2007年06月11日

RCTVとベネズエラにおける言論の自由
〔RCTV and Freedom of Speech in Venezuela:Original Article in English/ZNet原文

グレゴリー・ウィルパート〔Gregory Wilpert〕Venezuelanalysis.com;2007年6月4日

国際メディアや表現の自由関連団体、及び多種多様な政府の見解に反映された国際世論に関する限り、ベネズエラはついに反体制派が正しかったことを示す決定的な措置をとった。すなわちベネズエラは独裁政権へと向かっている。こういった見解から判断すると、反政府系テレビネットワークであるRCTV〔ラジオ・カラカス・テレビジョン〕の放送免許更新拒否の結果、言論の自由はベネズエラにおいてますます制限されている。5月27日夜12時のRCTV放送終了と共に、国で最も有力な反体制派の意見が抑圧されたことになっている。

いかなる仕方でも反体制派の意見を抑圧することは言論の自由に反している、と一般的には当然視されている。だが反体制派の意見は本当に抑圧されたのか? これは正しい比喩なのであろうか? RCTV取締役マルセル・グラニエルは、実際に黙らされたのか? 否、より適当な比喩は、グラニエル(及びその他)が彼の表現の自由を行使するために利用していた拡声器――彼が借りてはいたが決して所有していなかった拡声器――が実際の所有者に返還された、というものである。それどころか、彼は未だにそれよりも小規模の拡声器(ケーブルテレビ及び衛生テレビ)を利用することを許されている。

言い換えれば、RCTVが半世紀以上利用してきた周波数は、民主的に選ばれた指導部の管理の下その本来の所有者――ベネズエラの人々――に返却された、ということである。とはいえ、放送電波の利用法に関する決定が(多くの批判する者たちが容認するように)政府の特権であろうとも、一方で放送電波を利用する自由がもっぱら多数決原理の問題ではありえない、と彼らが訴えるとき、この措置を批判する者たちにも一理ある。結局のところ、少数派(この例ではおおかた相対的に裕福な少数派)にも、自らの意見を多数派に納得させるため使用することができるよう、拡声器を利用する機会が与えられるべきではないのであろうか? 少なくとも、公民権を伝統的に奪われた少数派を擁護する進歩主義者らは、少数派にメディアに対する利用機会が常に与えられるべきであると論じるであろう。[1]マルセル・グラニエルと彼の支持者達が公民権を奪われた少数派であると見なすことはできないとはいえ、多元主義の名の下に、確かにこの少数派もほんの僅かでもメディアで意見を述べる資格がある。

チャベス支持者達は反体制派が意見を表明するために十分な放送周波数を未だに所有していることを指摘し反駁する点で、この主張の正当性を認めている。RCTVの免許期限が切れるにまかせるという決定の正当性を論じる彼らの主張は、第一に、反体制派が自らの見解を放送する多数の別のメディア媒体を未だに所有しており、第二に、RCTVは破壊的で法律違反的な放送局であり(その根拠はクーデターや石油産業閉鎖やその他への局の関与)、そして第三に、憲法によって規定された新しい公共サービステレビ局のためにそれは退かなければならない、というものである。ここでこれらの主張それぞれを、まずはベネズエラのメディア状況から簡潔に検討してみよう。

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posted by Agrotous at 00:59 | TrackBack(2) | ベネズエラ
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