2008年03月06日

エクアドルの犯行現場証拠、コロンビアの嘘を暴く
〔Ecuador Crime Scene Evidence Nails Colombian Lies:Original Article in English/ZNet原文

デシオ・マチャド〔Decio Machado〕;2008年3月4日

エクアドル当局による調査は、コロンビア軍が20人から22人のゲリラ兵をエクアドル領内で殺害した3月1日の明け方に起きた事実を明らかにした。FARC(コロンビアのゲリラ組織、コロンビア革命軍のスペイン語の頭文字)司令部のナンバー2、ラウル・レジェスは伏兵攻撃によって殺害された。

画像、近隣住民や生存して発見された3人のゲリラ兵の証言、弾道学の報告、そしてエクアドル軍の諜報は、アルバロ・ウリベ・コロンビア大統領の嘘の数々を証明した。コロンビアの見解によれば、エクアドル国境に近いがなおコロンビア領土に位置するグラナダと呼ばれる小さな村落にレジェスが現れるであろうという情報を基に、FARC第48戦線は追跡されていたという。

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2008年03月04日

コロンビア、FARCのラウル・レジェスを暗殺
〔Colombia Assassinates Raul Reyes of FARC:Original Article in English/ZNet原文

ジャスティン・ポドゥール〔Justin Podur〕;2008年3月2日

FARC(コロンビアのゲリラ組織〔コロンビア革命軍〕)のナンバー2であり、その組織の中でおそらく最も顕著な代弁者、ルイス・エドガル・デビア・シルバ〔Luis Édgar Devia Silva〕、又は「ラウル・レジェス」(通称)が昨日コロンビア軍による爆撃で殺害された。コロンビア軍自体による報告によれば、軍はラウル・レジェスを含む15名ほどのゲリラを殺害したという。その報告がほのめかしていることは、それが基本的に暗殺であったということである。それはイスラエルがごく最近の例ではヒズボラ幹部のイマド・ムグニヤに対して行ったと非難されている、ここ数十年間に犯してきた類に入るものである(実際にウゴ・チャベス・ベネズエラ大統領はその類似性に言及し、コロンビアがアメリカ大陸のイスラエルに変貌するのであろうかと訊ねた)。コロンビア全国紙エル・ティエンポによれば、「レジェスが殺害されたのは、そのゲリラ司令官からの衛星電話を傍受した陸軍及び空軍が関わる諜報活動においてであり、そのことが彼が潜伏していた場所を正確に突き止めることを可能にした。」

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2008年02月05日

中南米のニュース報道:中途半端な報道はされない方がまし
〔Latin America News Coverage:
Half the Story is Worse Than None:Original Article in English/ZNet原文

マーク・ワイズブロット〔Mark Weisbrot〕AlterNet;2008年2月2日

〔文中リンク原文ママ〕

サウスカロライナ州予備選後「選挙に勝利するためなら何でも述べ、何でも行う」人々に言及して、バラック・オバマはビル及びヒラリー・クリントンに痛烈な言葉を浴びせた。

この候補者が何に返答していたのかに言及せず彼の発言を米国メディアが報道するのを想像するといい。(彼が応じていたのは、ビル・クリントン元大統領がサウスカロライナ州におけるオバマの勝利を1980年代のジェシー・ジャクソンのものに比較したこと――これは人種差別的な政治手段であると広く見なされている――及びヒラリー・クリントンの攻撃的な選挙広告に対してである)。

こうした重要な事実を省略することは米国において容認されるジャーナリズムであるとは見なされないであろう。 しかしながら中南米に関する米国の報道において、同一の基準が適用されることはない。

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2008年01月17日

地球の中心の善と悪:
ケチュア族のクリスマス・キャロル
〔Good and Evil at the Center of the Earth:
A Quechua Christmas Carol:Original Article in English/ZNet原文

グレッグ・パラスト〔Greg Palast〕GregPalast.com;2007年12月26日

キト――何がそうさせたのかは分からないが、エクアドル大統領〔ラファエル・コレア〕との一時間に亘るインタビューで私は彼の父親について訊ねた。

私が訊く質問はバーバラ・ウォルターズ〔有名な米女性キャスター〕がするようなものではない。

彼はためらった後に、こう述べた。「私の父親は失業者でした。」

一息ついた後、彼はこう付け加えた。「彼は少量の麻薬を米国に持っていきました……これをスペイン語ではmula[麻薬密輸入者]と呼びます。彼は米国で4年間過ごしました――刑務所で。」

彼は続けた。「私の父親について語ったことはこれまで一度もありません。」

どうやらその通りであった。彼のスタッフは硬直し、唖然としていた。

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2008年01月01日
個人的な理由から、定期的な更新をしばらく休止いたします。
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2007年12月22日

民主主義日記
〔Democracy diary:Original Article in English/ZNet原文

ヒラリー・ウェインライト〔Hillary Wainright〕Red Pepper;2007年12月14日

ヒラリー・ウェインライトがカラカスからベネズエラの国民投票を、そしてまた改革に向けた次の段階を報告する

国民投票当日のカラカスは非公式に午前3時から始まった。有権者達が爆竹を鳴らし、クラクションを鳴らすことで、チャベス大統領による憲法改正案の運命を決める日の夜明けを祝っていた。これらの改憲案に含まれていたものは、住宅供給、社会保障、教育に対する社会的権利や、短縮された週労働日数といった野心的な案、それに加えて、地域住民委員会の強化、ベネズエラを正式に社会主義国家にすること、大統領に広範囲な非常事態権限を与えることや、彼の任期が満期になる2012年にチャベスが大統領に再び立候補することを可能にするための数々の案であった。

投票の視察

私にとって国民投票当日は、それよりもゆったりとした時間、午前7時に始まった。灰色のジャケットを着て、「observación internacional〔国際監視団〕」の野球帽を被り。私達は大学関係、メディアや市民社会団体に所属する80人程の人々で構成された国際団体のひとつで、国民投票の投票過程を監視した。10台のミニバンがあてがわれ、私達はカラカスとその周辺へと派遣された。私はグループ10に配置され、空港近郊の中流下層階級/労働者階級の地域カティア・ラ・マル〔Catia La Mar〕近辺の6つの投票所を訪れた。そして投票終了後に、電子投票の手集計を監視するべく、カラカス中心部の大きな中等学校に戻った。

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2007年12月14日

敗北はチャベスの基本計画だったのか?
〔Was Failure Chavez's Masterplan?:Original Article in English/Venezuelanalysis.com原文

カルロス・ルイス〔Carlos Ruiz〕Rebel Resource ;2007年12月6日

1998年のウゴ・チャベス大統領当選以来、ベネズエラの政治は世界で最も能動的で人を引き付けるものになってきており、それと共にその国の急進的で新しい目標には激しい異議が唱えられている。日曜〔12月2日〕にチャベス支持者の多くが、広範囲に及ぶ一連の憲法改正案に対する投票を棄権したことが、その否決に至り、またとても実質的で真っ当な疑問を投げかけた。つまり、負けるのは初めから彼の意図であったのか?

わずか一年前にチャベスは、記録的な63%の得票及び有権者の4分の1の棄権のみで決定的に再選を果たした。それ以来一握りの論争が起きており、その中のどれもが彼の支持層の中の少数派を潜在的に遠ざけ得るものであった。それにもかかわらず日曜の投票が敗北に終わったのは、チャベスを未だ支持しているのではあるが、本格的な「21世紀の社会主義」を成し遂げる急進的で景観を一変させるような変化の数々には準備ができていなかった、極めて重要な階層の棄権によってであった。

ある評論家はこの大規模な棄権を、極度の雄弁や不十分な行動に起因した「倦怠」のためであると批判した。棄権した者たちがチャベス派のより保守・穏健派を代表しているに違いない故に、これは実態ではありえない。それよりも現実的な論点は、反対派による威嚇戦術や偽情報によってその層が特定の個々の案に慎重になった、というものである。もしこれまで知られてきた反対派の得票能力を超えたかなりの数の「反対」票があったのであれば、これはおそらく真実味をおびるのだが、そうではなかった。どうあろうとも、「反対側」からのプロパガンダはまず本気にされない。大規模な棄権が示唆することは、この問題全体の奇妙な状況下、穏健な「チャベス派」が単に理性的に行動した、ということである。

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2007年12月08日

ベネズエラ憲法改正否決(差し当たりは)
〔Venezuela's Constitutional Reform Fails (For Now):Original Article in English/ZNet原文

ジャスティン・ポドゥール〔Justin Podur〕;2007年12月4日

ベネズエラの憲法改正案国民投票は否決され、ベネズエラ野党とは異なり、チャベスは潔くその敗北を認めた。最善の結果は「賛成」の側の辛勝であったのだが、この敗北は地域的及び世界的に消極的な帰結をもたらすであろう。米国の後ろ盾を得たコロンビアのウリベ大統領は、チャベスがコロンビア政府とFARC〔コロンビア革命軍 〕ゲリラの仲介にあたってきた人道的な協和を数日前に打ち切っていた。米国はペルーとの自由貿易協定を協議中である。しばしばみられるように米国の対外政策に仕えているカナダは裏口を使い、自国にも協定を取り決めることによって、米国がコロンビアとの自由貿易協定で合意に達するよう試みている。以上の全てにおいて、エクアドル、ボリビアやブラジルといった諸国の進歩的勢力や政治家達が政治的方針や支持を仰ぎベネズエラに目を向けてきた。国民投票の結果は米国がこうした勢力を孤立させることをより容易にする。

だが、チャベス自身が述べたように、戦いは終わっておらず、これ〔投票結果〕から派生し得る良い事柄がいくつかある。

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2007年12月01日

潜水艦とゆるんだネジ:
チャベスの側近、仕切りを飛び越える
〔Of Submarines and Loose Screws: A Chávez Ally Jumps the Divider:Original Article in English/Venezuelanalysis原文

ジョージ・シカリエッリョ=メイハー〔George Ciccariello-Maher〕CounterPunch;2007年11月17日

11月5日、ラウル・バドゥエル退役将軍は、ベネズエラと海外の多くの者に衝撃を与えた。憲法改正案を非難し、12月2日に「反対」票を投ずるよう勧める声明文を読み上げたのである。多くの者が感じたその衝撃、またある者にとっては憤慨は、これ程有力な側近の離反の結果であったことは疑いがない。この7月までバドゥエルはベネズエラ国防大臣を務めていた。しかしその職務それ自体では、ラウル・バドゥエルが近年チャベス支持者達から得てきた神話的な地位を説明しきれない。バドゥエルの離反に対する一般の衝撃、及びその必然性の両方を理解するためには、おおよそ30年に及ぶ歴史により綿密に目を向ける必要がある。

国家尊厳回復作戦

チャベスと共にバドゥエルは、1980年代初期にベネズエラ国軍内で形成された秘密組織、革命的ボリバル運動200(MBR‐200)の結成メンバーであった。この陰謀を企む理想主義者の一団は、マラカイ〔アラグア州〕の落下傘連隊に起源を持っていた。マラカイは〔首都〕カラカスから西に2時間程離れた息苦しいほど暑い人口100万人の都市で、そこで彼らは旧第四共和国〔チャベス政権以前の体制〕の汚職や抑圧からの脱却を計画し始めた。シモン・ボリーバル〔南米の解放者〕が休んだとされる歴史的に有名な大木サマン・デ・グエレ〔Samán de Güere〕の下で共に彼らはボリーバル主義の誓約を誓った。

しかし機が熟したとき、バドゥエル自身が目立って不在であった。あるインタビューで彼はマルタ・ハーネッカーに、1992年のクーデターの試みに加わらないことを選んだのは、それを時期尚早であると彼が考えたからだと語った。この決断ゆえにバドゥエルはしばしば非難されてきた反面、彼が完全に誤っていたわけではない。つまり、そのクーデター自体は、その後に起きたことにとって必須であったとはいえ、確かに時期尚早で不十分に計画されたものであった。とはいえ1992年のクーデター以前のバドゥエルの懸念のいくつかは目に付く。「軍の構造はどうなるのか?」と自問したのをバドゥエルは想起する。「私達よりも高い地位にいる者たちをどうするのか? 彼らを私達に従わせることはできない……なぜなら軍の生活の根本的な要素は階層主義〔verticalism〕なのだから。」この2002年のインタビューでバドゥエルは、〔ニカラグア〕サンディニスタの「ゼロ司令官〔コマンダンテ・セロ〕」からコントラに転身したエデン・パストラのように感じる、と予言的にも冗談を言った。彼〔パストラ〕が「両方の側から慕われていなかったのは、彼が彼らを裏切ったからである、とある者は言い、彼らに潜入したからであるとその他は言った。」

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2007年11月24日

南の銀行:IMF・世銀支配に対する代替案
〔The Bank of the South:An Alternative to IMF and World Bank Dominance:Original Article in English/ZNet原文

スティーブン・レンドマン〔Stephen Lendman 〕;2007年10月30日

2004年7月、IMF〔国際通貨基金〕と世界銀行は創設60周年を祝った。ドイツと日本の予想されていた敗北後の戦後世界のための金融援助の枠組みを提供するため諸機関は〔米国〕ニューハンプシャー州のブレトンウッズで創設された。息を呑むような偽善を伴い、2004年10月の開発委員会コミュニケはこう言明した。「ブレトンウッズ機関60周年を迎え……持続可能な成長、安定したマクロ経済政策、債務の持続可能性、自由貿易、雇用の創出、貧困削減及び良い統治に向けた開発途上国による取り組みを支援していくことを改めてここに誓う。 」何ともはや。

実のところ、地獄の様な63年間に両機関は上記の意見で述べられた全てにおいて正反対の結果を達成した。創設以来、それらの任務は世界的な先進国〔global North〕が支配する世界経済に開発途上国を統合すること、そして富を貧しい諸国から裕福な諸国の強大な銀行家らに移転させる手段として債務返済を用いるというものであった。

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