制 ( 全体の 60%) を通じた当選者の数に応じて、拘束名簿式比例代表制 ( 全体の 40 % ) での当選者を決定するメカニズムが適用される。右メカニズムに従えば、氏名単記制を通じたポストに同一の政党からの候補者が全て当選した場合には、たとえ右政党が拘束名簿式比例代表制において最多得票を獲得したとしても、名簿の最上位に掲載されている候補者がトップで当選することができなくなるため、 MVR はこうした不都合を回避するために、氏名単記制に限り、 MVR ではなく UVE の名称を使用した (CNE は 3 日に UVE を正式な政党として認可 ) 。」



posted by Agrotous at 01:02 | TrackBack(0) | ベネズエラ
この記事へのTrackBack URL

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。