潜水艦とゆるんだネジ:
チャベスの側近、仕切りを飛び越える
〔Of Submarines and Loose Screws: A Chávez Ally Jumps the Divider:Original Article in English/Venezuelanalysis原文〕
ジョージ・シカリエッリョ=メイハー〔George Ciccariello-Maher〕;CounterPunch;2007年11月17日
11月5日、ラウル・バドゥエル退役将軍は、ベネズエラと海外の多くの者に衝撃を与えた。憲法改正案を非難し、12月2日に「反対」票を投ずるよう勧める声明文を読み上げたのである。多くの者が感じたその衝撃、またある者にとっては憤慨は、これ程有力な側近の離反の結果であったことは疑いがない。この7月までバドゥエルはベネズエラ国防大臣を務めていた。しかしその職務それ自体では、ラウル・バドゥエルが近年チャベス支持者達から得てきた神話的な地位を説明しきれない。バドゥエルの離反に対する一般の衝撃、及びその必然性の両方を理解するためには、おおよそ30年に及ぶ歴史により綿密に目を向ける必要がある。
国家尊厳回復作戦
チャベスと共にバドゥエルは、1980年代初期にベネズエラ国軍内で形成された秘密組織、革命的ボリバル運動200(MBR‐200)の結成メンバーであった。この陰謀を企む理想主義者の一団は、マラカイ〔アラグア州〕の落下傘連隊に起源を持っていた。マラカイは〔首都〕カラカスから西に2時間程離れた息苦しいほど暑い人口100万人の都市で、そこで彼らは旧第四共和国〔チャベス政権以前の体制〕の汚職や抑圧からの脱却を計画し始めた。シモン・ボリーバル〔南米の解放者〕が休んだとされる歴史的に有名な大木サマン・デ・グエレ〔Samán de Güere〕の下で共に彼らはボリーバル主義の誓約を誓った。
しかし機が熟したとき、バドゥエル自身が目立って不在であった。あるインタビューで彼はマルタ・ハーネッカーに、1992年のクーデターの試みに加わらないことを選んだのは、それを時期尚早であると彼が考えたからだと語った。この決断ゆえにバドゥエルはしばしば非難されてきた反面、彼が完全に誤っていたわけではない。つまり、そのクーデター自体は、その後に起きたことにとって必須であったとはいえ、確かに時期尚早で不十分に計画されたものであった。とはいえ1992年のクーデター以前のバドゥエルの懸念のいくつかは目に付く。「軍の構造はどうなるのか?」と自問したのをバドゥエルは想起する。「私達よりも高い地位にいる者たちをどうするのか? 彼らを私達に従わせることはできない……なぜなら軍の生活の根本的な要素は階層主義〔verticalism〕なのだから。」この2002年のインタビューでバドゥエルは、〔ニカラグア〕サンディニスタの「ゼロ司令官〔コマンダンテ・セロ〕」からコントラに転身したエデン・パストラのように感じる、と予言的にも冗談を言った。彼〔パストラ〕が「両方の側から慕われていなかったのは、彼が彼らを裏切ったからである、とある者は言い、彼らに潜入したからであるとその他は言った。」
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posted by Agrotous at 22:47
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