2007年10月27日

チャベス:「ガルブレイスの信奉者」
〔Chávez: 'Galbraithiano':Original Article in English/Venezuelanalysis原文

グレッグ・グランディン〔Greg Grandin〕The Nation;2007年10月2日

昨年、ニューヨーク・タイムズ紙は、ウゴ・チャベスが国際連合での演説――彼がジョージ・W・ブッシュを悪魔と呼び、米国人にノーム・チョムスキーを読むよう熱心に勧めた演説〔正確にはその後の記者会見〕――で、その言語学者が死去する前に彼と面談できなかったことを遺憾に思うと述べた、と報道した。チョムスキー氏の家に電話すると彼はピンピンしていた、とタイムズ紙の記者は皮肉った。けれども、スペイン語の原文の再検討が成され、チャベスがチョムスキーではなく、その数ヶ月前に実際に亡くなっていたジョン・ケネス・ガルブレイスに言及していたことが判明したため、タイムズ紙は訂正記事を出さなければならなかった。

ウゴ・チャベスを嘲笑しようと急ぐあまり、報道界がジョン・ケネス・ガルブレイスを訳し落としたこの出来事には、ささいな皮肉以上の何かがある。なぜならば、それ自体公の議論から長いこと取り除かれてきた、このハーバード大経済学者のニューディール政策による社会民主主義こそがまさに、チャベス革命〔Chavismo〕のみならず、それが極めて重要な一部となっているより広範な中南米左派を、より公正に考察することを可能にするからである。

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2007年10月20日

ベネズエラの躍動的な政治文化
〔An Engaged Political Culture in Venezuela:Original Article in English/ZNet原文

シンシア・ピーターズ〔Cynthia Peters〕;2007年9月14日

アンデス山脈を上下降するでこぼこした山道の脇にある小さな売店に、濃く甘いエスプレッソを飲むため私達は立ち寄った。それは小さな二口サイズのカップで出てきて、ちょうど良い量のカフェインだった。危険なのと同時に感覚を失わせる程繰り返し現れる見通しの悪い曲がり角で注意を怠らないようにするために。そこで出会った、同じくコーヒーを飲んで休憩していた二人のベネズエラ人が話しかけてきた。近くの村に飲み水を運ぶ彼らの仕事について、チャベス政権に関する彼らの意見、そしてどの地域共同体で政府がどんな計画を実行するのかを取り決める草の根の顧問委員会(「consejos comunales〔地域住民委員会〕」)について、私達は数分間和気あいあいと会話をした。

「社会主義に向けたチャベスの努力はどうなんです?」と私は彼らに訊ねた。

「社会主義は分かち合うことです」と一人が答えた。「私が三枚シャツを持っていて、あなたが一枚も持っていなかったら、私は少なくとも一枚をあなたにあげるべきです。」

ベネズエラの標準でいうと、それはとりわけ注目に値する会話ではなかった。私達はこの様な会話を多くしてきた――その中のいくつかはこの国の革命に向けた変革にとても好意的で、その他はそれ程でもなかった。とはいえ、社会で意義のある役割を担うことができない状況を、あまりにも多くの市民がどうする事もできないと感じている米国の政治文化に慣れきった者にとって、その会話は確かに注目に値した。

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2007年10月13日

至るところにある反乱の顔
〔The face of rebellion everywhere:Original Article in English/ZNet原文

マヒール・アリ〔Mahir Ali〕;2007年10月9日

バジェグランデと呼ばれるボリビアの小さな町で、そこの常駐司祭の幾分かの狼狽にもかかわらず、地元のカトリック教徒らは神にのみならず、聖エルネストという人物にも一般的に祈りを捧げている。その名が示しているのは遥か昔の崇敬された宗教的人物ではなく、20世紀後半の革命の先駆者となった熱心な無神論者である。

バジェグランデの様な類の尊敬を〔エルネスト・〕チェ・ゲバラが面白がったか、あるいは不快に思ったかは何とも言い難い。「寝る時も起きた時も」と27歳の地元住民は言う、「私はまず神に祈り、その後チェに祈る――そうすると全ては順調です。ここでのチェの存在は良い力になっています。」多くの住宅で、ゲバラの肖像がイエス・キリストや聖母マリアの肖像の横に掲げられている。別のものは、彼を偲んで作られた祭壇が添えつけられている。そして、チェが便宜を図ったと信じられている奇跡に関する物語が絶えることはない。

あるバジェグランデの病院の洗濯場は巡礼地に変えられた。そこは、40年前の火曜日にゲバラの死体が晒された場所である。米国に訓練されたボリビアの軍隊が近隣のイゲラ村で彼を即決処刑した後のことである。主として地元の支援の欠如によって、反乱を誘発しようとした彼の試みが失敗したその地域で、今彼が上述のように尊敬されているという事実には物凄い皮肉がある。

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posted by Agrotous at 21:21 | TrackBack(0) | 中南米全般
2007年10月06日

ベネズエラ労働者、チャベスのPSUVに合流へ
〔Venezuelan Workers to Join Chávez’s PSUV :Original Article in English/Venezuelanalysis 原文

ポール・ヘースト〔Paul Haste〕Upside Down World;2007年9月12日

ベネズエラの「Unión Nacional de Trabajadores」(UNT、全国労働者組合連合)は、ボリバル革命における組合連合の関与を脅かしてきた戦術や戦略、そして政治的手段に関する激しい内輪もめや衝突にもかかわらず、200万人の組合員に「Partido Socialista Unido de Venezuela」(PSUV、ベネズエラ統一社会党)に合流するよう呼びかけた。

UNT組織者スタリン・ペレス〔Stalin Pérez〕は全労働者に、バリオ〔居住区〕や職場で「大隊」(地方政党支部)を編成し、「私達のサンディカリズムと社会主義の提案……そして如何にして民主的組織編制を構築するのかという私達の思想」を従えて、PSUVに合流するよう呼びかけた。

この呼びかけがニュースであると見なされていること自体が、2003年に連合が結成されて以来UNT内の政治分派の間の関係がどれほど対立的であったかを反映している。ペレスが説明するように、労働者は「UNTが困難に直面していることを意識しており……協力し合えなかったことや政治的不一致は労働者に影響を及ぼす。」

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